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安藤宏 近代の宿業を生きた作家──岩波文庫、太宰治小説集の刊行に寄せて[『図書』2024年7月号より]

近代の宿業を生きた作家

──岩波文庫、太宰治小説集の刊行に寄せて

 

 今後一年余のうちに、岩波文庫から太宰治の小説集があらたに六冊、送り出されることになった。大変意義のあることなのではないかと思う。以下、その編集を担当することになった立場から、若干、感想めいたものを記しておきたい。

 岩波文庫において、太宰の作品はこれまで六〇年以上の歳月のうちに七冊が刊行されているが、特に、短編を集めた小説集は師匠の井伏鱒二や弟子の小山清がそれぞれ編纂するといった具合に、必ずしも統一した方針に沿って出されていたわけではなかった。あらためて主要な作品を厳選して時代順に編集し、エッセンスをきちんとした形で後世に残そう、というのが、今回のねらいである。今の出版状況にあっては、すでに紙媒体で本格的な個人全集を編むのは困難であり、むしろ責任を持って代表作を選定し、ハンディな形で提供することが、次世代の読者を育んでいくためには重要なことなのではないかと思うのである。

 

 トップバッターは第一創作集の『晩年』(岩波文庫版、二〇二四年六月刊行)。考えてみれば、これまで『晩年』が岩波文庫に入っていなかったのが不思議である。「解説」にも書いたのだが、私自身は、この小説集は太宰治の中でもっとも完成度が高く、さらに言えば、日本の近代文学史の中でも極めて高度な達成だったのではないかと考えている。太宰は『晩年』以前に数多くの習作を残しているが、一部を除けば、その多くは読むに堪えぬ出来映えである。それから二年の空白期間を置き、彼は突然、『晩年』によって「太宰治」になってしまうのだ。太宰自身は、この一冊を書くために原稿用紙五万枚を破り捨てた、これからのちの人生は余生である、とまで述べているのだが(昭和一一年に書かれた太宰の一文、「「晩年」に就いて」による)、われわれは『晩年』を通して、その厳しい小説修行のよすがをうかがい知ることができる。たとえば今回の文庫の巻末に付した注を見ればお気づきになると思うが、この間、太宰は実に多くの古典的な名作を渉猟しているのである。この中から特に西洋の作家に限っても、ゲーテ、シラー、クライスラー、メリメ、ボードレール、ヴァレリー、ヴェルレーヌ、フローベール、ジイド、イプセン、ストリンドベリ、バイロン、プーシキン、ドストエフスキー、トルストイ…と、きわめて多彩な文学者が独自に血肉化され、作品の不可欠の要所を構成しているのだ。勤勉な読書家としての太宰、というのは、少々意外な、読者にとって目新しい側面と言えるだろう。ちなみに今回の企画では、各巻とも、しっかり注釈を加えていく方針である(専門家である斎藤理生氏のご協力を仰ぎ、安藤と二名で分担)。太宰は時代的にまだ身近なイメージがあるが、実は「昭和」もすでに注釈なしには読めない時代になりつつあり、一語一句にこだわってみることによって、太宰文学を生み出した時代背景と、それを支えた豊穣な「知」の世界に光を当てることができれば、と思う。

 

 太宰は「自己」を語ることに長けた小説家である。否、これはあまり正確な言い方ではないかもしれない。「自己」を語ることの難しさを語ることに長けた小説家である、とでも言ったらよいのだろうか。太宰の「自己語り」は、実に多くの言いよどみや自己否定、あるいはまた屈折した自意識に満ちている。多くの太宰ファンは自身の「負」の部分にこだわる、まさにその“つたなさ”に共感し、ひそかなコンプレックスを言い当てられたような感慨に襲われ、真の理解者は自分だけだとひそかに思い込んでしまうのだ。これを体現した「自意識過剰の饒舌体」はまさに初期の太宰の真骨頂でもあり、その生成のドラマを、われわれは『晩年』を通してありのままにうかがい知ることができる。と同時にまた、この自虐的な文体はみずからの小説をバラバラに解体してしまう両刃の剣でもあったので、以後、太宰は深刻なスランプに陥ってしまうのである。

 『晩年』に続く第二弾はそこから太宰がいかに小説を組み立て直していくか、という再生の物語であり、「富嶽百景」「女生徒」をはじめとする昭和一二年から一五年の作品八編を収めている(岩波文庫版は、二〇二四年九月刊行予定)。このうち「女生徒」と「皮膚と心」は若い女性の一人称告白体の小説で、太宰は独自の「女がたり」によって、男性小説家の「自意識過剰」を批判的に相対化することをめざしたのだった。だが文学テクストの最も興味深い点は、書かれた言葉が作者の意図を超えて独自の主張を展開していく点にある。登場人物の女性たちは、作中で思わぬ反逆を開始するのだ。「男語り」と「女語り」が生き生きと交錯する興味深い様相を、この一冊を通してくみ取っていただけたら、と思う。

