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三橋順子 いろいろつながる話【『図書』2022年7月号より】

いろいろつながる話
――日本とアジアのセクシュアリティ
 
三橋順子
 
 今から四〇年以上前、あまりお金がない学生だった私は、無料でもらえる出版社の広報誌を読んで知識を得ていた。『図書』は神田神保町にあった岩波書籍の専門店「信山社」に行くともらえるので、ほとんど毎号欠かさず読んでいた。
 そんなお世話になった広報誌に執筆できるなんて……、と喜んだものの、担当編集者氏から見本として渡された『図書』の最新号を見ると、実に高尚な文章ばかりが並んでいる。私、そんなこと書けない……。
 念のため「ほんとうに、私なんかが書いていいのですか?」と確かめると、「『図書』の編集長がぜひ三橋さんに、とのことです」と編集者氏。よし、これで言質は取った。『図書』にあるまじき卑俗なことを書こう。
 
 二〇一四年、バンコクで開催された国際学会に参加した私たち(女性研究者二人、Trans-woman=男性から女性へのトランスジェンダー三人)は、学会のプログラムが終わった夜、イスラム教徒の商人たちの街「アラブ人街」を散策していた。派手なドレスが並んだ洋服屋を覗いていると、店主の男性が「あんた、Lady-Boyか?」と尋ねてきた。Lady-Boyとはタイ英語でTrans-womanのこと。「いきなり失礼な(当たっているけど)」と思ったが、洋服屋のおじさんの態度はいたってフレンドリーで、他の四人の性別も次々に言い当てた。そして、「どうだ、すごいだろう。俺、Lady-Boyが大好きだから、わかるんだよ」と自慢する。
 
 「ちょっと待って、あなた、同性愛が戒律で禁じられているイスラム教徒でしょ?」
 そこで思い出した。ずいぶん前に同じことを言ったのを。
 一九九六年、歌舞伎町を歩いていたら、当時、新宿の街にたくさんいたイラン人の青年が声を掛けてきた。「自分は敬虔なイスラム教徒なので、お酒は飲めないが、コーヒーを飲みながら話をしないか」。なかなかの美青年だったので、「私、Fake Ladyだよ、それでもいいの?」とことわった上でナンパに応じた。喫茶店で片言の英語でおしゃべりしていたら、彼が「ホテルに行って、もっとゆっくり話そう」と口説き始めた。
 「ちょっと待って、あなた、同性愛が戒律で禁じられている敬虔なイスラム教徒でしょ?」
 
*     *    *
 
 二〇一九年一二月、私は東京大学で開催された「イスラーム×ジェンダー 〈境界〉を生きる/越える」というシンポジウムにコメンテーターとして招かれた。そこで九州大学大学院生の辻大地さんの研究報告を聞いた。それによると、九世紀頃のアッバース朝では、能動の側として固定された成人男性の性愛対象となって、受動的な性交を行う、グラームと呼ばれるまだ髭がない美しい若者と、ムハンナスと呼ばれる、髭を剃って女装し、女性的な振る舞いを好んで行なう成人男性がいたという。
 
 七世紀に成立したイスラム教は、ムハンマドやアリーが男性間性愛を行った者を処刑したハディース(伝承)に基づき、男性間性愛者を処罰するシャリーア(コーランと預言者ムハンマドの言行を法源とする法律)をもっている。しかも、アッバース朝は、最初のイスラム世襲王朝であるウマイヤ朝の後継国で、まさにイスラム世界のど真ん中だ。
 
 報告を聞いて私はとても驚いた。と同時に、いろいろなことがつながった。
 どうつながったのかを説明する前に、前提となる話をしておこう。
 
 私は男性間の性愛を四類型化し、(不遜にも)古今東西の男性間性愛文化すべてに適用できると考えている。
 Ⅰ 年齢階梯制を伴い、女装も伴う男性間性愛文化
 Ⅱ 年齢階梯制を伴い、女装を伴わない男性間性愛文化
 Ⅲ 年齢階梯制を伴わず、女装を伴う男性間性愛文化
 Ⅳ 年齢階梯制を伴わず、女装も伴わない男性間性愛文化
 年齢階梯制とは、能動の側としての年長者と受動の側としての年少者という役割が厳格に決められている男性間性愛の形態である。
 
 アッバース朝のグラームはⅡの類型、ムハンナスはⅢの類型になる。Lady-Boy好きのバンコクのおじさんと、新宿で私を口説いたイラン人青年もⅢになる。ちなみにⅠ類型は、中世寺院社会の「稚児」、江戸時代の「陰間」、中国・清朝の「相公(シャンコン)」などが相当する。
 
 バンコクと新宿と東大の三題噺で、なにがつながったのかと言えば、イスラム社会において、少なくとも実態的にはⅠ~Ⅲの類型は許容されていたのではないか、ということ。逆に言えば、厳しく禁じられていたのは、髭を生やした大人の男性同士の性愛、つまりⅣ類型だけなのではないかということだ。
 もちろん、現代ではイスラム法の適用は、イスラム法学者の判断によるので、Ⅰ~Ⅲの類型が許容されているとは言えないが、少なくとも伝統的な形態では許容されていたように思える。
 
