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川端裕人 「絶滅後」を生きてもらう[『図書』2022年10月号より]

絶滅動物との出会い

 生き物の絶滅、とりわけ「近代の絶滅」「人為による絶滅」という現象にとらわれるようになって久しい。

 十代後半だった頃、アメリカのSF作家ロバート・シルバーヴァーグによる『地上から消えた動物』(ハヤカワ文庫)や、イタリアの生物学者F・バスキエーリ・サルバドーリらの『大図説 滅びゆく動物』(小学館)を読んだのが直接のきっかけだ。そこで出会ったドードー、オオウミガラス、ステラーカイギュウといった絶滅種は、恐竜のように何千万年も前に消え去ったものではなく「会えそうで会えなかった」悔恨の対象として、心に訴えかけてきた。

 執着に近いと自分でも思う。「絶滅動物」が常に頭の中にあって、その痕跡をたどる旅をしたり、関連することを書いてきた。昨年上梓した『ドードーをめぐる堂々めぐり』(岩波書店)は最たるものだ。江戸時代初期の日本に、インド洋のカリスマ的絶滅鳥ドードーが来ていたことが二〇一四年に明らかになったのを受けて、七年越しの取材で本にした。

 しかし、実をいえばもっと前から、絶滅動物をめぐる取材を続けており、しばしば自分はなぜこんなことをしているのかと自問してきた。「絶滅」についてこれまで多くの著者が話題にしてきたし、この数十年で日本語の書籍も増えた。非常に訴求力の強いテーマで、「悲劇」を強調すれば読者に強いインパクトを残すことができる。ただ、ぼく自身、それを望んでいるわけでもないのである。

 もちろん絶滅は悲劇である。しかし、必然でもある。すべての生物種は、いずれ絶滅する。この場合、問題なのは、ヒトがそれを加速させていることだ。それでもヒトが地球上に溢れている以上、これからも多くの種が絶滅する。ならば、ヒトが消えた方がいいかというと、決してそんなことはないはずだ。わたしたちは、生きるために生まれてきたのだし、長い進化の果てに「このようにある」ことは、まずは肯定的に捉えるべきだ。

 絶滅という現象を悼むのは、地球の生命史上、ヒト特有のことである。これまでいかなる生き物も自分のせいで他の生き物が絶滅したとしても気にもとめなかった。また、絶滅する側も、自らの生を全うする中で、たまたま「最後の一個体」になるわけで、種がついえることについて格別な感覚など抱かなかっただろう。ヒトによって引き起こされ、ヒトによって悼まれ、ヒトによってさらに引き起こされ続ける絶滅は、悲劇であると同時に、視点を変えれば喜劇ですらある。

 はたして、ここでぼくが語るべきことなどあるのだろうか。感情を揺さぶり、教訓めいている割にはその教訓を十分に活かすことも難しいこのテーマを、どのように深めうるのだろうか。

巨大人魚と川のイルカ

 テレビ局に勤めていた一九九一年頃、ソビエト連邦(当時)のカムチャツカ半島やベーリング島を取材で訪ねた。ベーリング島は、体長七メートル超の巨大な「人魚」ステラーカイギュウが沿岸で海藻を食んでいた所だ。一七四一年の発見以降、ラッコ漁師たちに食料として乱獲され、一七六八年、二頭が捕獲されたのを最後に姿を消した。発見から二七年というスピード絶滅記録である。

ステラーカイギュウの復元図,1898年
ステラーカイギュウの復元図,1898年
1742年,発見者のシュテラーがステラーカイギュウの体を測定している復元図,1925年作成
1742年,発見者のシュテラーがステラーカイギュウの体を測定している復元図,1925年作成
 

 ぼくは二〇世紀末のベーリング島でその痕跡を探し、砂浜から大きな骨を掘り起こしもした。その後、世界中の博物館で、標本を持っている所では見せてもらってきたし、アメリカの大学に籍を置いた時期には膨大な蔵書を誇る図書館に籠もり、迷路のような書庫を彷徨いながら、発見者の遺稿をまとめた『ベーリング海の海獣調査』『ベーリング島誌』を探し出しては懸命にコピーした。それらをもとに、「生き延びていたステラーカイギュウ」を発見する小説を試みたこともある(未発表)。

 当時、水棲哺乳類としては「絶滅していない」カテゴリーに入っていたバイジー(ヨウスコウカワイルカ)と会うために、中国の武漢の中国科学院水生生物研究所を訪ねたのも同時期だ。唯一の飼育下個体のオス、チーチーと対面したのだけれど、それが本当に「最後の一頭」になるとは思いもしなかった。二〇〇二年にチーチーが亡くなって、以降、信頼できる目撃情報はない。そして、二〇〇六年の大規模調査の結果、絶滅が「宣言」された。自分たちが生きているこの時代に、まだまだ大型動物が絶滅するのだと知らしめる衝撃的な絶滅だった。

中国科学院水生生物研究所で飼育されていた「最後の一頭」チーチー 01
中国科学院水生生物研究所で飼育されていた「最後の一頭」チーチー 02
中国科学院水生生物研究所で飼育されていた「最後の一頭」チーチー
過去に短期間飼育された子どものバイジー(下)や胎児の標本過去に短期間飼育された子どものバイジー(下)や胎児の標本 (撮影筆者)

