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思想の言葉:山崎ナオコーラ【『思想』2024年3月号 特集|源氏物語──フェミニズム・翻訳・受容】

◇目次◇

【特集】源氏物語──フェミニズム・翻訳・受容

思想の言葉 山崎ナオコーラ

『源氏物語』とジェンダー論
──#MeToo時代に光源氏をどう読むか
木村朗子

〈インタビュー〉フランスで『源氏物語』を読むこと、訳すこと
アンヌ・バヤール=坂井/木村朗子(聞き手)

世界文学における『源氏物語』、そして阿仏尼
クリスティーナ・ラフィン

歴史を物語として
──『源氏物語』と『栄花物語』
ワタナベ・タケシ

〈聖女〉を生きる斎宮
──母と娘〉の連帯から
本橋裕美

A.ウェイリー訳『源氏物語』からヴァージニア・ウルフへ
──モダニズム文学に於けるフェミニズムの源泉と〈らせん訳〉
森山 恵

男子校で『源氏物語』を読む
──古典を読む〈眼〉を鍛える方法
伊藤禎子

運命の悲劇と美による癒し
──ボストン大学で『源氏物語』を読む
キース・ヴィンセント

 

〈連続討議〉戦争責任・戦後責任論の課題と可能性(上)
宇田川幸大・内海愛子・金ヨンロン・芝 健介

 
◇思想の言葉◇

読書は誰のためにする?

山崎ナオコーラ

 読書は誰のための行為だと思いますか?

 読者のための行為です。自分のために読むのです。

 いつ読書をするのだと思いますか?

 現在です。本を読むことは、今、行われています。

 どこで読書をするのだと思いますか?

 ページを開いている、この場所です。

 「自分が、今、ここで読む、ということを、もっと大事にしても良いのではないでしょうか?」と私は提案したいのです。

 なぜそんな当たり前のことを「提案」なんて大仰に言うのか、と疑問を覚える方もいらっしゃるかもしれません。でも、あなたは本当に、今、ここで、自分のために読んでいますか?

 たとえば『源氏物語』は、作者の紫式部が何を考えていたのかに思いを馳せ、平安時代にいる気分で、平安京で巻物を広げているかのように読むべきだと思い込んではいませんか? まるで自分なんて存在しないかのように息を殺し、現代という時代感覚を意識から外し、場所という概念から解き放たれてテキスト内に潜ることが読書だと思っていませんか?

 テキストは、今、ここに、あなたの前にあります。テキストを目で追う(あるいは、見えない人はオーディオを耳で追うか点字を指で追う)ことをきっかけに、あなたが頭の中で考えを広げること、それがすなわち読書です。

 いや、読書は自由ですから、自分を忘れて読書をしたい人も、それはそれでいいです。

 もちろん、作者の意図や、執筆された時代や場所、といったことを考えることにも意味はあるのです。

 平安時代に使われていた言葉や文字を学び、当時の貴族が使っていた調度品を調べ、作者や登場人物が暮らした場所に行ってみたり地図で調べたりすることは大事です。それも立派な古典学習であり、研究であり、読書の一面です。

 正直、私自身、そういう「読み」も結構好きなので、これまでかなりやってきました。十代の頃、古語や古典文法の勉強は私に合っていたみたいで、古語の語彙を増やしたり、助動詞の活用を暗記したり、といったことを大学受験勉強で取り組んだら急激に偏差値が上がりました。私は他の科目は数学も化学も世界史も英語もからっきしで成績が底辺だったものですから、古文がなければ大学進学できなかった、って感じです。

 それで、古文のおかげで入れた大学では、平安文学を研究しました。ふにゃふにゃの線でできている「変体仮名」っていうのがあります。昔のひらがなは、「あ」と表すものでも何種類かあって、「安」を崩したり、「阿」を崩したり、あるいは「愛」「悪」「亜」を崩したり、いろいろな書き方があって、しかも流れるような筆の線で前の文字や後ろの文字とつなげて書いてあるものですから、コツを摑まないと読めないんです。その「変体仮名」で書かれた『源氏物語』の一部が印刷されている、やけに高価な教科書を買って、授業を受け、変体仮名がちょっと読めるようになりました。

 それから、御簾や几帳や脇息といった調度品がどんなものだったんだろう、と図鑑などから想像したり、文学館や博物館で見たりしました。食べていたお菓子も気になり「「亥の子餅」ってどんなのだろう?」とか、猫が御簾をめくるっていうシーンでは「平安時代ではどんな猫を飼っていたんだろう?」とか、当時の暮らしに思いを馳せました。大学の卒業論文は「源氏物語「浮舟論」」というタイトルで、作者やヒロインたちについて考えをめぐらせました。

