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岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

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『図書』9月号【試し読み】細川周平/岸政彦×小川さやか/橋本麻里

◇目次◇
 
黒船のトントン太鼓        細川周平
〈対談〉調査する人生(1 前編)   岸政彦・小川さやか
幻の日本初新元素「ニッポニウム」 山口幸夫
けはいの文学  恩田侑布子
コロナ禍と科学と政治  横山広美
トルストイを訪問した少年  四方田犬彦
語られざる何か  亀山郁夫
アリスのいないお茶会(後編)  吉田篤弘
ゴッホの《ひまわり》――パリ編(下) 正田倫顕
短い短いお医者さんの話  時枝 正
多摩川沿いの工場で(1) 斎藤真理子
原発とキツネが対峙するとき    赤坂憲雄
天賦の才とテナー・ウクレレ    片岡義男
髪を制するかたち         橋本麻里
ダンテの見た夢          長谷川 櫂
こぼればなし

(表紙=司修) 
(カット=高橋好文) 
 
 
 
◇読む人・書く人・作る人◇
 
黒船のトントン太鼓
細川周平
 
 かれこれ三〇年、黒船から終戦までの音楽史に取り組んでいる。そのなかでひとつ忘れられない「閃き」の瞬間が、ペリー上陸の動向を偵察に来ていた薩摩藩士の報告書と出会ったときだった。「太鼓の打ちようトントントントントトトン大いに面白き打ち様也」。迎える役人や地元民の緊張はよく知られているが、そのなかに未知の楽隊をまるで祭り太鼓のように「面白」く聴いて書き留めた侍がいた。彼はふたつのリズム・パターンを聴き分けている。「人間業と見え申さず」というので、曲芸を見るようにたまげたのだろう。これには驚いた。

 ペリーの楽隊から始めるのは近代日本音楽史のお約束だが、この報告は見過ごされてきた。だがこのオノマトペは日本の耳が初めて捉えた西洋音の衝撃を、何よりもよく伝えていると思う。初めて耳にするブラスバンドの描写しようのない複雑なサウンドのなかから、聴き取りやすい太鼓を取り出し、手持ちの共感覚的語彙で何とかメモした。客観的な観察を記す報告全体のなかで、唯一楽しそうな筆致であるのも気に入った。

 この数行は民の側からの音楽史を目指す者には、テーマソングのように聴こえ、今では鳴り物や娯楽、それに土着の音感重視のアプローチを「トントン史観」と自称している。ふざけた名前かもしれないが、大真面目だ。鼓笛隊や軍楽隊から、管弦楽へ向かう芸術街道ではなく、和洋楽器・楽曲・扮装混ぜこぜのチンドン屋へ向かう通俗化あるいは土着化の道を追いかける歴史をまとめて、その侍の機転に応えたいと思っている。

(ほそかわ しゅうへい・音楽史)

 

 
 
◇試し読み⓵◇
 
〈対談〉調査する人生 (1)――すべてを感じたい(前編) 
岸 政彦×小川さやか
 
 生活史の研究で知られる社会学者の岸政彦さんが、おなじく「質的調査」にたずさわる研究者と対談するシリーズです。長い年月をかけて対象となる社会にふかく入り込み、そこで暮らす人びとの人生や生活を描くフィールドワーカーたちは、自分たちの人生もまた調査に費やしています。このシリーズでは、現場で調査するフィールドワーカーたちの「調査する人生」について、じっくりと語り合います。(2)から「Web岩波 たねをまく」にて掲載。
 
 「調査する人生」一回めにお話しするのは、立命館大学大学院先端総合学術研究科の同僚の小川さやかさんです。先日刊行された『チョンキンマンションのボスは知っている』は、第八回河合隼雄学芸賞と第五一回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。このトークは実は、二〇一九年六月五日に、先端研の授業の一環としておこなわれました。先端研では日常的にこういう授業がおこなわれています。フィールドで起きるできごとの「すべてを感じたい」と熱く語る小川さやかさん。その「エクストリーム」としか言いようのない「調査する人生」を聞きます。

