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『図書』2021年12月号 [試し読み]清水克行/老川祥一

◇目次◇
 
「迷惑」な話……清水克行  
福田さんの深い思い……老川祥一
幽霊たちの声……岡村幸宣
東京五輪の年に読む徳田秋声『縮図』……大木志門
石原純の一九二一年……西尾成子
演劇とその分身……石田英敬
逃れられなかったものとして……片岡義男
韓非子……冨谷 至
炭鉱町から来た人……斎藤真理子
日本らしさ……畑中章宏
一二月、寒さの中の羽ばたき……円満字二郎
ルメール夫人とプルースト……青柳いづみこ
工学心の芽生え……時枝 正
「失われた続き」を求めて……中川 裕
峡谷への情熱……四方田犬彦
こぼればなし

12月の新刊案内

 (表紙=司修)
 
 
◇読む人・書く人・作る人◇
 
「迷惑」な話
清水克行

 

 日本中世史を研究していて気を使うのは、やはり"ことば"の問題である。近著『室町社会史論――中世的世界の自律性』でも、そんな不思議な"ことば"や習俗を手がかりに室町時代の社会相に迫ってみた。しかし、現代ではまったく使わない"ことば"なら、まだ良いのだが、現代も使われているが、中世とは意味が微妙に異なる"ことば"。これがいちばん厄介だ。

 たとえば「迷惑」という"ことば"。現代語なら「不快」や「拒絶」のニュアンスをともなうが、中世では「困惑」といった意味合いが強い。そもそも漢字自体が「迷い惑う」という意味なのだから、そちらのほうが本義だったはずである。

 先日も狂言を見ていたら、大名の命令に太郎冠者が「迷惑でござる」と言った途端、観客の方々が爆笑していた。おそらく主人の命令にぬけぬけと不快感を表明する太郎冠者の図太さを笑ったのだと思われるが、あれは、どちらかと言うと「困っちゃいますねぇ~」ぐらいのニュアンスなのではないだろうか。

 狂言は、戦後歴史学のなかで中世の"下剋上"の気風を伝える芸能として一時期もて囃されたが、実際は必ずしも"下"のものが"上"のものをとっちめる話ばかりではない。狂言の登場人物はよく「迷惑」という"ことば"を使うが、狂言が実態以上に"反権力"や"反権威"の文芸と評されるのに、この「迷惑」という"ことば"も一役買っているのではないだろうか。些細な"ことば"かも知れないが、それがときに現代人の過去を見る眼を曇らせる。だとしたら、それもどうにも「迷惑」な話である。

(しみず かつゆき・日本中世史) 

 

◇試し読み◇

福田さんの深い思い

老川祥一

 珍しいことだそうだ。ふつう政治家の評伝というと、手軽な新書版などは別として、ハードカバーで数百ページにのぼる大部の作品となると、読者層も専門の研究者など限られた範囲にとどまり、書店での売れ行きは多くを望めないそうだ。ところが今回岩波書店から刊行された『評伝 福田赳夫』は、発売直後から好調で、なんと早くも五回も増刷されたという。

 福田さんと政治部記者として一九七〇年代からほぼ毎日のように、また現場取材から離れて他の部署の担当に替わったあとも折りに触れて、他界されるまで親しくお付き合いさせてもらった者として、福田さんの実像が世の人に広く理解されることは、うれしい限りだ。

 それというのも、ライバルの田中角栄さんが、善くも悪くも派手な言動で「陽」のイメージが強かったのと対照的に、福田さんは「陰」の側に位置づけられる形になって、国民的人気の点ではかなり後れを取り、その人柄や魅力があまり伝えられてこなかったことに、私はかねてもどかしさを感じていたからだ。

 田中さんの、今太閤と呼ばれた庶民性に対し、福田さんは一高、東大、大蔵省、それも主計局、というエリート官僚出身。同じ佐藤栄作派ながら、岸信介さん直系の保守派に属していたことから、タカ派のイメージで語られることが多かった。田中さんとは何度も争い、怨念の塊のような印象も与えがちだった。