 実は、私に「ちょっと待って、あなた、同性愛が戒律で禁じられている敬虔なイスラム教徒でしょ?」と突っ込まれたイラン人青年は、しばらく考え込んだあと「アッラーは寛大です」と言ったのだが、彼が言うとおりだったのかもしれない。
 
 さらに言うと、Ⅰ~Ⅲの類型が許容され、Ⅳ類型のみを厳しく禁じる社会は、日本を含むアジア・パシフィックに広くみられ、文化的な普遍性をもっていたと考えられる。
 換言すれば、男性間の性愛の是非を、キリスト教の性規範をベースにした近代西欧文化の所産である「同性愛」概念で論じては、いろいろ見えなくなるということだ。
 
*    *    *
 
 話はまた大きく変わる。二〇二二年三月、『フウン姉さんの最後の旅路』(グエン・ティ・タム監督、二〇一四年)という映画を観る機会があった。ベトナム中・南部を移動しながら興行する「フウン姉さん」をリーダーとする女装の芸能者集団の最後の一年を記録したドキュメンタリー映画である。その中で、田舎のある街での公演が終わった夜、地元の青年たちが一座の「娘」たちと遊ぼうと待っているシーンがある。結局、「娘」たちは応じないのだが、それは現在のベトナム政府の規制が厳しいからであり、伝統的には「娘」たちは村の青年たちの求めに応じ、そこでセックスワークが行われたのではないかと思う。
 
 朝鮮王朝期の漂泊の芸能集団「男寺党」では、地方での公演の後、女装の見習い弟子(ピリ)が地元の男性相手にセックスワークをしていた。それと同様の形態だったのではないだろうか。
 
 ところで、日本神話では、小碓命(おうすのみこと)(後のヤマトタケル)が女装して九州の熊襲タケル兄弟の屋敷に入り込むと、鄙には稀な美少女として、酒宴の場で兄弟の間に座らされてちやほやされる(そのあと惨劇がおこるのだが)。
 
 明治時代には、病気の薬代に舞台衣装を売ってしまった女形が、仕方なく女装して千葉の我孫子あたりの料亭の住み込み仲居になり、贔屓客に取手の劇場に芝居見物に招かれたあと、送ってくれた人力車夫とセックスをする話がある。
 
 都下りの女装者は鄙では十分に美女で通るということだ。いや美醜で論じるのは間違いだろう。都会の女装者が身につけている高い女性性(女性ジェンダー)は地方の男性にとっては十分に魅力的、ということだ。
 
*    *    *
 
 そういえば、一九九六年、宮城県気仙沼を仲間と訪れた時、スナックで相席した地元の男性たち(漁師さんや漁協の職員さん)に「いやぁ、歌舞伎町のお姐さんたちと、気仙沼で酒が飲めるなんて」とずいぶん喜んでもらったことがあった。そうしたTrans-womanが表現する女性性を好む男性は都会にも多い。早い話、私の歌舞伎町ホステス時代に接したお客さんの多くはそういうタイプだった(拙著『女装と日本人』講談社現代新書、参照)。
 
*    *    *
 
 なにが言いたいか、そろそろはっきりさせよう。男性はセックスする際に、まず相手が女か男かを分別する。つまり、性的指向(Sexual Orientation)が第一に重要であり、男性が女性を相手に選べば異性愛(Heterosexual)であり、男性が男性を選べば同性愛(Homosexual)である、ということに現代ではなっている。
 しかし、そうした近代西欧文化由来の性科学の認識は必ずしも万能ではなく、時に疑ってみる必要があるのではないか、ということだ。少なくとも、現代の性科学の認識を時代や地域が違う文化に単純に適用するのは止めた方がいい。
 
 女性が女性性を発現することが抑圧される社会では、そうした制約がない女装者が女性性の担い手になることは、少なくともアジアではしばしばある。たとえば歌舞伎の女形が、一般の女性より「女らしい」という現象だ。そして、その「女らしさ」に魅力を感じて性交渉に至る。現実には、性的指向が第一義でなく二の次になる場合はけっこうある。
 
 ベトナムの村の青年も、熊襲タケル兄弟も、取手の人力車夫も、女装した男性とセックスしたかったのではなく、都会からやってきた「娘」がもつ、きらびやかな女性性に惹かれてセックスしたくなったのではないだろうか。
 
*    *    *
 
 思い込みをいったん外し、「常識」を疑ってみることで、違ったものが見えてくる。いろいろなことがつながってくる。今回、岩波書店から刊行となる『歴史の中の多様な「性」――日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』には、日本とアジアのジェンダー&セクシュアリティについて、そんなことを書いたつもりだ。この小文と同じで高尚なことは一つもなく、卑俗なことばかり書いているが、「モノ好き」の方には、きっと面白がってもらえると思う。
(みつはし じゅんこ・性社会文化史研究者)

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