佐藤洋一郎 もち食文化をどう守るのか[『図書』2025年1月号より]
もち食文化をどう守るのか
ある大学の授業で餅搗きをした。臼と杵で餅を搗くのはほぼ20年ぶりのこと、張り切って2臼搗いたところで息が上がってしまった。ご存じない人も多いと思うが、1臼目(その日初めて搗くもの)は臼がまだ冷たく、手早く搗かないと餅のきめが粗くなってしまう。1臼目を誰かにやってもらえばよかったのだが、何しろ相手はパック入りの切り餅しか知らない学生たちのこと、「最初はやってみせる必要がある」と張り切ったのがこのありさまだ。
わたしは学際研究(異分野にまたがる研究)の立場からイネの起源や品種の研究を長く続けてきたが、研究成果は大学での授業でも使うようにしてきた。
なぜ大学の授業で餅搗きなど教えるのかといぶかる声もあろう。けれど今の時代、自分の食べるものが誰がどのように作り、運び、加工してできたものかという、いわゆる食のシステムがまったく見えなくなってしまっている。食という営みがどれほど環境に負荷を与えているかが可視化されていないことは今や大問題なのだ。餅搗きを自ら経験させることは実は環境教育の一環としてとても重要な役割を担っている──これが餅搗きをさせることの意味なのだと私は説いて回っている。
餅は、もち米(漢字では「もち」は「糯」の字があてられる)を蒸し、熱いうちに搗いて作る食品で、搗いた後は平たく延ばし冷めてから角形に切る切り餅(角餅)にするか、ちぎって丸めて丸餅にするかして食べる。搗いた餅は丸餅にして粉を打ったもろぶた(餅などを並べておく木製またはプラスチック製の四角い形をした浅い器)に並べた。学生たちは手を真っ赤にしながら、楽しそうに餅を丸めていた。
丸餅と角(切り)餅
切り餅にするか丸餅にするかには強い地域性がある。大雑把に言えば若狭湾と伊勢湾線を結ぶ線を境に東側(東日本)は切り餅、西側(西日本)は丸餅がそれぞれ圧倒的に多い。そしてこの傾向は昔から変わっていない。私はこの2年ほど静岡市に住んでいるので、市販の餅はほぼ切り餅である。けれど正月くらいやはり丸餅が食べたくて、一昨年末、近所の餅屋さんに丸餅を作ってくれるよう頼んだ。店はあまり乗り気でない感じで、1臼全部を買い取るということでやっと引き受けてもらった。1臼はふつう3升(約4・5キロ)、それまでは1キロか、せいぜい2キロしか買わない暮らしだったので、2升に減らして引き受けてもらった。
ところが、である。大みそかに受け取った餅は、確かに丸い形はしていたものの直径が10センチほどもある餅だった。わたしの頭の中にあったのは「いちご大福」を少し平たくしたくらいの大きさ、形の餅だったので、びっくりした。大きさまで指示しなかったこちらも悪いのだが、関西生まれ、関西育ちの家人も「餅は餅屋というのに」とあきれ顔である。結局2024年元旦のわが家の雑煮は大きな丸餅を切って作った角餅の入った、何とも奇妙なものになってしまった。
この話を静岡市内の別の餅屋さんに話したところ、「それならば小餅といえばよかったんだよ」と教えられた。京都に住んでいた時は、なじみの餅屋さんには丸餅しか置いていなかったし、こんな経験をするとは思いもしなかった。それが食文化というものだ。食文化が頑固なものであることを改めて思い知った。
アジアに広がるもち米文化
食文化は頑固であると書いたが、こんな経験をしたこともある。数名の仲間たちと中国・雲南省から国境を越えてラオスの首都ビエンチャンまで陸路で旅したときのことである。直線距離にすれば500キロに満たない旅程だが何しろ悪路の連続、それも調査しながらの移動なので2週間を要する旅である。一帯は名だたるもち米文化圏、人びとは1日3食、1年365日、糯米をおこわのように蒸して食べている。旅行者である私たちも当然毎食おこわを食べながら旅を続けるわけだが、そういう食生活を続けるとさすがに胃腸が疲れてくる。若いメンバーがまず音を上げた。発熱や下痢など感染症の症状はないが何となく食欲が出ない、というのだ。何か食べたいものがあるかと聞くと、ラーメンかチャーハンが食べたいという。