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研究者、生活を語る on the web

【番外編2】働き方は変わるのか──藤本哲史さんに聞く<研究者、生活を語る on the web>

番外編では、ケアや働き方を専門とされる方々に、ご自身の経験との関連も交えてお話をうかがいます。第2弾は、働き方やワーク・ライフ・バランスを研究してこられた藤本哲史さん(同志社大学教授)。おもに理系の女性研究者を対象とした調査を通して見えてきたことから、今後の展望まで語っていただきました。(聞き手=編集部)

 社会学の研究者で、これまで30年近く、男女の働き方とその家族生活への影響をテーマに研究してきました。3人の子どもたちはすでに成人しています。

「変わらなさ」への失望

──この連載の取材を通じて、研究者の方々のワーク・ライフ・バランスは古くて新しい問題なのだなという印象を持ちました。おもに理系の女性研究者のワーク・ライフ・バランスを調査する中で、どのような変化を感じてこられましたか。

 

 私が日本の大学で教鞭をとるためにアメリカの大学から戻ったのが、1995年です。それから20年ほど、企業で働く人々のワーク・ライフ・バランスを研究してきたのですが、少し退屈になってきたところもあって、「女性研究者のワーク・ライフ・バランス」に関心を向けました。2013年あたりから、科研費を2クールもらって、10年ほど、アンケートやインタビューを通してその実態を研究してきました。女性研究者が、研究しながら家族生活を維持することが難しいという話は前から聞いていましたし、これまで民間企業の従業員を対象にやってきた研究の知見が、そこにも応用できるんじゃないか、と思って始めた面はあります。
 ただ、結論からいいますと、理系研究者のワーク・ライフ・バランスの実現は、かなりハードルが高いなと。なぜか。
 民間企業の研究からよくわかったことは、ワーク・ライフ・バランスは働き方を変えられるかどうかがキーになるということです。休業制度なり短時間勤務制度なり、柔軟な働き方を可能にするような仕組みづくりが重要で、実際、民間企業ではそういう取り組みが進んできています。
 ところが、自分が研究対象にしてきた理系の研究分野は──こういうことを言うと理系の先生方に怒られるかもしれませんが──本当にリジッド(rigid)で、働き方がなかなか変わらないのです。
 研究者間の競争は、文系よりも理系の方がずっと厳しい。勝つか負けるかの世界です。そうなると、どうしても仕事優先・研究優先になって、ちょっとでも家族や私的生活を重視したいというそぶりを見せると、「お前ほんとにやる気あるのか」みたいなことを言われてしまったりする。よく言われるように、理系は男性文化がかなり根強い領域ですから、子どもや家族の都合に関して、なかなか理解が浸透していかない。
 理工系の学会の団体組織である男女共同参画学協会連絡会が大規模アンケート調査を始めてからもう20年近くなるのに、いつまで経ってもやっぱり、「女性研究者が少ない理由は何か」という質問に対して、「家庭と仕事の両立が困難」という回答が、男性・女性のいずれでも断トツ1位*1なんですよね。
 そういう調査結果を見ても、やっぱり変わってないんだなあって思うんです。変えなくちゃいけないっていう人の意見が多いのに、この10年、20年、ほとんど変わっていない。だから、ある意味がっかりしたところもあります。これまで機会あるごとに、ワーク・ライフ・バランスの大切さを発信してきたつもりですが、あまり真剣に受け止めてもらえていないかもしれません。

成功のための黄金律

 文系の場合、働き方はかなり、研究者個人の判断に委ねられる部分が大きい気がします。例えば、大学の専任職に就いたら、研究のウェイトを下げて教育により力を入れるとしても、それも一つのキャリアのあり方として、認められるように思います。逆もまたありです。どちらかでなくてはいけない、という絶対的なプレッシャーはない気がします。
 でも理系の場合は、「研究至上主義」というか、「研究こそ第一でなくちゃいけない」という規範が、文系よりもはるかに強いような気がするのです。「成功するためにはこうでなくては」という黄金律みたいなものが、理系の世界にはあるようで、そこから外れると「負け犬」と思われてしまう。そう思われないように規範にしがみついているというのが、男性であれ女性であれ、理系でアカデミックを目指す人に共通する姿勢のように思えます。
 普通に研究者として生きていきたいっていう人も中にはいるはずなんですよね。トップジャーナルに論文を載せなくたって、自分の好きな研究をやって、大学で教えていければいいんだという人もいる。そういう生き方を認めるというか、可能にするような働き方を、見つけなくちゃいけないのではないでしょうか。