 造語の名人で、「昭和元禄」「狂乱物価」など、時代や世相の特徴を鋭く言い当てるセンスのよさは政界一といってよかろう。自民党総裁選の予備選挙でまさかの敗北を喫した時の「天の声もたまには変な声がある」は、ひょうきんで、あっけらかんとした福田さんの性格の一面を物語っているが、これも世間には口惜しまぎれの軽口と受け取られ、胸の内にある深い思いを感じ取る人は少なかったようだ。

 私はいま、深い思い、といった。では福田さんの深い思いとは何なのかと問われれば、それは「日本国」という意識だと、私は思う。

 日本国、などという言葉を使うと、いかにも大仰な国家主義思想かと思われそうだが、そうではなくて、日本という国が世界の中でどうあるべきか、何を言い、どう行動することが日本のためになるのか、といった視座から、その日本の政治を担う者として自分の取るべき行動を考える、という思考の原点のことである。

 ポスト佐藤の座を争って田中さんに敗れた第一次角福戦争のあとのある日、福田さんと交わした会話を思い出す。田中新内閣が掲げた「日本列島改造論」で日本中が沸き立っているころだった。

 「先生は田中さんの列島改造論に反対されておられますが、なぜですか。先生が安定成長路線論者で、田中さん流の景気刺激策に批判的であることはもちろん存じていますが、国土の均衡ある発展、という彼の基本構想自体は非難されるべきものではないように、私には思えるのですが」

 すると福田さんは即座に答えた。

 「君ね、あの構想を実現するとしたらどれだけの資源が必要になるか、考えたことがあるかい。例えば石油だ。アラビア湾から東京湾まで、石油を積んだタンカーを数珠つなぎにつないでも足りないくらいの量が要る。カネを出せば買えると言ったって、世界中の石油を日本が独り占めにするなんてことを、世界が許すと思うかね」

 そうか、そういう発想なのか。総裁選で敗れた政敵の政策だから気に入らない、といった感情的なレベルの反発ではなく、その政策が世界にどんな影響を与え、それが日本にどんな結果をもたらすのか、という国家的見地からの批判だったのだ。

 そう考えると、福田さんがその後、仲間の反対を振り切って田中内閣の大蔵大臣に就任することを承諾した理由も、理解できる。

 当時、福田さんが心配していた通り、列島改造論の土地ブームからインフレが亢進し、さらに第四次中東戦争と絡んだ石油ショックで、空前の「狂乱物価」騒ぎとなっていた。そのさなか、愛知揆一蔵相が肺炎で急逝し、田中さんは、行政管理庁長官という軽いポストについていた福田さんに、内閣の要ともいうべき蔵相就任を要請するという思い切った行動に出た。

 福田さんの周辺の多くは、冗談ではない、といきり立った。ここで田中さんを助けて何になる、成功すれば田中政権の安定化に手を貸すだけだし、逆に、もしインフレ抑止に失敗したら福田さんは責任を負わされるだけ。どちらに転んでも、福田さんにとってはなにもいいことはない、というわけだ。蔵相就任を要請した田中さんの狙いも、あるいはそこにあったのかもしれない。

 福田さんも、蔵相への横滑りをいったん断った。ところが、田中さんはあきらめない。福田さんの遊説先にまで電話をかけ、首相官邸に来てくれと懇請する。そこで福田さんは田中さんに向かってこう言った。「本当に私に協力を求めるつもりなら、列島改造論の旗を降ろしなさい。混乱のもとはあんたの列島改造論にある。それをやめない限り、だれがやってもインフレは収まらないよ」

 翌日、改めて会談すると、田中さんはさっぱりした表情で「列島改造論は撤回する」と言い切った。福田さんも、それなら引き受けましょうと応じ、大胆な「総需要抑制策」を断行して、「全治三年」のスローガンどおりにインフレを終息させた。国家の安定、国民生活の安寧のためなら政敵にも協力する、という行動原理をここにみることができる。