 小川さんの最近のテーマはなんでしょうか?
小川 香港にいるタンザニアの交易人と労働者たちの交易システムです。WhatsAppやFacebookなどのSNSを利用しながら、アフリカ在住の商人たちと取引し、さらにはセーフティネットもつくっています。
 「セーフティネット」といえば、近代的な政府の社会保障や、村社会的な親族の相互扶助といったイメージがありますが、そのSNSで出来たものもセーフティネットなんですかね?
小川 彼らは、市民社会組織である「タンザニア香港組合」を組織してもいます。ただ彼らの中には「商業的旅行者」と呼ばれる、アフリカと香港を行ったり来たりする交易人たちが含まれるので、組合活動に継続的に貢献できなかったりします。しかも香港在住者のなかには刑務所との距離は違えども、多かれ少なかれ法に抵触している人も多く、お互いの事情を詮索しないことにしている。だから固定的で安定したコミュニティを形成して助け合うって難しい。でもたまたま香港にいる時に、病気になるかもしれない。逮捕されて、一文無しになるかもしれない。そんな時に気軽にカンパしたり泊めてあげるようなセーフティネットがSNSを介したビジネスとともにつくられているのです。
 セーフティネットには、「誰を対象にするのか」というメンバーシップの問題がありますよね。
小川 そうなんですよね。基本的にはコミュニティよりもネットワークに近しい発想なんです。タイやドバイ、マカオや中国本土にいるタンザニア人にも伸張するネットワークがあって、たまたま香港に来た人がトラブルに巻き込まれたら、仕方ないのでみんなでカンパを集めます。
 へえええ。それはその都度カンパするんですか?
小川 その都度カンパします。一〇〇ドルとか。けっこうな額でしょう。でも流動的だし、ビジネスは浮き沈みが激しいし、「あなたを助けたら、私が困ったときに助けてくれるよね」という互酬性を期待するのが難しいのです。
 互酬性は、セーフティネットの要件ですよね。コストを負担している人だけに、セーフティネットが与えられる。
小川 私は互酬性の論理が、あらゆる問題のひとつにあると思っているんです。友人関係から、夫婦関係、国民レベルでは、生活保護や社会制度をめぐる問題のあらゆるものを互酬性をめぐる期待が覆っている。
 「あなたを助けたら、私が困ったときに助けてくれるよね」という一見すると好循環の互酬性は、容易に悪循環の互酬性にスライドします。「嫌なことをされたから、やり返す」とか、「助けてくれないから、助けない」とか。「私だけが損している」と思う人が多くなると、すごく苦しい関係になりますよね。互酬性を維持していくのは、大変なんです。
 互酬性で社会を組み立てようとするとギスギスする。それとは違った形のネットワークのあり方があるということですね。

   *   *   *

小川 そうなんですよ。例えば、香港にたまたま来た人が、もし警察に逮捕されて一文無しになって「誰か俺を泊めろ!」となっても、「自業自得やん!」とはならない。
 へぇ、ならへんのね。面白い。そこにはフリーライダーが発生しませんか?
小川 フリーライダーはいっぱいいますが(笑)、彼らはそのつどの不公平をあまり可視化しないのです。彼らを見ていると、「ついで」の機会や、無理なくできる場合にしか助けないのです。行き先が同じなら「ついで」に連れて行ってあげるし、ごはんを食べる「ついで」に奢ってあげる。それぞれが「ついで」でやるから、誰かには助けてもらえる。とりあえずは食い扶持にありつけるし、暮らしてはいける。
 もう一つは、お返しについてもっと長期的な賭け事のような視野で考えています。彼らは仲間の人数ではなく、多様性を大事にしています。大統領秘書から詐欺師までいろんな人とつながろうとする。だって人生に何があるかわからない。成功したら政治家や企業の社長との関係が生きるかもしれないけど、詐欺にあったら、一番役に立つ情報をくれるのは詐欺師です。とにかく様々な人と無作為に友達になり、「ついで」の機会に親切をあげて、ネットワークを拡大する。それで「いつかどこかでそのときに適した誰かから返ってきたら万々歳」という期待のしかたをするので、いま与えた親切が、すぐに返されなくていいんです。
 集合的な評価やレビューなどはあるんですか? メンバーシップの固定していない、ネット上のオークションなどでは、レビューで淘汰するようなことがありますよね。
小川 星印で5・5と付けるような、評価経済のシステムは使いません。SNS上ではオークションも行われていて、良いヤツも悪いヤツもいるので、誰と取引するのかは重要なのですが、彼らは「信頼できる人間」と「信頼できない人間」がいるとは思っていないんです。
 むしろ人間は、その時の状況によって良くなることも悪くなることもある。一見冷たいようですが、すごく寛容でもあります。裏切られても、「あの時はギャンブルで失敗してたからな」と考え、その人の状況が良くなっていたら、「もう一回信用してみよう」と思う。何回裏切られても何回も信じ直せる。
 それは無限に可能なんですかね。裏切られて、傷つかないのかな?
小川 裏切られるほうが多いので信頼が遂行されたら、めっちゃいいヤツ(笑)。じっさい投機性が高い市場なので星印なんて無意味なんです。三か月前は羽振りが良くても、いまは失敗して「カモ」を心から欲しているかもしれない。だからそのつどの人物の事情を察知する必要がある。SNSに私とのラブラブ写真を投稿して、アフリカ在住の商人に「現地で結婚したなら高飛びしないだろう」と思わせて注文させる「はったり」も駆使する。でもこんなに多くの人を助けているんだからきっと心の余裕があって信頼できるだろうと思わせる戦術も効果を発揮するから、みんなできる時にはなるべく親切にしようとなる。
 その都度その都度、様々な状況から、総合的に相手の信頼度を判断するのは、計算コストがかなりかかりますよね。レビューシステムは、その都度判断しなくていいように、判断コストを下げる仕掛けです。その究極がメンバーシップ固定型の互酬性だと思います。
小川 計算コストはすごく高いと思います。でも評価経済って信用の不履行それ自体ではなく、信用の不履行を「引き起こしそうな人」を排除する仕組みですよね。そうなると、プラットフォームに参入出来ない人はずっとできない。安定していて簡単に失敗しない人だけが生き残れる仕組みです。
 なるほど……。近代国家と村社会が共通して抱えている一番大きな問題は、「排除」です。でもそのSNSでは、排除がないと。
小川 排除しないようにしているんです。彼らはいつも「親切にするのは、それ自体が楽しみなので、商売のためになると全然楽しくない」と言います。「ついで」に助けたり、「ついで」に親切にするのは遊びであって、それが「ついで」に自分の商売にも役だったらいいなとは思うけど、ビジネスではなく、あくまで親切が目的だと。
 だから親切にして、過度に負い目を与えたり、返さない人が排除されないために、あえて「私があなたにした親切は回り回って私のビジネスに役立っているんですよ」という論理を使っているんだろうなと思うんです。

