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『思想』2021年8月号【特集】フロイト・ルネッサンスⅡ――臨床編

◇目次◇

思想の言葉………渡辺哲夫 

精神分析におけるリズムの問い――心的時間・空間の生成………十川幸司
夢と夢見ること――フロイトとビオン………藤山直樹
〈物〉の秘密――フロイトのリアリティ論からラカンの「現実界」へ………立木康介
どちらが狂っているのか――フェレンツィの排除と(再)取り入れ………森 茂起
エディプス・マターズ――現代クライン派臨床理論から考える心のインフラ………飛谷 渉
悪 夢――真実の噴出………小川豊昭
記憶論としての『失語症の理解にむけて』――"Erinnerung"(記憶)を名詞ではなく動詞として読み替える………兼本浩祐

 

◇思想の言葉◇

クレペリンと「エスの瞬間」

渡辺哲夫



 精神医学の臨床に進歩がこれまであったのか、これからは進歩しうるのか、よく分からない。しかし、精神医学史を透視して、確かなことが一つある。精神医学体系を打ち立てたエミール・クレペリン、精神分析の実践のさなかに無意識の存在を確認したジグムント・フロイト。この二人のパラダイム・メーカーが現れる前と現れた後では、精神医学の光景が一変した、これは否定できない。二人とも一八五六年に誕生した。クレペリンは二月にベルリン北部のノイシュトレリッツに、フロイトは五月にモラヴィアのフライベルクにそれぞれ生まれた。二人は相互に交わることなく成人し、一人はライプツィヒ大学に、もう一人はヴィーン大学に入学し、それぞれ精神科医として歩み始め成熟していった。

 精神医学史を屈折させる仕事も、二人は、ほぼ同時に、すなわち一八九九年に、完成し世に送り出した。クレペリンはこの年の復活祭に合わせて『精神医学教科書・第六版』を完成し直後に刊行した。内因性精神病を早発性痴呆と躁うつ病に分離し、その体系の中枢部に二元論を見事に構成した。フロイトはこれに約半年遅れて、一一月四日に『夢解釈』を刊行し、無意識の発見を徹底的に具体化した。

 フロイトの『夢解釈』が一九〇〇年刊と印字されたのは周知であるゆえ、とくに言うことはない。だが、クレペリンの『第六版』には気がかりな史実がある。クレペリンの疾病論上の先駆者は、グッデンでもヴントでもなく、ゲルリッツの精神病院長カールバウムなのだが、この師が一八九九年四月一五日に亡くなっているのである。この年の復活祭がいつのことだったか詳しくは分からないにもせよ、『第六版』完成と師カールバウムの死はほぼ同時だった。師は糖尿病で臥床していた。カールバウムは、弟子のヘッカーが記載した「破瓜病」も自身が発見した「緊張病」も古来の躁うつ病(循環病)に近接していて、分離できないと悩んでいた。クレペリンも早発性痴呆と躁うつ病を先駆者の生前は分離しなかった。そして、カールバウムが倒れると同時に分離して内因性精神病の二元性を語りだした。

 超自我審級はこの件に大分遅れて一九二三年に刊行された『自我とエス』において初めて明言されたが、良心(神・掟・伝統)の呼び声としては、むかしから知られていたと考えてよく、クレペリンにとって、カールバウムの死は、この審級からの解放を意味していたのではないかと思われる。また、クレペリンは、経済的に困窮したときカールバウムの病院に就職しようと申し出て快諾されたが、ヴントから「個人の奴隷になるのか」と注意され、ゲルリッツの偉大なる先駆者との約束を反故にしたという経緯も自覚していた。……決定的な証拠がない話だからもう止めるが、現代精神医学の掟(DSMとICD)となったクレペリンの体系の由来という重い問題ゆえ、ときおりは、「原父殺害」のテーマを想起したい。

 クレペリンは『第八版』(一九一三年Bd.3、一九一五年Bd.4)で初めて教科書本文にフロイトの思索をかなり詳しく解説した。フロイトの早発性痴呆理解ないしパラノイア論を、ユング、ブロイラー、アブラハムという順で言及しつつ、ブロイラーの症状論(両価性と自閉)の妥当性まで書いているが、リビード離断とナルシシズム、あるいは対象愛廃棄と自体性愛への退却などのダイナミックな連関までは考えていないゆえ、精神病の力動的な理解にまでは至り得なかった。そして、不毛な罵倒を繰り返す多くのドイツの大学教授たちと比較するとクレペリンは穏やかにフロイトの思考を追っている。だが、ついには「フロイト学派の人々」は「翼も軽く想像力で造作もなく飛び越えてゆく」ので自分はつまずいてしまうとして、追究の努力を断念してしまう。なお、クレペリンは、この時点で世に出されていた『精神病理学総論』(一九一三年)を精読するゆとりはなかったようだが、さらに若いときのヤスパースのパラノイア性嫉妬妄想研究には触れているゆえ、たいへんな努力家であったようだ。

 こう書いてくるとクレペリンは温和で大人風の人物と思われるだろう。しかし実際はそうではない。このミュンヘンの精神医学の大家は、冷酷で陰鬱な反ユダヤ主義者という側面も持っていた。一九二五年にミュンヘンに留学した内村祐之は、クレペリンに人情の機微を理解できない人物を感じて、一度も近くに寄らなかった、この「研究の鬼」は一九二六年に七〇歳で亡くなったが、結局は一言も話をしなかった、と告白している。じっさい多くの人がクレペリンの悪意なき冷酷によって心を傷つけられたようだが、ここではふれない。

