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近藤和彦 トリニティ学寮のE・H・カー【『図書』2022年9月号より】

【連載】『歴史とは何か』の人びと(1)

 

 E・H・カー(一八九二─一九八二)との遭遇は前触れなしであった。一九八〇年の夏の終わりに始まったわたしのケインブリッジ留学生活だが、所属はチャーチル学寮で、その家族寮に住んでいた。チャーチルにもロイ・ポータ、マーク・ゴールディ、ポール・ギンズバーグといった才気走った若手歴史家はいたのだが、わたしの研究指導教員スーパーヴァイザ、ボイド・ヒルトンはトリニティ学寮のフェローなので、研究面談はそちらで行われた。歴史学部における講義とは別立てである。ボイドは当時まだ三五歳、博士論文をもとに公刊されたモノグラフ『穀物・カネ・商業』で知られていた。一九世紀イギリスの政治社会史という点では、カーの『歴史とは何か 新版』(岩波書店、二〇二二)にも出てくるG・キトスン=クラークの後任という役回りだったのかもしれない

 大学都市ケインブリッジの緑ゆたかな郊外を自転車でゆっくり一〇分あまり、バックスと呼ばれるケム川のほとりの芝生と並木道を抜けてトリニティ橋をわたり、クリストファ・レンの図書館を左に見つつ、ボイドの研究室へと通う。季節の移ろいとともに、そうしたルーティーンがようやく定まったかなという初冬に、昼食に招かれた。

 その日の研究面談は正午開始、わたしのタイプ原稿にもとづく討論が終わりに近づくと、隣の倉庫兼酒蔵からシェリ酒が出てきて、これをめながら宿題と次回の予定などを決めた。一時ちょうどに食堂ホールへ移動。食堂の正面には、一五四六年にトリニティ学寮を創建したあのヘンリ八世が仁王立ちする等身大の肖像画(世界史教科書にもあった)があって、これに見下ろされるようなハイテーブルであった。いったい何をいただいたのか、隣席および向かいの方がたとどんな話をしたのかも覚えていない。

 食後のコーヒーは隣のフェロー談話室(SCR)でと、広い空間に移動したところ、いきなり、ほぼ真ん中に座する老紳士がE・H・カーということで、ボイドに紹介された。後から思えば、トリニティの談話室に行けばカーに会う可能性が十分にあると予測しておくべきであったのに、不覚にもそうした用意はなかったので、内容ある会話はできなかった。二〇世紀の知性を代表具現するようなカーには、あたりを払うような気配もあった。だが、そのころのわたしは、いったいE・H・カーをどの程度知っていたのだろう。

 

E.H.カー|E.H.Carr
E.H.カー ©The Estate of E.H.Carr

三人のカー?

 E・H・カーといえば、『危機の二十年』の国際政治学者を、あるいは冷戦期に重厚なライフワーク『ソヴィエト=ロシアの歴史』を完成したソ連研究者を思いうかべる人もあるかもしれない。だが、大多数の人にとってカーとは『歴史とは何か』の著者、「現在と過去のあいだの終わりのない対話」をとなえた知識人ではないだろうか。わたしの場合も、大学に入ってまもなく知ったのは岩波新書(清水幾太郎訳)の『歴史とは何か』であり、ロシア・ソ連研究の大部のシリーズが進行中とは後から知らされたことであった。

 「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになる」とか、「すべての歴史は現代史である」といった文に線を引きながら読んだ『歴史とは何か』は、カッコいい決め台詞ぜりふが後から後から出てきて印象的な本だが、じつは全体的に大学一、二年生にはむずかしい。むずかしさの半分はこちらの知識不足のせいだとしても、あと半分はときに錯綜する訳文のせいかもしれない、と勇敢にもペンギンブックスに挑戦しただれかが口にした。西洋史に進学して「史学史」すなわち歴史学の歴史というジャンルがあると知り、これを何度も読みなおすことになった。やがて大学教師になってからは授業のテクストとして用いたこともある。完全な理解まではいたらない箇所が残るとしても、なにか学問のエッセンスに触れるような感触が学生にも伝わるようで、たいへん反応の良いテクストであった。

 『戦間期国際政治とE・H・カー』という山中仁美さんの著書(岩波書店、二〇一七)があり、その最初に示されるのは「三人のカー」という問題である。上記の三つの主著に象徴される国際政治学者、ソ連研究者、歴史哲学者、この三人をどう理解するか、と山中さんは問いかける。さらに外交官、ジャーナリスト、伝記作家という肩書きも加わって「六人のカー」を問題にすることさえできるという。こうした説にはにわかに賛同できないが、悲しいことに山中さんは三九歳で早世したとのことで、その本意は残された著作から想像するしかない。

