【文庫解説】来るべき者たちと出会う詩集──大江満雄 編『詩集 いのちの芽』
『詩集 いのちの芽』は、戦後のハンセン病文学の新生面を切り拓いた画期的な合同詩集です。ハンセン病文学は戦前から盛んでしたが、時代状況を反映して、自らの境遇を「宿命」とする見方から自由ではありませんでした。ところが、戦後には、人権意識の高まりや新たな治療薬の登場を背景に、希望や連帯の理想を掲げ、自らの未来は変革しうると考える書き手たちが現れます。以下は、本詩集の解説者・木村哲也さんによる「解説」の一部を、本書より抜粋したものです。
来るべき者たちと出会う詩集
本書は大江満雄編『日本ライ・ニューエイジ詩集 いのちの芽』(三一書房、一九五三年四月刊)を初めて文庫化したものである。
本書には、全国八つのハンセン病療養所から七十三人が参加し、二二七篇の詩が収録されている。複数の療養所の合同詩集としては初めてのものであった。今年は刊行から七十一年目にあたる。この間(かん)、国立ハンセン病資料館の企画展「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち』(会期、二〇二三年二月四日ー五月七日)にあわせて一度非売品として復刊されたものの、それまでは幻の詩集となっていた。
ハンセン病は、「らい菌」という細菌による慢性の感染症である。かつては「癩(らい)」と呼ばれていたが、差別的であるとの理由で、現在では菌の発見者の名前を採って、ハンセン病と呼ばれている。今では有効な治療薬があり、早期発見・早期治療により完治する。
しかし、有効な治療薬の登場以前は、皮膚や神経に障害があらわれ、顔や手足など目につくところに後遺症が残るため、その外見を理由に差別されてきた。また、国も「恐ろしい伝染病」という誤った宣伝で国民の恐怖心をあおり、正しい知識の普及啓発を怠ってきた。そのため、患者だけでなく、その家族にも差別が及んだ。
日本では、国によるハンセン病政策が、一九〇七年「癩予防ニ関スル件」によって始まる。当初は路上生活の患者が隔離の対象であったが、一九三一年「癩予防法」に改正されて以降は、自宅療養を含むすべての患者が隔離の対象とされた。戦後、患者側からは新たな時代にふさわしい法改正を求める動きが起きた(これは「らい予防法闘争」と呼ばれた。本書はそのさなかに刊行されており、そのことに意味を持つ)。しかし国が隔離政策を変えないまま一九五三年には「らい予防法」が成立し、それは一九九六年に廃止されるまで存続した。
八十九年に及ぶ隔離政策には終止符が打たれたが、国は法の廃止が遅れたことを謝罪しただけで、隔離政策によって生じた人権侵害については認めようとしなかった。謝罪と補償なしにハンセン病問題の解決はないと、幾人かの回復者が立ち上がり、一九九八年、らい予防法違憲国家賠償請求訴訟が開始された。二〇〇一年、原告勝訴の判決が下り、国は控訴を断念したため、判決が確定した。この歴史的な裁判の原告となった島比呂志(しま ひろし)、谺雄二(こだま ゆうじ)、国本衛(國本昭夫)らは、『いのちの芽』に集(つど)った詩人たちであった。
療養所における文学活動は戦前から盛んで、北條民雄(ほうじょう たみお)や明石海人(あかし かいじん)らが知られているが、療養所の「秩序維持」や個人の「自己修養」の枠内で許される場合がほとんどであった。
戦後の状況は、療養所の文学を一変させた。日本国憲法による基本的人権の尊重と、初の化学療法の治療薬であるプロミンの登場は、精神的にも肉体的にも入所者に大きな変化をもたらした。自らの境遇を「宿命」とするのではなく、変革可能な未来ととらえる人たちもあらわれたのである。
隔離政策の不条理に直面しながらも、外部社会に向けて希望・連帯・再生を希求する新たな文学の姿を、本書を通して「ハンセン病文学の新生面」としてとらえ直すことが必要ではないだろうか。もっとも、この詩集はこれまでも現代詩の代表的な書き手によって高い評価を得てきた。
例えば、大岡信は、「現代詩の作品として文句なしに優れている。(中略) 大江満雄がこうした詩人たちの作品群を編集したとき、自信をもって新しい世代の患者たちの作品のみに限ったことの意味も、はっきり理解できるのである」と、病者の作品としてだけでなく、現代詩の作品として高い評価を与えている(1)。
また、荒川洋治は、「『いのちの芽』に集結した詩作品が、戦後のハンセン病文学を担うことになった」と、戦後のハンセン病文学を代表する作品として位置づける一方で、「彼らの詩は、さらに冷たい場所に置かれていた。読まれる機会をほとんどもたなかったのだ。でも、それでも作者たちは、意識を研ぎ澄まし、自分のことばを磨き、詩歌の神髄を光らせた」と、文学としての普遍的な姿をそこに見いだしている(2)。
ハンセン病文学の新生面と、文学としての普遍性。その双方を切り離さずに受け取りたい。
以下、本書刊行の経緯、作品世界、刊行後の展開、について紹介することで解説に代えたい。
(1)大岡信「解説」『ハンセン病文学全集6 詩一』(皓星社)、二〇〇三年十月。
(2)荒川洋治「いまも流れる最上川」『ひらく』第九号、二〇二三年六月。
(続きは、本書『詩集 いのちの芽』をお読みください)