   *   *   *

 話をもう一歩すすめると、小川さんはなにを描こうとしているのでしょうか? 僕らが京都や東京で暮らしているのとは違う生き方、違う行為のロジック、あるいはネットワークの在り方があることをずっと描いていますよね。
小川 そうですねぇ。私は助け合いは好きなんですが、それに伴う「負い目」や「権力」みたいなものが、嫌いなんですよ。
岸 はははは。それは最初からそうなんですか。
小川 暴力的な支配はもちろん嫌いだけど親切による支配もいやなんです。負い目を、「借り」や「恩」とするならば人間関係を接着し、社会をつくっていく重要な要素だと思います。でも返せなかった人に負い目がない形で、物やサービスを回す仕組みがあったらいいなと。
 親切にするとか、友人関係をつくるとか、それ自体はすごくいいことのはずなのに、それによって「いつも私ばかり助けてもらって」「あいつはサボってる」みたいなのが、なんとなく出来上がっていくことについて、私みたいにだめ人間だとびくびくしちゃう。
 贈与に対する関心は昔から?
小川 昔からだと思います。大学の学部生の頃には伝統寺院の副業について調べていたんです。資本主義経済とは少し違う、お寺の贈与経済に興味がありました。それからタンザニアで都会のインフォーマル経済の徒弟制度の研究をしようと思い、日雇い労働の現場に行ったんですけど、基本的にセメント袋とか持てないし……
 えっ、アフリカで日雇いの現場に行ったの? 建築現場入ったんだ?(笑)
小川 フィールドワーク=参与観察だったので。でも体力がなくて全然ダメでした。なんだったら出来るかなと考えて、行商だったら出来るなと思ったんです。
 「行商だったら」って普通ならないですけどね。やっぱり、面白い本を書く人は最初からエンジンがある気がする。小川さんの本からは、世界に対する独自の理論が明確にあって、作品を書きたい感じが伝わってきます。
小川 良いところでも悪いところでもあると思うんですけど。
 個々のデータにちゃんともぐりこんで、データから書いている。だから説得力があるわけだし、人類学界でも一般でも評価されている。そういうエンジンの自覚はありましたか。
小川 評価されているかは謎だけど(笑)。好き嫌いがハッキリしているのかもしれません。こういう現象や対象が大好きだと思うと一気にのめりこんでしまうし、興味がないことはさっぱり興味がない(笑)。

   *   *   *

 一般的にはアフリカでフィールドワークをしていると、貧困や内戦をテーマに「かわいそうな人」を書くことがありますよね。そういう人間の描き方に対して、小川さんは批判的ですよね。
小川 贈与にも関係するけど、基本的に返せないものがあまり好きではないんです。向こうに行くとしょっちゅうお金をねだられます。親戚が病気とか、トイレが壊れてとか、今日どうしても飲みに行きたいんだけどとか(笑)。
 すごい理由やな(笑)。
小川 誰かにたかられることが続くと、お金が足りなくなり、調査が続けられなくなる。日本とタンザニアの構造的な経済格差については承知しているし、彼らには恩があるし、なるべくなら助けてあげたいと思う。でも日本人だからといって蛇口をひねるように金がでてくるわけじゃない。ある時、ブチっと切れて、私にたかってくる人たちを全員並ばせて、有り金の数千ドルを一気に分配したんです。「その代わり、私はお金がなくなるので、これから五か月間、私の面倒を見ろ!」と言いました。
 有り金全部はたいたんですね。
小川 本当はブラの中に一〇〇ドルを隠していたんだけど(笑)。すっからかんになった。でもそのあと、私はすごい幸せな日々を過ごしました。分配した人たちに大切にされ、毎日奢られた。バスも無料で乗せてもらって、古着商から服をかりる。現地で行商して稼いだお金もその場でぱーっと分配して、儲かったらみんなで飲みに行き、儲からなかったら固いとうもろこしを食べて「明日はきっと儲かるで」と語りあって寝る。
 なんとかなったわけだよね。
小川 なんの問題もなく暮らして、しかも結構楽しかった。

