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研究者、生活を語る on the web

研究者、育てられながら親になる<研究者、生活を語る on the web>

安部芳絵

工学院大学

赤ちゃんのことを一番よくわかっているのは

 子どもは3人とも助産院で生まれました。長男のときは夫が、次男のときは夫と長男が、三男のときは夫と次男(真夜中のため長男は爆睡中)が、それぞれ出産に立ち会いました。
 初めての出産のあと、自宅に帰るにあたり不安でたまらず、助産師さんに「赤ちゃんのことでわからないことがあったら相談に来てもいいですか」とすがったことを覚えています。これに対し、「来てもいいけど、赤ちゃんのことを一番よくわかっているのは私じゃない。赤ちゃん本人だよ」と、助産師さんは言い放ちました。
 私の研究している国連子どもの権利条約は、子どもに一番よいことをしようという国同士の約束事で、1989年に国連で採択され、日本は1994年に批准しました。条約の採択による最も大きな転換は、子どもにとって一番よいことをおとなが勝手に決めるのではなく、子どもに聴いて子どもとともに考えていくという点です。
 まさに自分が研究している「赤ちゃんにとって一番よいことは赤ちゃんとともに考える」という当たり前のこと、頭ではわかったつもりになっていたことが、自分の生活の中に根づいていないことに気づかされた、子育て(親育ち)のスタートでした。

育休は取りませんよね?

 これまで、文系女性研究者の多くは、任期付きや非常勤講師を繰り返しながら細々と研究を続けてきたのではないでしょうか。私も、3人の出産時には、助手と非常勤講師でした。
 初めての出産をした2004年当時は助手でしたが、母校ではそもそも女性が助手になることが珍しく、ライフイベントに関する大学側の環境も整っていませんでした。夫婦で研究者を目指している院生が妊娠すると、「子どもが生まれるなら、早く仕事に就かないと」と、なぜか夫の方にだけ専任の話が舞い込んでくるといった話も耳にしました。「子どもが生まれるなら、家庭で子育てに専念した方がいいよ」と「よかれ」を押しつけられ、研究を断念した院生もいました。このような話ばかりで、妊娠すると研究から離れなければならないのではないか、と不安ばかりが先に立ちます。
 安定期に入ってから大学の事務室に顔を出し、恐る恐る「産休を取りたいのですが」と申し出たところ、事務の方から「産休だけでいいんですよね? 育休は取りませんよね?」と言われ、「あ、はい」と答えてしまいました。なぜこのとき、「あ、はい」と答えてしまったのか、その後も思い出すたびに自問自答します。ちょうど上司が女性だった夫(同業者ではありません)が代わりに育休を取得し、なんとか切り抜けました。
 結局、育休を取得することができなかった私のもやもやを聴いてくださったのは、お二人のお子さんの母でもある専任のM先生(指導教員ではありません)でした。産休に入ったのち、(産休中であるにもかかわらず)先生方からメールの問い合わせが多々ありましたが、この話を耳にして、「産休中に働かせてはならない」と、メールを出した先生方に伝えてくださったのもM先生です。ロールモデルとなり、支えてくださる研究者がいることほどありがたかったことはありません。

まず、交渉してみる

 そういえば、査読の結果「修正採択」(若干の修正を前提とした採択)で返ってきた論文の締切が、第2子出産予定日2週間後だったことがあり、泣く泣く修正をあきらめたことがありました。後からその話を学会の先生にしたら「なんだ、言ってくれたら延長できたのに」と言われ、「え? そうなの!」と衝撃を受けました。
 学位論文は、3人目のつわりでくらくらしながらもなんとか提出。本来出席するはずだった9月の学位授与式は、出産予定日の3日前だったために半年ずらしてもらいました。この頃になると、提示された条件とライフイベントがかみ合わないときは「まず、交渉してみる」という術を覚えたようです。
 あれから年月もたち、大学の制度もずいぶん整ってきたはずです。とはいえ、研究者に限らず、安心して妊娠・出産・子育てができるとはまだ言い難い社会でもあります。とくに第1子の出産は不安でしょう。そんなときは、身近な子育て経験のある研究者(男女不問)を探して、その人が信頼できるかをこっそり見極め、相談してみるのがよいのではないかと思います。