 そもそもある人物の活躍した領域や肩書きがいくつあったとしても、その人格が分裂しているわけではない。たとえばの話、あのJ・M・ケインズ(一八八三─一九四六)はカーの九歳年長だが、ケインブリッジの市庁舎脇、「芸術劇場」の壁の創建者記念碑によれば、「キングズ学寮のフェローにして常務理事、経済学者、哲学者、実業家、国家公務員にして外交官」と刻まれている。ケインズが「フェローにして常務理事」というのは、学寮の正規構成員で財務をまかされていたので、一つのことである。国家公務員というのはインド省、続いて財務省の役人で、外交官とは一九一九年のパリ講和会議で財務省首席代表をつとめ、第二次世界大戦末期から国際通貨基金の構築に尽力して死を早めたからだが、これを別々の肩書きと数えるかどうかで、計五つか六つかに分かれる。

 また哲学者とは、近代哲学の確立する前の間口の広い学問に従事した人という意味であろう。そこにはアイザック・ニュートンの遺稿の研究、文献書誌学も含まれていた。実業家とは、積極的な金融投資に成功して自らも学寮も富裕にしたことを指しているのであろう。ケインズは『人物評伝』でニュートンのことを物理学や数学ばかりでなく錬金術にも身をささげ、国会議員も造幣局長官もつとめたというので、「コペルニクスとファウストを一身に兼ねた」最後のルネサンス人と評する。ひるがえって彼自身がそうだとアピールしているのだろうか。

 E・H・カーはケインズほど富裕ではないが、三つや六つの活躍領域があったとしても、知識人として特別にめずらしいことではない。『歴史とは何か』においてカー自身が、「事実を研究するより前に、歴史家を研究する。……著者の頭のなかで響いている音を聞き分けることが大事です」といった提言をしている。同一人物であっても、時代によって大きく転身する人(君子豹変!)もいることについては、『歴史とは何か』で歴史家たちの生々しい例があがっている。

 さらに『歴史とは何か』でカーが親しい知友をどう処遇しているかを見ると、トリニティ学寮の同僚で若い友人キトスン=クラークのことを、聴衆の前で平然といじる。バタフィールド教授とはかつて二組の夫妻で会食した仲で、推薦状を書いてもらった恩義もあり、講演時にはケインブリッジ大学総長である。その彼の戦前、戦中、戦後の公的発言を引用して、こんなにも左右に揺れていると指摘したうえ、「意地悪に批判しているのではありません。……酔ったバタフィールド教授としらふのバタフィールド教授を対決させるのがわたしの意図ではありません」と畳みかけて、聴衆を爆笑させる。また数年前までオクスフォードで合同セミナーを仕切っていたアイザイア・バーリン(社会政治理論教授)の文体を「きらめくほど」とほめあげておいて、「先生の場合はナンセンスを語っても、人を惹きつける魅力的な語り口なので、赦されます。しかし、弟子筋は同じナンセンスをくりかえして、おもしろくもおかしくもない」と失笑を誘う。一見すると、オクスブリッジの学者たちの濃密な人間関係に乗じて戯れ合っているのかとさえ見える。

 カーという人物を理解するには、当然ながら国際政治やソ連の成り立ち、また歴史学の歴史について知り、ロシア文学評論に始まる彼の著作を精査することも必要であろう。だが、それだけでは不十分ではないか。聖ジュード学寮ならぬトリニティ学寮のカー先生の「頭のなかで響いている音を聞き分ける」ためには、むしろ彼と同時代のイギリスの知識人たちの世界、さらに特定するとケインブリッジ、オクスフォードの両大学、そしてメディアにおける人間模様を考察する必要がある。人間模様といっても、理性と友情もあれば、嫉妬と競争心もうごめいていた。しかも、そこに生息していたのは、イギリス生まれのイギリス人だけとは限らない。むしろ、そのころ中央ヨーロッパや合衆国、カナダ、そして南太平洋からそれぞれの事情でやってきた人びとが加わり、コスモポリタンな人材が交わることによってイギリスの知的世界は広がり深まり、文明的にヴァージョンアップされていたのである。

「なぜ」という問い

 E・H・カーは一八九二年にロンドン近郊で中位の中産階級(middle, middle class)の家に生まれ、一九八二年にケインブリッジで亡くなった。亡くなる直前まで頭脳明晰で、次の著作を準備していた。マーチャント・テイラーズ校というパブリックスクールからケインブリッジ大学のトリニティ学寮に進学したが、成績抜群で、いずれでも奨学生として授業料を免除され、特別待遇を享受した。大学では古典学・ギリシア史を専攻して、ちょうど第一次世界大戦のさなかに外務省に就職した。

