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『MARCH』著者インタビュー① J.ルイス&A.アイディン 

2018年4月12日 

ワシントンD.C. キャノン下院議員会館ジョン・ルイス議員のオフィスにて

インタビュアー:押野素子(訳者)

写真:柳川詩乃

 

 岩波書店初のグラフィック・ノベル(単体で書籍として出版されるアメリカの長編コミックのこと)として刊行された『MARCH』3部作は、1950年代から60年代の公民権運動の歴史を、当時の運動の指導者の一人、ジョン・ルイスの視点から振り返った作品です。
 日本版『MARCH』の刊行に際して、いまも現役の政治家として活躍されているジョン・ルイス議員と、もう一人の原作者、アンドリュー・アイディンさんにインタビューを行なうことができました。『MARCH』の成り立ちや、当時の運動の思い出、キング牧師への思い、そして日本の人々へのメッセージなど、たっぷり語ってくださった貴重なインタビューです。ぜひご一読ください。
 
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『MARCH 1 非暴力の闘い』日本語版を持つ
ジョン・ルイス議員(左)
共著者のアンドリュー・アイディン(右)。
©Shino Yanagawa
 

――まず、このグラフィック・ノベルのアイディアを思いついたのは誰ですか?

ジョン・ルイス(以下ジョン):(アンドリューを指して)この若者だよ。

アンドリュー・アイディン(以下アンドリュー):2008年の夏、僕はルイス議員の再選キャンペーンで報道官をやっていた。選挙が終わったら何をやるかってみんなで話していた時、他の人たちはビーチに行くとか、親に会いに行くとか言ってたんだけど、僕はコミコン(米国サンディエゴで毎年開かれる漫画や映画の祭典)に行くって言ったから、みんなに笑われた(笑)。すごい真面目で政治的な場だったからね。

 でもルイス議員は、「笑っちゃダメだ。公民権運動の時もコミックがあって、すごい影響力があったんだぞ」って言ってくれたんだ。この時に初めて『キング牧師とモンゴメリー物語』Martin Luther King and the Montgomery Storyという16頁のコミック・ブックを知り、その日の夜、家に帰ってからインターネットで検索して、コミックを読んでみた。その年の夏の間、ルイス議員はSNCC(スニック:学生非暴力調整委員会。ルイス議員が委員長をつとめていた公民権運動の組織)にまつわる素晴らしい話をずっとしてくれていた。

 僕はルイス議員の選挙区で育って、ルイス議員は僕が3歳の頃からその選挙区の議員だったんだけど、それでも聞いたことのない話ばかりだったし、誰もSNCCについては話していなかった。そしてこの時、「キング牧師のコミックがあるなら、ジョン・ルイスのコミックがあってもいいじゃないか。僕が聞いた話を盛り込んだジョン・ルイスのコミックを作るべきだ」って思ったのさ。

 その後、公民権運動をどうやって若者に教えるかってことを数週間にわたって話し合っていた時、僕は「コミック・ブックをやるべきです」って言い続けたんだ。するとそのうち、ルイス議員も根負けして「分かった、やろうじゃないか。ただし、君と一緒にやるのが条件だぞ」って言ってくれたんだ。

(左)『MARCH 1 非暴力の闘い』の採用されなかった表紙
(右)キング牧師と若き日のジョン・ルイス
©Shino Yanagawa
 

――現在のあなた(アンドリュー)とルイス議員の関係は? あなたのお仕事は?

アンドリュー:現在の肩書は、デジタル・ディレクター/政策アドバイザーだ。ルイス議員のソーシャル・メディア・アカウントを運営するほか、ネット中立性といったテクノロジー/通信関連の問題に関わっている。つまり、ヘッド・ナード(オタクのリーダー)って感じだね(笑)。

――ルイス議員のグラフィック・ノベルを作る上で、一番大変だった点は何ですか?

アンドリュー:夜間や週末を使ってルイス議員にインタヴューして、思い出話を聞き、それをもとにリサーチに入り、たくさんの文献を読んだところまではいいけれど、『MARCH』は(グラフィック・ノベルだから)普通とはストーリーテリングの手法が違う。絵と台詞が必要だからね。単に話を要約するのとはわけが違って、話を見せなきゃいけない。だから一次調査をして、一次文献を読み込む必要があった。SNCCのアーカイヴを調べて、議事録や事後レポートといった文献を見つけたんだ。

――調査はあなた(アンドリュー) 1人で行ったんですか? それとも他にもスタッフがいた?

