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『思想』2020年10月号

◇目次◇

思想の言葉………氣多雅子  

根本的他性、あるいは「現実」について………デヴィッド・グレーバー
想像的なものから美的なものへ――ミシェル・フーコーにおけるフィクション………坂本尚志
ミシェル・フーコーと真理のアヴァンチュール………フィリップ・サボ
「神」と対峙する「天皇」のイロニー――十五年戦争下の高群逸枝『母系制の研究』を軸に………蔭木達也
九鬼周造の文学論――時間と韻――続・バロックの哲学(3)………檜垣立哉
世界への導入としての教育――反自然主義の教育思想・序説(5)………今井康雄
複合危機と資本主義の未来――エコロジー的近代化、ウェルフェア、自然の統治(下)………長尾伸一

 

◇思想の言葉◇

哲学する西田幾多郎/禅を表現する鈴木大拙

氣多雅子


 ちょうど一五〇年前、同じ明治三年(一八七〇年)に石川県で生れた西田幾多郎と鈴木大拙は、第四高等中学校の同級生として出会い、以来生涯を通じて親しい友となる。大拙は禅、西田は哲学において独自の世界を築き、互いに深く通じ合っていたことは確かである。しかし、両者の関係が深いだけに、その禅と哲学の関係は複雑な問題をはらんでいる。

 一般に広まっているのは、西田哲学は禅の経験を哲学的に解明したものだという理解である。特に海外で西田哲学が禅と結びつけられるようになった原因の一つは、西田の死の十五年後に出版された『善の研究』英訳本に付された大拙の序文にある(A Study of Good, translated by V. H. Viglielmo, Printing Bureau, Japanese Government, 1960)。“How to Read Nishida”と題して、大拙は『善の研究』が禅の経験を知的に分析したものであるということを力説し、西田は禅を西洋に理解させることを自己の使命と考えたとまで述べている。

 確かに、西田は『善の研究』執筆前の十年ほど禅の実修に打ち込んでいるが、この書には「禅」という語はまったく出てこない。その後の西田の哲学的著作のなかでも、絶対無の自覚や絶対矛盾的自己同一が禅の体験を知的に分析したものであるなどということはまったく述べられていない。西田が禅を持ち出すのは宗教の事柄を指し示す場合である。もっとも、西田は宗教を論ずる以外の箇所で禅語をいきなり持ち出すことがある。たとえば論文「物理の世界」では物質から生命は出ないと結論づけて、「慧玄會裏無生死と云ふ」で終わっているが、これは、西欧の学術書にダンテの詩句が付されたりするのと同様、当時の知識人の教養の披瀝という以上の意味はないように思う。西田の著作はまず叙述に忠実に読解されるべきである。

 それでは、大拙は西田哲学を誤解したのか。そうとも言えない。西田において禅の経験と哲学が無関係だとも思われないからである。特に『善の研究』では、両者は密接な関係があるように見える。第一編第一章「純粋経験」は「経験するといふのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てゝ、事実に従うて知るのである」(『西田幾多郎全集』第一巻、一九七八年、九頁)と始まるが、この記述に西田自身の禅経験が強く反映していることは確かであろう。他方、序に「第一編は余の思想の根柢である純粋経験の性質を明にしたものであるが、初めて読む人は之を略する方がよい。第二編は余の哲学的思想を述べたもので此書の骨子といふべきものである」(同書、三頁、強調は引用者)とあるように、この書を哲学書として成り立たせているのは実在論を扱う第二編である。つまり、『善の研究』は禅経験を語る書としての面と哲学書としての面とが一つに結びついている。そして、この書以降の西田は、哲学思想としての面を発展させてゆく。

 第二編の実在論はデカルトやベーコンなどの名前が出てくるように、西洋近世の哲学に範をとって「哲学」を構築しようとしている。西洋近世の哲学は神学から独立した学として、いかなる先入見をも排した理性的思惟であろうとする。西田哲学と禅の関係が問われるとき、彼の哲学的思索の奥に解明されるべき課題として禅経験がどのように沈潜しているか問われるのが常であるが、むしろ注目すべきなのは西田が哲学をどういうものと考えていたかということである。西洋哲学と東洋哲学(ここではさしあたって仏教哲学)とは、長い歴史のなかで形成され、それぞれ独自の文脈をもっている。文脈の違いの根柢にあるのは、それぞれにおける信仰と知的思惟との関係の違いである。

 大拙が禅について語るとき、経験上の事実としての禅とこの事実を説明したり支持したりする知的思惟とを明瞭に区別しようとして、後者を哲学と呼んでいる。禅の事実は個人個人が実際に体験するところのものである。哲学的思惟は仏教教理の一系統として禅の教理を組織化していくものであり、その組織化の目的は禅の事実を人々に経験させることである。その意味では哲学的思惟はあくまで禅経験を前提として成立するのであって、禅経験に対して独立した立場となるものではない。このような考え方に立つ大拙は西田哲学もその延長線上で理解していると言えよう。

