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『図書』2021年10月号 [試し読み]桑野隆/小川幸司

◇目次◇

対話主義と価値多元論……桑野 隆
親父の枕元……原田宗典
ヴァルター・ベンヤミン……小川幸司
一〇月、秋は空からやってくる……円満字二郎
山桜の花のかげで……長谷川櫂
気温〇・五度の差が歴史を変える……川幡穂高
平穏を生む距離……桐谷美香
「かるた」と「ふりかけ」……斎藤真理子
イギリスの家族支援と社会政策……宮本章史
あの頃とはどんな頃なのか……片岡義男
人間らしさ……畑中章宏
ポリニャック大公妃……青柳いづみこ
スピンはめぐる……時枝 正
メナシサムの戦……中川 裕
幻想都市、長崎……四方田犬彦
こぼればなし
一〇月の新刊案内

(表紙=司修) 

 

◇読む人・書く人・作る人◇

対話主義と価値多元論

桑野 隆

 
 今年はドストエフスキー生誕二〇〇年にあたる。ドストエフスキーをめぐってはかねてより夥しい数の文章が書かれてきた。それでも、新たな解釈への挑戦はあとを絶たない。かくも新釈が競われ続けてきている作家はめずらしかろう。

 そうした中で私がひときわ共感を覚えたのは、思想家ミハイル・バフチンのドストエフスキー論である。バフチンは、作者や登場人物の思想は二の次にして創作手法(ポエチカ)を主要課題にすると断っているのだが、実際には創作手法の解明もまた決して最優先課題ではない。バフチンの真の目的は独自の思想――〈対話主義〉――を説くことにあり、そのためにドストエフスキーの創作手法(思想ではない!)を援用しているのである。

 これに似たアプローチは、最近読み返す機会のあった政治思想家アイザィア・バーリンにも認められる。バフチンが無数のドストエフスキー論と異なり、対話原理を創作に活かした作家としてのドストエフスキーに着目したとすれば、バーリンはアレクサンドル・ゲルツェンの中に、代表的なロシア思想史観と違って、ロシア革命の思想的淵源でなく自由主義思想家――バーリン独自の〈価値多元論〉の先駆者――を見いだしている。

 いずれの解釈も異端であろう。バフチンとバーリンは「複数性」や「自由」を重視する点でも重なり合っている。もちろん異なる点も少なくない。しかし両者ともに、時代の焦眉の問題を念頭において思想史再考を試みた貴重な範例となっていることに変わりはない。

(くわの たかし・ロシア文化・思想) 

 

◇試し読み◇

ヴァルター・ベンヤミン
――危機のなかの世界史

小川幸司


弊社ではこの一〇月から四半世紀ぶりに『岩波講座 世界歴史』(全二四巻)を刊行いたします。これを機に『図書』では一一名の編集委員によるリレー・エッセイを隔月で掲載します。あわせてお楽しみください。(編集部)

 高校世界史の授業でベンヤミンを読む
 私の高校世界史の授業は、いつも1枚の資料プリントを読みながら、テーマとする歴史をめぐって解釈や意義づけの考察を行うことを常としてきた。大学入試に備えるために必要な教科書の「通史」の解説はなるべく簡潔に済ませ、授業の力点を資料プリントの読解や批評、そして互いの対話に置いてきた。プリントの内容は「人権宣言」とかオランプ・ド・グージュの「女性の人権宣言」のような一次史料もあれば、李沢厚の『中国の伝統美学』のような研究書もある。そして3年生の最後の授業で、「この文章を皆さんと読むことを目指してボクは世界史の授業をしてきたのかもしれません」と前置きしてから、ヴァルター・ベンヤミン(一八九二―一九四〇)の『歴史の概念について』を読んできた。
 西洋史学科でドイツ史を専攻した私にとって、恩師たちの歴史学方法論はカーやブローデルといった歴史家たちを参照するものであり、ベンヤミンとの出会いは個人的な読書体験であった。高校時代に本屋で何気なく購入した野村修『ベンヤミンの生涯』(平凡社、一九七七)に描かれた、ナチズムの迫害から逃れる亡命の旅の途上、フランス・スペイン国境の町で自死したベンヤミンの生涯の記憶が、私の心の片隅に不思議な痛みとなって留まり続けてきた。
 論理を明晰に積み上げるというよりも、閃いた直観を鮮烈なイメージをともなう文章表現に刻印していったのが、ベンヤミンの著作であった。その最たるものが、死の数か月前に亡命先のパリで書き上げたと思われる断章集『歴史の概念について(歴史哲学テーゼ)』である。「過去のイメージは一度逃したらもう取り戻しようのないもの」であるとか、「過ぎ去ったものを史的探究によってこれとはっきり捉えるとは、〈それがじっさいにあったとおりに〉認識することではない。危機の瞬間にひらめく想起をわがものにすることである」(訳文は鹿島徹訳・評注『歴史の概念について』未來社、二〇一五)といった過去への向き合い方は、私が職業として選んだ高校世界史とは、あまりに異質であった。しかし教員生活の七年目に、「一定の星座的布置がさまざまな緊張をはらんで飽和状態にいたっているときに、思考作用が急に停止すると、その布置は衝撃(ショック)を受け、モナドとして結晶することになる」というベンヤミンの言葉に、私は改めて向き合うことになる。そのときから私の最後の授業は、ベンヤミンを参照する歴史認識方法論になったのだった。