変化は起こるのか

──一方で、たとえば若い世代の男性研究者で、家事育児をシェアしたり、定時で帰ったり、といったことに抵抗のない方は結構いらっしゃるのだなと、連載を通じて驚いた面もありました。男性側の意識の変化についてはいかがでしょうか。

 

 男性研究者にはほとんどインタビューをしてこなかったので、よくわかりませんが、研究の世界だけではなくて、民間企業の男性にしても、世の中の大きなトレンドとしてはそうなってきていますよね。そういう人たちを中心に、働き方をどう変えていけるかが、中期的には課題になると思います。
 とはいえ短期的には、民間でもそうですが、意識と行動を変えるべきは、まずは管理職レベルの年齢層だと思います。若い人はもう、放っておいても意識が変わっていきますから。
 でも、管理職の考え方はなかなか変わらない。すでに自分の「成功ストーリー」を持ってしまっている人にとって、それを否定されたり、それとは違う価値観を受け入れなくちゃいけないっていうのはなかなか難しいのでしょう。大学の研究チームを取り仕切る立場にある先生たちが、意識改革をできればいいのですが……。そのあたりが、私が壁を感じたところでもあります。
 そして、構造的な制約も大きい。ポジション(就職先)がたくさんあって、業績を伸ばせば良いポジションが手に入るようなマーケットであれば、「今は少しスローダウンしても、そのあともう一度がんばって良いポジションを狙おう」となるかもしれませんが、今は100%頑張ったとしても、良いポジションが手に入りにくいマーケットの構造になっているわけです。
 そんな中で、家庭のことも大切にしたい人と、365日研究室に通って仕事100%の人がいるとなると、仕事100%の人に絶対取られちゃいますよね。仕事を回す方も、やっぱりそっちを優先してしまうかもしれません。

作戦変更

 そこで、実はこの5年ほどで、作戦を変えました。「いかに研究者としてワーク・ライフ・バランスを実現するか」というのが、最初の5年間の自分の取り組み課題だったのですが、そのハードルの高さがわかってきたので、その後の5年間では「理系の能力を活用すべきはアカデミアだけか?」という問いに変えたんです。岩波さんでしたよね? 『アカデミアを離れてみたら*2っていう本がありましたが、あれが、まさにこの5年間の私のテーマだったのです。
 働き方を変えることがそんなに難しいなら、もっとキャリアを柔軟に考えたほうがいいんじゃないか、と思ったわけです。理系領域で博士号を取ったからといって、アカデミアに固執する必要はなくて、自分の能力が生かされる世界はまだあるんじゃないの?と。ポスドクの人たちにインタビューする中でそうした話になると、「そんな話、大学院のころに聞かせてもらっていたら、今の自分はかなり違っていた」というふうに言う人が何人もいました。やっぱり研究がベストであって、研究キャリアでなくちゃいけないというスタンスで、指導をされてきたようです。
 もちろん、大学院での学位研究にはかなりの時間と努力が求められますから、それをアカデミアに就職して回収しようというのはわかります。3年、5年と時間を費やすほどに投資も大きくなって、簡単には「じゃあ民間で」と気持ちが切り替えられないのもよくわかる。ただ、学生さんのその先の長い人生のことを考えると、修士・博士・ポスドクのうちに、キャリアをじっくり考えてもらう必要があるのではと思います。それでもアカデミックに進みたいというのであれば、それはその人の判断ですから、否定する必要はありませんが。
 で、理系の学会とかに呼ばれて、こういうことを何回かお話ししたのですが、やっぱりなんかウケが悪いっていうか……(苦笑)。「文系のくせに何言ってやがる」みたいなところもあるのかもしれません。

