岡野八代 『ケアの倫理』のあとに来るもの[『図書』2024年9月号より]
『ケアの倫理』のあとに来るもの
『ケアの倫理』が問おうとしたこと
岩波新書新赤版二〇〇〇点突破記念の新書として、拙著『ケアの倫理──フェミニズムの政治思想』を世に問うた。二〇一九年末以降コロナ・パンデミックが襲った世界中で、ケア不足が問題となり、いや正確には、これまでのケア不足が可視化され、ケア実践・活動がエッセンシャル・ワークすなわち、社会がどのような状況に陥っても欠かすことのできない営みであることが誰の目にも明らかになった。
拙著は、パンデミック以前より構想されていたものであり、わたしがもう少し執筆に集中できていれば、もっと早く出版できていたかもしれない。しかしパンデミック以前に出版されていたら、これほどの多くの反響をいただくこともなかったかもしれないと、遅筆を正当化するつもりはないが、その幸運、というより皮肉な巡りあわせを感じざるを得ない。二〇一〇年に受理された博士論文『フェミニズム理論による政治思想批判──「ケアの倫理」再考』(のちに加筆修正のうえ、『フェミニズムの政治学──ケアの倫理をグローバル社会へ』みすず書房、二〇一二年として出版)執筆を含め、二〇年近く研究してきた者としては、多くのひとがケアに関心をもち、ケアの倫理研究が盛んとなるのは喜びではあるが、それは、博士論文を執筆していた頃以上に、ケアをめぐる社会状況が厳しくなったことを意味しているからだ。
新書という体裁もあって、できる限り網羅的に、かつ歴史的な経緯に忠実に、ケアをめぐるフェミニストたちの葛藤・格闘を詳細にしようとしたために、わたし自身の主張を前面に出すことは抑制した。しかし、「ケアの倫理」の原点を第二波フェミニズムに置き、副題に「フェミニズムの政治思想」とつけたように、拙著で最も訴えたかったのは、「ケアの倫理」は「フェミニストの手による、修飾語なしのフェミニスト思想」というわたしの立場であり(二三五頁)、本書全体の構成からも、この訴えは十分読者に伝わったことと信じている。
とはいえ、もう一歩踏み込んだわたしの主張は、西洋政治思想史そのものに深く根づいた公私二元論ゆえに、私的な活動であるだけでなく、動物的(=自然的)な活動だと観念され、哲学的考察には値しないと考えられてきたケアが、人間社会の基底にある一方で、その価値も社会的位置づけも政治的に決定されてきたということである。たしかに、他者の手を借りなければ生存すらままならない者のニーズを満たすといった典型的なケア活動は、ケアされる・ケアする者の関係性だけを取り出すと、個別的で閉ざされた関係性のように見える。しかし、その関係性がどのような社会の、いかなる場所に位置づけられているのか、そして関係性内部の力関係だけでなく、その関係性を外から支える者たちとの権力関係はどうなっているのか、といった問いなくして、そのケア関係が善いケア関係なのか、悪いケア関係なのかは判断できない。つまり、個々に行われるケアそのものは善いケアであっても、それが暴力的で抑圧的な不平等な社会のなかで営まれていれば、そのケアは善いケアとはいえないかもしれない、といった反省をケアの倫理は迫っている。
ケアの倫理は、ケア関係のなかだけに閉じられた倫理ではない。ケアの倫理研究者たちが例外なく、その倫理の特徴を文脈依存性に求めるのは、ケア実践は多層的に、さまざまな実践とつながっており、それゆえケアの倫理は、時空間ともにより広い文脈を吟味し、多様なネットワークのなかで繋がりあうケア実践を、ある社会構造のなかで捉え直そうとするからに他ならない。文脈依存性は、伝統的な政治思想や哲学からすれば、相対主義や機会主義に陥る危険性と表裏一体だが、ケアの倫理研究からすれば、普遍的だとされる道徳原理は、文脈を無視した、あまりに狭い単独の行為にのみ焦点をあて、その行為(と行為主体)がどのような歴史的社会的文脈のなかで生じ、かつどれほどの帰結を生み続けるのかといった問いから目を逸らす、脱歴史化、脱政治化といった危険性と表裏一体である。
さらにその奥へ──実践としてのケア
『ケアの倫理』を手にした読者から、〈看護や介助といった具体的なケアについては、論じていない〉という感想をいただいた。たしかに、ケアにまつわるフェミニスト政治思想史の展開を論じる本書は、その書名が惹起する期待に応えていないと思われた方もいるだろう。
じっさい、拙著においてもケアとは何かを定義することに苦慮したのは事実だ。ケアをめぐっては論者によってさまざまな定義がなされているが、つぎのような定義が一般的であろう。
