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『思想』2022年4月号【特集】〈共生〉の思想     

◇目次◇
                                    
思想の言葉…花崎皋平
破局とコンヴィヴィアリティーージャン=ピエール・デュピュイをめぐってー―…檜垣立哉
イスラームをめぐる共生 ー―多元的アプローチのためにー―…桂 悠介
「社会モデル」以後の現代障害学における「新たな関係の理論」の探究…辰己一輝
トランス・アイデンティティーズ,あるいは「名のなかにあるもの」について…藤高和輝                                               
ルカーチvs.アドルノ問題再考(前)…髙幣秀知
等しきものの永劫回帰--ニーチェ『ツァラトゥストラ』第三部再読(下)-―…須藤訓任 
アレントとマルクス(続)…牧野雅彦
 
 
◇思想の言葉◇
「共生」をめぐって
花崎皋平


「共生」に結びついた実践の方法

 私が「共生」という言葉を使ったのは、著書『アイデンティティと共生の哲学』(筑摩書房、一九九三年。後に増補版として平凡社ライブラリー、二〇〇一年)を書いたときであり、その後もう一度『〈共生〉への触発―脱植民地・多文化・倫理をめぐって』(みすず書房、二〇〇二年)という評論集に於いてだった。その文脈は、まずアイヌ民族との共生を意識してのことであった。そしてそこから世界各地の先住民族との付き合いを意識していた。その基本的な発想と実践はその後も変わっていないが、次第に、日本各地の住民運動や社会運動とのつながり、ハンセン病療養所に暮らす人などとの付き合い、東南アジアや南米などに出かけて現地の人々と知り合うことなどに広がった。
 最近になって自分の歩みを振り返ってみて、自分が方法としてきたのは、歩くことであったことを確認した。歩いて、さまざまな課題と取り組む社会運動の現場におもむき、そこで考え、学ぶことであった。そして共生とは友だちになること、対等、平等での付き合いをすることだと心掛けてきた。


「共生学」という学問分野を

 今、現役の大学の先生や学生が、「共生学」という学問の領域を立ち上げ、広い領域を視野に入れて共同で研究と教育を行おうとしていることは、時宜を得たことだと思い大いに賛成である。
 私自身はそういう学問分野を意識し、思索してきたわけではない。
 私の同時代の学問の営みでは、日本近現代思想史学の鹿野政直さんの「民間学」と名付けた営みがあり、その後も引き続き沖縄の運動と思想について優れた成果を収めてこられている。私は民間の思想家として、北海道の地理取り調べに功績のあった松浦武四郎のアイヌ民族との交流、足尾鉱毒事件の田中正造の最晩年の思想などについて強く関心を持ち、『静かな大地―松浦武四郎とアイヌ民族』(岩波書店、一九九三年。後に岩波現代文庫、二〇〇八年)、『田中正造と民衆思想の継承』(七つ森書館、二〇一〇年)といった著書を作った。田中正造については、『田中正造選集』(全七巻、岩波書店、一九八九年)のうち、第六巻の「神と自然(谷中Ⅱ)」と、第七巻「法と人権(谷中Ⅲ)」とを文献を振り分けて編集し、第六巻を私、第七巻を鹿野さんが解説を書いた。この仕事は、私自身に大きな影響を残し、以降の思想の導きになった。それは民衆思想という領域を設定して、必ずしも著作を残さなくてもその思想の影響が多くの人々に及んでいる人物に光を当てることである。現代で私自身が影響を受けてきたその種の思想家には次のような人がいる。アイヌ民族の萱野茂、貝澤正、九州の前田俊彦、松下竜一、石牟礼道子と森崎和江、沖縄の安里清信、彫刻家の金城実、反原発の高木仁三郎、東南アジア学の鶴見良行などである。
 共生思想の理念と原理的立場は、日本列島に住む多文化、多民族が将来どのような社会のもとに生きるべきかという問いに答える展望を孕むべきであろう。
 日本の歴史は、常に外圧に遭って変革されてきた。近現代では黒船来航以後の明治近代国家の構築、アジア太平洋戦争の敗戦による植民地支配の終焉と不戦非武装国家憲法の制定を経験した。次の危機は環境の危機とそれによる文明の崩壊である。それに対しては資本主義システムと国家の枠組みを超えて共生の関係を追求する営みが要求される。


