理想は、経済学に不可欠の要素である──「宇沢弘文 没後10年」によせて(読書猿)
経済学者・宇沢弘文が亡くなって10年の時を経た今、改めて宇沢の著作と向き合う意味はどこにあるのか──。
『独学大全』(ダイヤモンド社)など話題作の著者であり、稀代の読書家として知られる読書猿さんに、エッセイを寄せていただきました。
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「経済学は、様々な用途を持つ希少な手段と目的との関係として人間行動を研究する科学である」
ライオネル・ロビンズは、1932年に発表した著書『経済学の本質と意義』(小峯敦・大槻忠史訳、京都大学学術出版会、2016年)の中で、今日でも教科書の中で紹介される、この有名な定義を与え、そしてこう付け加えている。「経済学者は、目的の正当性について語る資格はない」と。
ロビンスは、「物質的厚生に関する研究」という従来の定義を批判し、より広く人間行動全般を扱うことのできる学問として、経済学を定義し直した。その際、奉仕する「目的」を経済学から切り離すことで、その適応範囲と応用可能性を拡大し、同時に価値判断を排除することで、科学としての客観性を確保しようと試みたのである。
しかし若き日に、その才能を期待された数学者の道を捨ててまで、宇沢弘文が志した経済学はそれ以上のものだった。
「今から五十年前、私は数学から経済学に移った。その直接的なきっかけは、河上肇の『貧乏物語』を読んで、大きな感動を覚えたからであった。とくに、序文で、河上肇がジョン・ラスキンの有名な言葉を引いて、経済学の本質を説いたが、その言葉は、当時の私の心情にぴったり適合した。
"There is no wealth, but life."
若いころお寺で修業したことのある私は、この言葉を「富を求めるのは道を聞くためである」と訳して、経済学を学ぶときの基本的姿勢をあらわすものと大切にしていた」(宇沢弘文『経済学は人びとを幸福にできるか』東洋経済新報社、2003年)
宇沢にとっての「道」あるいは理想は、彼方にあって望むもの、あるいは個人的な信念のうちに隠されるもの、そうして学術研究の外側に存置されるもの、ではなかった。
たとえば、理論経済学者として国際的名声が頂点にあったまさにその時シカゴ大学教授の地位を捨てた宇沢は、目覚ましい経済成長の中にあった日本に帰国して数年後、一般に彼の名を広く知らせた『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)を上梓している。
ベストセラーともなったこの書の中で、宇沢は「社会的費用」という概念を通して、経済成長の「影」の部分を鋭利に、そして経済学的に切り取ってみせた。自動車は私たちの生活を豊かにする一方で、交通事故や環境汚染といった負の側面も持ち合わせている。従来の見過ごされがちだった負の側面を経済学的に捉え直すために、宇沢が用いた概念が「社会的費用」であった。
交通事故による死傷者数、物的損害、渋滞による経済損失などを金額に換算し積み上げることでも、自動車の負の側面を数値化することはできる。しかしこの計算方法では、事故や渋滞といった客観的な被害は数値化できても、「交通事故の恐怖」や「安全な社会への希求」といった人々の感情や価値観は十分に考慮されていない。
客観性に重きを置き、こうした部分を捨象することは可能であり、また現実的な選択として正当化もされるかもしれない。しかしこの捨象によって失われるものは小さくない。何より、人々の感情や価値観を無視して、人間の幸福は考えられない。
これに対して、宇沢は、《理想との隔たり》として、つまりあるべき状態(理想)を実現するコストとして、社会的費用を具体的に計算してみせる。たとえば「交通事故のない社会」という理想を実現するために、歩道や緩衝帯を設けるために道路幅を8メートル拡張すると、東京都の場合、総額で24兆円、自動車1台あたりに割り戻せば1200万円の費用が必要となる。
「理想」というレンズと、経済学が培ってきた理論(具体的にはオーストリア学派に由来する帰属価格の理論)の両方を活用することで、宇沢は「みえない価格」という難問を解决してみせた。
そしてこの難問へのアプローチが、宇沢のライフワークとなった社会的共通資本の理論化と政策への実用化の道を開くことになる(その成果の一つが2000年に刊行された岩波新書『社会的共通資本』である)。例えば1990年には地球温暖化問題に対する経済学的な解決策として「宇沢フォーミュラ」を示したが、これは二酸化炭素の蓄積量が長期的に最適水準に近づくための公式であり、国際的な公平性という「理想」と、二酸化炭素の蓄積による被害額を「帰属価格」として計算するものだった。
宇沢は、経済学が社会をより良い方向に変えられると信じるだけでなく、「より良い社会」という理想こそ経済学が必要とするもの、本来果たすべき役割を果たせるよう経済学を広げ育て支えるものだと考えた。
理想は経済学の中に不可欠なものとしてあり、その中で理論に命をあたえ、また機能させるものだ。だからこそ、経済学は決して現状追認では終わらず、経済学が開く批判は未来を形作ろうとする。
理想は、解答として与えられるではなく、むしろ問いの側に立つ。疑問を持つことを可能にし、問い続けるよう人を駆り立てる。
だからこそ知は、知ることは、自己満足に終わらず、何度も反省を繰り返しながら、未来へと受け渡されていく。
「私は経済学者として半世紀を生きてきた。そして、本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然とした。経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。そう確信するようになった」
(宇沢弘文『経済と人間の旅』日経ビジネス人文庫、2017年)