 しかし、このように禅経験の事実性を重視しながら、大拙は禅経験が禅哲学へと展開することに本質的な意義を認めようとする。「宗教の体験でも哲学上の思索でも、究竟のところは一句子に尽きる。……宗教上の体験について云へば、体験そのものには徹底性があつても、思想上の明瞭性が加はらぬと、「一句子」は単なるエジャキュレーション(叫び)にすぎぬこととなる。……人間の意識なるものは表現性―曲折ある表現性の上に成立するもので、エジャキュレーションだけではいけない。何か言語とならねばならぬ、思想的なものがそこに酌みとられねばならぬ。その人の体験はこれで又明瞭性を加へることになる、従つてその体験が社会性を帯びて来る」(『鈴木大拙全集』第一巻、岩波書店、一九六八年、一四頁)。このように述べて、大拙は体験の深さに加えて思想的直截性と明瞭性を兼備したものとして、盤珪の不生禅を挙げる。普通の禅者は相手と状況に応じて臨機応変、自由自在に問答を展開するが、盤珪はすべてに対して「不生」で押し通す。この「不生」には一貫した思想が盛られていると大拙は言うのである。

 盤珪が「不生」と言うとき、個別的なものから一般的なものへと出ているのであり、そこで言われた相手も個別から一般へと出なければならなくなる。相手も禅の体験の原初のエジャキュレーションのところで応答するのではなく、そこから言葉へと出たところで応答しなければならなくなる。そこは禅経験を薄めたところではない。思想上の明瞭性が加わったところこそ、禅経験の最も具体的なところである。「不生」に思想があるとして、そこに大拙が大きな意義を認めたことは、そのように理解してよいであろう。

 なお、ここでは禅哲学という言い方もしたが(大拙自身がそういう言い方もしている)、大拙が盤珪に認めるものは「禅思想」という語がふさわしい。禅思想という立ち位置で、言葉と人格によって禅を表現したのが大拙である。大拙は宗教的・文化的伝統のまったく異なる海外の人々に英語で禅を伝えた。大拙はそこで、禅の思想上の明瞭性を鍛え直し、禅経験の新たな具体性を獲得しようとしたのではなかろうか。大拙のやろうとしたことに対して、「哲学」という立ち位置は抽象的すぎる。

 大拙は禅の経験そのものの普遍性を確信しており、哲学的思惟の真理性も結局は禅経験そのものの真実性に依拠すると考えている。それは、禅経験の悟りが「一覚一切覚」と言われるような知だからである。しかしその一方で、大拙は禅を東洋的伝統から切り離して一般化できるものとは考えていない。先ほど、西洋哲学はいかなる先入見をも排した理性的思惟であると述べたが、禅の立場からすると、その思惟はまだ先入見を完全に排してはいない。知るものと知られるものとの区別が残っているからである。禅はその区別を超えることを求める。だが、そうして得られた無分別智の境位は、その区別を超えたことによって、経験そのものしか通路がなくなる。その境位は禅経験のないものにはわからない。そうすると、或る禅経験の悟りが真実の悟りであるか否かを誰がどうやって判断するのか、という問題が出てくる。考えられるのは、一つは師による承認であり、もう一つは経験そのものの明証性である。師資相承は形骸化しやすく、また経験の明証性はしばしば裏切ることがある。師による承認と経験の明証性の両方が相互に働き合うところに、ようやく禅の悟りの真実性が支えられると言ってよいであろう。その相互の働き合いが禅の伝燈を形づくる。禅の悟りの真実性とは、私の悟りは菩提達磨の悟りと同じ悟りであり、菩提達磨の悟りは釈尊の悟りと同じ悟りであるという確信にほかならない。結局最後に帰着するのは、釈尊の悟りが真実の悟りであるという信仰であり、それは釈尊の実践した行への信仰と一つである。禅は経典に依拠するか否かにかかわりなく、仏教なのである。思うに、このことが、禅が伝統から切り離され得ない理由であろう。ここには究極の逆説がある。

 宗教的伝統から切り離せないということは、西洋哲学の考え方から言えば、先入見のある思惟ということになる。我々が考えなければならないのは西田と大拙の間に隠れ潜むこの相互理解のよじれである。その際、注意しなければならないのは、固有の思考の文脈をもつということと、伝統から切り離すことができるということは矛盾しないという点である。『善の研究』を第二編から読むということは、まず西洋哲学の文脈に入るということである。「初めて読む人」は西洋哲学の文脈に入ってから、純粋経験の叙述を読むことが勧められる。それは、日本に移植された西洋哲学の適切な読み方であるように思われる。西洋哲学はそういう移植のできる仕方で無前提であり、その意味で普遍的なのである。このとき西洋哲学はもはや西洋とつける必要はない。それは西洋近代科学に西洋とつける必要はないというのと同様である。そして、この哲学の真理性のみが、近代科学の真理性と切り結ぶことができる。それが、西田が禅ではなく哲学の道を選んだ理由であると私は考える。

 しかしこの意味での哲学は、禅思想の立場からは、身を以て生きるだけの十分な具体性をもたない故に、大拙にはいわば解決済みになる。大拙は西田哲学を誤解したのではなく、自分自身の禅思想のなかに収め込んだのである。その収め込みは東洋対西洋という表現をとることもある。この対比は現代から見るとかなり言葉足らずではあるが、東洋的伝統から切り離せない禅を世界に伝えるという課題のはらむ逆説がその根柢にあったのであろう。そして、西田はそのような大拙の禅に深い敬意と憧憬を懐きつつ、哲学する道を貫いた。この道には哲学の立場そのものの限界がつきまとう。それでも哲学を選んだのは、科学のはらむ可能性の大きさを、その科学を生み出した母胎の力を含めて、西田が痛切に理解していたからではなかろうか。私にはそう見えるのである。

 

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