思想的遍歴

 私は若い頃から社会運動にかかわってきた。大学四年生、二三歳のとき、当時大きな問題であった松川事件(労働者たちが列車転覆を図った容疑で起訴された事件)に対して作られたキリスト者の救援会に参加し、仙台高裁での控訴審判決の場に出かけ、死刑判決を受けた労働者たちに面会した。当時、思想的にはキリスト者であった。
 キルケゴールの実存哲学、カール・バルトの弁証法神学などプロテスタントの神学とキリスト教思想の影響を受けていた。一九五〇年に朝鮮戦争が勃発する。その前年に中国革命の成功があり、この二つの出来事のインパクトは大きく、日本が朝鮮や満洲を植民地化した歴史を学ばざるをえなくなった。そして朝鮮戦争反対のキリスト者平和の会に入り活動を始めた。中国革命の成功に深い感銘を受け、毛沢東思想を中心に運動の歴史や思想を学ぶようになる。
 一九六四年、北海道大学に職を得るが、やがて激化したアメリカのベトナム侵略戦争に反対する全世界の反戦運動に呼応して立ち上げられた、日本における市民運動としての「ベトナムに平和を!」市民連合の運動に参加した。
 一九九〇年代は全国小都市の市民運動を結ぶ「地域をひらくシンポジウム」運動を提唱した。次の様な諸都市の市民運動体に、毎年集まってお互いに学び合い交流する活動であった。一〇年間で、札幌を皮切りに、川崎、富山、名古屋、京都、金沢、米子、熊本、静岡、愛媛を巡った。一九九〇年から札幌で、市民の学び場、さっぽろ自由学校「遊」を開校した。志を同じくする仲間の献身的な働きで今日まで三〇年間続いて発展してきている。
 二〇〇〇年、女性国際戦犯法廷に参加傍聴し、被害者の証言を聞く。最終日の「天皇有罪」の判決に満場総立ちとなった。
 二〇〇五年から全国のハンセン病療養所を歩き始める。その他、中国農村、韓国(東学農民革命の歴史を学ぶ)、フィリピン、タイ、ネパール、スリランカなどを訪ねる。
 芸術家として共生の先駆的活動を特筆すべき人に、昨年九九歳で亡くなった富山妙子さんがおられる。富山さんに一筆しておきたい。
 富山さんは一九七〇年代から韓国の民主化運動に連帯し、光州の民衆闘争に連帯する作品や従軍慰安婦問題を描いた作品として版画、スライド、DVDなどを使って多くの作品を残している。現代韓国の美術研究者、評論家たちによって富山さんの仕事は高く評価され、延世大学と東京大学東洋文化研究所の共同での図録と研究書が刊行されている。


依るべき思想の軸として

 こうした活動の中で、私は依るべき思想の軸として、次第に三つの軸を立てる様になった。
 サブシステンス、ピープルネス、スピリチュアリティである。
 サブシステンスは生存することを第一義とする思想軸である。この思想は、ドイツとインドのフェミニストであるマリア・ミース、ヴァンダナ・シヴァたちがエコフェミニズムと結びつけて主張しており、農、食、育児、ケアなどの領域でのジェンダー差別を超えて、男性の対等な参加を組み入れた暮らし方を主張する思想である。
 ピープルネスは新造語であるが、ピープルズ・プラン21世紀国際民衆連合のなかで語られた、民衆同士の対等、平等、親愛な関係をめざすあり方を指す。
 スピリチュアリティは、それぞれの宗教、信仰を尊重しつつ、人為を超えた精神的世界を認め合い、永遠、無窮を思う霊性を尊ぶことである。
 ちょうどこの三月に、私の著書『生きる場の思想と詩の日々』が刊行される(藤田印刷エクセレントブックス)。
 この本は、一九五〇年代からの日々の実践と思索の記録と詩作品を集めたもので、振り返ってみると「共生」という思想の表現と言えるように思っている。
 
 

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