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小沼純一 モモはうたう[『図書』2023年6月号より]

モモはうたう

 

 モモ

 この列島のことばでも違和感のない、親しみのある音、名。やわらかなmにつづいて、まるくひらくo。くちびるは二度、このかたちをくりかえす。くりかえしのあいだに、すこし、ほんのすこし、時が経過する。ドイツ語でも、イタリア語でも、ネパール語でも、変わらない。

 二つ目はひとつ目のくりかえしのようでもあるし、ひとつ目にききかえしている、問いかえしている、確かめているようでもある。

 モ-モ(?)

 ミヒャエル・エンデの『モモ』がドイツで刊行され、今年で五十年。

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。(…)ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。(2章)

 世紀が切り替わろうとするころ、鷲田清一の『「聴く」ことの力』が世にでている。副題に臨床哲学試論とあり、ごくはじめのところでこんなふうに書いていた。「聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場をひら)くということであろう。じっと聴くこと、そのことの力を感じる」と。この本からさらに二十年経って、「きく」「耳をかたむける」は、人文社会系にとどまらず、ひろい範囲にゆきわたっている。モモは、ふりかえってみるなら、鷲田清一に先だって臨床哲学を実践していた。

 モモは「きく」──ひらがなをつかおう──、「きくひと」だった。ひとのはなしを、だけではない。ひとりでいても、何かをききとっていた。住処とする円形劇場は、そもそも耳のかたちのような、一種の収音装置だ。

こうしてすわっていると、まるで星の世界の声を聞いている大きな耳たぶの底にいるようです。そして、ひそやかな、けれどもとても壮大な、ふしぎと心にしみいる音楽が聞こえてくるように思えるのです。(2章)

 21の章が三つの大きな部分に分かれ、「みじかいあとがき」がつけられている『モモ』。モモはストーリーの中心でありつつ、まわりの音に耳をかたむける。モモが気づき、感じ、認識するから、読み手もモモのまわりの気配に気づく。どんな世界にいるのかがわかる。

 モモは灰色の紳士に本音を吐かせ、灰色の紳士=時間どろぼうたちから追われる。時間どろぼうから逃げていたモモは、だが、あるときから、時間どろぼうを追いかける。「さかさま小路」のように?

 マイスター・ホラにつれてこられた「時間のみなもと」でモモがであったもの。それは「丸天井のまんなかから射しこんでいる光の柱は、光として目に見えるだけではありませんでした──モモはそこから音も聞こえてくることに気がついたのです!」

 「音楽のようでいて、しかもまったくべつのもの」。それはまた「ことば」となり、「太陽と月とあらゆる惑星と恒星が、じぶんたちそれぞれのほんとうの名前をつげていることば」だという。光については、エピグラフに引かれている「アイルランドの旧い子どもの歌」にもあらわれているが、音・音楽へのそうした特別な言及はない。光と音、ともに時間とともにうごくもの。『モモ』は、時間とは何なのかを、ストーリーというかたちをとりながら、読み手に問い掛ける。単独で時間を扱うのはむずかしい。具体的なものやことをとおしてこそ、時間の姿がすこしだけみえる。そんなひとつの装置が音であり音楽だ。

 門のむこう、時間のみなもとでマイスター・ホラは言う。「そこは、おまえがこれまでになんどもかすかに聞きつけていたあの音楽の出てくるところだ。でもこんどは、おまえもその音楽にくわわる。おまえじしんがひとつの音になるのだよ」(12章)、と。

 待つ。モモは何度か待つ。それこそ時間の浪費だろう。円形劇場のある世界に戻ったモモはともだちを待つ。そうして、うたう。

そのうたはまたしても、あの星々の声のことばとメロディーでした。きのうとすこしもかわらずはっきりと、モモの記憶のなかで鳴りひびきつづけています。(14章)

 きのうはきのうでなく、一年前。いつのまにか時間が経過している。ことばのうえでは、でも、ひと言、きのう、と呼ばれる。

 もう一度引こう──「そこは、おまえがこれまでになんどもかすかに聞きつけていたあの音楽の出てくるところだ。」(12章)

 音楽が出てくる。音楽がながれている。時間とともにある。

 音楽はうごく、時間とともに変化する。

でもただひとつだけ、このあいだじゅうモモからはなれないものがありました。マイスター・ホラのところですごしたときの記憶、あの花と音楽のあざやかな記憶です。目をとじて、じぶんの心にじっと耳をすましさえすれば、あの花々のかがやくばかりにうつくしい色が目にうかび、あのたくさんの声の音楽が聞こえてきます。そしてさいしょの日とおなじように、そのことばをじぶんで口ずさみ、メロディーをうたうことができました。とはいえ、そのことばもメロディーも、日がたつごとにたえず新しく変わり、けっしておなじままではありません。/モモはときどき一日じゅうひとりで石段にすわって、そのことばを語り、うたいました。聞いてくれるのは、木と、鳥と、廃墟の石ばかりです。(16章)