 先月は、宇治に行ってきました。浮舟が身を投げた宇治川を見て、どんなふうに流され、どんなふうに助かったんだろうか、とイメージしました。「源氏物語ミュージアム」へ行って、紫式部がどんなふうな着物を着ていたんだろうか、「宇治十帖」を書くときは宇治に取材に訪れたのだろうか、移動するときは牛車だったんだろうか、と細々想像しました。最近は、小説や映画やアニメなどの舞台になっている場所でファンが旅行することを指して「聖地巡礼」という言葉を使うことがありますが、私も「聖地巡礼」が好きです。だから、『源氏物語』のことを考えたいとき、京都や宇治を歩いて紫式部やヒロインたちの人生を想像します。私は近代や現代の作品にも興味があり、作者のお墓がある場合は、お墓参りをすることもあります。たとえば谷崎潤一郎も好きなものですから、『細雪』に書いてあるお花見の順序通りに京都内を巡る旅行をしたり、谷崎の墓参りをしたり、神戸の芦屋に倚松庵を観に行ったりもしました。他の作家や作品のことでも、場所を追いかけます。作者にとって、場所の力は大きく作用します。文学研究では「トポス」という言葉が使われます。どこで育った作家なのか、どの場所で執筆したか、といったことは作品作りに大きく関与します。だから、作品理解に「トポス」という切り口で臨むことは意味があると考えています。

 作者や登場人物や舞台について想像することも、立派な読書なのです。

 それでも、思うのです。やっぱり、一番大事なのは、自分です。「読者としての自分は何者なのか」が読解の要だと思うのです。

 読書は、個人に属する行為です。

 自分のままで読書に臨んでもいいのです。自分らしい読み方を探ってもいいのです。

 作者のことを知る努力と同じくらい、自分を知る努力してもいいと思います。今がどんな時代か、この国がどんな国か……、そういった自分の足元についてまず考えると、古典を読む意義が強く出てきます。

 読んでいる主体がどういう存在か、どの時代で生きているのか、どこで読んでいるのか、……それが読書の意味なのです。

 「自分なしに読む」ということはあり得ません。

 『源氏物語』の有名な読者として、『更級日記』を書いた菅原孝標女がいます。「后の位も何にかはせむ」と言って、夢中で『源氏物語』を読んだ、あの有名な文学少女です。平安時代に生きた読者なので、紫式部の言語感覚や調度品の触り心地、平安京の匂いなど、現代を生きる私たちよりもずっと作品理解に長けていたに違いありません。私がそこで勝負をしようとしたら、決して菅原孝標女にかないません。私が、千年前の紫式部の気持ちを想像し、辞書を懸命にひいて言葉を知ろうとし、旅行で現代の京都を訪れても、菅原孝標女みたいな感覚は持ち得ないのです。

 読書は自由ですから、「菅原孝標女みたいに読みたい」とひたすら努力するのも良いです。

 でも、「現代だからこそ、こんなふうに読解できる」ということにトライするのも面白そうではないですか? 菅原孝標女には決してできなかった読解を、現代を生きる読者である私たちにはできるのです。私たちは「今だからこそ」という読みを見つけられます。

 

 もちろん、作者や作品へのリスペクトは持たなければなりません。踏み込んではいけないラインはあります。

 私には、『源氏物語』の現代語訳の野望があります。『源氏物語』の現代語訳は、常に新しいものが求められていますから、そういう仕事もあるような気がしています。

 それから、私には、浮舟というヒロインのことを書きたい、という夢もあります。『源氏物語』の最後に登場して、「恋愛をしない」という選択をし、身投げをしたにもかかわらず助かり、その後は出家をして生きる、というところが好きで、恋愛をしない若い日々を『浮舟のその後』という現代小説にしたいと思っています。

 現代語訳や小説化の際は、紫式部と自分の間にラインを引いて、紫式部を尊重しながら、自分の仕事をする、ということをします。

 

 『源氏物語』にまつわる仕事というのは、紫式部に同化することではなく、自分というものを弁えて『源氏物語』に臨むという仕事になると思います。

 それは、読書は自分ありき、ということとつながっています。

 私は、現代のジェンダー規範や、現代の人権感覚などに照らし合わせて、『源氏物語』を読む、ということを最近やるようになりました。そういうエッセイの本も出しました。そうしたら、「でも、『源氏物語』は平安時代の文学なんだから、現代におけるジェンダー規範から見てどうの、人権に反するだの、犯罪かどうかだの、そんなことを考えるのはナンセンスではないですか?」という指摘をする方がいらっしゃいました。平安時代にどっぷりと浸かって、現代人であることを忘れて読む、という行為をするのも自由なので、そのような読みをしても構いません。

 ただ、『源氏物語』が大好きな私は、現代の多くの人から『源氏物語』を読みにくいと感じているという声を聞いて残念に思ってきました。その声とは、「あれって、不倫の話でしょ? 私は不倫の話は読みたくない」「ロリコンとか誘拐とか犯罪っぽい物語には手がのびない」といったものです。ジェンダー規範や人権感覚といった、『源氏物語』を読まない選択につながる壁をどう乗り越えるかは、考えたほうがいいと思ったのです。批判やキャンセルをするためではなく、現代における読書としてどう楽しむかを考えるために、現代と照らし合わせることも必要だと思いました。

 よかったら、皆さんも、「現代だからこそ、こう読める」という読解を探してみませんか?

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