 福田さんはその後、金脈問題をめぐって再び田中さんと袂を分かち、三木武夫さんと一緒に田中さんを退陣に追い込む「角福戦争第二幕」が始まった。この時のドラマでも、私は福田さんらしさを、苦い思いでみせつけられることになる。

 田中さんを倒せば政権は福田さんの手に落ちると、だれもが思っていた。もちろん福田さんもそうだったにちがいない。それが思いもかけない展開となったのだ。田中さんの後継者は話し合いで選ぶことになり、調整を任された自民党副総裁の椎名悦三郎さんが裁定を下すことになっていた。その当日、一九七四年一二月一日朝のことである。

 前夜から、椎名さんの腹は福田さんではないらしい、という噂が流れていた。朝早く福田さんの自宅に駆け付けて、朝食中の福田さんに私は尋ねた。「今朝、三木さんから電話はありましたか」

 それまで三木さんが毎朝、ラブコールのように福田さんに電話をかけ、情報交換をしていたのを私は知っていた。そこになにか異変がないか。

 「うん? いや、そういえば……」

 そばにいた側近の議員があわてて三木邸に電話をかけ、戻ってくると「もう出かけてしまったそうです」。

 すると福田さんは黙って箸を置き、縁側に立ってしばらく空を眺めていたが、席に戻ってひとこと、「ま、全面支持だ」と言った。椎名裁定はなんと、自分ではなく、盟友として行動を共にしていた三木さんと出る。どんでん返しとはこのことか。しかし、それを福田さんは瞬時に受け入れることを決断したのだった。

 裁定の場で椎名さんから「後継総裁は三木武夫君」と告げられた三木さんは、「青天の霹靂です」と、驚きの声をあげたというが、実は三木さんは前夜のうちに椎名さんの使いから、裁定の内容を聞かされていたのだった。それどころか三木さんは、使いが書いた裁定文の下書きをひったくって、「ボクが書くよ」と手を入れていたことが、のちに明らかになっている。

 騙し合い、化かし合い、裏切り。すさまじい権力闘争の世界にあって、福田さんはあまりに人がよすぎたのかもしれないが、死んだ方がましと思いたくなるほどの深い挫折感を味わいながら、飄々とそれを受け入れ、しかも騙した相手を支える役回りを進んで引き受ける精神力は、これまた尋常ではない。それもやはり、国を背負って行動するという思いのなせるわざなのだろう。

 この一件も、そしてのちの一九七九年秋、大平・田中連合軍との「四〇日抗争」も含めて、私が政争の現場で福田さんを取材していた時はいつも、福田さんは負け戦だった。唯一、紆余曲折のあげく三木政権のあとを継いで首相の座に就き、宿願を果たした時は、私はワシントン支局に転勤していて、福田さんの喜ぶ顔をまぢかに見ることはできなかった。

 やがて、初めて予備選挙を導入する自民党総裁選が近づいてきたころ、たまたま訪米中の福田派の幹部がワシントンの私を訪ねてきた。総裁選の状況を聞くと彼は顔を曇らせて、「実は非公開のはずの党員名簿が田中陣営に流れてしまったらしいんだ」という。

 「それはやっかいなことになりましたね。田中・大平陣営は総力をあげて党員票獲得のローラー作戦を展開するでしょう」

 「でもまあ、国会議員による本選挙ではなんとか勝てると思うよ」

 そうだろうか。私は福田さんに手紙を書いた。総裁選に一般党員の声を反映させるという予備選挙の趣旨に照らせば、万一予備選に大差で敗北した場合、本選挙でそれを覆そうとカネが乱れ飛ぶような争いになったりしたら、国民の政治不信を招くのは必至でしょう。福田政治にとって大きな汚点となりはしないでしょうか……。