ケアすることとは、わたしたちが直接的に諸個人を助けるためになすあらゆることと定義されよう。それは、彼女・かれらの命にかかわる生物学的ニーズを満たすこと、彼女たちの基本的な潜在能力を発展させたり、維持したりするために、そして、不必要で、あるいは望ましくない痛みや苦しみを避けたり、緩和したりするためである。それによって、彼女たちは、注視・応答・敬意に満たされながら、社会のなかで生き延び、成長し、働くことができるようになる。(Daniel Engster, The Heart of Justice: Care Ethics and Political Theory, Oxford U. P., 2007, pp.28-9)
コロナ禍のなかであぶりだされた、看護、介護、介助、保育の分野のケア不足からすれば、こうした、他者の手を借りなければ、自らの生存に必要な活動──食事や身の回りの世話から安全確保まで、生命維持に密接にかかわる──ができない人たちのために、生きるために必要なもの(ニーズ)を満たす活動・営み・実践をケアだと考えることに多くの方は納得されるであろう。だが、拙著ではすでに触れたように、第二波フェミニズム運動を通じて、「再生産労働」という概念を女性抑圧の元凶を探るために練磨したマルクス主義フェミニストや、近代的な「家父長制」概念を再発見するラディカル・フェミニストたちが、いかにして「ケア」概念へと至ったかといったその軌跡を辿ることを重視したため、その後に確立される定義から書き起こすことはしなかった。
家庭内で女性が無償で担っている家事や育児は「労働」なのか、単なる負担なのか、負担であるとすれば、そこから女性たちが解放されることはどのような帰結を生むのか、といった議論から、フェミニストたちは、女性たちが歴史的に担わされてきたケアを、理論的に予め分節化することなく、むしろ複雑で豊かな営みとして描こうとしてきた。たとえば先にわたしも、活動・営み・実践とケアを表現したが、それは、ケアを必要とする人の生を支えるための身体的な活動だけを指すわけではないことを強調したいからである。
つまりケアは、ケアを受ける人がいま何を必要としているのか、あるいはその人の動きや息遣いを注視するなど、ケア活動している瞬間を超えた相手の全体的な生の在り方そのものに配慮する、特定の他者に強く関心を向けるといった、多様で多層的な営みを含んでいる。さらに、その営みは、ケアの受け手と与え手とのある程度持続的な関係のなかで常に変化しながら、よりよい関係を結ぶためには何をすべきか、あるいは時々のケア活動が実際にはケアの受け手に受け入れられていないのではないか、具体的なケア活動が本来のニーズに応えていないのではないか、だとしたら何が間違っており、今後どう正していくかといった判断を経ながら、活動や配慮の仕方を変えていくという意味で、実践に他ならない。すなわち、経験を積むなかで培われる知がそこに生まれる。
人類としての生存
ところで、拙著出版後、数々の幸運にめぐまれ、これ以上ないタイミングで、わたしが最も影響を受けた理論家のひとりであるジョアン・トロント教授(一九五二― )を、六月に国際基督教大学にて開催された日本政治思想学会に合わせて招聘することができた。トロントは、ケアの倫理研究の国際的な発展に寄与した第一人者であるが、ケアの倫理の政治的転回のひとつの契機となった、一九九三年の著『モラル・バウンダリー』と、民主主義論としてケアの倫理を新たに提示した二〇一三年の著『ケアリング・デモクラシー』が共に、今年勁草書房から公刊されたその直後の来日であった。
〈ケアは実践(プラクティス)である〉。『母的思考』(一九八九年)を公刊したサラ・ラディクに加え、最初期にそう規定した研究者の一人がトロントである。トロントは、ベレネス・フィッシャーとの共著論文「ケア実践のフェミニスト理論に向けて」(一九九〇年)において、その後ケアの倫理の射程を大きく切り拓くことになる、次のようなケアの定義を提示した。
もっとも一般的なレヴェルにおいて、ケアは人類的な活動であり、私たちがこの世界で、できるかぎり善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復するためになす、すべての活動を含んでいる、とわたしたちは提起する。(Berenice Fisher and Joan Tronto, “Toward a Feminist Theory of Caring,” in E.K. Abel and M.K. Nelson (eds.), Circles of Care: Work and Identity in Women’s Lives, SUNY Press, 1990, p.40)
この定義は、あらゆる活動がケアならそれはケアの定義ではないといった当然の批判や、あまりに広義すぎて、むしろ一般的に想定されるケアが排除されてしまうのではないかという、主に実証研究からの批判を呼んだ。しかし、この定義が生み出された文脈を探っていくと、その後多くのケア研究者を鼓舞し、哲学や社会学はいうまでもなく、国際関係論や美学・芸術学といった領域横断的な研究へとケアの倫理の射程を拡げた理由がうかがえる。