 さっきは「おもいだす」だった。ここではそうではない。おもいだす、はあたっていない。「音楽が聞こえて」きた。モモはかの地できいたし記憶した。だが、いまモモのなかに音楽があり、音楽とともにある。おもいだすのなら変わらない。おもいだされるものはひとつだから。モモのなかにあるのは、しかし、生きたメロディーで、だからこそ変わる。音楽はかたまりでなく、うごくもの。それだけではない。もっぱら「きくひと」だったモモが、ここでは「ことばを語り、うた」う。きくところから、べつのところへと。

 音楽は、ここで、何だろう。何かのメタファー、か。たとえば時間の、だろうか。

 音楽は時間のなかにあり、時間とともに変化する。音楽を聴いているとき、時間を意識する、あるいは、しない。好きな楽曲に身を委ねているときはどうか。嫌いな楽曲、どうにもおもしろくない楽曲、「わからない」とおもっている楽曲はどうか。

 没入しているとき、ひとは音楽とともに、時間とともにある。時間とともに、おそらくは、変化していたとしても。はやく終わらないかとのおもいは、時間を意識させる。時間は「わたし」とともにあり、わたしのなかでうごきながら、わたしの外に。

 モモが音楽を感じるとき、音楽はモモとともに、モモのなかにあり、同時にモモを包んでいる。

 音楽は、いま、あたりまえのものだ。日常化し消費物、消耗品と化している。なっていても意識されない。もともとは、でも、神秘的な体験だった──はずだ。

 「遊び」が何度もでてくる。英語でならplay、ドイツ語ならSpielか。楽器を演奏する、もplayやspielen。いろいろな遊びがある。ときに遊びは「なにか役にたつことをおぼえさせるための」遊びにもなる(13章)。音楽も遊びだ。時間どろぼうからすれば、音楽をきくなんて、無駄な、時間の浪費でしかない。遊びに夢中になっていると、時間を忘れる。音楽と似ている? だから、もしかすると、おなじplay/spielenの語になるのだとしたら。

 目的のある音楽だってある。何かが意図され、何かにつかわれる音楽。時間どろぼうはそうした音楽に親近感を抱き、積極的に利用するかもしれない。でも、『モモ』での音楽はそうした意味を、はたらきを持ってはいない。目的のない、無償のもの。

 モモが音楽を感じてからほどなく眠りにおちるのは、音楽と眠りが近いから、親和するから。音楽を聴いて眠くなる。気持ちが良くても、退屈でも、眠くな(りう)る。逆に覚醒することだって。相反する作用がおこるのが、音楽の神秘、音楽が魔法とされるゆえんだ。

 ひとは眠る。眠りはひとの外にあるのか、うちにあるのか。眠りのありようは音楽のありように似ていないか。

 モモはうたう。うたは、モモのからだとおもいから、外にでる。ときのなかで、あらわれ、きえる。うたを生みだすのはこの、ひとの、からだ、からだとともにあるうたの、音楽の、音楽へのおもい。

 『モモ』の冒頭、時間どろぼうの暗躍とモモとの闘いのストーリーを導く前哨戦、舞台設定。もしかしたら、なくてもいいんじゃないか、というような暴風雨ごっこやジジのつくりばなし。これは、でも、『モモ』をただ冒険物語にしてしまわないため。太い本筋だけでなく、すこし脇によってみる。こういうところをおもしろがれるか否か。脱線に時間を費やせるかどうか。ストーリーを直線的にすすませないはたらきを、つまりは、『モモ』の時間をめぐるテーマを、読み手にパフォームさせる、体験させる仕掛け。

 モモは、はじめ、字が読めない。学んで、読めるようになるが、スムーズではない。たどたどしい。ときに、読むためには時間がかかる。

 時間がかかる? そこが大切だ。文字というかたち、ひとつひとつが違ったかたちがならんで、何らかの意味をなす。モモはこの文字から文字へのたどりを、かたちから意味へとつかみとるのに、時間をかける。それは、『モモ』という作品を読んでいるあなた、また、作品が読み手として対象にする子どもともつながってくる(エンデがつぎに執筆する『はてしない物語』では、読み手が作品のなかにはいってしまうという反転がおきるのだし)。

 モモのように読む。モモの読むテンポで、『モモ』を読む。モモの年齢からとおく離れてしまったけれど。

(こぬま じゅんいち・音楽文化論)


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