 松本サリン事件の日々とベンヤミン
 一九九四年六月に松本サリン事件が社会を震撼させ、翌九五年三月に地下鉄サリン事件が続いた。大量殺人の実行犯たちがいまだ逮捕されないなか、教員七年目の私は四月に松本サリン事件の現場に近い松本深志高校に転勤して世界史を受け持ち、有志の生徒たちと図書館ゼミナール活動を行うことになった。そのなかには、事件の第一通報者でありながら警察やマスコミから「薬品調合を間違えた」と殺人犯扱いをされていた河野義行さんのお子さんがいた。全国から寄せられる脅迫や嫌がらせ、そしてお母さんがサリン中毒の後遺症で意識不明であるなか、背筋を伸ばして毎日登校し、図書館で好きな本のことを語り合っていた彼女の姿を思い出すたびに、私は今でも胸がいっぱいになる。
 河野義行さんが『命あるかぎり』(第三文明社、二〇〇八)で回想しているように、松本深志高校も含め三人のお子さんが通う三つの学校では「まだなにもはっきりしていないのだから三人にはいつもと同じように接するようにしよう」ということに徹していた。六月になって、ようやく捜査当局が、「松本サリン事件はオウム真理教による犯行である」と断定する。その頃から私や生徒たちの心の中には、「なぜ人間は大量殺人をなしうるのか」とか「不条理にも理由なく殺害された人々の生きる意味とは何だったのか」といった問いが湧き上がってきた。河野さんの無実が証明されたことに安堵するとともに、マスコミの報道を鵜吞みにして河野さんを疑った自分自身のことを問題化すべきだとも思われた。生徒たちは複数回にわたる討論会を開催した。隣の友には「いつもと同じように」つきあい、世界には「いま目の前で起きていることを徹底して対象化する」ように対峙したのだった。そして夏が終わり、図書館ゼミナールを運営する主体が1・2年生になると、生徒たちと私は、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の歴史の中で問いを探究することを始めた。同じ年に東京日仏学院で、クロード・ランズマン監督がユダヤ人虐殺の生存者たちにインタビューをして完成させた九時間三〇分の大長編映画『ショアー』が上映されて衝撃を与えていた。私と生徒は、松本サリン事件のなかで生きている「いま・ここ」で、『ショアー』の上映会を行うことにした。過去が認識可能になる瞬間があるとすれば、それは「いま・ここ」なのかもしれない。「いま・ここ」を逃したら、過去はまた長い忘却の彼方に沈んでいくだろう。いつのまにかベンヤミンの言葉が、私を動かしていた。
 松本深志高校の『ショアー』の上映会は、その年の師走、寒風が吹く放課後に三夜連続で行われた。数名の仲間で粘り強く観ればよいと思っていたマラソン上映会は、いつしか全校の関心を集め、図書館には毎回一〇〇人を超える生徒たちが溢れるほどに集まった。最終日の上映が終わって蛍光灯を点けた時、入り口近くの立ち見の生徒たちはユニフォームや柔道着のままの姿であり、部活動が終わって着替えるのももどかしく駆けつけたことを物語っていた。真冬の図書館が熱気で溢れていた。映画『ショアー』のラストは、ワルシャワ・ゲットーの蜂起を戦って地下トンネルから脱出したあと、廃墟と化したゲットーに戻った人物が、独りでさまよい歩いているうちに、自分が「最後のユダヤ人」ならば「ドイツ兵」に殺されてもよいと「平穏な気持」で死を待望したという証言で終わっている。人が生きていくときには根源的に他者が必要なのであり、だからこそ他者のいのちを守らなければならないという映画のメッセージを、高校生が受け止めていた。

