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研究者、生活を語る on the web

国際遠距離を乗り越えて──研究者としてのキャリアと家庭生活<研究者、生活を語る on the web>

渡辺悠樹

東京大学大学院工学系研究科

 理論物理(物性分野)の研究者です。金属や絶縁体など、身の回りの物質の量子力学的な性質を研究しています。まだ大学院生だったアメリカ留学中に娘を、帰国後に息子を授かりました。いまは大学教員をしながら、会社員の妻と2人の子供と、4人で一緒に暮らしています。

朝ごはん作りから始まる1日

 我が家では、家事・育児と家計に対する貢献のどちらも、夫婦半々の負担にしています。お互い収入は自分で管理し、共有口座の残高が減ってくると、その都度同じ額を振り込んでいます。
 私は朝4、5時に起き、目を覚ましながらメールチェックや研究の計算を少しすることが日課になっています。その後、6時ごろから魚を焼き始めたり、卵やソーセージなども適当に料理したりと、朝ごはんの準備をしつつ子供たちを起こします(炊飯器は妻が寝る前にセットしてくれます)。その間、妻は乾燥機から洗濯物を出して片付けたり、保育園や小学校の持ち物の準備などをしたりしてくれています。4人揃って朝ごはんを食べて支度をし、7時過ぎに子乗せ自転車で息子を保育園に送ります。

 平日は朝の7時15分から夜の6時15分まで息子を保育園に預けており、小学校1年生の娘も、朝8時ごろに家を出て学校に行った後は、夜6時まで学童保育で過ごしています。自分たちが仕事をしている間、子供たちもそれぞれの生活を頑張ってくれていることにはいつも感謝しています。

 息子のお迎えにいって6時30分ごろ帰宅すると、妻が夕飯を準備してくれているので、子供たちと一緒にお風呂に入り、また食卓を囲みます。日中はバラバラに過ごしていますが、朝晩のごはんは一緒に食べることができており、これが一家の団欒の時間になっています。その後、9時ごろに子供たちが寝に行くまでは絵本を読んだり、娘の宿題を見たりします。最近はPTAのバスケ部*1に入ったので、この時間帯に子供2人を連れて体育館にいく日も、週に2日ほどあります。お酒を飲みつつ論文を書き進めたりちょっとした計算をしたりしながら、10、11時ごろに寝ます。寝かしつけが不要になるなど、子供の成長とともに生活リズムも変化していますが、最近はこんな感じです。

 

研究者、生活を語る|国際遠距離を乗り越えて──研究者としてのキャリアと家庭生活 01
平日のスケジュール(例)。

 週末は、土曜日は妻、日曜日は自分の担当で、子供たち2人の面倒を1日みます。担当でない日は自由時間で、夫婦それぞれリラックスできる時間になっているのはよいのですが、これを優先するあまり、4人揃ってのお出かけはめったにありません。試行錯誤や夫婦での話し合いを経て、このような分担に落ち着きました。

 コロナ禍では、小学校の学級閉鎖、1、2週間単位での保育園の休園も何度も経験しました。とはいえ、これまで平日に子供たちとゆっくり過ごす機会はあまりなかったので、行ったことがなかった公園に行ってみたりして、これはこれでいい思い出になりました。

 コロナの影響で滞っていましたが、学会や研究会に参加するため、数日間の国内出張や1週間ほどの海外出張も年に何度かあり、その間は妻に全部任せることになってしまいます。その代わり普段は、私のほうが裁量労働制で時間の制限が緩いため、保育園からの呼び出しなどにはできる限り自分が対応するようにしています。

 

研究者、生活を語る|国際遠距離を乗り越えて──研究者としてのキャリアと家庭生活 02
朝ごはん。この日は子供たちが大好きな鮭のムニエルと、チーズオムレツ、ソーセージ。野菜などの栄養バランスは妻の夕ごはん頼みとなっている。

同居までの道のり

 子供ができたかも──日本にいる妻からそんなメールをもらったのは、アメリカ留学3年目の終わり頃でした。留学決断をきっかけに学部時代からの彼女にプロポーズし、一応結婚はしていたものの、当時私はまだPhDコース*2の大学院生でした。妻は日本で働き始めて3年目で、私たちは先の見えない国際遠距離結婚の真っ只中にいました。私の収入といえば、留学先の大学でティーチングアシスタントとして演習の講義を担当することで得る給料と、日本の財団からの奨学金に頼っており、夏冬の休暇で日本に滞在する際には「被扶養者」の保険証で医療機関にかかっていました。

 自分は当時、研究者としてどこかの大学でテニュアをとる(=任期のない教員になる)ことを目指しており、大学院卒業後は何度か海外でのポスドク*3を経験しようと考えていましたし、妻も妻で、終電までの残業も珍しくないほどに仕事にのめり込んでいました。そんな矢先、予想していたより早めに一緒に住み始める必要が生じたのです。昨今、若手研究者の窮状が叫ばれているように、研究者として食べていくことは非常に難しく、どこの大学がいいなどと選ぶことはできないのが普通であり、自分も職を求めて欧米でもアジアでも、どこへでも行く覚悟をしていましたが、こうなると最も難しい問題は、いかにして自分も妻も納得できる形で一緒に住むのか、ということでした。

