『科学』2023年7月号 特集「Origamiの可能性」|巻頭エッセイ「研究者資料のアーカイブのために」有賀暢迪
◇目次◇
【特集】Origamiの可能性
「新しい博物学」としての折り紙……前川 淳
折紙の数理がひらく構造設計の世界……石田祥子
計算折り紙へのいざない……上原隆平
昆虫たちの折紙……斉藤一哉
ソフトウェアを用いた折紙形状設計……三谷 純
折紙工学──折紙構造の産業化へ……萩原一郎
【特集2】日本語を遡る──歴史比較言語学の方法
言語史研究における比較方法の位置づけ……平子達也
言語は変化する──音,語,文,意味レベルの言語変化……五十嵐陽介・平子達也・トマ ペラール
比較方法によって言語間の系統関係を確立する……五十嵐陽介・トマ ペラール
内的再建によって言語の歴史を再建する……平子達也
[巻頭エッセイ]
研究者資料のアーカイブのために……有賀暢迪
ポスト・ムーア時代のスパコン1 過去の計算機の性能向上……牧野淳一郎
重元素の起源に迫る──中性子星の合体とレアアースの痕跡……土本菜々恵
[連載]
数学者の思案14 専攻長・学科長……河東泰之
3.11以後の科学リテラシー126……牧野淳一郎
リュウグウのささやきを聴く11 第三極……橘 省吾
これは「復興」ですか?76 長泥の「避難指示解除」の現場……豊田直巳
研究者,生活を語る6 助けられて,助けられて,とにかく続ける……神谷真子
[科学通信]
数学の一般論を志向した関孝和の実像──新『関孝和全集』編集を終えて……小川 束・小林龍彦
次号予告
先日,海外の科学史研究者からの問い合わせが私のところに転送されてきた。ある科学分野では1980年代から90年代にかけて,日本の研究者と研究機関が特に重要な役割を担ったのだが,関係する資料のアーカイブの状況を知りたい,という内容だった。
私はメールの返信で,大略次のように書いた。「残念ながらアーカイブズに関しては,日本は途上国だと言わざるを得ません。科学分野は特にそうです。研究機関で自前のアーカイブズを持っているところはわずかしかなく,国立大学にアーカイブズが設置されるようになったのも近年のことです。国や地方の公文書館も政策に関係する文書が主たる対象で,したがって研究者の個人資料はほとんどの場合,保存されていません」。
もちろん,何事にも例外はある。京都大学基礎物理学研究所の湯川記念館史料室には,湯川秀樹の遺した膨大な資料が体系的に保管されている。高エネルギー加速器研究機構の史料室や核融合科学研究所のアーカイブ室では,関連する研究者の資料を組織的に収集・整理・保存し,閲覧に供している。私が以前に所属していた国立科学博物館でも,長岡半太郎や鈴木梅太郎をはじめとする「科学者資料」を所蔵し,一部を展示している。しかし全体の状況から見れば,これらはやはり例外なのである。
科学の進展を記録し,後世の歴史家による評価をおこなうためには,関連する資料の保存が重要であることは言うまでもない。だが,日本では文書館の制度が社会に十分根づいていないために,資料の保全は個人の努力と善意に委ねられている部分が大きい。そうした方々の活動は本当に頭の下がるものだが,持続可能ではありえないこともまた事実である。
私は,科学に関する資料も文書館などで適切に保存され,原則として誰でも利用可能な状況になっていることが社会にとって望ましいと思う。理想的には,すべての大学や研究所,さらには企業にアーカイブズが設置され,それができない場合のセーフティネットとして公の資料保存機関が機能しているという状態があるべき姿だろう。だが,そのような状態が近い将来に実現するとは考えられない。資料を保存するには,設備も人手も費用もかかる。「大事なものだから残せ」と言って残るのなら,何も苦労はない。
では,何もできないのだろうか。私自身はこれまで,東京大学宇宙線研究所や国立遺伝学研究所で資料の調査や整理をしたり,資料を持っている個人に対して保存のための助言をしたりしてきた。そうした現場での活動を通じて感じるのは,研究者資料をアーカイブすることの意義と方法について,広く発信していく必要性である。アーカイブするということは,単に古いものを取っておくということではない。いまに至るまでの道筋をたどれるようにするということだ。私たちの科学は,なぜ,どのような経緯で,現在のような形を取っているのか。それはすぐれて社会的かつ今日的な問題だと私は思う。そうした認識が広まるように,ささやかながら努力していきたいと思っている。