アンドリュー:僕とネイト・パウエル(『MARCH』の作画担当)、そして編集者でやったよ。ルイス議員は、欠けている情報を補足してくれて、このプロジェクトを正しい方向へ導いてくれた。それから、これまで見たことのない写真もたくさん見つけることができて、あれは楽しかったな。こうした写真のおかげで、ネイトは美しい絵を作ることができたんだ。最初にアイディアが出たのが2008年で、第1巻が出たのが2013年だから、5年かかったよ。

ジョン:出版社を見つけて、企画を売り込んで、人々を説得しなければならなかったし……。

――ジョン・ルイス議員はキング牧師のコミック・ブックに影響を受けたわけですが、グラフィック・ノベルやコミック・ブックのファンだったのですか?

ジョン:コミック・ブックは読んでいなかったけれど、新聞に載っていた漫画はときどき読んでいた。『キング牧師とモンゴメリー物語』のコミック・ブックを初めて読んだ時は、すごく感動した。

  キング牧師のことは聞いていたし、私はモンゴメリーからそう遠くない場所で育ったから、ローザ・パークスやキング牧師のドラマを追っていたんだ。10セントで売られていた全16ページのコミック・ブックで、私の進む道が決まった。「モンゴメリーの人たちができるなら、僕たちにだって何かできるはずだ」って、私は自分に言い聞かせ続けていた。

 こうして、学生だった私は座り込み運動や、フリーダム・ライド(長距離バスで差別の激しい南部に向かい、バス内やバスターミナルの施設での人種差別にあらがった抵抗運動、『MARCH 2 ワシントン大行進』で描かれる)にも参加するようになったんだ。

――『MARCH』の刊行以来、子どもたちからたくさんのEメールや手紙を受け取ったと思いますが、印象に残っている子どもたちの言葉はありますか?

ジョン:「あなたの本、大好き」「すごく良かった」「勇気が出た」「励まされた」なんてことをたくさんの子どもたちから言われたよ。親御さんや先生方も、子どもたちの多くが私のグラフィック・ノベルをきっかけに本を読みはじめるようになった、と言ってくれた。

アンドリュー:すごく嬉しかったのが、見本を受け取った記者が電話をくれて、「すごく良い本だったから、普段はこんなことしないのだが、9歳の息子にあげてみた。息子は読んだ後、日曜の教会用に着るスーツを着て、家の中で平等を求めるマーチ(デモ行進)をしているよ」と言ってくれたことだ(笑)。

――あなたはアラバマ州で生まれ、公民権運動などない環境で育ちましたが、アメリカの社会変革を先導する人物となりました。子どもの頃から、自分には使命があると分かっていましたか?

ジョン:何かをやらなければならないという使命は感じていた。自分が目にしていた状況を良いと思えず、両親や祖父母に「どうしてこうなの? どうしてああなの?」って、質問ばかりしていたら、「そういうものなんだから仕方ないだろう! お前は知りたがりすぎる! 詮索しすぎだ!」って言われたよ。

 でも、キング牧師やローザ・パークスのことを知ったことで私も影響を受け、何かできるよう道を見つけようって思うようになったんだ。大人たちには「問題を起こすな」と言われたけれど、キング牧師やローザ・パークスは、所謂「良い騒ぎ、必要な騒ぎを起こせ」と訴えていたから、私はあれ以来、ずっと騒ぎを起こし続けているよ。

 そして、キング牧師のコミックで、平和の道、愛の道、非暴力の哲学を学ぶこともできた。私がどこかに行くと、サインをしてほしいと私のコミックを持ってくる人たちがいるんだ。カリフォルニアに行った時は、図書館で子ども向けのサイン会と質疑応答をやったんだけど、ある女の子が「議員、あなたはどうして……」(アンドリューを見ながら)何て言ってたっけ?

アンドリュー: あなたはどうしてそんなに素晴らしいんですか?(笑)

ジョン: そうだ、そう言ってたんだ(笑)。どうしてそんなに素晴らしいの?って。素晴らしいとは思わないけれど、とにかく人の助けになりたいと思っていたんだって答えたよ。

――子どもたちに何かアドバイスはありますか?