   *   *   *

 本当すごいよね。いつも面白いと思うのは、書き手の人が見ている世界と、やっていることと、書いていることがだいたい繋がっている。小川さんが書いていることは、あたりまえだけど小川さんにしか出来なくて、小川さんが住んでいる世界にみんなが住めるわけじゃない。かなりのコミュニケーション能力がないとそこで暮らしていけないし、調査もできない。評価が蓄積しない社会は、その都度、計算しないといけない社会でもあり、高い共感能力と、瞬時の判断能力が必要です。例えばですけど、家の近所で夜中、ヤンキーが騒いでいたら小川さんはどうします?
小川 とりあえず一升瓶を持って行って「本当に眠いんだよね。お土産にこれあげるからさ」と言いますね(笑)。
 授業で同じ質問をすると、九九%は警察を呼ぶと言うんです。
小川 ええっ!
岸 ぼくも実際に家の近所でそういうことが何回かあって、でもぼくも直接言いにいくんです。「ちょっと静かにしてくれへんかな」と言うと、ほとんどの場合は悪気がないから「ごめんごめん」と帰っていきます。でもその時に、そこへ行って話して、どいて貰える人ってけっこう少ないんですよね。「話せばわかる」という生き方が出来る人って、特に日本だとかなり少数派だと思うんです。
小川 コミュニケーションをすればなんとかなるとは思っていないですよ。私はコミュニケーションがそんなに得意ではないので。
 いやいや、はははは(笑)。
小川 いつも言っているのだけど、私は流されやすいタイプです。誰かを積極的に口説くとか、働きかけることはほとんどせず、やってきたら全部ついていく。
 それ自体がすごいコミュニケーション能力やんか。人びとがやっていることに対する尊敬と信頼感がものすごいある。
小川 人を信じているわけじゃないですよ。例えば、全然知らない男の人から道で「今からおいで」と家に誘われたら、とりあえず様子を見てから考えようと思うんです。その家が密集地にあって周りにおばちゃんや子どもがいたら、なにかあっても叫べば問題はないわけだから、行く。でも、立地がヤバそうであれば、「ごめん、お腹こわしたみたい、あっ漏れる」とか言って途中で帰ります。
 途中で「お腹こわした」と引き返せる人がけっこう少ない。それは計算コストや判断コストがかかる。グラデーションの中で生きるのはそうとう難しいだろうなと思います。

   *   *   *

 調査の中で、めっちゃ怒られたことってあります?
小川 数え切れないくらいあります。ロボット工学の「不気味の谷」の図みたいな状況になるんです。アンドロイドが人間に近づいていくと好ましさが増すけれど、ある閾値でいきなり「不気味!」と思う現象のことです。
 それと同じように、タンザニアにフィールドワークにいったりすると、最初はみんなすごく優しいし、色々教えてくれる。私はそれを勉強してみんなのやり方を身体化していく。彼らからすると、私はアンドロイドから人間に近づいていく。で、私からするとほぼ完ぺきに模倣しているはずなのに、なんか違う! なんでそうなんや! と突然に厳しく怒られるようになる。この不気味の谷が私にとって、フィールドワークのベストチャンスなんです。
 そうなの? チャンス?
小川 「お前、ほぼ一緒やけど、ちょっと違うねんな」と言われるようになって、どうしても乗り越えられないものというか他者性にガーンとぶつかるんです。これ深めてみようと考えたり調査したりするチャンス。
 面白いなぁ。ほんとどこも同じですね。ぼくは調査のM字型曲線と言っているんですが、院生の方が調査に入りやすいと思うんですよ。でも慣れてくると、めちゃくちゃ叱られる時がある。喧嘩したりね。それを超えて、それなりに現場で実績を積むようになるとまた変わってくる。でも三十代のころはやりづらかった。「ナイチャーになにが分かるんだ」と言われたり。ぼくは根が暗くて打たれ弱いのでものすごくへこむんですけど。
小川 その居心地の悪い状態は、面白いですね。落ち込むこともあるけど、スリリング。私は色々なじめて、けっこうなんでも出来るタイプなんだけど、ここは超えられないんだなと、自分自身でも発見するんです。
(きしまさひこ・社会学) 
(おがわさやか・文化人類学) 
構成:山本ぽてと
 
 

◇試し読み②◇

髪を制するかたち
橋本麻里
 
 洗面所にひと筋落ちているだけで、ひどく気になるのが毛髪だ。つい今しがたまで自分の身体の一部であったものが、そこから離れた途端、不穏な存在に見えてくる。その一方、和泉式部の名高い恋の歌「黒髪のみだれもしらずうち臥せば まづかきやりし人ぞ恋しき」に詠われる黒髪への感覚は、似ているようでだいぶ異なる。逢瀬に寝乱れた女の長い髪、その艶やかな黒髪をかきやり、女の顔を見つめる男。そして今宵、独り寝の床で、過ぎ去ってしまった夜の記憶に思い乱れる女の情念を、薫き物のように染み込ませた黒髪のうねりに、たまらない官能性を感じる。

