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『思想』6月号

 『思想』は1921年(大正10)年の創刊以来,哲学・歴史学・社会諸科学の最新の成果 を読者に広く提供し、揺るぎない評価を得て来ました。
 和辻哲郎・林達夫らによって、学問的であると同時にアクチュアルであることという本誌のバックボーンは形成されましたが、それは今日に至るまで脈々と生き続けています。
 分野を超えて問題を根源的に考え抜こうとする人々にとって、最良の知のフォーラムです。

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◇目次◇
思想の言葉………井波律子
「何が中国か?」の思想史――論じられた三つの時代………葛兆光
データ,情報,人間――情報哲学入門………北野圭介
喚起されるアニムス――〈鏡の隠喩〉の教育思想へ………田中智志
ホッブズの『教会史Historia Ecclesiastica』………梅田百合香
戦後民主主義と丸山眞男………清水靖久
フランスの個人は歴史の転機を迎えるか………リュシアン・ジョーム
放心の幾何学――20世紀フランス文学における眠りと夢………塚本昌則
 
◇思想の言葉◇
中国文学を翻訳するということ
井波律子

 思いがけず、次から次に『論語』(岩波書店)『世説新語せせつしんご』(平凡社東洋文庫)『三国志演義』(ちくま文庫)『水滸伝』(講談社学術文庫)の個人全訳をする機会に恵まれ、幸いすべて何とか仕上げることができた。
 このうち、全二〇篇、合計五百有余章から成る『論語』の大部分は、儒家の祖孔子(前五五一―前四七九)の対話の記録であり、対話の相手のほとんどは弟子たちである。『論語』は、こうした弟子たちが、記憶に刻みにつけ、何らかの形で記録した問答を、孔子の没後、直弟子や孫弟子が収集し、編纂して成ったと考えられる。なお、『論語』では一節(一区切り)を「章」と称するが、この「章」には短いものが多く、なかには「剛毅木訥ごうきぼくとつ、近仁仁に近し」(「子路」第十三)のように、原文でわずか六字のものさえある。
 また、全三六篇、合計一一三〇条から成る魏晋の貴族のエピソード集『世説新語』(以下『世説』と略す)は、五世紀の中頃、東晋につづく劉宋の時代に、武帝劉裕の従子おい、臨川王劉義慶りゅうぎけい(四〇三―四四四)によって編纂された。もっとも実際に執筆、編纂したのは、劉義慶の周囲にいた文人たちであり、エピソードの大部分は、先行する諸書から印象鮮やかな行為や発言の記述を抜粋し、適宜リライトしたものと思われる。
 『論語』と『世説』の成立には八百年以上の時間差があるが、いずれも表現対象のおりおりの対話や言動の断片的記述を収集、採録したところに共通性がある。もっとも、同じく断片の集積であるとはいえ、内容的に見れば、『論語』が孔子とその弟子を核として、儒家思想の原型を臨場感ゆたかにあらわすのに対し、『世説』は儒家思想の対極に位置し、無為自然を標榜する道家思想が一世を風靡した時代を背景に、ユニークな生き方を誇示する魏晋貴族の言動をあらわしているところに、大きな違いがある。
 中国表現史上、この稀有の輝きを放つ二つの大いなる断片集を翻訳するにあたって、もっとも留意したのは、断片的記述の背後に秘められた脈絡をたどることであった。
 そこでまず、『論語』については、孔子が対話の主たる相手の弟子たちに向かって画一的な論理をふりかざすことなく、才気煥発の高弟子貢しこうには快調のテンポで語り、快男児ながらやや無謀な高弟子路しろにはブレーキをかけるというふうに、常に弟子の個性、資質、志向等々を熟知したうえで、柔軟に対応していることから、それぞれの弟子たちのパーソナリティーを考え合わせながら、やりとりを読みとり、訳するよう心がけた。こうして読んでいると、断片が膨らんで対話の場面や雰囲気が彷彿とし、弾んだ楽しい気分になった。
 一方、『世説』については、舞台が貴族社会であり、ちょっとした会話においても、相手の家系や故事来歴から性格に至るまでつぶさに知り尽くしたうえで、機智を駆使してからかったり痛烈に批判したりするのが常だ。そこで主要な登場人物の家系図を作り、その姻戚関係等々を探ってみたところ、短いエピソードの背後から当時の貴族社会のランクや錯綜した人間関係が浮かびあがって来て、腑に落ちる場合も多く面白さが格段に増した。

