『思想』2021年10月号
帝国の非物質的遺留――台湾と香港の被占領経験の相違について………鄭鴻生
花柳病予防法改正運動と「社会的なもの」――「女医」竹内茂代の果たした役割………目黒 茜
明治前期における論理学の位相――西周,清野勉とカント論理学………大橋容一郎
ロバート・F・ウィリアムスの抵抗――黒人自由闘争の歴史(3)………藤永康政
情報社会の生成と構造――サイバネティックス運動の理路(下の二)………大黒岳彦
『神話論理』のバロック――料理の三角形の汎通性/断片としての日本神話――続・バロックの哲学(5)………檜垣立哉
倉沢愛子
東南アジアの地域研究をなりわいにしている私が、その対象地域と向き合う際に、自分への戒めもこめて常々感じ続けてきたことを綴ってみたい。大学を定年退職してからもう一〇年になるが、私は、在職中ゼミで実施していたプログラムを続けて、その後も一般から募集した学生を対象に、毎年夏にインドネシア・バリ島のある農村でホームステイ・プログラムを実施している。それはコロナ禍が始まるまで続き、いつの間にかその参加者の累計は五〇〇名を超えている。
観光のために準備されているわけではない、あるがままのバリの農家に分宿して生活し、ホストファミリーの耕す畑に行って作業を見学したり、小学校への訪問、村の行事、祭事へ参加させてもらったりする企画である。その目的は、近ごろとかく内向きだと言われる若い人たちに外の世界を知ってもらいたい、特にホストファミリーとの触れあいを通してインドネシア、バリの人々の生活を内側から見聞し体験してもらいたいという「ありふれた」動機であるが、その体験から気づいたことがある。
これまで参加者のなかには参加目的として「開発途上国の問題点をみつけ、村人の生活向上のための政策提言につながるようなことをしたい」という、ODAの下請けのような発想をする学生がしばしばいた。しかしこの企画の目的は、とにかくインドネシア社会を「知り」、そこから「学ぶ」ことにあって、我々の社会に照らし合わせて彼らの社会に何が不足しているかを探り、我々は何をすべきなのかをみつけることではない。そのように言うと皆「発展途上国の発展に資することがなぜ悪いのですか?」というような怪訝な顔をする。「ではいったいあなたは何ができるの?」「あなたが彼らより勝っていることってあるの?」と意地悪く質問すると、成績優秀なまじめな学生たちは、一応はうなずくものの、なんとない不服を抱えたままこのホームステイに参加する。
しかしプログラムが終わるころには、「彼らはすごい!」と住民の生き方に感嘆する学生たちがでてくる。ありあわせの物や、十分とはいえない国家の支えのなかで、驚くほど器用に自ら工夫し、隣保組織などを機能させて地域社会で支えあい、「豊かさ」のなかで生きていることがわかったというのである。そして何より、たまたまGDPがより大きな国に生まれ育ったからといって、自分たちの方が教えてあげられることを持っているはずだと、当然のことのように思っていた自分の無力さを痛感したというのだ。
日本人の多くは、まだ何も知らないうちからインドネシアに対して「開発途上国」という「格付け」をして、おそらく無意識のうちに心の奥深いところで「上から目線」を持っている。ホームステイ・プログラムは、それを全否定して、再設定するところから始めてみようというものである。今までの経験から常々感じているのは、そのような「入口」から入ってインドネシアと知り合った若者たちは、たとえばその後就職して駐在員としてインドネシアのような国々に赴任した場合、初めて駐在員としてその国に接することになる若者と比べて、この社会を見る目線がずいぶん違うのではないかということだ。つまり最初のインドネシア人との接点が、ホストファミリーのお父さんお母さん、あるいは兄弟など同じ平面の上で出会った人たちだった場合と、本社から派遣された日系企業の駐在員として、インドネシア人職員と上下関係のなかで出会った場合との違いである。前者のようなケースは、ホームステイでなくても、たとえば留学などで、対等の友人として出会った者、逆に日本にいる間に留学生の友人を持っていた者などさまざまな場合にも当てはまるだろう。
その感覚の違いは、日常のなかでの言葉遣いなどでもふとでてくる。例えば、インドネシアでは在留邦人の間で、インドネシア人を指すのに「げんちじん」という言葉が使われることがあるが、この言葉が躊躇なく口からでてくるかどうかといったことが一つの指標となる。「げんちじん」という表現は、結構一般的に流布していて、おそらく多くの人は何の悪気もなく使っているのだと思うが、日ごろから私はこれが気になっている。ネットなどで調べるとただ「現地の人」「現地に住む人」などという説明が淡々とでてくる。しかし、「げんちじん」と「現地の人」では、つまり真ん中に「の」が入るのと入らないのとでは、実はまったくニュアンスが異なっているように思えるのだ。つまり「の」がない場合には、無意識のうちに差別意識が表れていないだろうか。