ジョン: 正しくないことや不正なことを目にした時には、何かをやらなければダメだって、若い人たちには言っている。

 ただし、何をやるにせよ、非暴力で平和的な方法で秩序を持ってやりなさい、とも伝えている。

 それから、私たちには皆それぞれ役割があって、誰でも何かができるはずなんだ。誰もが何かしら貢献できるんだよ。

――私たち日本人はどちらかといえば、かなり従順な気質で、南部出身のあなたの両親と同様(『MARCH 1 非暴力の闘い』)に、「人に迷惑をかけてはいけない」「政府に世話をかけてはいけない」という考えが染みついてしまっていて、おかしいことだと思っていても、デモに参加することをためらう人が多いです。デモをすると、多くの人に迷惑がかかる、と思ってしまう人が多くて……。

ジョン: アメリカでは、憲法と連邦政府によって、反対意見を述べる権利や、抗議する権利が守られている。

 「私たちには、正しいことのために抗議する権利がある」とキング牧師はいつも言っていた。南部では、多くの黒人がおびえていた。キング牧師が登場するまで、人々は恐れのあまり声を上げることもできず、苦しんでいた。

 「黒人用」「白人用」っていう表示で分けられていても、人々はそれに反対することもできなかった。反対すれば、逮捕されて刑務所に入れられると誰もが思っていたし、殴られたり、銃で撃たれたり、殺されることもあると考えていたからね。

――おびえたことはありますか? 恐怖を感じたことは? 

ジョン:非暴力のトレーニングを受けて、ガンジーの教えを学んだ後、恐怖という感覚を全て失ったんだ。逮捕されて、刑務所に入れられて、いつ外に出られるかも分からなかった。殴られて、血まみれで取り残されて、そのまま死ぬんじゃないかと思ったりもしたけれどね。

 セルマからモンゴメリーまでのデモ行進(『MARCH 1 非暴力の闘い』『MARCH 3 セルマ 勝利をわれらに』)では、死ぬかもしれないなと思っていた。それでも前に進まなければならなかった。諦めちゃいけないんだ。

――自分は特別だと思いますか? あなたがやったことは、普通の人にはできないと思いますが……。

ジョン:いいや、思わない。ただ私は幸運だったと思う。キング牧師の影響を受けることができたからね。

 大勢の若者たちが運動に参加し、デモ行進をして、アラバマ州バーミングハムのような街で逮捕された。警察は犬や消火用ホースを使って、あのホースは、木の皮を剥がしたり、人を吹き飛ばしたりするほどの水圧だった。(『MARCH 2 ワシントン大行進』)

©Shino Yanagawa

――キング牧師はどんな人だったのでしょうか? 私たちにとってキング牧師は「伝説」のような存在で、自分たちと同じ人間という感じがしないのです。日本人ももちろんキング牧師を知っていますが、彼の人となりについてはほとんど知らないと思います。

ジョン:キング牧師は素晴らしい人だった。みんなと一緒にいるのが好きな人だった。

 若い人たちには特に目をかけていたよ。若者たちが座り込みを始め、フリーダム・ライドに参加し、デモ行進をするようになると、キング牧師は心から喜んでいた。というのも、キング牧師が掲げていた愛、直接行動、非暴力のメッセージが若者たちに届いている証拠だったからね。彼は、若者こそが、公民権運動の未来だと思っていたんだ。

 南部では、多くの大人たちがおびえて暮らしていた。大人たちは、何かが起こって行方不明になった黒人を誰かしら知っていた。そして多くの人々が、南部から北部へと移住したんだ。

 ああ、それからキング牧師は音楽が大好きだった。彼のお母さんが教会でピアノを弾いていたこともあって、彼も良い音楽を愛していたよ。

――公民権運動の曲を集めてプレイリストを作るとしたら、どんな曲が入りますか? 当時歌っていた曲をいくつか教えてください。 

ジョン:私たちが歌っていたテーマ・ソングは「We Shall Overcome(勝利をわれらに)」で、誰もがあの曲を知っていた。でも、「Keep Your Eyes on the Prize」という曲もよく歌っていたね。あとは、古いスピリチュアル(黒人霊歌)もたくさん歌っていた。例えば「Amen, Amen」とか。そういった曲を即興で替え歌にしたりして……

――60年代の曲は?

ジョン:ああ、ブルースやロックンロールなんかも、歌詞を変えて歌っていたよ。セルマからモンゴメリーまでのデモ行進では、ある若者が歩きながら歌を作って、「さあ足早に進もう、セルマの街からはるばると」なんて歌いながら歩いていたんだ。

 音楽がなければ、公民権運動は翼のない鳥に等しかっただろう。音楽が連帯感をもたらし、皆を団結させてくれたんだ。刑務所に入っている時でも歌っていて、看守から「歌をやめなければ、マットレスを取り上げるぞ」なんて脅されたものさ。それでも歌い続けたこともあった。

 それから、「僕の犬は君の犬を愛してる、それなのにどうして一緒に暮らせない?」なんて曲を作っていた人もいたな。

――歌は上手いほうですか?

