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原田宗典 美しいものを見た[『図書』2018年2月号より]

美しいものを見た

 

 美しいものを見た。

 一九九八年冬、長野パラリンピックの会場でのことである。

 私は、出版社経由でプレスカードを一枚だけ手配し、それを友人のカメラマンK君と二人で使い回しながら大会会場を取材していた。と言って出版社から具体的な依頼があったわけではなく、自ら進んでやってみようとした仕事であった。私もK君も開会式の直前まで東京で仕事に追われていて、何の準備も予備知識もないままに、長野を訪れたのだった。

 前日まで二晩連続の徹夜明けで、疲れ切ってたどり着いた長野パラリンピックの開会式。これは、宮崎駿監督作品の音楽を担当することで知られる久石譲氏の演出によるものだったが、非常に感心した。

 オリンピックに比べると桁の違う予算で開会式のセレモニーを演出しなければならない……しかしそのことは結果的に良い方へ作用したらしい。少ない予算でやったからこそ、かえって素朴な、人間の本質に近いところに訴えかけてくる演出を成し得たのだ。

 寝不足だった私自身のテンションも多少は影響していたかもしれないが、それを差し引いても、この開会式の印象は強烈なものだった。

 しかしそれ以上に強烈な美しいものを見たのは、大会四日目のことだった。

 そろそろ滞在先のビジネスホテルにも馴染み、競技観戦に出かけるのも中だるみして、色々と億劫を感じる時期であった。何しろこの四日間というもの、私とK君との取材スケジュールは、ことごとく上手くいかなかったのである。スキー競技の会場では、強風のために延滞を告げられ、スレッジ・アイスホッケーの試合も、開始時間を勘違いして、ハーフタイムからの観戦を余儀なくされた。

 大会四日目のその日、私たちは長野駅から最も遠く離れた丘陵に設けられたクロスカントリーの競技場を訪れるつもりだった。

 共に低血圧で早起きの苦手な私とK君は、互いにモーローと励まし合いながら、駅前から会場直行のバスに乗った。知らぬ間にうたた寝をしているうちに、バスは一面雪に覆われた山と丘と畑しか見当たらない場所に到着していた。普段なら牛も見向きもしないような、この何でもない雪景色の中を、バスから降りた人々が黙々と歩いてゆく。その後についてしばらく歩くと、ようやくクロスカントリー競技場の会場入り口が見えてくる。

 切符売り場の前で、私とK君は、

 「じゃあ、また後で」

 と言い交わして、一旦は別れた。一緒にいて、同じものを見たって仕方がない。私たちは互いに自分なりの「真実」のようなものをこの大会の最中に見つけたいと願っていた。

 さて実際に観戦してみると、スキーのクロスカントリーという競技は、これ以上過酷なスポーツはないのではないか、と思わせるものがあった。簡単に言うとそれは、スキーのマラソンである。コースのアップダウンが激しく、ただでさえ血へどを吐くような苦しい競技なのだ。にもかかわらず、果敢にも多くの身障者がその過酷さに挑もうと言うのだ。プログラムを見ると、競技は、同じクロスカントリーでも、選手の障害の具合によって、かなり細かいクラスに分かれているようだった。

 私は、七十歳になる現役の車椅子アスリートのお婆さんが、腕の力だけで急勾配の坂を登って行こうとする瞬間の、必死の形相を間近に見た。壮絶、と呼んでいい様子だった。果たして自分は、かつて一度でも、あんな必死の形相で何かに取り組んだことがあったろうか? 私は自らに問いかけたりした。

 やがて競技も後半となり、ブラインドクラスの選手たちの出番を迎えた。ブラインド、つまり目の見えない選手たちによるクロスカントリー競技である。もちろん単独でコースを滑る訳ではなく、選手たちには必ず一人の先導者がつく。