 生涯にわたって伸び続ける髪は、生命現象そのものの反映として神聖視され、同時に忌みの対象にもなってきた。みどりの黒髪、という時、私たちがそこに見ているのは黒色ではなく、「みどり児」という言葉と同じく、芽吹きを迎えた植物にも似た、瑞々しい生命力だ。緑を意味する北欧系の語green(英語)、grün(ドイツ語)なども、もともと〈育つ〉を意味する語(growなど)と語源を共にすることが知られている。制御不可能なほど強大な生命力噴出は人間を脅かすものであるから、忌みの対象となる。これを人の手で制御し、飼い慣らし、洗練させたものが結い髪だろう。

 「垂れた伸ばしほうだいの髪が自然やエロスの象徴とすれば、結い整えた髪は文化や秩序を表象するもの」(「髪」『世界大百科事典』、平凡社)とあるとおり、結い髪は、髪が表象する強大な生命力を、人間社会の秩序の中に組み込める形の「かざり」へ移行させたものだ。古代日本において、未だ社会に組み入れられていない童女(どうじょ)は、垂髪、放髪で、髪を振り乱して遊び興じることが許されていた。やがて一二~一五歳頃になると、夫となる男(もしくは身内の男性)の手で髪を結い上げる「髪上げ」を経て、成人や婚約と見なされる。『竹取物語』にも「三月ばかりになる程に、よき程なる人に成りぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳着(もぎ)す」、(かぐや姫を育て始めて)三ヵ月くらいになる頃に、一人前の背格好の人になったので、髪上げの儀式などをあれこれ手配して、髪上げさせ、裳を着せる、とある。

 一定の年齢に達しても髪を結わぬ、放髪の女は、この世の規範から弾き出された存在を意味する。生まれつき逆立った髪を持つことから「逆髪(さかがみ)」と名づけられた皇女は、その苦悩によって狂人となり、山野を流離(さすら)っていた。彼女の弟で、こちらは盲目であるために山へ捨てられた皇子の蝉丸と再会し、互いの不幸を嘆き、慰め合い、最後には運命を受け入れて再び別れていく――とは、世阿弥作とされる能の名曲『蝉丸』である。
 
 荻原規子によるファンタジー小説『RDG レッドデータガール』シリーズ(二〇〇八~二〇一二年、角川書店)でも、異界の姫神を身に宿す少女は、神を顕現させないためにと、長い髪を堅く三つ編みに編んでいる。あるいは一九八五年に宗田理が書いた『ぼくらの七日間戦争』(角川文庫)は、全国の学校を席巻していた管理教育に抑圧される中学生が、「解放区」をつくり、学校教師や大人に「戦争」を挑む、という筋立ての小説だった。この作品が映画化されたときの挿入歌「GIRLFRIEND」(TM NETWORK) は、「固い三つ編み ほどいて風におよがす/髪の先まで自由に 生きていたいの」と願う少女の姿を歌う。

 自らの記憶をたどってみても、三〇年以上前、全国に名だたる管理教育県にあった中学校では、女子生徒の長い髪は結ぶか編むかしなければならず、ポニーテールは御法度、うなじの位置での一つ結びか三つ編み、ゴムの色は黒か紺、と決められていた。いま振り返るといささか滑稽だが、教師たちは、縛(いまし)めを解かれた髪を秩序の破壊の象徴のように思っていたようだが、なるほど、それも故ないことではなかったらしい。

 「かざり」は人為の所産であり、文化であり、社会のコードそのものだ。簡単ではあっても、自分で髪を結い、まとめた経験のある者であれば、(特に直毛の場合)そのことを体感として理解しているだろう。結うための前段階として髪を梳(す)き整え、何らかの整髪料をつけ、人工的な形をつくって、解けないように結び留める。三面鏡のように自分の後背部を見ることができる便利な道具があってさえ、自分一人でやってみると思ったようには仕上がらない。ベースとなる髪を常日頃から手入れし、髪の自然に逆らう、限りなく人工的な形状に美と威信とを見出し、長く保つことができないひとときの装いに、惜しみなく技芸を投じる。その贅沢なありようは、まさに「かざり」の真骨頂だ。
 
 日本列島に暮らす人々が髪を結うようになったのがいつのことか、またそれがどういう髪型だったのか、厳密に立証することは難しい。結い髪と切り離せないのが櫛・簪だが、縄文時代の遺跡から髪を飾る櫛が発見された早い時期の例としては、石川県七尾市の三引(みびき)遺跡で縄文時代早期(約七二〇〇年前)の漆塗櫛、また佐賀県佐賀市の東名(ひがしみょう)遺跡からは縄文時代早期(約七〇〇〇年前)の木製櫛、そして福井県鳥浜貝塚からは縄文時代前期(約六一〇〇年前)の漆塗櫛、と枚挙に暇がない。いずれも縦長で櫛歯が長く、歯の数は少ない「竪櫛(たてぐし)」で、装飾のために髪に挿した飾櫛と見られる。素材は骨や角、木、竹、中には透かし彫りなど精巧な彫りを施し、あるいは赤漆を塗り、とさまざまな加工が施されている。こうした手の込んだ飾櫛は、集団の中でも特別な立場にある者しか手にすることはできなかったはずだ。