 このようなクレペリンだが、その『回想録』を丹念に読むと、まったく異質な面を持っていたことが分かり、意外の念に打たれるのである。

 典型的なものは、一九〇三年末から約四か月間、兄と二人で南洋熱帯旅行をした体験である。インド経由でインドネシアのジャワ島に至るコースの往復であるが、比較文化精神医学的研究という大学当局への趣意書とは次元を異にする収穫があった。『回想録』の当該箇所は「この旅の私にとっての意義を書き表すのは困難」と書きだされていて、じっさい、引用も困難である。「完全な緊張解除、解放、安息、夢見心地、のびのびとしたくつろぎ、永遠の満足感、無限の自由、おびただしい数の新鮮な印象、日常生活の単調な灰色からの完全な離別、陶酔、生きられる自然、自然の意志……」等々の言葉が渦を巻いて回想になる。これがあの冷酷で陰鬱な顔をした無味乾燥な臨床医か、これもクレペリンか、と唖然とする。

 これは、フェヒナーに由来する快原理の彼岸(涅槃原理)、ベルクソン哲学の倒立円錐体における弛緩、さらにはジョルジュ・バタイユの内的体験の瞬間を連想させる。蒼ざめた生産労働の歴史(「耐えがたいほどになってしまった仕事と責務の圧力」とクレペリンは書いている)が垂直の瞬間によって溶かされ、永遠の現在が垂直に湧出してくる。フロイトの教えに依拠するなら、クレペリンの時間性は、南洋熱帯の中で、自我の歴史からエスの瞬間へと急転回してしまったのだ。安永浩のいう「中心気質」の瞬間的な自然直接性、木村敏のいう「イントラ・フェストゥム」における非歴史的な生命性が想起される。

 クレペリンは冷酷陰鬱なるドイツのプロフェッサーを演じていたのか。そうではあるまい。自我の歴史性は、まさしく天然自然の発作のように、エスの瞬間性に急変しうる。少なくとも、急変し易い気質ないし体質の人間がいる、自我がエスに呑み込まれて溶け易い人がいるということだろう。

 そう思って、クレペリンの『回想録』を読み直すと、瞬間の輝きが随分と書き止められている。カント=ラプラスの星雲説から宇宙の進化論を展開せんとする野望に酔い痴れて八歳年長の兄や兄の友人たちに嘲笑された一五歳頃の少年エミール、普仏戦争の勝利に歓喜し祝いの酒に酔う愛国少年、エルミタージュ美術館やプラド美術館でムリリョの聖母マリア画を前に陶然とする青年医師、ロンドンでシェイクスピアのロミオとジュリエット劇を観ていて笑いの発作に襲われ、歯を喰いしばって我慢した失礼なドイツ紳士、ヴァーグネリアンたるクレペリン、ヴントに紹介されてフェヒナー(八五歳)と喜劇の心理学について長時間談笑して笑いというテーマに夢中になる精神科医、「イタリアのわが家」と呼んだ「パランツァの別荘」の庭の手入れに没頭するときの愉悦、庭園に植えられた無数の熱帯と亜熱帯の植物と花々の中に埋もれて時を忘れる初老期のクレペリン……挙げるときりがないほどに祝祭性の瞬間が、苦しい人生歴史を溶かしつつ、噴出して来ては現在に充満している。

 『ミケランジェロのモーセ像』(一九一四年)の冒頭部でフロイトは、彫刻と詩には強い感銘を受けるが、絵画芸術からは感銘を受けることが少なく、音楽芸術はつまらない、と正直に告白している。芸術作品鑑賞の深度は不明であるにせよ、クレペリンは、フロイトよりも多方面にわたって、豊かに天才の芸術的創造を感受する能力に恵まれていたようだ。

 生来の気質が関与するのであろうが、これには驚いた。思えば、フェヒナーとフロイトならば雰囲気的によく馴染むのだが、フェヒナーとクレペリンの長時間の親和と談笑という事実を知って、じつに意外の念に打たれた。芸術だけでなく、学問においても、われわれは偏見に捉われて、感銘を受けたり、幻滅したり、誤解したりしているのだろう。

 先に、自我の歴史性とエスの瞬間性との対比で、クレペリンという名の矛盾に満ちた人物を理解しようとした。現代精神医学をも支配する精神医学体系の創造者は当然、自我の歴史性において汗水を流して研究する仕事を果たしたわけだが、エスの瞬間という内的体験が、体系秩序制作のための努力の歴史的成果を溶かしてしまうこともある。

 南洋熱帯の旅のさなかの放蕩(自我のエス化・融解)体験を通過したのち、「意志」の概念がそれまでとは別様に感じられてきた。クレペリンは早発性痴呆の基本障害を「意志の障害(Willensstörung)」と見てきた。カタトニーにおける命令自動症や蝋屈症などが典型的な「意志の障害」の表現だった。だが、旅での大自然体験は、心理学的な意志の障害が問題なのではなく、「生きられる自然(belebte Natur)」としての意志の減衰あるいは「自然の意志」の停止こそが問題なのだと教えてくれた。クレペリンが『第八版』において初めて語りだした「早発性痴呆の基本障害(意志の障害)」は、灼熱の南洋熱帯における世界構造の「緊張解除(=弛緩)」体験を前提にした生命の変容として理解されなければならない。

 『第六版』で完成し『第八版』で早くも瓦解し始めたクレペリンの疾患単位学説は、「精神病の現象形態」(一九二〇年)なる単独論文で症候群学説へと急転回する。各惑星の軌道秩序よりも混沌たるままの星雲の方が正しいのかという自問自答が六四歳になったクレペリンに回帰してきたと見ていい。結論は出されていない。フロイトは、同じ頃、『快原理の彼岸』から『自我とエス』へと歩みを進めていた。二人はもはや交流し得なかったのだろうか。

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