『科学』2023年6月号 特集「意識とクオリアの科学は可能か?」|巻頭エッセイ「意識の科学の系譜と最前線」土谷尚嗣
◇目次◇
【特集】意識とクオリアの科学は可能か?
意識をもつのになぜ身体が必要なのか──身体的潜在経験の世界へ……田口 茂
クオリアの発達的起源……森口佑介
感情のクオリア──そのソワソワした感覚に何かメリットはあるのか?……小泉 愛
ロボットは感情クオリアをもつことができるのだろうか?……堀井隆斗
言語はクオリアを斉一化するために創発したのか?……谷口忠大
クオリアと言語……佐治伸郎
あなたの「赤」と私の「赤」は同じ?──自分のクオリアと他人のクオリアをつなぐ数理……大泉匡史
意識状態とは何だろうか──〈圏上の非可換確率構造〉による理解の試み……西郷甲矢人
意識に迫るべくクオリア研究を切り拓く 「アリス」から,さらに先へ〈番外編〉……土谷尚嗣・谷口忠大
[巻頭エッセイ]
意識の科学の系譜と最前線……土谷尚嗣
海の哺乳類のストランディング調査・研究からわかること……田島木綿子
光を99.98%以上吸収する至高の暗黒シート……雨宮邦招
[連載]
オープンサイエンス事始め──科学データは誰のものか6 データからの利益配分を認める生物多様性条約……有田正規
これは「復興」ですか?75 津島の避難指示解除と残った「わが家」……豊田直巳
数学者の思案13 数学者の時間感覚……河東泰之
リュウグウのささやきを聴く10 生命の材料ふたたび……橘 省吾
研究者,生活を語る5 ゆっくり急げ──みんなで遠くまで行こう……小町 守
3.11以後の科学リテラシー125……牧野淳一郎
[科学通信]
GALAXY CRUISE:市民と解き明かす銀河進化の謎……田中賢幸
磁気嵐によるスターリンク衛星の損失について……片岡龍峰
大気ドラッグ予測への挑戦──人工衛星の安定的な利用を目指して……陣 英克
次号予告
意識という主観的でフワフワしたものは,ガチガチの科学研究の対象になるのか? 読者の皆さんが,朝起きてから夜寝るまでに感じている主観的な意識。そしてそれぞれの瞬間に意識にのぼってくる色や音や味などといった,あの感じ=「クオリア」。はたして,これらは科学が扱えるのか? 科学が扱えるのは,世界の客観的で定量可能なものだけなのだろうか? 意識研究は,どこまで科学になりつつあるのか?
近代以降,西洋における科学研究全般に対して,デカルトの二元論的な思考が与えた影響は大きい。観測による定量的な測定が可能な客観性の世界と,外からは観測ができない定性的な主観の世界という二つの世界観だ。客観的なモノの世界の範囲は,現代科学では脳,そして行動を生み出すような脳内の神経活動も含む。しかし,クオリアを中心とする意識の主観世界は未だに科学にならないとする科学者は多い。
一方で,主観世界と客観世界を数理的に結びつける,というアイデアは20世紀初めに「精神物理学」としてヴントやフェヒナーらにより創始された。その後,行動主義の心理学の隆盛により意識研究は下火になるが,20世紀後半に,外から直接には観測できない脳内のプロセスを研究する認知科学が始まった。1980年代以降には脳イメージング技術が発達し,意識をもつ人間の脳活動の可視化が可能になってきた。その技術が中心となり2000年代以降に盛んになったのが,「意識の神経活動の同定」を目指すというプロジェクトである*1。このプロジェクトにより得られた膨大な量の実践的データを説明しようとするのが「脳と意識の理論」である。この理論が近年では数多く提案されるようになっている。スタニスラス・ドゥアンヌらが提供するグローバル・ニューロナル・ワークスペース理論や,ジュリオ・トノーニらが提唱する統合情報理論が,その筆頭例である。一方で,各理論検証のために必要となる意識の特徴を捉えた「試金石」の欠如が問題になってきている。その試金石は,「クオリアの構造」というレベルで見つかるのではないだろうか? 本号の特集「意識とクオリアの科学は可能か?」では,「クオリア構造学」*2の創成を志すメンバーの一部に執筆していただいている。
研究プロジェクトの開始にあたっては大きな感慨がある。私がアメリカでPhD取得の研究を始めた2000年頃に,当時の指導教官クリストフ・コッホ氏に言われたことを思い出す。「Nao, “consciousness”とグラントで書いたらアウトなんだ。C-wordを使わずにAwarenessとかAttentionならなんとかなるけどね」。時代は変わった。もちろん,我々は過去数千年間,人類が理解できなかった物質と心,よりくわしくは,脳と意識の間の関係性にほんの数年間でスッキリとケリをつけることができるとは思っていない。しかし,超分野融合的に主観的意識体験を科学的客観性へと橋渡ししようとする我々の挑戦で明らかになることは,非常に多いはずだという確信がある。
本特集をきっかけに,冒頭の問いに思いを馳せたり,新しい学問の成立を目指す流れに注目して,さらにはそこに乗り込んできていただければ幸いだ。
*1―C.コッホ(土谷・金井訳):『意識の探求』.岩波書店(2006)
*2―https://sites.google.com/monash.edu/a2023-2027/home