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思想の言葉:鵜飼哲【『思想』2024年11月号 特集|デリダ没後20年】

◇目次◇

【特集】デリダ没後20年

思想の言葉 鵜飼哲

私たち?
ジャック・デリダ/西山雄二 訳

心のポリティック
アンヌ・エマニュエル・ベルジェ/西山雄二・柿並良佑 訳

アブラハムのメランコリー
ジャック・デリダ/郷原佳以 訳

応答と呼びかけ
──他者との交渉
サミュエル・ウェーバー/板倉圭佑 訳

今日の脱構築
──伝統と革新のあいだで
カトリーヌ・マラブー/吉松覚・桐谷慧 訳

 

―講義録を読む―

脱構築と生物学の「新たな」出会いに向けて
──講義録『生死』とその論点
吉松覚

出来事,事実,技術
──『理論と実践』講義について
小川歩人

他者に委ねられた,自分のものではない秘密
──ジャック・デリダの脱構築と秘密
西山雄二

無条件の歓待と脱構築
──デリダ『歓待』講義をめぐって
桐谷慧

赦しのエクリチュール
──講義『偽誓と赦し』から
小原拓磨

 

―20年目の問い―

意志の不安
──デリダの初期セミネールにおける否定と無
松田智裕

現れえない時間
──デリダ「ウーシアとグラメー」から読み解くアリストテレスとカント
長坂真澄

デリダとベンヤミンの脱構築
──妥協としての正義
亀井大輔

快原理の彼岸における権力欲動と郵便原則
──ジャック・デリダによる「死の欲動」のテレイオポイエーシス
宮﨑裕助

 
◇思想の言葉◇

イスラエルの脱構築

鵜飼哲

 「復讐とは何でしょうか?」

 一九八六年秋、新年度のセミネールの冒頭、ジャック・デリダはこう問いかけた。聴講者の間に瞬時に走った緊張を思い出す。社会科学高等研究院への移籍とともに開始された「哲学的国籍と哲学的ナショナリズム」の三年目、この年のテーマは「政治神学」だった。

 やがて復讐というテーマがイスラエル問題と深く関わっていることが明らかになる。彼の復讐論の主要なモチーフが、近年発見されたある小さな文書のうちに、すべて見出されることを哲学者は示す。それは一九二六年、ゲルショム・ショーレムがパレスチナからフランツ・ローゼンツヴァイクに宛てた手紙だった。一九八二年のショーレムの死後に蔵書のなかから発見され、一九八五年、ステファン・モーゼスのフランス語訳によって初めて公開されたこの手紙は、以下のような言葉で始まっていた。

 

この国は言語が奔騰する火山のようです。そこでは私たちを挫折に導きかねないあらゆるもののことが、そしてかつてなくアラブ人のことが語られています。しかし、アラブ民族よりさらに不気味な、シオニズムという企図の必然的帰結であるもうひとつの危険が存在します。ヘブライ語の「現代化」という事態はどうなっているのでしょう? 私たちの子供たちがそれで養われているこの神聖な言語は、いつの日かかならず開く深淵なのではないでしょうか?

 

 『救済の星』の著者ローゼンツヴァイクとショーレムは、いずれも聖書のヘブライ語を学び、ユダヤ精神文化の復興を目指した。しかしシオニズムを選択してパレスチナに移住したショーレムは、「現代化」されたヘブライ語が日常生活の伝達手段として使われている現実に激しい衝撃を受ける。

 この手紙には「私たちの言語についての告白」という一語が添えられていた。「私たちの言語」が伝承されてきたヘブライ語を意味するなら、「私たち」にはこの手紙の発信者と受信者がともに含まれる。現代ヘブライ語を意味するなら、ユダヤ人入植者の共同性を指すことになる。ローゼンツヴァイクはシオニズムを「世俗化されたメシア主義」として拒否し、ユダヤ文化の復興は離散の地で実現されなくてはならないと考えていた。ショーレムは彼と激論を闘わせた後ドイツを去る。「告白」という言葉は、出発前の自分の判断に誤りがあったことを認める言語行為でもあった。