 同じ縄文時代の遺品で結い髪の手がかりとなりそうな土偶には、櫛のような実用的な用途はない。純粋に「見て・感じる」ためだけにつくられたものだ。もっとも古い例では約一万三千年前、縄文時代草創期(約一六〇〇〇年~一一五〇〇年前)に遡るが、当初はごく小さく、頭部のないものが多かった。縄文時代中期(約五五〇〇~四四〇〇年前)になると、土偶はついに顔を持つようになる。豊満な胸や腰を強調した女性的な表現も、実はこの頃から。土偶に施された妊娠を思わせる下腹部の膨らみや乳房の表現から、「再生と豊饒への祈り」、あるいは破壊された状態で発掘されることから、「病気や怪我を治すための身代わりでは」など、さまざまな解釈が唱えられているが、女性型ばかりでなく、両性具有や男性の土偶も出土しており、どのような信仰・観念に基づいてそれらが作られたのか、まだ多くの謎が残されている。

 「みみずく型」「遮光器(しゃこうき)型」などと分類され、そもそも人間を写したのかどうかすらも定かではない、時代や地域によって異なる不思議な姿の土偶について、後代の結髪の形状との相似から、当時の人々がそのように髪を結っていたと拙速に結論づけることはできない。弥生時代であれば、六世紀に築造された群馬県の綿貫観音山古墳から発掘された女性の埴輪は、髪を結い上げて額に飾櫛を挿し、首飾り・耳飾りをつけた正装の姿で表され、誤解の余地のない写実的な感覚がある。文字資料としても、三世紀末に書かれた『魏志倭人伝』に、「其風俗不淫 男子皆露紒 以木緜招頭 其衣横幅 但結束相連略無縫 婦人被髪屈紒 作衣如単被 穿其中央貫頭衣之(その風俗は淫ならず。男子は、皆、露紒(ろかい)し、木綿を以って頭をあげる。その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うこと無し。婦人は被髪屈紒(くっかい)す。衣を作ること単被の如し。その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る)」とあり、当時の倭の男子は冠をかぶらず結った髪を露出し、婦人は髪を上げ、折り曲げて結っていたと記述される。

 だが先述したとおり、縄文時代を通じて少なからぬ、しかも特別に手の込んだ加工が施された櫛が発見されているにもかかわらず、同時代につくられた土偶の頭部に、はっきりそれとわかる櫛の表現はほとんどなく、後期末から晩期に出土した土偶にわずかに見られる程度だという(尾関清子「続、発生期の〈櫛文化〉の特徴について」『東海学園大学紀要』20、東海学園大学、一九八五年)。こうした古代の事例について、尾関清子氏(東海学園女子短期大学名誉教授)による一九八〇年代の先駆的な研究は、縄文時代の遺跡から出土した櫛類、土偶の頭部の形状などから、何らかの結髪が行われていた可能性を検証した。それから四〇年近くを経て、国際文化学園美容考古学研究所(村田孝子所長)が創設、二〇一九年一二月に初めての活動報告会を実施し、「縄文時代の土偶の髪型に関する研究」について報告している。そこで結髪の可能性を指摘されている土偶について、私自身は多くの事例を未だ結髪とは判断できずにいるが、ごくわずか、たとえば長野県茅野市の長峯遺跡から出土した、縄文時代中期(約四〇〇〇~三〇〇〇年前)の土偶(茅野市尖石縄文考古館蔵)の後頭部の意匠のように、編み込みと言っていいのではないかと思われる事例は確かにある。

 古墳時代まで降るのであれば、埴輪や文字資料ばかりでなく、決定的な証拠も発見されている。それが七世紀後半の武者塚古墳(茨城県土浦市)から出土した、全長四〇㎝強にもなる結い髪そのものだ。美豆良(みづら)、角髪とも書く古墳時代の男子埴輪に広く見られる髪型の一部で、語源は「耳連ら」からというとおり、中央で左右に分けて耳元で束ねた髪を、肩上で折り返して八字形に結んだもの。結んだ下端が肩まで垂れた「下げ美豆良」と、耳のあたりに小さくまとめた「上げ美豆良」とがあり、「下げ美豆良」は労働に不向きであることから、身分の上下によって形状が異なるものと推測されている。推古一一年(六〇三)に冠位十二階の制が整えられると、男性は冠をかぶりやすいよう、頭頂で一髻(いっけい)を結うようになり、美豆良は元服以前の少年の髪型として、明治四年(一八七一)に断髪令が出るまで、公家や社家の間に長く残った(明治天皇も幼少時に結っている)。日本独特の髪型と思われてきた美豆良だが、中国・漢時代の画像石や、敦煌莫高窟の中唐の壁画(第一五八窟)などに同様の髪型が登場していることから、大陸からの伝来かとも考えられている。