トロントらによれば、第二波フェミニスト理論家たちは、ケアを搾取の対象とみなそうが、ケアの価値を再評価しようと試みようが、ケアを担う者に焦点を当ててしまうために、ケア実践そのものを十分に検討し損ねている。たしかに、女性の経験から思想を紡ぐために、ケア実践を担っている女性たちが分析対象になりがちなのだが、そのために、実際にケアが行われている母親業、友情、シスターフッドをケア実践の理想像として前景化してしまう。それは、第二波フェミニストたちのいう〈個人的なことは、政治的である〉といったスローガンを裏切ることにならないか。こうした疑問をトロントは、黒人女性たちの経験から学んでいる。つまりトロントは、それぞれの経験だけでなく、個々のケア実践が置かれた文脈にも敏感になれるよう、より一般的な概念、しかも、実践そのものを考察しうる視点を提示したのだった。
母親業や友情が表象してしまうケア実践は、とくにアメリカ社会では、階級間や、とくに人種間でそのありようは全く異なる。一九七〇・八〇年代に、白人中産階級のフェミニストたちが家事労働からの解放を訴える一方で、白人家庭で低賃金で家事労働を担ったり、低賃金であれ働かざるを得なかった黒人フェミニストたちは、六〇年代からすでに、むしろ働かず、正確には、自分の労働力を搾取されることなく、子どもをケアできる環境を福祉権運動という形で求めていた。シングルで子育てをする社会状況に置かれがちな黒人女性の経験からみれば、彼女たちのケアとは、第一に子どもたちの安全を確保することであり、その目的を実現するためには、自分たちが働いている間、子どもを見守ってくれる友人や近隣のひとたちと、ケアのコミュニティを形成することが欠かせなかった。
あらゆる活動を含む、トロントらの一般的なケア定義は、こうした黒人女性たちの経験から見いだした、あらゆるケア活動の特徴を抽出したものなのだ。つまり、「生存(サヴァイヴァル)こそが、ケア実践の根底にある文脈」であり、したがって「ケアの努力が究極的に訴えるのは、人類としてのわたしたちの生存なのだから、ケア実践は社会的である」(前掲「ケア実践のフェミニスト理論に向けて」p.39)。こうして、ケアは、感情/肉体、愛情/労苦、義務/権利、個人的/社会的といった、伝統的な思想が前提とする二元論では摑むことのできない、人間社会に偏在する実践であることを示したのだった。
革命的なケア理論へ
こうしたトロントによるケア実践理解は、当初より、わたしたちが現在「政治的」だと理解する活動を含めた理解であった。わたしたちのいかなる活動であれ、それを続けるためには、活動する者を生み、育て、支えることが必要だから、つねにケアの局面が含まれるという、ある意味でとても単純な事実からこの理解は生まれている。同時に、黒人女性たちの経験に顕著なように、あらゆるケア実践には、権力と軋轢という政治的局面が含まれ、したがってケアを実践するさい、「正義」「平等」「信頼」といった課題に直面することは避けられない。
こうしたケア理解は、経済学において、経済領域や労働概念そのものを見直す力を発揮し、政治学では、同様に政治領域や政治的主体概念そのものを捉え直すことへとつながっている。政治学は、その長い伝統のなかで「政治的なるもの」を追究する過程で、あまりに多くの活動やその活動主体を考察の対象から排除してきた。たとえば、やはりトロントに多くの影響を受けた哲学者のモーリス・ハミントンは、ケアは革命的(ラディカル)である、なぜなら、人類にとって根源的な(ラディカル)活動へとわたしたちを立ち返らせる(リヴォルヴ)からだと主張する(Maurice Hamington, Revolutionary Care: Commitment and Ethos, Routledge, 2024)。
政治学は、アリストテレス以降、人間的な生(ビオス)と動物的な生(ゾーエー)を峻別する傾向がある。しかし、歯止めなく労働時間が長くなり、二四時間という限られた一日を自分自身でコントロールする力は現在の市民にはほぼ無いなかで、むき出しの生を慈しむ、労わるといった、ケアする時間をめぐる闘い(のための時間)が、わたしたちに求められているのではないだろうか。わたしたちの生存をかけた闘争に、ケアが密接にかかわっているという認識は、現在の世界では、あらゆる存在は生まれ落ちると同時に、特定の国家に登録(=国民化)される事態への根源的な問い返しへとつながっているとわたしは考えている。ケアの倫理のあとには、西洋政治思想史の根本に立ち返りつつ、家族制度、その家族制度を利用・活用してきた国家、そして国家的存在としての人間存在そのものに対する問いかけが続くに違いない。
(おかの やよ・政治思想)