 ブラインドクラスの選手たちに位置を知らせるために、先導者は常に、

 「はい! はい!」

 と声を張り上げ、時にはコースの状態についても指示を出す。大変な重労働だ。聞けばノルウェーやフィンランドなどの北欧諸国の場合、この先導者という役割は、各国のオリンピックのメダリストたちがボランティアでつとめるのだという。

 何のために? 誰かのために。彼らはそれがメダリストとしての当然の行いであるかのように、ひっそりと裏方に回って、ブラインドクラスの選手たちを先導するのだ。

 先導者の掛け声は、その国によってずいぶん違う。どこの国だろうか、

 「あっし! あっし!」

 と喘ぐようにいうのもあったし、

 「フッ! シュ!」

 と息音だけで位置を知らせる声もあった。

 長大なコースの中でも、最も選手たちを間近に見やすく、応援も届きそうな、いわゆる「ホットコーナー」とも呼ぶべき場所が見つかり、私はそこへ向かった。近づくにつれて、ずいぶんたくさんの観客がその一帯に群れていることが分かった。

 と、そこへチャイムの音が響き渡り、案内の放送が入った。

 「皆様、本日はご来場……」

 と型通りの挨拶があった後、そのアナウンスは意外なことを求めてきた。

 「ただいまコース上ではブラインド・クラスの競技が行われております。ブラインド・クラスの選手たちは、前を行く先導者の声だけを頼りに滑っております。従いまして皆様、応援の際にはぜひお声を出さないよう、お願い申しあげます」

 そんなアナウンスが会場内に響き渡った。

 なるほど盲目の選手たちにとっては「頑張れ」という応援の言葉がかえって競技の妨げになってしまうのか、と私は改めて思い知った。アナウンスはさらにこう続けて言った。

 「皆様、応援ありがとうございます。本当にありがとうございます。ただこのブラインド・クラスの競技だけは、声を出さずに応援してください。どうか手を振ってください。手を振って応援してください」

 私は足元の雪を踏みしめて、一歩ずつ観客たちの集うコーナーへと近づいていった。

 コースロープを隔てた向こう側のコース上に、どこの国だろう、白人の先導者の姿が現れた。苦しげにゼイゼイ喘ぎながらも、一定の間をおいて、

 「ヤッ! ヤッ!」

 と背後に向けての声を発している。彼の後ろを二、三メートルおくれてブラインドクラスの選手が姿を現した。そのコーナーはきつい登り坂だ。先導者も選手も、同じように、たった今全力を出しつくさんとする必死な顔つきをしている。両者とも、垂れる水洟と涎で顔の下半分が濡れて、湯気を立てている。

 彼らは、苦しげな喘ぎ声と雪を削るスキーエッジの音だけを残して、そのコーナーから消えていった。

 時間にして十数秒のことだ。選手たちを見やる一方、私はコース周辺に群がる観客たちの姿をも垣間見ていた。

 彼らは、坂道の向こうに先導者の姿が見え始めた瞬間から、一斉に手を振り始めた。一人の例外もなかった。懸命に手を振る誰しもが、はち切れんばかりの笑みを浮かべ、瞳を潤ませていた。やがて先導者の背後にブラインドクラスの選手の姿が現れると、皆が皆、なお一層力強く手を振り出すのだった。

 私もまた、いつしか観客の中に混じって、懸命に手を振っていた。「頑張れ」と声に出して叫びたいのを堪えながら、千切れんばかりに手を振った。彼ら二人の姿が岩陰に見えなくなってしまってから後も、ずいぶん長い間、手を振り続けた。

 千切れんばかりに振られる手、というものが、あんなにも美しいものだとは、私は知らなかった。 

(はらだむねのり・作家)

本エッセイは、2024年11月におこなわれた原田宗典『おきざりにした悲しみは』刊行記念イベント(紀伊國屋書店新宿本店)での朗読にてあらためて披露されたことを受けて特別公開いたしました。イベントレポートはこちら


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