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今井むつみ 学ぶ力と「たつじんテスト」[『図書』2024年12月号より]

学ぶ力と「たつじんテスト」

「たつじんテスト」の開発

 二〇〇七年に、当時共同研究を行っていた針生悦子さん(現東京大学教授)との共著『レキシコンの構築──子どもはどのように語と概念を学んでいくのか』を出版しました。もともと私は言語発達を中心にした基礎研究が専門で、大学の同僚からも「こんな地味なことばかりやっていて、何の役に立つの?」と言われながら、英語で論文を発表することが自分の主な仕事だと思っていました。そのため岩波書店の編集者から一般読者向けの本を書かないかというお誘いを受けたときも正直言って興味がわかず、学術的なものでよければ書きますよと答えました。その結果として生まれたのが、『レキシコンの構築』です。

 この本を書いたことで私の人生は変わりました。教育現場との深いつながりが生まれたからです。

 というのも、広島県の教育長(当時)・下崎邦明さんが、教育についてほとんど何も書かれていない『レキシコンの構築』になぜか興味をもってくれたのです。その後に上梓した、子どもが自らことばや概念を習得していく姿から「本物の学び」とはどういうものかを考察した『学びとは何か──〈探究人〉になるために』にも共感してくれました。それがきっかけとなり、広島県の教育委員会や教員向けの研修などで講演する機会をいただいただけでなく、これまで続けてきた言語発達についての基礎研究を、どうしたら学校現場での教育に活かせるだろうかとも考えるようになりました。

 ちょうどその頃、外国人児童の日本語能力のアセスメントに活用する新たなテストを考えるという機会がありました。というのも従来の日本語能力アセスメントは、一対一で時間をかけて実施せねばならず、テスターには専門的な知識が必要とされました。また従来の語彙テストは、数多くの語彙を「〇年生用」とレベル分けして、それを知っているかどうかを試すものとなっています。レベルは、そのことばの使用頻度や日常性、抽象性といった軸で学年ごとに区分されており、珍しいことば、学年相当よりも上のことばを知っていれば語彙力があると解釈される仕組みとなっています。

 しかし、私たちが日常的に行っている言語行為には、実は意味をよく知らないまま使っていることばがたくさんあります。そういうことばこそ、外国の子どもたちにとっては難しく思えるのではないか──そのような観点から、県立広島大学で、外国人児童に対する日本語教育を専門にしている中石ゆうこさんとテストの雛形を作りました。

 作ったテストが適切かは実施してみなければわかりません。そこで広島県の教育委員会に、調査に協力してくれる学校を紹介してもらったのですが、調査内容を見た教育委員会は、このテストを外国人児童だけではなく広島県の子ども、具体的にはすべての小学校二年生が受けられるものにしたいと言ってくれました。

 そもそも、テストを作るというのは私にとって専門ではありません。しかし、現在の知能テストや学力テストのあり方については認知科学の観点から疑問を抱いていたのも事実でした。

 たとえば知能テストは、持って生まれた純粋な知能というものがあるという前提のもとで、後天的に身につけた知識ができるだけ影響しないようにそれを取り出すという目的で作られています。しかし、そこで測られているものは、子どもが学校で学ぶこととあまり関係がありません。学校で学ぶ知識はすでに持っている知識が前提となり、その知識を修正したり拡張したりすることで学んでいくものです。そのため、知識を使わないという前提で作られたテストは、子どもの学びにおけるつまずきを同定するためには役に立たないのです。

 では、標準学力テストはどうでしょう。広島県も全国学力・学習状況調査に参加してきましたし、五年生の段階で一斉に標準学力テストも実施していたそうです。ただ、その結果として明らかになったのは、どの学校が成績が良く、どの学校が悪いのか、どの問題は正答率が高く、どの問題が低いのか……といったことばかり。なぜこの問題がわからないのか。この点については判然としないままだったといいます。

 広島県教育委員会が私に「たつじんテスト」をいっしょに開発したいと依頼してきた理由は、このことと密接に関わっています。子どもの学びへのつまずきの原因を正確に理解して、低学年の段階で対処し、つまずきの芽が成長しないようにしたい。広島県の教育委員会はそう考えたのです。正直言って、行政がこんな発想をするのかと驚きました。

 これが二〇一七年頃で、「たつじんテスト」プロジェクトの始まりです。それまで続けてきた五年生での県下一斉の共通調査を止め、「たつじんテスト」に変更するという意向を県教委から聞いたときには、本気で取り組まないといけないと改めて心に誓いました。とはいえ、「たつじんテスト」の開発から実施まで、携わったのは私だけではありません。中石ゆうこさんを筆頭に、算数概念の発達の専門家の杉村伸一郎さんや、教育統計学やテスト理論に詳しい楠見孝さんをはじめとした、たくさんの研究者チームと教育委員会の方々にサポートしていただき、テストを練りあげていきました。