 案の定、フタを開けたら予備選は福田さんの大敗だ。さあどうする。福田派内には主戦論が噴き上がったが、福田さんはあっさりと本選挙を辞退した。「天の声もたまには」の名(迷)セリフの裏の、福田さんの無念の思いを考えると私も胸が痛んだが、しばらくして福田さんから手紙が来た。若輩の出過ぎた進言に対して、淡々とした言葉で謝意が述べられていて、救われる思いだった。

 それから半年後。ワシントン勤務を終えて帰国した私は、福田さんを訪ねた。「総裁選は残念なことでした」というと、福田さんは以前と変わらない様子で「うん、まあしかし」と一呼吸して、「総理でなくても仕事はできる」。そして言葉を継いで「日本は世界に友達を持たなければならんからね」と言った。OBサミットの創設である。どこまでも、福田さんの頭にあるのは「世界の中の日本」だった。

 (おいかわ しょういち・読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆代理) 

 

◇こぼればなし◇

◎ 早いもので二〇二一年も最後の月となりました。皆様にとってどのような一年だったでしょうか。新型コロナウイルス感染症第三波のなか迎えた新年。第五波の只中に「強行開催」された五輪・パラリンピック。そして久しぶりに「与野党対決」となった総選挙……。大きなイベントが重なった一年でした。

◎ 今年は日米開戦八〇年に当たる年でもありました。ジョン・ダワーさんの待望の邦訳新刊『戦争の文化』(上・下)は、真珠湾攻撃から原爆投下、「9・11」、イラク戦争まで、今現在にも続く「戦争の文化」の本質を、戦争と言葉の関係に着目して描き出しています。

◎ 八〇年前の戦争と、戦後占領期から独立に至るこの国の歴史過程を見つめ直すための第一級史料の公刊も始まりました。『昭和天皇拝謁記――初代宮内庁長官 田島道治の記録』(全七巻)です。

◎ 二〇一九年八月、NHKのスクープで、田島長官と昭和天皇との一九四九(昭和二四)年から五年余に及ぶ会話記録の存在が明らかとなりました。この度、専門の先生方のお力でその全文を翻刻し、詳細な解説を付して、田島の日記や関連資料と合わせてお届けします。

◎ 昭和天皇が自らの歴史認識や皇室等々に関して発言した生々しい肉声記録を今読めるようになったのは、晩年の田島が自宅の庭で記録を焼却処分しようとしたのを、説得して押しとどめた方のおかげです。それは次男の田島恭二さんで、後に全文を「解読」して別のノートに書き写したそうです(恭二さんの甥、田島圭介さんによる「「拝謁記」と田島道治について」、『拝謁記』第一巻収載、参照)。

◎ その恭二さんが実は戦前、岩波書店の店員であり、私どもの大先輩だったこと。道治が孔子研究の翻訳書を小社から刊行していたこと(H・G・クリール著『孔子――その人とその伝説』)。そんなことにも、何か不思議な縁を感じます。

◎ 二〇二一年度の文化勲章受章者として、岡野弘彦さん(歌人)、川田順造さん(文化人類学者)、森重文さん(数学者)らが発表されました。

◎ 小社の出版活動にとって大きな励みとなる受賞についても報告させていただきます。第四二回石橋湛山賞に西野智彦さんの『ドキュメント 日銀漂流』、第四三回角川源義賞(歴史研究部門)に加藤聖文さんの『海外引揚の研究』、第七五回毎日出版文化賞(人文・社会部門)に益田肇さんの『人びとのなかの冷戦世界』、第四三回サントリー学芸賞(思想・歴史部門)に上村剛さんの『権力分立論の誕生』が、それぞれ選ばれました。

◎ 私たちを印象深い夢幻の境域に誘ってくれる司修さんの表紙絵画シリーズ「夢の絵」は本号で最終回です。二〇一七年一月号からの五年間、イメージと言葉の予期せぬ競演・共演が毎号楽しみでした。一月号からは、杉本博司さんの写真シリーズが新しい「顔」となります。

◎ 原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣さんの連載「美術館の扉を開く」が本号からスタート。作品と創造の現場から広がる世界に、ご期待ください。

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