保育園児さんに鍛えられる日々

 産後になれば私だけでお世話をしなくてもいいのだから、赤ちゃんが寝ている間に論文を進めることができるはず、と安易に考えていました。幻想でした。そもそも赤ちゃんは寝てくれません。寝ないだけでなく泣きます。あんなに大きな声で泣くのに、夫も上の子も起きません。とくに次男は2歳になるまで2時間おきに起きる人だったので、毎日寝不足でした。
 3人とも生後2カ月から保育園育ちですが、入園や年度初めに提出する書類がまた悩ましい。専任であればまだしも任期付きと非常勤講師を繰り返している状況で、あちこちから書類をそろえて出すのは骨が折れました。
 長男の全身ピンク色のコーデや次男の右と左違う色の靴下は見なかったことにし、三男を抱っこしてなんとか保育園に着きます。大学に行き、気づくとお迎えの時間で、家に帰ってからは怒涛の夕飯・入浴・寝かしつけです。あきらめきれずに「子どもが寝た後に、論文を……」と挑戦するのですが、三男をとんとんしていると、なぜかまだ1歳にもなっていない三男からとんとんし返され、自分が先に寝てしまう始末。そのうち家で研究をするのはあきらめました。
 しばらくの間、家で研究ができないのは自分に力量がないからだと思い込み焦りました。しかし、そんなある日、同じくお子さんが3人いる理系のK先生から「家で研究なんてできないよね!」「論文読むのも子どもがいたらできないし」とさらっと言われ、あれ、もしや私だけではないのでは……と気づくに至ります。とくに、保育園児さんが家にいた時期、研究に割けるのは細切れの時間だけであり、通勤電車が唯一、じっくり本を読めるひとときでした。
 保育園はなくてはならない存在でしたが、それだけでうまくいかないのは、子どもが体調を崩したときです。「熱を出しました」というお迎え要請があれば、どちらがお迎えに行くかを夫と交渉(駆け引き)し、すぐさま2駅先に住んでいる夫母のご予定をうかがい、2、3日出勤しなくてもいいように仕事を片づけるという、とにかく鍛えられる日々でした。

 

研究者、生活を語る|研究者、育てられながら親になる 01
2007年当時の平日のスケジュール例。長男:保育園の3歳児クラス、次男:同・1 歳児クラス、私:早稲田大学客員講師(専任扱い)*1

子どもが小中高生になって

 子どもが小中高生になると、乳幼児さんの頃とはまたちがった大変さ・面白さがあります。夕飯が終わってから寝るまでの間、ゆっくりしよう……と思うのも束の間、子どもからの「あのさー」という声にぎくりとします。過去には「着衣泳があるからいらない靴を持ってこいって」(いらない靴などない)、「データ持って行かなきゃいけないからUSBメモリちょうだい」(それクラウドにアップするんじゃダメなの?)のようなやりとりが繰り広げられてきました。先日は夕飯のあとに「明日、部活でお弁当いるんだって」とナチュラルに言われ、「だからあれほどお弁当がいるのでは?と2週間以上前から問うていたではないか……」と思いつつ、慌てて食材を確認した結果、やたらと卵焼き比率の高いお弁当を持たせる羽目になりました。
 上2人がスマホを手に入れ、家族LINEが運用されるようになってからも状況はあまり変わりません。「これ、今日提出だった!」と、保護者のサインがいる提出物の画像がLINEで流れてきたりします。なぜもっと早く言わない!と思うのですが、コロナ禍で毎日行われるようになった健康チェック表に保護者印を押し忘れることも多々あり、どっちもどっちかもしれません。

 

研究者、生活を語る|研究者、育てられながら親になる 02
2023年現在、平日のスケジュール例。下は子どもたちの動向。長男:高3、次男:高1、三男:中1。

両立にもがきながら

 子育てというと、親が一方的に子どもを育てているように感じられるかもしれませんが、私にとっては自分が子どもや周囲に助けられる場面ばかりです。赤ちゃんだった末っ子が泣いていたとき、「オムツをかえてほしいんだって」「おなかがすいたって言ってるよ」と翻訳してくれたのは上の子たちでした。今では、一緒に買い物に行くと、すっと寄ってきて重い荷物をもってくれます。仕事で遅くなった日は、「飲む?」といって紅茶を茶葉から入れてくれました。今回は書けませんでしたが、保育園時代のママ友にも未だに助けられています(夫にも!)。
 親は子どもや周囲に育てられながら親になるのだと痛感しながら、子どもの権利を研究しています。「赤ちゃんのことを一番よくわかっているのは、赤ちゃん本人」という助産師さんの言葉がいつも頭の片隅にあります。
 子どもがいても業績はたくさん!のようなキラキラした話を期待していたみなさん、ごめんなさい。18~13年ほど前に子どもを産んだ文系女性研究者が、研究と生活の両立にもがきながら、家族や周囲に支えられて日々をのりこえてきたお話でした。多くの女性研究者が経験してきたであろう妊娠・出産・子育てによる業績やキャリアの空白は、努力が足りなかったからではありません。子どもを育て、自分も子どもから育てられるというたいへんな状況でありながら、研究をあきらめなかったことの証だと思っています。

 

*1 「客員講師(専任扱い)」が正式名称。専任でも任期はあるというニュアンスが「扱い」に込められています。

 

安部芳絵 あべ・よしえ
1975年大分県別府市生まれ。早稲田大学助手・助教を経て、2015年より工学院大学准教授。博士(文学)。専門は教育学、子どもの権利条約。現在、東京都子供・子育て会議委員。厚生労働省社会保障審議会児童部会放課後児童対策に関する専門委員会委員、内閣官房「こども政策決定過程におけるこどもの意見反映プロセスの在り方に関する検討委員会」委員。中1・高1・高3の子ども3人と夫1人の5人家族。お米が1カ月で30キロなくなります。

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