基本的なことがわからない

今井むつみ『学力喪失 認知科学による回復への道筋』

 「たつじんテスト」は広島県の小学二年生に受けさせるために作られたものですが、私は三年生や高学年でも使える汎用的なテストであると考えて、福山市教育委員会にも協力をお願いし三―五年生の調査も実施しました。その結果から見えてきた子どもたちのつまずきは、言語発達の研究を通して私が考えてきたことと根っこのところでつながっていました。だからこそ、『学力喪失──認知科学による回復への道筋』の骨格ができたと言えます。

 それでも、実際に子どもたちの回答を見たときには、衝撃の連続でした。子どもたちのつまずきは、私が想像していた以上に根が深く、基本的な概念から理解できていないことがわかったからです。

 たとえば、「右」ということば。子どもたちの多くは、自分の右手が「右」だということはわかります。けれども、どちらの方向が「右」なのか「左」なのかは、視点がどこを向いているかによって変わるものです。しかし、この使い分けが上手くできない子が多い。「前後左右」は日常で当たり前のように使っていることばですが、実は視点を文脈に応じて的確にシフトさせることを要求することばだったのです。

 このように視点を変換させる認知操作は、「数」の基本的性質を理解する上でも重要になってきます。たとえば、「イチ(1)」と「ニ(2)」の区別は小さな赤ちゃんでもつきます。「イチ」は具体的な対象の数としてだけではなく、「量の基準」としての意味があります。一個のリンゴだけが「イチ」なのではなくて、四〇人の子どもだって、二リットルのジュースだって「イチ」になり得ます。「イチ」の指し示すものを状況によって適切に捉えなおすことができないと「1」の本当の意味は理解できないし、分数や割合を正しく理解することもできません。実際、「たつじんテスト」の結果を見ると、「イチ」についての視点の切り替えができずにつまずいている子どもがたくさんいることに気づきました。

 子どもが概念の理解につまずくとき、間違ったスキーマ(学習者が経験から導出した暗黙の知識)を持っていることが根っこにあることがよくあります。たとえば、「1」だけでなく、「数」一般について、「具体的なモノを数えるためのもの」というスキーマを持っている子どもが多数います。そもそもの数についてのスキーマが間違っているところに足し算や引き算、かけ算や割り算を教わったとしても、足し算やかけ算の意味が理解できません。実際、足し算とかけ算は両方とも数を増やすもの、引き算と割り算は数を減らすもの、といった理解しかないまま計算の仕方を覚えている子どもが少なからずいます。計算をしろと言われれば機械的にはできるけれど、計算の意味がわかっていないのです。

知識を習得するとは

 「たつじんテスト」で大事なことは、これは子どものためのテストではなく、先生のためのテストだということです。テストの結果から子どもがどう考えているのかを理解した上で授業のあり方を見直していく──そのための道具なのです。だから、採点はしなくていい。実際テストにもそう書いてあります。

 それでも、テストは客観的に一点刻みで正確に採点しなくてはいけないという思い込み(これもスキーマ)が根強くあるため、先生たちは、採点がたいへんそう、と思い込んでしまいがちです。

 学力とは単純な単元テストや標準学力テストのスコアで評価できるものではありません。なぜなら、ただ暗記しただけの情報は使える知識ではないからです。大切なのは、知識を使ってさらに新たな知識をつくるというプロセスです。

 多くの人は「知識を習得する」というと、演繹的な方向性を考えます。ある定理を先生が教える。それを覚えて、実例に当てはめる。でも、このような演繹的な方向性では、人はうまく学習できないのです。むしろ必要なのは、帰納とアブダクションです。

 たとえば、子どもがことばを覚えるとき、ことばの定義から教わったりはしないはずです。一つひとつの事例を体験するわけです。ウサギを見ながら「ウサギ」と聞いたら、ウサギって何なのかと考えます。そのとき、「ウサギ」ということばを自分で一般化していきます。しかし、リスやハムスターといった小動物は「ウサギ」とは言えないのだということまで教えてはくれません。あるいは、自分の見たウサギとは異なる特徴を持つウサギもたくさん存在するでしょう。どれが「ウサギ」と言えて、どれが「ウサギ」と言えないのか、自分で発見していかないといけません。このような発見──どの特徴が本質的で、どの特徴が本質的でないのかを見極められないと、ことばの意味は理解できないのです。

 つまり、前提とされた知識から、より妥当な推論ができるかどうかが問われているのです。異なる分野の知識を組み合わせたり、比喩や類推を用いて新たな知識を創造する推論のことをアブダクション推論と言います。もともと持っていた知識を拡張させたり、組み合わせて新しい知識を創造するのは、演繹推論ではなく、アブダクション推論なのです。