 『論語』『世説新語』が断片の集積であるのと異なり、『三国志演義』(全一二〇回。以下『演義』と略す)と『水滸伝』(全一〇〇回)は首尾一貫した構造をもつ大長篇小説であり、翻訳するさいの向き合い方にも自ずと違いがある。両作品とも宋から元にかけ盛り場で演じられた民間の語り物を母胎とし、白話(口語)による長篇小説として成立したのもほぼ同時期、一四世紀後半の元末明初だとされる。このうち、『演義』は、西晋の陳寿(二三三―二九七)が著した正史『三国志』の記述、すなわち二世紀末の後漢末の乱世から、魏、蜀、呉の三国分立を経て、三世紀末、三国がすべて滅び、西晋の天下統一に至るまでの約百年の史実を大枠で踏まえつつ、民間の語り物としての三国志物語の興趣あふれる要素を巧みに盛り込み、大歴史小説として集大成したものである。これに対して、北宋末の混乱期を舞台に、「替天行道たいてんこうどう(天に替わって道を行う)」をモットーとする百八人の無頼の好漢(豪傑)の大活躍を描く『水滸伝』は、根っから盛り場育ちの虚構の物語にほかならない。
 こうした成立事情の差異もあって、『演義』を翻訳したさいには、それがいかなる物語文法によって史実の忠実な再現から離陸し、大歴史小説として結実したか、その変化の軌跡に目を配りながら、叙述をたどった。『演義』は語り物の流れを受け継いで、漢王朝の後裔たる劉備の高貴な善人性を前面に打ち出し、彼と対立する曹操の狡猾な悪人性を強調することに力点を置く。これを基本的な軸として、多種多様な登場人物を関係づけ動かしながら、躍動的な物語世界を形づくってゆくのである。物語世界のなかで、こうして巧みに区分けされた登場人物の関係性に目をそそぐことによって、膨大な登場人物から成る『演義』世界の展開を、いきいきした臨場感をもって受けとめ、翻訳することができたように思う。
 史実を下敷きとしない『水滸伝』の場合、物語展開は一見、自在に見えるが、その実、語り口つまり物語文法は緻密に考え抜かれている。その語り口の特徴は一〇八人の好漢を次々に関係づけ、数珠つなぎ方式で登場させながら、全体を見渡して巧みに伏線を張り、周到に語り進めてゆくところにある。たとえば、好漢たちの反逆の拠点梁山泊りょうざんぱくは最初、しがない山賊の巣窟に過ぎなかったが、そこに好漢のうちでも名だたる猛者の林冲りんちゅうをまず単独で入らせ、次の展開への布石を打つなど、鮮やかというほかないのである。盛り場育ちの語り物をここまで首尾結合した長篇小説に仕立てあげた作者の手腕に感嘆しながら、の精神で結ばれた好漢たちの軌跡をたどり、翻訳できたのはまさに快感であった。
 こうして見ると、私にとって、断片の集積である『論語』と『世説』の翻訳には、断片的記述の背後に秘められた人間関係の脈絡を掘り起こすことによって、断片が膨らみを増し理解の幅が広がる面白さがあり、大長篇小説の『演義』と『水滸伝』の翻訳には、物語世界で綿密に設定された登場人物の関係性を追跡する面白さがあった。中国文学、ことに古典小説は人間の複雑な関係性を描くことが主眼となるケースが多いが、私の翻訳体験もその意味で、「中国文学を翻訳するということ」の一端を如実に示しているのかもしれない。

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