 第三弾は「走れメロス」「東京八景」をはじめとする昭和一五年から一六年の七編。太宰の魅力は実に多彩な「語り=騙り」の話術にこそあり、ある時は自伝的に「太宰治」の物語を創り上げるかと思うと、またある時は古典を題材に翻案、パロディの才能を発揮したりもする。その際、個々の作が「私小説」であるか、フィクショナルな「物語」であるかは本質的な意味を成さない。核心は、物語内容が、それをどのような意図をもって送り出すのか、というメタ・メッセージと共に発信されていく、太宰的話法の秘密にこそあるのだと思う。

 ようやく安定した作風に移行したにもかかわらず、時代は太宰を待ってはくれなかった。すでに日米開戦が迫っており、時局は切迫の度を強めていく。第四弾は「十二月八日」「苦悩の年鑑」など、昭和一七年から二一年までの一四編である。太宰は不思議な作家で、世の中が平和なときは自殺未遂を繰り返し、戦時中は明るく健康的な作風を貫いている。戦時体制は太宰の自己卑下のスタイルとある種、奇妙な親和性があり、自分は一介の「辻音楽師」である、という形でへりくだりながら──いかに「自分」がダメであるかを強調しながら──したたかに時代に対応していく姿が浮かび上がってくるのである。戦時、国民は皆、天皇を長に戴く家族である、という家族国家論を巧みに語りの中に包摂し得たからこそ、太宰は次々に佳作を生み出していくことができたのだ。「八月十五日」以後から以前を裁く、という歴史観を避けるために、あえて戦中・戦後の作品が同居する構成にしてみたのだが、戦中を戦後に接ぎ木しようとし、それが無残に破綻し、絶望を深めていく様相を読み取りたいところである。

 第五弾に収めるのは戦中・戦後の長編、「惜別」と「パンドラの匣」の二編である。このうち「パンドラの匣」は、日米開戦の詔勅に対する感慨から書き始められていた作品が空襲で焼けてしまい、辛うじて残ったゲラをもとに、今度はそれを終戦の玉音放送に対する感慨に書き直して発表したとされる、曰く付きの小説である。日本文学報国会の委嘱で書かれた「惜別」も含め、激動の時代状況を手にとるようにうかがい知ることができるだろう。

 最終回は、「ヴィヨンの妻」「桜桃」をはじめとする昭和二一年から二三年の一一編。「家庭の幸福は諸悪の本」「子供より親が大事」などといった「無頼派」の作風で知られる、最晩年の作品群である。それにしても彼はなぜこれほどまでに「家庭」にこだわり、これに反逆を試みようとしたのだろうか。あるいはそれは、あるべき「家庭」を希求し、模索するための単純な逆説だったのではあるまいか。太宰が生まれた明治末期は近代家父長制が形を整えていく時期で、地方の大地主の家に育った彼は、明らかに旧世代に属していた。しかし戦後、新民法によって民主的な家族、平等な夫婦、という理念が提唱され、太宰はこれを血肉化しようとして果たせずに苦しむことになるのである。その意味ではまさにアナクロニズムを生きた、としか言いようがないのだが、時代遅れだからその文学もまた旧時代の遺物である、ということにはならない。一人の人間の宿命は、時代との齟齬を来したとき、常にもっとも明瞭にその相貌を露わにすることになる。太宰治の文学はまさにそのアナクロニズムによってこそ、家族制度をめぐる近代から現代へ、という歴史的転換期の矛盾を一身に体現することになったのだ。対等なパートナーとしての「夫」と「妻」との関係はいかにして可能なのか、というすぐれて今日的な問題を、その文学は一個の反語として、執拗にわれわれに問い続けているのである。

 

 このように、今回の企画は一人の人間が激動の時代にどのような言葉をもって立ち向かっていったのか、という苛酷な記録でもある。その道筋は大部の全集を通して読むよりも、むしろ、かえってこのようにエッセンスを並べてみた方がよく見えてくるのではあるまいか。もちろん作品の選定に関しては「この作品が入っているのになぜあの作品が入っていないのか」という批判が必ず出てくることだろう。それは甘んじて受ける覚悟で、あえて、あらたに見えてくる魅力的な相貌──近代の宿業を生きた小説家の姿──にかけてみたいと思うのである。今後、太宰治が広く読み継がれていく上での強力な推進力になれば、と思う。

(あんどう ひろし・日本近代文学)


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