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『思想』2021年6月号【特集】アイザィア・バーリン

◇目次◇
 
バーリンとプラグマティズム――価値多元論形成の一局面………森 達也
規範理論家としてのバーリン――冷戦リベラルからリベラルリアリストへ………山岡龍一
政治におけるリアリズム………アイザィア・バーリン
『ハリネズミと狐』におけるトルストイ解釈について………仁井田 崇
ジョージ・ケナンへの手紙――アイザィア・バーリン
「尊敬すべき敵」と味方――20世紀思想史におけるバーリン,シュミットと丸山眞男………王 前
ハリネズミの復権――R・ドゥオーキンのバーリン批判………濱 真一郎
バーリンとテイラー――ヘルダー解釈をめぐって………高田宏史
アイザィア・バーリンの生涯と思想………ジョシュア・L・チュルニス,ヘンリー・ハーディ
 
 
◇思想の言葉◇

バーリンにおける理論・歴史・表現

松本礼二


 アイザィア・バーリンの主著は何だろうか。ロールズにおける『正義論』に当るような作品をあげることはできない。複数選ぶとしても、候補が多すぎる。いちばん知られているのは「二つの自由概念」だろうが、それ自体はさして長くない教授就任講義である。しかも、反響が大きかった分、事後の加筆、修正、関連論文が少なくない。この文章を含むFour Essays on Liberty(『自由論』、小川晃一他訳、みすず書房、一九七一年)だけでバーリンの自由主義を論ずるわけにはいかないだろう。バーリンの思想の核心には「価値多元論value-pluralism」があるといわれるが、これを理論的に説明したテクストがあるわけではない。反面、マキアヴェッリからゲルツェンに至る政治思想の研究はこの問題に深く関わっている。その意味で、ヴィーコ、ハーマン、ヘルダー、ロマン主義と続く反啓蒙思想に関する一連の研究をバーリンの思想史作品の主脈に位置づけることはできる。だが、これらの作品系列も最後に発表された大作ド・メストル論まで、対象は多岐にわたり、しかもそれぞれが独自に興味深い。最初の単著であるマルクス伝以来、バーリンの思想史作品は多様な対象を扱って数多く、小品を含めてどれも捨て難い。ロシアの思想と思想家を扱った作品群は独自の意味をもって一つのまとまりを成している。


 これらの学問的作品と別に、バーリンには生涯に出会った作家、芸術家、学者、政治家の人物を語り、自らの歴史的経験を回想するエッセーが数多くある。チャーチルやローズベルトのような大物政治家を含むだけでなく、戦争直後のモスクワとレニングラードにおけるパステルナークやアフマートヴァとの出会いの叙述、あるいはオックスフォードに思いがけずショスタコーヴィッチを迎えた挿話を語る書簡のように、それ自体歴史のひとこまを伝える緊張に満ちた文章もある。これらの作品をまとめて読むと、二〇世紀の(悲劇的な)歴史を臨場感をもって追体験したような読後感が残る。出会った人間の肖像をくっきりと描き出す文学的才能は、バーリンの思想史研究に格別の魅力を与える力でもある。思想史家や政治哲学者の中には、理論的には透徹した議論を展開しても、論じている対象の人間像が一向に浮かび上がってこないタイプの人もいるが、バーリンはその対極である。


 バーリンの作品は多様な領域にわたって数多く、どれも興味深いが、主要作品を特定し難く、全体をまとめて論ずるのが容易でない。このような場合、統一的に理解する一つのやり方は伝記的事実にひきつけ、彼自身の歴史的体験や知的成長に即して作品を読み解くことである。その意味で、晩年に彼が応じたいくつかの長いインタヴュー、なにより長期にわたる直接取材に基づくイグナティエフによる伝記は、バーリンの思想の理解に大いに役立つ。それらを読んであらためて気づかされるのは膨大な著作のすべてが何らかの意味で彼自身の精神的アイデンティティーと結びついている事実である。精神的アイデンティティーや文化的帰属の重視は、ヘルダーに学んでバーリンの思想史研究を貫く特徴であり、彼の自由主義に独特の深みを与えるものでもある。「消極的自由」の擁護にもかかわらず、ナショナリズムの意義を認めて、その問題性を鋭く論じ、アイデンティティー・ポリティックスや多文化主義との対話に踏み込むのも、この要素あればこそである。


 バーリンは自分のアイデンティティーはロシアとユダヤと英国の三つにあると語っている(三番目は英国というよりオックスフォードという方が正確ではないだろうか?)。ロシアの文化と文学への愛着は、ツルゲーネフ、ゲルツェンからトルストイに至る歴史研究にも、またパステルナークやアフマートヴァのような同時代の詩人への傾倒にも明瞭である。ユダヤ・アイデンティティーの問題はなによりシオニズムの実践に関わるが、ユダヤ系知識人を扱った思想史論文も多い。「ベンジャミン・ディズレーリとカール・マルクス」など、バーリン自身のアイデンティティー問題を思わずには読めないだろう。もっとも、この点はキリスト教徒でさえない「異教徒Gentiles」にはいちばん分かりにくいところで、アーレントやレオ・ストラウスとバーリンとの角逐はユダヤ・アイデンティティーの在り方と何か関係があるのだろうか。晩年、イスラエルの政情とも絡んで、バーリンがリベラルな信条とシオニストとしてのコミットメントに折り合いをつけるのに苦慮したことは事実のようである。フランスにおけるファシズム・イデオロギーの研究で知られるイスラエルの歴史家ゼフ・ステルネルは、啓蒙とロマン主義の読解、どちらが全体主義につながったかについて、バーリンに異をたてる大著を著している(Zeev Sternhell, Les anti-Lumières: Une tradition du XVIIIe siècle à la guerre froide, Gallimard, 2010)が、日々テロの危険に曝される中でパレスティナとの和解を模索する立場から、オックスフォードの安全な場にいたからこそリベラルなシオニスト左派でありえたとバーリンを評している。この本は全面的なバーリン批判として珍しく、英訳もされているが、この著者のいつもの例で、論争的に過ぎて対象の読みに粗いところがあって、バーリンの権威の揺るがぬ英米の学界に大きな反響を呼ばなかったようである。


 バーリンを擁護する立場からの研究書や論文は英語圏に山ほどあるが、どれも扱いは部分的で、今日の学問的論争における自らの立場に引きつけて解釈するものが多い。バーリンの価値多元論と自由主義の関連を検討して、彼の自由主義を「闘争的自由主義agonistic liberalism」と規定したジョン・グレイの研究(John Gray, Isaiah Berlin, HarperCollins, 1995)は結局バーリンを自由主義のミニマリストにしている印象が強い。そして、批判にしろ擁護にしろ、研究書の大半は自由論や政治哲学に関心を集中し、思想史研究を対象にするものは少ない。バーリンの思想史分野の労作を本格的に論ずるには、思想史家としてバーリンに匹敵する力量が求められるということであろうか。いずれにしろ、バーリンを論じてバーリンより面白いテクストに出会うことは稀である。立派なモーツァルト論を読むより、小品でもモーツァルトの曲を聴く方が楽しいと言ったら、バーリン研究者に失礼だろうか。

 

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