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思想の言葉:冨山一郎【『思想』2023年3月号 特集|雑誌・文化・運動──第三世界からの挑戦】

◇目次◇

【特集】雑誌・文化・運動──第三世界からの挑戦

思想の言葉 冨山一郎

未来に向かう運動
──特集「雑誌・文化・運動」にあたって
中村隆之

〈討議〉「回路」としての雑誌運動
──見つける,繫ぐ,変える
佐久間 寛・中村隆之・水溜真由美

『ニグロ・ワーカー』あるいは「ブラック・ラディカルの伝統」の一起点
──国際共産主義運動とパン・アフリカニズムを越境する想像力のために
中村隆之

表現手段をアフリカ化せよ
──文化運動プレザンス・アフリケーヌ
佐久間 寛

西アフリカのフランス語公用語圏諸国の児童文学と出版
──コートジヴォワールを中心に
村田はるせ

米軍占領下の沖縄の表現における越境的想像力
我部 聖

60年代・70年代に日本でアフリカを読む
──野間寛二郎と『アフリカを学ぶ雑誌a』
星埜守之

水牛,小さなメディアの冒険者たち
──1970年代から80年代の日本における超域的雑誌運動の軌跡
福島 亮

雑誌『思想』とベトナム戦争
野平宗弘

仏領インドシナの出版文化
赤﨑眞耶

イスラエルの文芸誌『ケシェット』と「地中海」・「中東」への眼差し
細田和江

「新しい人間」の詩学
──80年代ニカラグア『ポエシア・リブレ』と『ニカラウアック』
佐々木 祐

キューバの文芸誌にみる「アフリカ」
──翻訳と脱植民地主義
久野量一

 
◇思想の言葉◇
 
雑誌の「雑性」
冨山一郎

 二〇二〇年の春、突然大学が閉鎖され、集まって議論をすることが禁じられる中で、対面での言葉のやり取りが画面に置き換わることへの違和感がつのった。そこで、通信ということを始めた。その思い付きには、大げさにいえば『無名通信』や『草の根通信』が念頭にあった。予定していた授業は、山代巴の『民話を生む人々』(一九五八年)を丁寧に読むことだった。やり方は、一人ひとりが各自で文章を読み、書き、それを編集して通信としてメールで配信し、その通信を一人ひとりがまた読み、書き、それをまた通信として編集するという簡単なものだが、この通信を繰り返していく中で、通信に掲載される一つひとつの文章がお互いの次の文章に連鎖していった。文章が増殖していったのである。それはあたかも山代巴が戦後農村での民主化運動において実践した、他者の話を自分の話のように語る民話というスタイルを、それぞれが実践しているようでもあった。

 こうした通信において気づいたことが二点ある。一つはこの連鎖の中で生まれた複数の思考は、重なり合いながらも決して一つにまとめることができないものであり、誰かが中心となって統括されるわけではなく、また序列がつけられるようなものでもないということだ。あえていえばそれは、それぞれが軸となりお互いが契機となりながら拡張されていく思考のあり様だ。この契機になるということは、他者の文章との偶然的な出会いを前提にしており、雑多な文章を通信として一つに編集したことが重要になる。いま一つ気づいたことは、コロナ禍にかかわることだが、これまでの関係性を維持するのが困難になる中で、一人ひとりが既存の社会から少しずつ剝離し始める感触が、この連鎖にはあるということだ。それは深まる孤絶感と未来への不安でもあるが、既存の秩序からは見えてこない新しいつながりが、言葉を介して生まれたのである。

 この既存秩序からの剝離と新しいつながりへの連鎖は、もちろんコロナ禍という外的要因によるといえるのだが、通信という媒体自体にこうした展開を担うモーメントはないのだろうか。いいかえれば媒体により、お互いが契機となって広がっていく思考が始まり、それが既存の秩序には還元されない関係の広がりを生みだすことにつながっていくのではないだろうか。読み手が書き手にもなり、それが繰り返されながら広がっていくこのプロセスに、雑誌という媒体をおいて考えてみたい。

 *

 ところで雑誌が、通信と同様に言葉を介した人と人のつながりを生みだすのだとしたら、その集まりはどのようなものなのか。たとえばサークルという集団を考える作業においては多くの場合、そのサークルのサークル誌とよばれる雑誌が一つの焦点になる。しかしサークル誌の内容や傾向を要約したり、そこにある主張やその歴史的意義を確定したりすることは、はたしてサークルという集まりをとらえたことになるのだろうか。思想の科学研究会が様々なサークルについて『共同研究 集団』(一九七六年)を刊行した時、その序論で鶴見俊輔は集団について考えることを、「煙の道をなぞる」、あるいは「煙そのものの内部の感覚」と記している。鶴見が、文字通り煙にまいたようないい方で示そうとしているのは、テーマや主張といった言葉においてはつかまえることのできない集団や方向性が、想定されているのではないだろうか。

 雑誌は文字通り雑であり、それを読むことは通信と同様に偶然的な出会いでもある。この点が、自らの意図において方向づけられた検索と異なる点であろう。しかし鶴見が「煙の道」と述べたのは、多様な文章が掲載されているという意味ではない。そこには読む、書くそして話すという言葉にかかわる連なりがある。そしてもし一人ひとりのこうした遂行的な行為の前に、それぞれの属性が優先されるならば、雑誌は書き手や読み手の最大公約数的属性により定義されるだろう。学会があるから学会誌があり、同人がいるから同人誌があり、また読者の社会階層がその雑誌の社会的意味を大枠において定義することになってしまう。しかし通信と同様、雑誌自体が生みだす集合性は、雑誌に掲載されている個々の文章の内容分析からすぐさまみえてくるものではなく、読み手や書き手の属性から定義できるものでもない。雑誌は、一人ひとりが契機となった連鎖を媒介しているのであり、読み書き話すというひとつながりの言葉の行為の中にある。