 「海外で頑張っているなら妻を現地に呼べばいいではないか」というアドバイスもたびたびもらいましたが、妻には妻の仕事というか人生があり、それを自分の都合で捨てさせて呼びつけるのは、理由もなしに(ある意味では男女差別によって)自分の仕事の方が偉いといっているようで、嫌でした。この「仕事と家庭の両立」の問題は、周りの若手研究者の知り合いも多くが苦労していることであり、だからこそ、海外留学などの挑戦は身動きがとりやすい若いうちにしておく方がいいと思います。

 結局、私は1年早めて4年で大学院を修了する代わりに、ポスドクとしてアメリカに残りながら、日本の大学への公募に応募するという作戦になりました。その間、妻は産休・育休を利用して、実家で子育てをしてくれていました。妻の会社では、職位は下がってしまいますが遠隔地からのオンライン勤務も可能ということだったので、もし自分が日本の大学で職を得られなければ、妻と子にアメリカに来てもらうという話になっていました。

 幸運なことに、私の場合はすぐに希望する大学で講師の職が得られたため、日本で一緒に住めるようになりました。ただ、それまではポスドクながら競争率が高く名誉あるポジションにいたのに、任期3年のところを半年で辞めて帰ってきてしまったのは、もったいなかったですし、周囲からも惜しまれました。帰国後のポストは、一応は任期のない常勤の講師でしたが、若手のためのポジションということもあり、真に任期のない(准)教授などではない立場だったため、このタイミングで日本に帰ってきてしまったのは、自分の将来的なキャリアの面でとんでもない間違いだったのではないか、と不安を感じることもたびたびありました。これも幸いなことに、帰国後3年ほどで准教授になることができたため、結果オーライではあったわけですが、1度きりの人生、あのままアメリカに残っていたらどうだっただろうかと、全く考えないわけではありません。

 

研究者、生活を語る|国際遠距離を乗り越えて──研究者としてのキャリアと家庭生活 03
生まれたばかりの息子にミルクをあげるお手伝いをする娘。

家庭生活による制約と恩恵

 独り身だった大学院生のころやポスドクのころは、毎日、合宿のように研究に明け暮れていました。時間を気にせず、研究室に泊まり込んで朝まで論文を書いたことも何度もありました。いまは家庭があり、家族の生活があり、それはやはり足枷になっている部分もあります。就寝時間、帰宅時間などはどうしても自由になりません。京都や仙台などに議論や講演に行く際、子供たちを保育園に送り届けたのち新幹線に飛び乗って、用務先に数時間滞在したのち、お迎えに間に合うように帰ってくるということもありました。海外での研究会にもフルには参加せず、だいたい半分くらいで切り上げることにしています。毎日のお迎えのために、会議を途中で抜けさせてもらうということもたびたびあり、これに関しては同僚の理解や、近年の働き方改革の動きに感謝しています。

 ただ、必ずしもマイナスなことばかりではありません。理論物理の研究者として、先の見えない研究に取り組むことも多いですし、うまくいかないことも、ライバルに先を越されることもあります。そんなときにもいつも家族がいてくれて、子供たちは、自分と遊ぶことを楽しみにしてくれていたり、お迎えに行った時に嬉しそうに走ってきて抱きついてくれたりします。そんなときには自分の存在価値を感じますし、率直に癒されます。出張中、用務先に滞在できる時間が限られていることは、その時間をフルに有効活用することにもつながります。いろいろと書きましたが、日々幸せを実感できるいまの生活にとても満足しています。

 思い返せば、アメリカ留学中、議論をしたいのに指導教官がなかなか時間をとってくれず、夕方にやっと捕まえたと思っても、5時ごろになると「お迎えだから」と帰ってしまうことがたびたびありました。「子供が熱を出したから」と、約束をすっぽかされたこともありました。当時は不満を感じていましたが、その先生は今ではハーバード大学に移り、世界で最も有名な研究者の一人になっています。そんな憧れの先生も家庭を非常に大切にされていたことは、自分にとってのよいロールモデルになっています。今度は自分が、研究室の学生たちにとってのロールモデルになれるよう、これからも日々の生活と研究に取り組んでいこうと思います。

 


*1 子供ではなく保護者の部活。子連れで来る人も多く、子供たちは子供同士で楽しく遊んでいる。

*2 日本の修士と博士を合わせたもので、通常5年ほどかかる。

*3 博士号取得後になる任期付きの研究員。

 

渡辺悠樹 わたなべ・はるき
1986年生まれ。東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻准教授。専門は物性理論。2015年にカリフォルニア大学バークレー校でPhDを取得後、マサチューセッツ工科大学でフェロー研究員、東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻講師を経て、2019年より現職。2020年より保育園の保護者会会長も務めている。

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