【岩波新書〈新赤版二〇〇〇点突破記念〉 この10冊】小野寺拓也 概説書を書くということ[『図書』2024年1月号より]
概説書を書くということ
──大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』
「新書というものは、一〇〇を知っている人が一か二だけ書くから意味があるのだよ」という話を、大学院生のころに先生から聞いた。私にとって、概説書を執筆するさいに今なお指針や戒めとなる言葉でもある。ただ今思えば、私が大学院で学び始めた一九九〇年代後半というのは、新書界の一つの転換点だったのかもしれない。学術的な新書といえば「岩波新書」「中公新書」「講談社現代新書」のほぼ三つという寡占状態が終わり、さまざまな新書が立て続けに創刊された。読者の選択肢は拡がったが、調べたものをそのまま文字にするような新書が目立つようになった。「巨人の肩」にしっかり乗っているという安定感を味わえる新書がめっきり減り、そのたびにさきほどの警句が思い返されて虚しい気持ちになった。新書という社会の知的基盤が地盤沈下を起こしていることは間違いなかった。
その意味で、本書が二〇万部近いベストセラーとなったことは、私にとっては途方もない「快挙」である。独ソ戦は、ナチズムを理解する上でホロコーストと同じくらい重要な出来事であるにもかかわらず、日本語ではこれといった文献(とくに概説書)がなく、『ジェネレーション・ウォー』などいくつかの例外をのぞいて、映画でも題材となることが少ない。その一方で研究史の蓄積は膨大だ。ナチ体制についての深い理解はもちろんのこと、独ソ戦と密接な関係があるホロコーストについての知識も欠かせない。ドイツ側だけでなくソ連側の状況についても十分に知っておかなければならない。まさに、「一〇〇」を知らなくては書けないテーマであり、専門研究者でもそう簡単に手を出せる領域ではない。そうしたなかで、このテーマについて知悉する専門家が岩波新書という信頼に足るレーベルで新書を刊行するというというだけで、学術的にはすでに「快挙」と言うべきだろう。
ナチ体制やホロコーストを日本社会に伝える際に最も苦労するのが、反ユダヤ主義や人種主義、反共産主義などイデオロギー、「世界観」をめぐる問題である。大学で講義をやっていても、あまりに「縁遠いもの」と感じられるのか、とにかくピンと来ないという反応をされることが実に多い。「出世のため」、「物質的利益を得るため」にイデオロギーを利用した、といった「機能的」説明は私たちの耳にもすっと入ってくるのだが、これらのイデオロギーが果たした役割はそうした機能的なものだけではない。少なくともナチ体制上層部の多くがこれらを本気で信じていたという現実こそ、ナチ体制やホロコースト、そして「世界観戦争」「絶滅戦争」としての独ソ戦を理解する上で避けて通れないものなのだ。
もう一つ、独ソ戦を理解するうえで日本の読者にとって妨げとなるのが、本書の冒頭で述べられている戦争のスケールの「途方もなさ」、そして甚大な死者数である。とくにソ連側死者数二七〇〇万人という数字は、あらゆる想像を拒む。もちろん、受け手がピンとこようが来まいが事実は事実なのであって、筆者は一切手加減してはいけないのだけれども、本書がこれほど多くの読者に恵まれたということは、そうした「縁遠いもの」、「途方もないもの」を読者に伝えることに一定程度成功したという何よりの証左なのではないだろうか。その意味でもやはり本書は「快挙」と言うしかない。
本書では、ドイツ軍は独ソ戦の緒戦で著しい消耗を強いられており、すでに敗北を運命づけられていたこと、一九四三年のクルスクの戦いがヒトラー主導で決定されたという従来の理解は誤りであることなどが、最新の研究成果をもとに指摘されている。また、「作戦術」という概念や、「通常戦争」「収奪戦争」「世界観戦争」の複合戦争としての理解など、独ソ戦を従来とは異なる視点から解釈するための枠組みも提供されている。
だが本書が多くの読者を獲得したのは、学術的な「バージョンアップ」だけが理由ではないだろう。一つは、著者の圧倒的な筆力だ。専門書から概説書に接近すればするほど、「読ませる」力が不可欠になる。そのために何が必要なのか、私も試行錯誤のまっただ中にいるのだけれども、硬軟の柔軟な切り替え、言葉のチョイス、文章のリズム感など、豊富な経験値を蓄えた人間にしかなしえない「匠の技」であることは間違いない。
そしてもう一つは、ときに価値判断を躊躇わないという点かもしれない。歴史書はあらゆる価値判断を避け、冷静客観に「神の視点」から書くべきだという意見、というか誤解は、社会で今なお根強い。だがそれは違う。過去と現在は密接に繋がっており、その中で私たちは日々判断を下しながら生きている。重要なのは、なぜそのような判断を下さざるを得ないのかの「根拠」を明確に示しながら、判断を隠さず開示することだろう。それは読者の安心感にもつながる。その意味で本書は、私にとって概説書の「師」でもある。
(おのでら たくや・ドイツ近現代史)