それがなぜ差別であるかは、こう考えてみればわかるだろう。あなたがアメリカやヨーロッパにいるとき、その国の人たちを指して「げんちじん」という言葉を使うだろうか?そこでは少なくとも「アメリカ人」などと民族名を出すか、あるいは「現地の人」などというのではないだろうか?また日本国内にいて、外国人どうしの会話のなかであなたが「げんちじん」と呼ばれたらどんな感じがするだろうか?そのように考えていくと、たとえ言語学的に差別用語ではないにしても、これは中立的な言葉ではありえず、そこには明らかな蔑視がこもっている。
歴史的に見ていつから日本人がこの言葉を使うようになったのかはよくわからない。インドネシアを含む「南方地域」に対して戦前・戦中には、「原住民」という言葉が留保なしに使われた。公文書にも時としてこの言葉が使われている。ただ面白いことに、日本軍のインドネシア占領下では、文書や法令のなかで、「原住民」が「現地民」や「現地人」という言葉で置き換えられているのをしばしば見たことがある。アジアの「同胞」として、インドネシアの人々を戦争協力へ動員していく必要が有ったあの時代、「原住民」は「土人」と同じように露骨な言葉だと意識して、宣撫的な意味で使用を控えようとしたのではないかと思う。ただし当時はまだ不徹底で、さまざまな表現が混用されており、試行錯誤の跡がみられる。それらの表現のうち「現地人」が戦後定着していったのかもしれない。その歴史的変遷は私にはわからないが、問題は、「より差別的でない」と考えて使用され始めたはずの言葉が、結局ある種の状況下では蔑称になっていったということである。そのように考えていくと、表向き蔑称や差別用語でないものが、実は我々の心理の深層にあるネガティブな評価を体現していることがあるのだと思われる。しかし、そのことに対する自覚が欠如しているために、この言葉を使うことにまったく違和感さえ伴わないのであろう。ホームステイ・プログラムに参加した若者たちが、絶対この言葉を使っていないかどうかは実際わからないが、おそらくは、ホストファミリーのお父さんお母さんが「げんちじん」と呼ばれているのを見るとなんらかの躊躇や違和感を抱くであろう。
同じように、日本人が無意識のうちに使いわけている言葉が、「ガイジン」である。これはなぜかもっぱら白人に対して使われる。それ以外の人たちは「外国人」である。これは「白人」であるかそれ以外かという人種的な基準に起因する使いわけのように思えるが、そこには、かつて「白人」の国々は経済的に栄え、アジア・アフリカの国々を植民地化していった支配者たちだったという歴史的過去がある。結局ここでも経済力や国力に基づいた、人種や民族に対するランキングが感じられる。経済指標だけで上下を格付けする偏差値的発想に基づいて相手国をランク付け、「畏敬の念」を抱いたり「上から目線」を持ったりした過去の遺産だ。それらの国々がやがて日本経済を凌駕していくとき、いったいこういった言葉遣いは変わっていくのだろうか。
日本人にとってもっとも身近な外国人は、東アジアや東南アジアの人である。日本にもたくさんの人が住んでいる。犯罪報道などのなかで、容疑者の候補として「アジア系外国人」という表現が使われるときにはしばしば「怪しい人」「油断のならない人」だからというような先入観が見え隠れする。かつて私が家探しをしていた時不動産屋さんに「この辺はアジア系外国人もあまりいないので治安はいいですよ」と自慢げに言われたとき、私はプッツンしてしまって、かなり気に入っていた家を見ていたのだが、その取引はやめてしまったことがある。
近年、政府高官や、社会的地位や責任を負った人たちが、女性蔑視、人権無視などを体現したさまざまな差別発言をしたことが問題になってメディアを賑わせている。パワハラ、セクハラへの風当たりが強く、メディアの攻撃もあまりにも過熱して、いささか揚げ足取りのような側面もみられるが、本質はその発言の背景に何があるかだ。発言はいくら取り繕っても必ずどこかに本音がにじんでいる。そしてその本音は、その人がそれまで生きてきた環境によって形成されてきたものであるから、本人には「悪気」がないことが多い。なぜ悪いのかがわからない。その人の周辺の環境では当たり前のことだから……。そして、そのことこそが問題なのだ。
微妙に隠され、表立って問題視されない発言の背後に、「上から目線」に起因する蔑視や潜在的差別意識が忍んでいる。実は私だって、偉そうなことを言っているが、気づいていないだけで、無意識のうちにそのようなことをしているケースはたくさんあるのだと思う。怖いことである。