 シオニズムは近代ヨーロッパの国民概念をモデルに、イスラエル国民という新たな人間類型を創出する企てだった。かつて神がそのなかに現れた神聖な言語を人為的に改変し、国民形成、共同生活の手段として母語化することはこの企てに不可欠だった。しかし、神聖な言語の「世俗化」とは何を意味するのか。それは「言葉の綾」にすぎず、この言語は「黙示録的切っ先」を温存したまま、シオニストによる冒瀆に対する復讐の機会を待っているのではないか。そんな恐るべき予感の戦慄を、この手紙は伝えている。

 デリダはショーレムの「告白」がスピノザの思想のある側面と、深く、複雑に交差することを指摘する。『神学政治論』の終わり近くでスピノザはあらためて問う。古代ヘブライ国家はなぜ滅亡したのか。民が神に反抗したからだと言われるが、それは神が民に与えた律法がそもそも遵守不可能だったからではないか。神は民を守ることより民に復讐することを、初めから欲していたのではないか。民が背くより先に刑罰として律法を与えた神の怒りに対して、「私は十分に驚くことができない」(一七章)。

 ユダヤ神秘主義に傾倒するショーレムの思想はスピノザ的合理主義とは相容れない。ショーレムが前提するヘブライ語の神聖性はスピノザにとっては迷信である。とはいえ、復讐する神に対する「おそれとおののき」の情動はスピノザの思考とも無縁ではなかった。神の復讐とは神がふたたび口を開くこと、話すことにほかならない。後に『言語の眼』(二〇一二)という表題で公表される論考にデリダは記す。「「それは話す(Ça parle)」、この火山から、言語は火によって話す、言語はそれ自身から出て、この火の穴から回帰する、火の河口、喇叭、口から。妬む復讐の神は火の神である(火の神の嫉妬を前にしたスピノザの恐怖が思い出される)」。

 翻訳者のモーゼスはイスラエル人で、パレスチナ人との和平を求める市民運動「今こそ平和を」のメンバーだった。彼はショーレムのこの手紙を、一九六七年の軍事的勝利後に活発化した、右派宗教運動の遥かな予感と見ていた。デリダは政治的文脈に直接言及していないが、「統制されない宗教的力の野放図な爆発」を危惧するモーゼスの論説を、『言語の眼』の最後に引いている。

 ショーレムが晩年までこの不安を抱いていたことを示す証言は、意外なことに日本語で遺されている。デイヴィッド・グッドマンによるインタビューで、彼はこう述べた。

 

数十世紀にわたって文学のことばとしてユダヤ人の間で使われてきたヘブライ語は、学習によって習得された言語だった。今度、それは赤ん坊が母親の膝に坐って覚える言語になったのです。このような変化がたいへん深い葛藤を呼び起こさないとは考えられません。なぜならば、ラビを教師とし、聖典を教材とする伝統的な学校で習得されたヘブライ語と、母の口から習ったヘブライ語とは、必然的に異質なものとして展開せざるを得ないからです。その言葉は新しい性格を帯びるようになるかもしれない──そしてやはりそうなってきている。それはたいへん危険なことです。すべての生きものと同じように、危険なのです。

(「ユダヤ史の弁証法を生きて──ゲルショム・ショーレムとの会話」、『展望』一九七七年九月号)

 

 続いてショーレムは、パレスチナ占領地に聖書を典拠に次々に「聖地」を「発見」していく宗教団体「信者の陣営(グーシュ・エムニーム)」の活動を「偶像崇拝」として強く批判する。手紙から半世紀後、ヘブライ語の「現代化」は、ラビ・ユダヤ教の伝統とはおよそかけ離れた宗教政治に熱狂する「世代」を生み出していた。

 このインタビューからさらに半世紀、今日のイスラエルは占領地内の入植地に生まれ育ち、ファシストを自称して憚らない、宗教シオニストが政策を左右する国になっている。「自衛権」の名のもとにガザのパレスチナ人に対する復讐を止めず、国連すら報復の対象とするイスラエルの行動には、しばしば「十分に驚くことができない」。しかし、暴走する戦争機械と化したイスラエルは、いまや自壊への道を突き進んでいるのではないか。ショーレムの手紙を通してデリダが考えようとしたのは、「イスラエルの(自己)脱構築」とも呼ぶべき出来事ではなかったか。

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