 とはいえ、アブダクション推論には誤謬が付き物です。子どもはリスを「ウサギ」と勘違いしているかもしれません。それでも、その推論の正しさを多面的に見極めていくことが同時に求められます。学ぶ力とは、そのような思考力を身につけることなのではないでしょうか。「たつじんテスト」は、そのような思考力を測るテストなのです。

 そして、そのような思考力はいわゆる学力の根幹を成しています。実際、「たつじんテスト」と標準学力テストとの間の相関は、知能テストと標準学力テストとの間の相関に比べて、驚異的に高いことがわかりました。

先生が変われば、子どもも変わる

 学ぶということは達人への道を歩むことだとも言えます。世の中には、様々な道で達人と呼ばれる人がいます。その中には、ノーベル賞受賞者や著名な芸術家、オリンピックで金メダルを獲得するアスリートといった、世間の注目を集めやすい人たちもいます。けれども、そうではないふつうの人たちの中にも、自分の「これ」と決めた道でコツコツと学び続け、達人の域に及んでいる人がたくさん存在します。そういう人たちは知識の量が多いというだけではなく、コツや勘としか言いようのないもの──認知科学的に言えば心的表象──を磨き上げていったのだと思います。

 最初は要素となる知識が少なく、スポンジのようにカスカスの表象しかないところから始めて、そこに多くの要素知識やスキルをどんどん蓄えていく。しかし、下部の要素を個別にたくさん蓄えただけでは達人にはなれません。それぞれの要素を磨いていくと同時に、要素同士が関係づけられた、統合的な表象を創っていきます。要素間のつながりが密になり、さらに、様々な状況で、必要な部分を柔軟に取り出したり、組み合わせたりできるようになると、新しい知識を創造できるような表象に近づいていきます。それがクリエイティビティになるわけです。強調しておきたいのは、そのためには先生による支援が欠かせないということです。昨今、チューター役は生成AIに任せてしまえばいいと言う人もいます。しかし、それは間違っていると声を大にして言いたいと思います。

 AIが先生の代わりになるという発想は、「知識のドネルケバブ・モデル」に基づいた発想です。これは私が『学びとは何か』で紹介した考え方で、「客観的な事実」である知識片をぺたぺた表面に貼り付けていくというイメージが、肉片を表面に貼り付けて「肉ちくわ」のようなケバブを肥大させていくドネルケバブのイメージに重なるところから名づけました。知識を断片的な要素の単なる集積と考え、そのボリュームを大きくすることを目的とするのがドネルケバブ・モデルです。

 しかし、ドネルケバブ方式では、断片的な知識を問うテストでは得点を取れても、「生きた知識」は身に付けることができません。子どもはアブダクション推論によって概念を理解しようとします。しかし、アブダクションには誤りがつきもの。子どもは推論をすることでいろいろと間違ったスキーマをもちます。スキーマは自分で考えた暗黙の知識なので、自分では気づきにくく、誤ったスキーマからの脱出は困難です。「間違っています」というフィードバックとともに「正解」を教えても、それをさらに誤ったスキーマに合うように解釈してしまう。そこから抜け出すには、教師の助けが必要なのです。

 子どもの誤ったスキーマを修正するためには、まず、教師が子どもがどのようなスキーマを持っているかを理解しなければなりません。それには、教師による「アブダクション推論」が必要です。AIにはそのようなアブダクション推論はできません。

 私は、先生という存在の意義や価値を、認知科学の観点から強調したいと思います。先生たちが「たつじんテスト」の点数ではなく子どもたちの回答にしっかり目を向ければ、子どもたちがどこにつまずいているのか気がつくはずです。そして、どんな教え方をすればよいかのアイデアが生まれてくるに違いありません。そのとき、一人だけで考えるより、問題意識を共有した同僚の先生たちと考えることが有効です。

 「たつじんテスト」を使っている学校から聞こえてくるのは、「すぐに分数ができるようになりました」という声ではありません。もちろん、時間をかければ将来的に分数がわかるようになると思います。ですが、すぐに目に見える効果が出てくるのは、別のところからです。

 「たつじんテスト」を使った学校からの声として本当に嬉しいのは、「先生が変わりました」というものです。「子どもたちが変わりました」ではありません。短期間で見えてくる効果とは、このような先生たち、そして学校全体の変化です。そして、これこそが「たつじんテスト」の目的なのです。

 先生が子どもの答えを見て、なんでこういう答えを書くんだろうと考えて、お互いに話し合って学校全体で子どもに向き合う。それによって、子どもたちにも変化が生まれます。先生が変われば、必ず子どもたちは変わるのです。子どもたちは、大人の鏡なのですから。

(いまい むつみ・認知科学)


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