 女性埴輪の髪型は、前後に庇が突き出たような形をしており、これも概ね写実と解釈できるなら、頭頂部で束ねた髪を内側に折り返して平たく畳み、中ほどを紐や蔓で結んだ、江戸時代の島田髷に似た結い髪だったと考えられる。これを「古墳島田」と呼ぶこともあるが、その髪飾りにはヒカゲノカズラのような、枯れても緑を失わず、豊かに垂れ下がる植物を用いたらしい。『万葉集』巻一八では大友家持が、「見まく欲り 思ひしなへに かづらかげ かぐはし君を 相見つるかも」(お逢いしたいと思っていたちょうどその折、ヒカゲノカズラを髪につけた素晴らしいお姿のあなたにお逢いすることができて幸せです)と、同じく家持が巻一九で「あしひきの 山下日影 かづらける 上にや更に 梅をしのはむ」(山の下陰のヒカゲノカズラを髪に飾っている。その上更に梅の花を見て楽しもうというのですか)と詠み、『古事記』では天照大神が隠れた岩戸の前で、天鈿女命が「天香山の日影蔓を手襁(たすき)に懸け」て踊る場面が描かれるなど、髪や身体をかざるヒカゲノカズラが頻々と登場する。また新嘗祭や大嘗祭などの神事で、かつては冠の巾子(こじ)の根元にヒカゲノカズラをかざったといい、のちには青糸や白糸を組んで作ったものも用いるようになった。令和の即位礼にあたっても、令和元(二〇一九)年一一月一四、一五日に行われた大嘗宮の儀で、腰に剣を佩き束帯姿で弓矢を持つ衛門(衛士)は、清浄を表す白い小忌衣(おみごろも)をまとい、冠にヒカゲノカズラをかざっていた(『皇室』令和二年冬85号、扶桑社、二〇二〇年)。また同日、「悠紀殿(ゆきでん)供饌の儀」へ向かう天皇が通る「雨儀御廊下(うぎおろうか)」は、天井からヒカゲノカズラが吊り下げられていたという(同書より)。

 貴族たちは結い髪に飽き足らず、重ねて植物/自然の生命力の恩恵を受けようとカズラを巻き、季節の花を挿して「髻華(うず)」と称した。中国の冠位制由来の冠をかぶるようになった後も、冠に金属製の造花や鳥の尾羽、豹の尾などを挿してかざりとしたが、平安時代以降は冠に挿す季節の花の折り枝や造花を「挿頭華(かざし)」と呼ぶようになる。『栄花物語』の「御賀」には、「挿頭の花ども黄金、銀の菊の花を造りて」とあり、その華やかさを偲ばせる。

 古墳時代以降、貴族たちは唐風の装いを真似るようになり、中国に倣って衣制が定められると、男性は冠とその下の髻、女性は頭上に髷を結い上げ、櫛や釵子(さいし)でかざった。天武一一年(六八二)には、すべての男女を対象とする結髪の詔が、同一三年には四〇歳以上の老女と神祇に奉仕する者を除いて女性も髪を結い上げることが定められたが、庶民には定着しなかったらしく、二年後には解除されている。

 平安時代も初期まではこの状況が続いていたが、唐の衰退と共に日本の貴族女性たちも中国風の髻を崩し、垂髪へと変わっていく。垂髪なら自然、無秩序かといえば、そうではない。身の丈に余るほどの長く美しい髪を維持しようと思えば、恐ろしいほどの手間を要する。自然状態の過剰なデフォルメ、すなわち人為の極みと言えそうな平安貴族女性の髪は、特に身分の高い者について、その髪を切り(剃り)、俗世と縁を絶って仏門に入ることを「落飾(らくしょく)」と呼ぶところに、本質が現れている。髪を切ることが「飾りを落とす」とは。

 本来男女関わりなく使われた言葉だが、男性は「剃髪」とも言うように、頭髪を剃り上げる。女性は肩のあたりで切りそろえた、「尼削(あまそ)ぎ」という髪型にした。これがちょうど髪を伸ばしかけた少女の髪型と似ているというので、出家した女性ばかりでなく、少女の髪型にも「尼削ぎ」の語を用いる。いずれにしても、社会的に「女」と見なされない女性の髪型、というわけだ。髪の長さ、豊かさが美女の第一の条件となっていた平安時代、わが身を飾る最大の武器である黒髪を切断することは、貴族女性にとって、まさにこの世に別れを告げるに等しい行為だった。共寝の床でその髪を手に巻き絡め、かきやった相手の記憶も執着をも断ち切るために、髪を下ろした。

