あざやかな衝撃! 岩波新書『占領期カラー写真を読む──オキュパイド・ジャパンの色』
占領期の日本において、占領軍とその関係者が私的に撮影したカラー写真(カラースライド)が無数に存在すること、近年それらが続々と「発掘」されていることを、ご存じでしょうか。2月21日発売の岩波新書、佐藤洋一・衣川太一『占領期カラー写真を読む──オキュパイド・ジャパンの色』は、あざやかな色が焼き付けられたカラー写真を読み解き、この時代の実像に迫ります。これまで知られてこなかった多くの未公開写真が、あなたの占領期イメージをすっかり変えてしまうことでしょう。
ここでは、第4章「極東の日常世界」から本文の1部を抜粋、編集し、刊行に先立ってお届けします。どのように撮影されたのか。それらをいかに読み解くのか。ぜひお楽しみください。
1. 好奇心のステレオタイプ
着物の女性たち
第3章で触れたように、カラースライドはプライベート写真ではあるが、現状では家族や撮影者自身らしき人物が写ったものが含まれていることは少ない。大多数は風景写真である。日光東照宮や鎌倉の大仏など観光で訪れる土地の写真は必然的に多くなるが、やがて帰ることが決まっている占領軍関係者にとっては、日常生活のうちで見られる光景も観光の延長であったかもしれない。
そのような光景の中でも決まって写真の題材となるものがある。着物の女性はその筆頭であり、彼らのエキゾチシズムを大いにくすぐるものであった。しばしば“geisha”というキャプションが付けられていることもその発露であろう。芸者と舞妓の区別はおろか、鮮やかな色の着物を着た女性は大抵“geisha”のカテゴリーに入れられている。第3章で見たように、カメラの前に立ってもらうだけでなく、街頭で偶然すれ違う瞬間にシャッターを切ることもしばしば行われていた。いっぽう着物姿の男性をわざわざ撮影したものは見当たらない。完全に彼らの興味の対象外だったようである。
写真1は日光の川治温泉と思われる、柏屋ホテルの玄関先での1枚である。件のキャプションは付いていないものの、日本髪の女性も見られることから、彼女たちは実際にゲイシャであるかも知れない。流行おくれの感はあるが鮮やかな色の着物や帯が目を引き、カラー写真の威力を見せつけられる。写真2から写真6は、一九四九年から五二年に銀座一丁目で撮影されたものであるが、なぜか同じ所に立ち止まって道行く女性ばかりを撮っている。比較的地味な色と柄ではあるが、ほとんどが着物を着ており、撮影者の望む被写体がやってくるのを待ってシャッターを切ったのだろう。また子供を背負った女性が四人も写っている点に気付かされるが、これも興味を惹かれる光景だったようである。特に子供が子供を背負って子守りをしている姿はアメリカ人にとって珍しくまた愛らしかったらしく、こちらも好まれる被写体であった(写真7)。
弱い者たち──子供、老人、物乞い
そもそも子供は警戒心が薄く、大人を拒絶しにくいなど写真を撮りやすい対象である。この撮影者は土の上に茣蓙(ござ)を敷いて座る子供に背負われた赤ん坊の目の高さ近くまでわざわざ腰を落としてカメラを構えているが、子供は撮影者をほとんど意識していないように見える。同じ撮影者による写真8ではさらに子供に近づいて赤ん坊と子守りの女の子の両方をアップで撮っている。ここまで日本人に近寄って撮影した写真は筆者のコレクション内では他に見られず、やや特異な位置を占めている。
この撮影者のコレクションにも撮影者自身や家族・同僚のようなアメリカ人の近しい者が写っているスライドはほとんど含まれていない。したがって、彼らを写す際にも同じ距離で撮影していたのかは不明である。被写体となる人物にどれだけ近づいてカメラを向けられるかは、撮影機材の選択にもよるだろうが、撮り手の性格やコミュニケーション能力に負うところが大きいだろう。
いっぽう、いまや日常生活に組み込まれたスマートフォンで気軽に撮影できる現在、われわれは子供とはいえ見ず知らずの他人にここまで寄って撮影することは、まずないであろう。当時の非日常的な機械=カメラを構えることにより、他人との距離を詰めることができる側面もあったのではないかとも考えられる。もちろんその他人とは「距離を詰めることができる」とあらかじめ値踏みされた者のことであろうが。
写真9も同一人物の手になるもので、子供だけでなく老人も加わっている。老人もまた安心して撮影できる被写体の一つであった。撮影者の氏名は不明であるが、朝霞のキャンプ・ドレイクに駐屯する第一騎兵師団に所属していたと見られ、現在の埼玉県朝霞市や和光市周辺で撮影されたものが数多く含まれている。この写真も和光市で撮影されたと考えられるが、子供たちが普段着として着物を着ており、後ろの落書きに描かれた女の子の服もまた着物である。現在は池袋から電車で十数分の距離であるものの、当時はまだ都会文化から隔たった農村地帯であり、そこに突如大挙して現れた、コダクロームを詰めたカメラを持った占領軍人との対比がこの写真から浮かび上がる。
写真10はPX(進駐軍専用の売店)となっていた銀座松屋前の路上で撮影されているが、顔のすぐ先でカメラを向けているにもかかわらず、老人は完全に撮影者を無視している。相手は小柄な老人であり、米軍人が大勢集まる場所であるため、撮影者は強気に、このような無礼なふるまいに出られるということがあったのだろうか。意図はしなかったのだろうが、背後に写る葉巻をくわえた、まだあどけなさの残る米兵がこちら向けた視線と対照的である。髭を生やした東洋の老人というのも好まれるステレオタイプであったらしく、この男性もそのつもりで撮影したのかもしれない。
写真には物乞いの姿も多く見られる。物乞いは人通りの多いところにいるためか、これもまたトラブルになりにくい被写体であったのかもしれない。金を与えて優位に立つことも可能な関係性ではあるものの、盗み撮りしたような写真もまた存在する。写真11は新橋-有楽町間のガード下ではないかと見られ、子供を連れた尺八を吹く物乞いという、三要素の合わせ技の被写体である。こちらの人物は近距離から撮影されているにもかかわらずカメラを気にも留めない様子でフレームに収まっており、占領軍人は彼らにとってお得意客だったのかもしれない。
これらの写真には、撮影者たちが抱いていたステレオタイプを実際に目の当たりにして、それをフィルムに収めることができた快感を見てとることができる。不幸を感じさせるものであっても、それが型どおりであることを確認することで安心と満足を得る、その確認作業がシャッターを押す行為であろう。
写真:衣川太一コレクション
* * *
続きは本書でご覧ください。