ジョン:ノー!ノー!(即答) 音程すらまともに取れないよ(笑)。

――歌詞を考えたりはしていました?

ジョン:「Amen, Amen」をちょっと替え歌にしたことはあったかな。キング牧師やローザ・パークスの名前を入れて、「キング牧師がアーメンと言ってる、ローザ・パークスがアーメンと言ってる」みたいな感じにして、皆もそれで歌い出していた。

――今年はキング牧師が暗殺されてから50年という年ですが、キング牧師が亡くなったというニュースを聞いた時のことをお話しくださいますか?

ジョン:キング牧師が撃たれたと聞いた時には愕然とした。その時はまだ、彼の容態が分かっていなくて、のちに亡くなったと聞いた時には、泣いてしまった。この時、私はインディアナ州インディアナポリスにいて、民主党の大統領候補に立候補していたロバート・ケネディのキャンペーンに随行していて、「まだボビー(ロバート・ケネディのこと)がいる」って自分に言い聞かせていたんだ。

 しかし2か月後、ロバート・ケネディも暗殺されてしまった。あの頃は、私にとって一番悲しい時期だった。わずか2か月の間に、キング牧師とロバート・ケネディを失い、私をふくむ多くの人々の心の中で、何かが死んだような気がする。

――日本人が公民権運動についてもっと学ぼうと思ったら、キング牧師、マルコムX、ジョン・ルイスの他に、誰を知っておくべきですか?

ジョン:ローザ・パークスは知っておくべきだ。それからフレッド・シャトルズワース牧師。彼はバーミングハムでリーダーを務めた勇敢な人物だ。そしてダイアン・ナッシュ。彼女はシカゴ出身だが、テネシー州ナッシュビルで活動し、座り込みやフリーダム・ライドで調整役を務めていた。アバーナシー牧師(ラルフ・アバーナシー)もいるな。

アンドリュー: ジム(ジェイムズ)・ローソン。

ジョン:そう、ジム・ローソン! 彼はわれわれの先生だったんだ。非暴力のワークショップを開いていた人物で、キング牧師はいつも、「ジム・ローソンは、誰よりも非暴力の哲学と規律を理解している」と言っていた。ジムは南部のあちこちを回って、平和や愛、非暴力の哲学を説いていた。

アンドリュー: ローソン牧師は、1957年から1958年頃、『キング牧師とモンゴメリー物語』を自分のワークショップで使っていたんだ。

―—個人的にはベイヤード・ラスティンという人が印象的でした。

ジョン:彼は1963年8月28日のワシントン大行進を調整して、まとめ上げた人物だ。でも、彼に目立ってほしくないと思う人たちが多かった……。彼は共産主義者だと非難されていた。当時、この非難はとても重いものだったんだ。それから、ゲイであることも非難されていた。南部の上院議員や州知事、その他の政治家やマスコミが、これを利用して、公民権運動を攻撃するんじゃないかと思う人が多かったんだ。だから、彼は正当に功績を評価されなかった。(壁にかかっている写真を指差しながら)彼の写真があそこにあるよ。ちょっと写真を見せようか?(ジョンとアンドリュー、立ち上がって写真の説明を始める。)

写真が飾られたオフィス
©Shino Yanagawa
 

アンドリュー: このボート用のオール、使ったらどうですか? 第1巻に出てくるし(笑)。1巻(『MARCH 1 非暴力の闘い』)の最初にオールが出てきたの、覚えてるかな? これがそのオールだよ(笑)

ジョン:(写真を指差しながら)これがベイヤード・ラスティン。これはジェイムズ・ボールドウィン。

――ジェイムズ・ボールドウィンの『私はあなたのニグロではない(I AM NOT YOUR NEGRO)』は今度、日本で公開されるんですよ(2018年5月12日公開)。

ジョン:本当に? 素晴らしいね! これはセルマからモンゴメリーのデモ行進で……。これは23歳の時の私だ。ワシントン大行進で演説をするところだよ。あの日、10人が演説したけれど、まだ生きているのは私だけだ。

――オバマ前大統領は、あなたのことをヒーローだと言っていましたよね? 

ジョン:就任式の日、サインしてほしいと頼んだら、「あなたのおかげだ、ジョン――バラク・オバマ」って書いてくれたんだ。すごく感動したよ。彼が当選した時、私は泣いてしまった。この日を生きて見られなかった人々を思って、泣いてしまったんだ。

――黒人大統領は誕生すると、昔から信じていましたか?