 その後も垂髪の時代は長く続いたが、戦乱の時代を経て、活動しやすい髪型が志向されるようになると、再び結い髪が現れてくる。最初に高々と髪を結い上げたのは、芸能者や遊女らだ。ジェンダーや階級に縛られない「傾き者」たちが、その精神を衣服のみならず、旧時代の垂髪とまったく異なる、新しい髪型によって表現し始めた。芸能者や遊里の風俗からは髷が、御所の風俗からは笄髷(こうがいまげ)が現れ、それらが泰平の世に庶民へも広がった。桃山時代から江戸時代の初期にまず流行したのは、同時代(明)の中国女性の髪型を真似て、頭頂部で束ねた髪を折り曲げ、余った髪束を根元に巻きつけて髷をつくる「唐輪髷(からわまげ)」「兵庫髷」と呼ばれた髪型だ。これが、私たちにも見覚えのある「日本髪」になっていくのは江戸時代中期、髪の重みで後頭部のたわんだ部分が、「意匠」として「髱(たぼ)」(語源は「たわ」)となり、長くつきだした形が流行。髪を前髪、鬢(びん)、髱、髷のブロックに分け、「根」と呼ばれる中心部分に、それぞれの毛を集める結髪技法が確立した。明和(一七六四~七二年)期以降は、鬢が横に張り出すのと同期して、髱は短くなる。すると襟足が目立つので、衣紋を抜いて、うなじを見せる着こなしが席巻する。こうして髪型と装いは互いに影響を与え合いながら、発展していった。
 
 今や非日常のものとなったその髪型を、私たちはたとえば映画《スター・ウォーズ》シリーズの、女王アミダラの装いに見出して感嘆する。私たちはかつて、女性の階層、年齢、社会的立場によって細分化され尽くした、いわゆる「日本髪」があまりに窮屈だと捨て去ったはずだった。だが歴史的、社会的文脈から離れたその髪はいまや、旧弊というよりアヴァンギャルドな魅力を湛え、世界を誘惑している。
(はしもと まり・ライター・永青文庫副館長) 
 
  
 
2003年, 朝日新聞出版『AERA』誌掲載用に, ポーラ文化研究所が所蔵する江戸末期の櫛・簪を利用して結い上げたのは, 日本髪の原形のひとつである兵庫髷に, 向こう側が透けて見える燈籠鬢を組み合わせ、髷の根元を金髪のウィッグで括った創作日本髪. 本文中でお名前を挙げた, 村田孝子氏にご協力をいただいた. モデルは筆者.
結髪:林照乃/撮影:小野庄一
 
 
 
◇こぼればなし◇
 
◎ 新型コロナウイルスの感染拡大はとどまるところを知りません。連日、感染者数が「過去最多」を更新したという報道が本稿執筆時には続いています。

◎ いまやマスクの着用、手の洗浄、消毒は当然の習慣となりました。だれもが感染リスクを回避する行動をとっていることでしょう。それでもなお、終息の気配はみえません。本号がお手許に届くころには、いまより事態が沈静化してくれていれば、と願うばかりです。

◎ いわゆる「巣籠り」とも称された自粛期間中、外出を控え、読書に集中された方も多いことでしょう。まわりからは「積ん読で埃をかぶっていた本がだいぶかたづいた」という声や、「かつて親しんだ作品をあらためて開いてみたが、再読すると印象が全然違って、驚いた」といった話を聞くことになりました。

◎ 再読してみると、印象が異なる。それは、たとえば何十年かぶりに旧友にあったときに覚える、記憶に残る感触と、いま感じている現実との隔たりがもたらす感情に似ていなくはないでしょうか。

◎ ふと、そんなふうに思ったのは、あることばにふれたからです。

◎ 「読書って自分自身は本に向かって開かれているんだから自閉ではないんだよ」「自開だね。自ら開く。本にたいしては開かれている。本は人間と同じように生きものなんだから。人とつきあうように本とつきあうことができる」

◎ これは、本誌で『詩のなぐさめ』『詩のきらめき』を連載いただいた、池澤夏樹さんの対談でのご発言。お相手は、こちらも本誌に何度かご寄稿いただいたことのある、池澤春菜さん。『ぜんぶ本の話』(毎日新聞出版)と題された、おふたりの読書体験をめぐる一冊。その親娘対談中の一節です。

◎ この対談にふれてうれしく思ったのは、春菜さんがご自身の読書体験の基礎を育んだ作品として、ケストナーやメアリー・ノートンなど、小社の児童書を数多く挙げてくださっていることです。こんなふうに愛読してもらえたなら、児童書編集部としても本望でしょう。

◎ 個人的に興味深かったのは、ご尊父・福永武彦さんについて池澤さんが語られているところ。いつかその手による、本格的な福永論を、という期待が膨らみます。惜しむらくは、ジョン・ル・カレについて。池澤さんには『われらが背きし者』(岩波現代文庫)の解説もご寄稿いただいておりますが、彼の作品がもつ魅力について、いま少し語っていただきたかった、というところでしょうか。

◎ 本書には、おふたりの体験をとおした読書案内という面がたしかにありますが、それを超え、随所にハッとさせられることばや、読みの巧者による深い洞察に、生きていくことに対する読書のもつ切実な意味を教えていただきました。

◎ 令和二年七月豪雨の被害に遭われたみなさまには、心よりお見舞い申し上げます。厳しい残暑のなか、生活再建にむけて取り組まれていることと推察いたします。一日でも早く、これまでの日常を取り戻されることを祈念いたします。
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  
 
 
 
 
 

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