ワークとファミリーを追って

──これまで、一貫してワーク・ライフ・バランスに着目してこられたのですか。

 概ねそうですが、そうと言い切れない部分もあります。
 アメリカで博士の学位研究をしていた時には、いわゆる民間企業の従業員の、働き方と家庭生活の関係を追いかけていたのですが、当時、論文などでは「ワーク・ファミリー・バランス」という言葉が比較的よく使われていて、自分もそれを使っていました。でも、日本に帰ってきたら、この言葉が、日本にはまだなかった。
 ただ、当時の厚生省(現・厚生労働省)はそういった問題に関心を持ち始めていて──ちょうど、育児休業制度が導入されたころでしたから──、私も厚生省のプロジェクトに入れていただいて、「ファミリー・フレンドリー」や「ワーク・ファミリー・バランス」といった言葉を使い始めました。
 しかし、それから5年もしないうちに、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が “行政用語” 化されて、あっという間に広まり、ワーク・ファミリー・バランスのほうは、日本ではほぼ死語になってしまいました。「ファミリー」というと、結婚している人や家族のいる人以外を排除するようにも聞こえてしまいますが、たとえ単身の人であっても、「ワーク」と「ライフ」の調整は大事だという観点から、「ワーク・ライフ・バランス」のほうが、使い勝手がよい言葉だったのでしょう。
 でも、私自身としては、やっぱり「ワーク・ファミリー」だ、と思っていました。というのも、「ワーク・ライフ(・バランス)」というときには、働く本人のライフに焦点が当たりやすいように思うんです。たとえば、長時間労働をしていると「その人」の余暇時間が減ってしまうとか、「その人」のストレスがたまるとか。要するに、「その人の働き方」と「その人」の問題、という観点なのですが、「ワーク・ファミリー(・バランス)」という表現には、たとえばその人の働き方が、重要な他者──子どもだとか配偶者だとか──の生活にどのようにシワ寄せをするか、といったニュアンスが含まれる。自分がずっと問題意識として持ってきたのは、そのあたりなのです。
 その延長で、私がこれから舵を取っていきたいと思っている研究は、民間企業の従業員も研究者も含め、父親の働き方と家族との生活に焦点をあてるものです。ワーク・ライフ・バランスというと、これまでは母親の側に焦点が当たりがちでしたが、今後はむしろ、父親がどのように働くと、子どもや配偶者などに正負の影響を与えるのか、時間をかけて見ていきたいと思っています。父親にとってのワーク・ライフ・バランスと、その家族における重要な他者へのクロスオーバーです。

──親としてのご経験も、問題意識に影響しているのですか。

 

 それはあると思います。子どもたちは3人とも、もう大人になってしまいましたが。
 子どもたちがまだ小さいころ、大学まで歩いて5分のところに住んでいたことがあって、可能な限り家で仕事をする時間を設けられたのですが、家にいて、何かあればすぐに話しかけてこられるような環境が意味あるものだということは、当時も肌で感じていました。そこは大学教員の仕事の恵まれているところで、仕事に集中する時間と、私的なことに割く時間とで、柔軟な調整が可能なんですよね。そして、そういうふうに子どもたちと関われたことが、長期的な親子の関係においても、よかったのではと思っています。とはいえ、民間企業の方からすると、「大学の先生はいいですよねぇ……」っていう話になるかもしれませんが(笑)。
 ちなみに、理系の女性研究者にインタビューしてきた中でつくづく感じたのも、父親の影響の大きさです。父親にサイエンスの面白さを教えてもらったという人に、何人もお会いしてきました。親が子どもにトランスミットする価値観は、やっぱり大きいなあと思ったものです。

 私が日本に帰ってきて、もう30年近く経ちます。

 帰国後の5年ほどの間に、「ジェンダー」という言葉はもうけっこう使われるようになっていました。私の研究は、ワーク・ライフ・バランス/ワーク・ファミリー・バランスと、ジェンダーがクロスするあたりなのですが、自分が研究者としてのキャリアを終えるころには、これらのテーマではもう、食っていけなくなっているかもしれないな、くらいに思っていたのです。ワーク・ライフ・バランスにしても、ジェンダーに関しても。

 でも、なんてことはない、全然ですよね。まだまだ積み残しの問題が多いし、新しい問題も出てくる。幸か不幸か、食いっぱぐれることはなさそうです。

 

──ありがとうございました。

 

*1 たとえば第5回は「第五回 科学技術系専門職の男女共同参画実態調査解析報告書」男女共同参画学協会連絡会(2022)図1.107,

 

*2 岩波書店編集部編『アカデミアを離れてみたら──博士、道なき道をゆく』岩波書店、2021年。

 

藤本哲史 ふじもと・てつし
1964年生まれ。米国University of Notre Dame大学院社会学研究科博士課程修了。Ph.D. in Sociology. 南山大学外国語学部助教授・教授を経て、現在、同志社大学政策学部教授。専門は社会学。近年は理系女性研究者・技術者のワーク・ライフ・バランスとキャリア形成を研究。


 

※「研究者、生活を語る」は雑誌『科学』でも同時進行で連載してきましたが、今回をもって最終回となります。後日、単行本化予定です。お楽しみに!

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