 *

 ところでこうした雑誌が生みだす集合性を考えるには、この一人ひとりが契機になるということが重要な要点になる。中井正一は、戦後山代巴とともに農村の民主化運動にとりくむが、この活動について中井は、現実を変え得る思想において重要なのは「知識の多少、思想の寡多の問題ではなくして、契機と契機の構造」であると述べている(中井「農村の思想」一九五一年)。そこには誰かが指導者になって知識をあたえ、啓蒙することによって構成されるのではない集合性が、想定されている。啓蒙ではなく、一人ひとりが契機となり連鎖していくのだ。またそれは、戦前期中井が「委員会の論理」(一九三六年)において思惟の基底に据えた「媒介的契機」が、戦後直後の山代との実践の中で語りなおされているともいえるだろう。

 また中井が「知識の多少、思想の寡多の問題ではなく」と述べた点は、中井も含め戦後多くの知識人たちが各地で行った講演会という啓蒙活動への強い批判でもあるだろう。知識や思想の内容が問題なのではない。契機と契機の連鎖を知識の占有者による啓蒙や指導において停止させてしまったことが、思想にかかわる問題なのだ。藤田省三もまた同様のことを指摘している。藤田は、戦後民主化を担ったマルクス主義者をはじめとする知識人たちに対して、戦後日本の思想問題は、その内容というより、「何でも知って、なんでも説明してくれて、そして全体について何となく辻褄があっているようなリーダー」を求める心性と、それに無理に応えようとする指導者によって構成された集団を生み出した点にあるとした。さらに藤田は、こうした集団が正しさと全体の名において異端を排撃する権力を生むと指摘する(久野収・鶴見俊輔・藤田省三『戦後日本の思想』一九五九年)

 中井や藤田にとって思想とは、知識を占有する者たちによる啓蒙の枠組みを前提にした上での思想内容の問題ではない。知識人たちによる戦後の啓蒙活動が暗黙のうちに抱え込んでいた思想の在り方自体を問う必要があったのであり、だからこそ、いかなる集団を作り上げるのかということが問題だったのである。そして雑誌が担うのは、かかる意味での思想的課題に他ならない。すなわち雑誌において重要なのは、そこに所収されている文章内容ではなく、少なくともそれだけではなく、契機と契機の連鎖において新たな集合性を生み出し、思想を作り上げることなのだ。それは今も問われていることではないだろうか。

 *

 二〇二〇年初春、友人たちとともに、『多焦点拡張(MFE)』という雑誌を始めた。この「MFE」は「多焦点的拡張主義(Multifokaler Expansionismus)」の略語であり、一九六〇年代後半に当時の西ドイツのハイデルベルク大学医学部精神科における助手や患者を中心に生まれた社会主義患者同盟(Sozialistisches Patientenkollektiv=SPK)が遺した言葉である。そしてこのような雑誌を作ろうと思った経緯には、次の中井正一の言葉がある。「しかし、人々は、話合いをしなかった。一般の新聞も今は一方的な説教と、売出的な叫びをあげるばかりで、人々の耳でも口でもない「真空管の言葉」も亦そうである。益々そうである」。これは中井が能勢克男らと刊行した『土曜日』に記されたものだ。そこには、一九三六年一〇月二〇日の日付がある。その翌年、中井は治安維持法違反で検挙され、『土曜日』も刊行から一年あまりで廃刊になる。

 当該期に中井が見すえていたのは、たんなる言論弾圧ではない。「説教」や「売出的叫び」が巷にまん延する中で、「話し合い」が消えていったのだ。それはモノローグに閉じていく今の言葉の状況でもある。だからこそ中井は、「人々は話し合いをしなかったと」と述べたあと、次のように続ける。「この『土曜日』は、いま新しく、凡ての読者が執筆者になることで、先ず数千人の人々の耳となり、数千人の人々の口となることで新たな言葉の姿を求めている」。そこには「読者が執筆者になる」という言葉の連鎖があり、またさらに話し合いをする複数の場(多くの場合それはカフェだった)を確保する努力があった(中村勝『キネマ/新聞/カフェー』二〇一九年)。新たな言葉の姿への希求と場への努力こそが、雑誌である。

 『多焦点拡張(MFE)』の創刊準備号http://doshisha-aor.net/mfe/680/に、韓国で雑誌の編集にかかわっている尹汝一が「MFEの雑性のために」という文章をよせた。そこで尹汝一は、この言葉の連鎖を次のようにいいかえる。「雑誌は単純に「ある」ではなく、「立ち上がる」ものなのだ」。雑誌は一人ひとりが読むことにおいて立ち上がる。この立ち上がる瞬間こそ連鎖の始まりなのだ。尹汝一は、この瞬間に他者につながろうとする「張力」が生じるという。この「張力」は、書く、あるいは話すという営みにつながるだろう。それは、それぞれの私という一人称から始まる連累の感覚だ。またそこには、この立ち上がるという動詞が構成する時間が存在する。すなわち過去の古い雑誌など存在せず、読むたびに雑誌は今ここで新たに立ち上がる。

 多様な文章があるから雑誌なのではない。研究であれ何であれ、問われているのは読むという動詞の時制であり、重要なのは、その動詞とともに生じる契機と契機をつなぐ私という起点であり、そこから始まる関係性であり、関係性の生成を確保し続けるために構築される場だ。この文字通り多焦点的に広がり続ける連鎖のプロセスにこそ、雑誌の「雑性」があり、だからこそ雑誌は運動となるのだ。

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