ジョン:それについては分からなかった。というのも、この本で描かれているように、投票権法が成立するまで、セルマを含むアラバマ州、ミシシッピ州、ジョージア州といった地域に住む大勢の人々が、有権者登録すらできなかったからね。登録の試験では、石鹸の泡の数や、瓶に入ったジェリービーンズの数を当てさせられたり……

――日本でも、今のままではダメだと社会を変えたいと思っている人々がいますが、彼らはトラブルメーカーだと思われてしまうことが多くて……。

ジョン:私たちもそう呼ばれていたんだよ(笑)。トラブルメーカーだってね。それから、牧師や弁護士、教師や医師など、南部の人々を助けようと駆けつけた人々は、外部の扇動者と呼ばれていた。

 そういえば、ミシシッピ・サマー・プロジェクトとセルマでの活動では、カナダから日本人男性が数人やってきて、夏の間中、南部に住んで公民権運動に参加してくれたんだ。

――日本で正しいことのために闘っている人たちに向けて、何かメッセージはありますか?

ジョン:頑張り続けてください。諦めてはいけません。絶望してもいけません。周りの人々に知識と勇気を与え続けてください。

 誰にでもできることはあります。何かしら貢献できるのです。

――ブラック・ライヴズ・マター(相次ぐ警察官による黒人男性の射殺事件をきっかけに生まれた、黒人への暴力や差別撤廃を訴える運動)やマーチ・フォー・アワ・ライヴズ(2018年2月に起きた銃乱射事件をきっかけにした銃規制を訴えるデモ)について、コメントをお願いします。ああいった運動は、あなた方の運動を引き継いでいるように思います。

ジョン:ブラック・ライヴズ・マターとマーチ・フォー・アワ・ライヴズは、公民権運動を引き継いでいると思う。とにかく、何をやるにせよ、規律を持って平和的に行ってほしい。みんなで頑張ろうじゃないか。

 ワシントン大行進のリーダーだったA.フィリップ・ランドルフは、「われわれの先祖はそれぞれ違った船に乗ってアメリカにやって来たかもしれないが、今はみんなで同じボートに乗っているんだから、助けあわなければならない」と言っていたものだ。

 それから、キング牧師は、「兄弟姉妹として共生できなければ、誰もが愚か者として滅びる」と言っていた。

――今後5年から10年の間に何をやりたいですか?

ジョン:アメリカ中を回りたい。それから世界も旅して、苦しんでいる人々を勇気づけられたらいいなと思っている。

――何をしている時が幸せですか?

ジョン:音楽が大好きだし、「踊ろうとすること」も好き。

――シャーリー・マクレーンとも踊ったんですよね? (『MARCH 3 セルマ 勝利をわれらに』に登場するエピソード)

ジョン:ああ(笑)。楽しかったなあ。それから、アンティーク・ショップに行くのも好きだし、美術品を集めるのも好きだ。

――どんな音楽を聴くのですか? ゴスペルですか?

ジョン:ゴスペルも聴くし、ロックンロールも多少は聴くよ。

 そういえば先週、キング牧師の暗殺から50年ということで、メンフィスに行ったんだが、そこで会ったのが……名前、何だったっけ……メンフィスに住んでる人で……「やあ、ジョン!」って名前で呼んでくれた……あ、アル・グリーンだ! 彼が私のところにきて、「やあ、ジョン!」って挨拶して、ハグしてくれたんだ。彼が私に気づいてくれるとは思ってもいなかった。

――偉大なリーダーに必要なこととは? 

ジョン:人々の希望と夢を支援する人物で、常に人々と共にあり続け、自分が導こうとする人々を決して忘れることがない人物。それから、偉大なリーダーは、その場かぎりで何かをやろうとはせず、じっくり長い目で考える。忍耐強く、粘り強く、筋の通った人物でなければならない。

――お互いについて、どんな人物かを説明しあってくれますか?

ジョン:彼は頭が良くて、才能があって、几帳面だ。ノーと言われてもひるまない。とにかく素晴らしい人物だよ。 

アンドリュー: 彼は思いやりがあって、勤勉で、粘り強い。戦うべき時を分かっている。それから、みんなは知らないかもしれないけれど、彼はすごく面白い人だ。想像もつかないかもしれないけどね。こんなにも敬愛されているけれど、一緒にいるとすごい楽しい人なんだ。

ジョン:どうもありがとう。

ルイス議員。インタビューを終えて。
©Shino Yanagawa
 

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