 新米の職員カーは戦争ばかりでなく、ロシア革命、パリ講和会議といった二〇世紀史の重大事件を行政の現場で経験することになった。三二歳で、すでに三児の母で、夫を亡くしたばかりのアン・ロウと結婚し、バルト海に臨むラトヴィアの公使館に二等書記官として赴任した。バルト三国の真ん中に位置するラトヴィアの首都リガは、中世・近世からバルト海交易で繁栄していた。ここはロシア革命、そしてソヴィエト連邦の成立後には対ソ諜報活動の一拠点となったが、諜報担当ではないカーにとって公務は軽く、ロシア語を勉強し、ドストエフスキーやゲルツェンといった一九世紀ロシアの文学・思想を読みふけり、その評論を執筆し公にする時間もたっぷりあった。妻アンも外交官夫人としての生活を満喫し、息子ジョンも生まれ、幸せな家庭生活だったようである。

 四五歳で著したのは伝記『ミハイル・バクーニン』である。アナキズムの祖、「ロマン主義の時代の真正の子」とされるバクーニンの伝記を、外交官のキャリアのなかで執筆し、ウェールズ大学国際政治学の教授に就いた翌年に、世に問うたのである。これに目をとめて書評を発表したアイザイア・バーリン(一九〇九─九七)は、そのときまだ二〇代、リガ出身で、将来を嘱望されるオクスフォードの秀才であった。ともにリガもロシア文学もマルクス主義も知る、二人のあいだの長く、やや錯綜する友情が始まった。晩年のカーは、『バクーニン』伝は「わたしの書いた最良の本」とまで述懐している。

 カーという人物を論じる人びとが、外交官という経歴、国際政治のリアリストという側面に注目することにはたしかに意味がある。またカー自身がくりかえし述べることだが、第一次世界大戦でもろくも瓦解したロシアの軍と国家が、第二次世界大戦ではナチス・ドイツの猛攻に耐えて独ソ戦に勝利するという「変貌」をとげた不思議がある。ロシア革命そのものより、その後に建設される新しい秩序、ソ連という現代国家に注目して、カーは「なぜ」と問いかけるのだが、これは二〇世紀前半の国際政治に職業として関与していた者として、ごく自然の本質的な疑問であろう。カーの問いはソヴィエト=ロシアだけでなく、二〇世紀現代社会の行方にもむけられていた。『歴史とは何か』とは「現在と過去のあいだの終わりのない対話」でもあるが、それに尽きることなく、過去・現在・未来のあいだを往還する対話なのである。だからこそカーは、一九八〇年ころの現実と思考をふまえて第二版を準備しないわけにゆかなかったのであろう。

 『歴史とは何か』は、冷戦とイギリスの保守政権の続くただなかに、広い読書公衆にむけて刊行された、論争的な書である。アイザイア・バーリン、カール・ポパー、トレヴァ=ローパ、A・J・P・テイラなど「時代の寵児」といえる論客とを構え、大きく一九世紀から二〇世紀後半へと転変した歴史と学問を俎上にのせて論じる。また第二版への序文では、時代の潮流に強い違和感をおぼえつつ、「せいぜい正気でバランスのとれた未来への展望を打ち出したい」と、ほとんど遺言かと思わせるような文を刻んでいる。

 一九七〇年代半ばにカーの研究指導をうけ、後に伝記を著したソ連・国際関係史のジョナサン・ハスラムによれば、少なくとも晩年のカーは若い研究者をやさしく励ますといったタイプの教師ではなかった。尊敬するカー先生の研究指導を期待してケインブリッジの大学院生になったハスラムだが、カーはすでに八〇代で、ライフワークの大著をしあげることを優先し――そもそも上級フェローの彼に教育義務はなく、これはと思う院生やゲストと自由に討論すればよいのであった――、ハスラムにはロシア語の発音をちょっと直して、「君の論文を書くのは君であって、わたしではないよね」といった「指導」しかしてくれない。やむなくハスラムはR・W・デイヴィスのバーミンガム大学に籍を移すのであった(https://hdiplo.org/to/E250における個人史的な証言)。

 アンとの離別後、一五年以上にわたるパートナーとしてカーの家庭生活をささえ、秘書のような調整役と車の運転手もかって出ていたジョイスにとって、最終的に事実婚の解消を決意した理由の一つは、カーが再婚を考えず、「やさしい言葉」もかけてくれないことであった。カーはおそるべき集中心の人で、周囲がどれほど騒がしくても、また大西洋の航海で少々の嵐があっても、原稿執筆に専念することができた。だがそれは、「家庭のだんらんのさなかにも、椅子のまわりに書類を広げて執筆に集中する」という習慣にも連なるものであった。

 こうした「三人のカー」どころか、謎につつまれたE・H・カーに迫るにあたって、この連載ではまず彼の周囲の人びとから攻めてゆこうと考える。わたしにとっては副次的に、『イギリス史10講』で不十分ながら描写した二〇世紀像と『歴史とは何か 新版』とをつなぐ、人物列伝という意味もある。

 (こんどうかずひこ・歴史学)

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