 星座的布置をめぐる私たちの記憶
 その年の夏の文化祭では、図書館ゼミナールを進めていた生徒たちが文集を編んでいた。ひとりの生徒がこう書いている。――最近の高校生は自ら考えることを放棄した「学んでいるつもり症候群」にかかっているようなものだ。でもこの図書館ゼミナール活動を通して、「〈学んでいるつもり症候群〉から〈学んでいる人たち〉が多数生まれている」のではないか、と。
 この生徒の気づきは、危機の時代に世界の星座的布置を編み直す考察を重ねているうちに、学んでいる自分のありようもまた、核心となるモナド(自ら考えること!)を発見して編み直されたということになるだろう。
 図書館ゼミナール活動はその後も様々な生徒たちによって続けられ、生徒たちが自由に立てたテーマに基づいて討論会や講演会が重ねられていった。一九九八年度には河野義行さんをゲストにして、日本社会における人権の状況を考えるゼミナールを行った。松本サリン事件から四年が経過しているというのに、校長のところには強い抗議が寄せられた。「オウム真理教の信者にも人権があると主張している問題の人物」を、高校生に会わせるべきではないという抗議だった。心配する校長に私は「ゼミナールは絶対にやります」と言い張った。自ら考える場としてのゼミナールが成り立つためには、「構成員が対等の立場で参加すること」と「学ぶ対象にタブーをつくらないこと」が、大前提の条件として存在しなければならないからだった。
 その後の私は様々な高校で「生徒と教師がともに考える世界史」を試みてきた。来年から始まる高校の新しい学習指導要領の「歴史総合」の設計にも文部科学省のワーキンググループに入って携わった。そして今年の一〇月から刊行が始まる『岩波講座 世界歴史』の編集委員となり、第1巻の編集と展望論文を書く機会を与えられた。私のテーマは、古代文明の時代から現代に至るまで、人類がどのように世界史を構想したかについて星座的布置を描き、歴史を探究する方法や意義について、研究者だけではなく一般市民の営みに視野を広げて考察することである。危機の時代だからこそ見えてくるものを掴まえたいという思いは、四半世紀前の松本サリン事件の時代(それは前回の『岩波講座 世界歴史』の刊行直前でもあった)に、対等の立場で、学ぶ対象を限定せずに、歴史に向き合うことを大切にした「私たちの記憶」の延長線上にある。
 ベンヤミンや高校生との対話のことを「果実の種子」のように隠しつつ、『岩波講座 世界歴史』第1巻を、深刻な気候変動、世界の構造的暴力、猛威を振るう感染症に直面する「いま・ここ」の江湖に問いかけることにしよう。

 (おがわ こうじ・世界史教育) 

 

◇こぼればなし◇

◎ 国内外で次々と大きな変動が出来しています。一つは自然と人間との関わりで、新型コロナウイルス感染症の猛威は、その最たるものでしょう。気候危機による記録的な豪雨は繰り返し牙を剥き、国内でも七月に熱海土石流災害、八月に広範囲にわたる災害をもたらしました。ここに亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、ご遺族や被災者の皆様に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

◎ もう一つは世界的な政治の変動です。変化が速く、大きく、複雑で、状況の把握と文脈の理解が容易ではありません。とりわけ「9・11」から二〇年後のアフガニスタン。いま何が起きているのでしょうか(小誌先月号、古矢旬さん「咀嚼不能の石」参照)。

◎ そうした二〇二〇年代初頭の秋一〇月に、小社では四半世紀ぶり、戦後三回目となる「岩波講座 世界歴史」が全二四巻で刊行開始となります。高度経済成長と冷戦渦中の一九六九─七一年刊行の第一期・全三一巻、冷戦終結と地域紛争激化、先進国経済の停滞を背景とした一九九七─二〇〇〇年刊行の第二期・全二九巻に続く、新たな講座シリーズです。

◎ 新講座の特色はいくつもありますが、特に強調したいのは、従来は閑却されがちだったアフリカやオセアニアの歴史にも着目したこと。世界各地域の構造的なつながりを描く歴史、グローバル・ヒストリーの重視。歴史を描く主体のありようを問い直すため、ジェンダーや文化の視点と、軽視されてきたマイノリティへの意識を大切にしていること。日本列島史との統合的な把握、いわば世界史のなかの「日本」像を描く試み、等です(詳細は内容案内参照)。

◎ 新学習指導要領に基づき、これからの高校生は全員、日本史と世界史を統合した「歴史総合」を学びます。新講座では、転換点に立つ歴史教育と、市民自身による歴史探究にも参考となる編集を意識していることも大事なポイントです。

◎ 一一人の講座編集委員の先生方が筆者となる小誌本号開始の隔月リレーエッセイ「人物から見た世界歴史」の第一回は、高校教諭として長年、世界史を教えてこられた小川幸司さん。三年生の最後の授業でヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について(歴史哲学テーゼ)』を生徒たちと読んできたという小川さんの言葉を借りれば、「危機の時代だからこそ見えてくるもの」がどういうものなのか、講座を繙き、読者の皆様と一緒に問い、考えていけることを願っています。

◎ 一般社団法人 日本子どもの本研究会による第五回作品賞特別賞に、岩波少年文庫「ベルリン三部作」(クラウス・コルドン作、酒寄進一訳)が選ばれました。

◎ 長谷川櫂さんの連載「隣は何をする人ぞ」は本号で最終回です。ご愛読ありがとうございました。小社から書籍化の予定です。

◎ 本号から、円満字二郎さんの新連載「漢字の動物園」が始まります。「漢字の植物園」に続く第二弾、ご期待ください。また、斎藤真理子さんの連載「本の栞にぶら下がる」が再開しました。

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