北のペンギン、そしてリョコウバト

 南半球の「ペンギン」の名の由来である北大西洋の飛べない海鳥、オオウミガラス(属名Pinguinus)のことも常に気になっていた。一八四四年、絶滅寸前だと知った博物館の標本需要で、最後の二羽(つがい)がアイスランド沖の島で殺されたという記録があり、まさに「人為の絶滅」の悲劇性と虚無的なまでの喜劇性を体現する存在だった。ぼくはオオウミガラスにも執着を感じ、「日本に来ていた架空のオオウミガラス」の行方を追う短編小説「みっともないけど本物のペンギン」(『星と半月の海』講談社文庫収録)を書いた。

ヨン・キューレマンスによるオオウミガラス,1903年頃
ヨン・キューレマンスによるオオウミガラス,1903年頃

 さらにデンマークのコペンハーゲン自然史博物館で「最後の二羽」の内臓が液浸標本で残っているのを見たり、ほとんど巡礼のような気持ちで「最後の二羽」が殺されたアイスランドの沖合のエルデイ島をのぞむ岬を訪ねたりもした。そういった道行きの中で、一九世紀、オオウミガラスの議論を通じて、欧米の科学界で初めて「絶滅」という現象がリアルタイムで起きていると認識され、環境を護る機運が生まれたことも知った。

コペンハーゲン自然史博物館収蔵庫に収められたオオウミガラス「最後の2羽」の臓器
コペンハーゲン自然史博物館収蔵庫に収められたオオウミガラス「最後の2羽」の臓器(撮影筆者)

 その機運がぎりぎり「間に合わなかった」不運な事例が、一九一四年に「最後の一羽」、マーサと呼ばれるメスが亡くなった、北米のリョコウバトだ。シンシナティ動物園で死亡したマーサは、その後ワシントンDCのスミソニアン自然史博物館で標本にされた。二〇一四年、つまり絶滅一〇〇周年の年に取材を申し込んだところ、収蔵庫の奥に保管されているものを見せてもらえた。首周りのメタリックな色彩が美しいことを除けば「かなり大き目のハト」(体長四〇センチほど)という感想だった。

スミソニアン自然史博物館のマーサ(左,標本)と,かつての展示でコンビを組んだことのあるオスのジョージ(右,標本)
スミソニアン自然史博物館のマーサ(左,標本)と,かつての展示でコンビを組んだことのあるオスのジョージ(右,標本)(撮影筆者)

 リョコウバトの特別さの真骨頂は、姿形よりもむしろ、行動面にある。億の単位の巨大な群れをつくり、空を覆いつくしながら渡っていく様子は壮観で、一つの群れが三日間ずっと途切れずに続いたという証言もあるほどだ。多くの個体が密集する営巣地では、その重みで木々の枝が落ち、時に倒れた。堆積したフンによって木々が枯死することもあった。リョコウバトは、森林の更新を促す「生態系エンジニア」の役割を果たしていたとされる。

スミソニアン自然史博物館のリョコウバトの標本群(一部)
スミソニアン自然史博物館のリョコウバトの標本群(一部)(撮影筆者)

 全個体数でいえば数十億羽いたとされるリョコウバトが、一九世紀後半の集中的な狩猟で数を減らし、絶滅に至ったことは「人為の絶滅」史の中でも特筆すべき悲劇だ。そして、リョコウバトを失って一世紀を経た今の北米の森林が見せる顔は、おそらく以前と違っている……。

絶滅後の生を与える

 本当に、書いているだけで悲しくなってくるような、悲劇であり、同時に滑稽ですらある事象について何を語ればいいのか。念頭に置いているのは次のようなことだ。

 何度も繰り返し語られてきたカリスマ的絶滅動物たちへの「わたしたち人間の側」の執着を解きほぐしたい。個人的には「成仏させる」という感覚だ。そのためには、絶滅に追いやった過去を悼み、愚かしさを悔いるだけでは足りず、むしろ未来を考えなければならないだろう。つまり、今回、紹介した種をはじめ、ヒトとの関わりの中で消えていった多くの動物を扱いながら、単なる教訓以上の、積極的な意味を見出したい。そうすれば、わたしたちの執着を解きほぐし、絶滅動物たちに今一度の生を与えることができるのではないかとも思うのである。

 だから、過去を振り返りつつも「今」に直接関係する先鋭的な部分にも触れていく。例えば、リョコウバトを、最先端の遺伝子工学で現代に蘇らせる計画がアメリカで進行している。リョコウバトらしさを体現する遺伝子を特定して近縁のハトに導入し、「生態系エンジニア」の役割を担ってもらうという。もちろん、生まれてくるのは、リョコウバトそのものではなく、それに似た別のなにかだ。

 しかし、確実に議論が巻き起こる。絶滅とは何か、種とは何か、進化とは何か、わたしたちが護るべきものとは何か……。そういった議論の中でこそ、絶滅動物の物語を綴りながら、現時点ではまだもやもやとしているものを言語化していければと思う。リョコウバトは、「絶滅後」を生きることになる……。

日本人画家 K.Hayashiによるオスのリョコウバト,1919年頃
日本人画家 K. Hayashiによるオスのリョコウバト,1919年頃

 そうこうするうちに、今年三月、カリフォルニア大学の研究者が、絶滅動物の代名詞、ドードーの全ゲノムを解読したと公表した。論文は未発表で詳細は不明だが、絶滅種が単純に「絶滅したまま」ではいられない近未来を指し示してやまない。

 他の絶滅種にもある「今につながる要素」に注目しつつ筆を進めていきたい。

(かわばた ひろと・作家)

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