『科学』2024年12月号 特集「スーパーフレアの時代」|巻頭エッセイ「赤い貝殻」千葉聡
◇目次◇
【特集】スーパーフレアの時代
2024年5月の太陽フレア……柴田一成
2024年5月のオーロラと磁気嵐……海老原祐輔
宇宙天気予報の最前線……西塚直人
世界を驚かせた太陽型星のスーパーフレアの発見……行方宏介
年輪や氷床からさぐる過去の極端太陽面爆発……三宅芙沙
歴史文献から探る過去の激甚太陽嵐……早川尚志
恒星活動は系外惑星にどう影響するか……野津湧太
動物の死体は誰が食べるのか?──感染リスクが支配する生物間相互作用……中島啓裕・橋詰茜
哺乳類脳における長寿分子──長寿と老化の狭間……戸田智久
[ノーベル生理学・医学賞2024]
小さな線虫がもたらした生命科学の大きな飛躍──いかにマイクロRNAは発見されたか……丹羽隆介
[ノーベル化学賞2024]
不可能と思われていたタンパク質の構造予測とデザインの扉が開かれた……小杉貴洋
[ノーベル物理学賞2024]
神経科学と物理学の融合による人工知能の革新……上田修功
[巻頭エッセイ]
赤い貝殻──木村資生生誕100年に寄せて……千葉聡
[連載]
日常身辺の確率的諸問題10 この人は信用できるか?……原啓介
広辞苑を3倍楽しむ119 竜……川口眞理
言語研究者,ユーラシアを彷徨う5 シホテアリン山中の狩猟民──ウデヘ語……風間伸次郎
3.11以後の科学リテラシー143……牧野淳一郎
[科学通信]
ボルバキアによるミナミキチョウの急速な「メス化」……宮田真衣
次号予告
総目次
表紙デザイン=佐藤篤司
「彼ほど大きな影響を与えた人物は滅多にいない」
ビル・ゲイツは,最大のライバルだったスティーブ・ジョブズの死後,こう述べて,30年来の宿敵を称賛した。周囲でバトルを見ている者は,互いの敵意や憎しみを勝手に思い浮かべるのだが,意外にも闘っている当事者たちは,互いの実力を認め,尊敬し,友情で結ばれている場合さえあるのかもしれない。
さて11月13日は,日本が誇る遺伝学者・木村資生博士の誕生日。分子レベルの変異の多くは,自然選択について有利でも不利でもなく,遺伝的浮動と突然変異で維持されている──この中立説の提唱者だ。世界を相手に,木村博士ほど激しい論争を戦い抜いた遺伝学者もまれだと思う。今年はその生誕百周年にあたる。
中立説に対する最初の,そして最大,最強の敵として,最後まで木村博士の前に立ちはだかったのが,英国ノッティンガム大学のブライアン・クラークであった。分子レベルの変異は,自らが提唱したアポスタティック淘汰(少数者が有利になる自然選択)など,主に自然選択で維持されていると主張して,中立説を激しく批判し続けた。
私が留学先のノッティンガム大学で,クラークと彼のオフィスでその話になったのは,木村博士が亡くなっておよそ2カ月後,1995年冬のことだった。すでに中立説の支持が広がるなか,クラークは反中立説の最後の牙城として踏みとどまっていた。
言葉の爆撃の嵐を予想して,私が少し身構えていると,クラークは机上の棚に手を伸ばした。そこには,小さなガラス付きの小箱が大切そうに飾られていた。
「これはモトオ・キムラが私にくれたプレゼントだ。私の宝物だ」
ガラス越しに箱の中が見えた。それはクラークの愛好品──赤い小さなホタテガイのような二枚貝の貝殻標本だった。
「考え方は違ったが,私たちは良き友人だった」
結婚記念日だったか,それとも誕生日だったか,何を記念しての木村博士からのプレゼントかは忘れてしまったが,その鮮やかな赤は,いまもよく覚えている。
ちなみに当時,クラークの研究室は,ノッティンガム大学の医学部にあり,そこにはもうひとり集団遺伝学者がいた。こちらはもちろん,中立説の支持者だった。
ある金曜日の夜,街のパブで大きなビールジョッキを片手に,クラークとその集団遺伝学者が論争を始めた。次第にエスカレートして,お互い顔を真っ赤にして,激論になった。私はうろたえて,ただ見ているだけだったのだが,不意に二人とも,論争をぴたりと止めた。そしてクラークが私を見て,「仲が悪い,と思っただろう」と聞く。
「私たちは友人だ。考え方が違うだけだ」
医学部では,彼ら基礎遺伝学者はあまり理解されない。だから,二人はここでは,互いが唯一の理解者であり,同じ目的のために戦う盟友なのだという。
一方の集団遺伝学者もニヤリと笑う。そうして再び顔を真っ赤にして論争の続きを始めるのだった。
良き研究者には,互いに敬意と友情を抱く良き敵やライバルがいるものなのだろう。それこそが超一流の証なのかもしれない。
なお最終的に,木村博士もクラークも,ライバル同士仲良く進化生物学最高の栄誉,ダーウィン・メダルを授与されている。