あいにくとインスタントラーメンの持ち合わせもなかったし、山奥のこと、途中の村にも中華料理はおろかタイ料理の店もないらしい。そこで、1泊した旅籠のおかみさんにチャーハンの弁当を作ってくれるよう頼むことにした。いざ昼食となって弁当を広げてみたところ、包みから出てきたのはねばねばのチャーハンもどきのこわ飯だった。強いて言えば醤油味の中華粽といったところだろうか。これにはびっくり仰天したが、案内役の現地の研究者の言うには、この土地では、粳の米は「カオ・ピー」と呼ばれて蔑まれるという。ちなみに「カオ・ピー」は鳥の米というぐらいの意味、つまりは鳥の餌、人の食べ物にはあらず、くらいに認識されているらしい。
調査のおもな目的は、この地にある在来の糯品種の遺伝的多様性を調べること、そしてそのために、代々栽培され続けてきた種子をもらい受けることにあった。こうした調査はいまでは条約によって厳しく制限され、在来品種の種子を国外に持ち出すことはできない。だが当時はまだおおらかな時代で、集めた種子や情報は現地の研究者と対等な立場で共同研究することを条件に認められていた。この時の調査で集めたたくさんの品種の種子も、わたしの研究室の学生だった山中愼介博士、武藤千秋博士らの研究として実を結んだ。糯の研究を世界に先駆けて進めたのは日本人の研究者たちで、その流れは脈々と続いて今に至る。新たな成長分野の創生などと肩ひじを張らずとも、世界に冠たる研究分野はちゃんと存在するのである。
もちの遺伝学
それはそうと、米の胚乳は2種類のでんぷんからできているが、糯米にはそのうちの1つアミロースが欠けている。アミロースは粘らない性質をもつので、糯米は強い粘りを示すことになる。つまり糯米とはアミロースを作る遺伝子に故障が起きてできたものである。この遺伝子は4000個余りの塩基のつながりでできているが、その途中に、23個の塩基がひとかたまりとなって組み込まれ、それによって暗号文としての機能をなくしたということのようだ。遺伝子の故障は、分子遺伝学的にはいくつかの塩基の欠失や置換で起きることが多いが、このように追加によるケースも知られる。塩基の並びは3文字(塩基)単位でアミノ酸に変換されるから、3の倍数でない23塩基の追加はその後ろの暗号文の意味を完全に失わせてしまう。
さらに興味深いのは、糯品種のこの23塩基の追加の場所や配列が、ほとんどの糯品種で共通だということである。どうやら、糯米の遺伝子のルーツはたった1回の突然変異にあるらしい。まったく同じ突然変異が、異なる時代に、違う地域で起きるなどまずあり得ないことだからである。つまり糯米のルーツは、世界のどこかで起きたたった1度きりの突然変異に由来する、というのが現在の定説である。その稀有の突然変異が、代々受け継がれ広められていった。それが今の餅につながっていることには驚きを禁じ得ない。
ただし、それがいつどこで起きたことなのか、遺伝学には答える術がない。生物学は、生きた生き物を研究する分野で、「いつ」「どこで」という問いに答えを出すのは不得意である。それだから、糯米がいつ頃から日本にあるのかという問いにもなかなか答えることができない。考古学者からは仮説らしき説が出されてはいる。蒸しに使われたとおぼしき「甑」が古墳時代以降の遺跡から出現するので、そのころから糯米を蒸すという習慣が生まれたのではないか、という説がそれだ。
血糖値対策にもち米を
このように古い歴史をもつ糯米ではあるが、初めにも書いたとおりその消費は今確実に減りつつある。背景のひとつには、餅が(正確には糯米が、というべきであるが)健康によくない、との言説が広く信じられていることがある。高血糖の弊害の1つとされるのが食後血糖値の急激な上昇(血糖値スパイク)で、糯米は粳米よりスパイクをもたらしやすいとされているらしいのである。全国2000万におよぶといわれる糖尿病患者やその予備軍からは、糯米は危険な食べ物という烙印を押されてきた。けれど、いま国内で広く栽培されている糯品種は、どこまで糯品種の全体を代表しているだろうか。換言すれば、糯品種はあまねくスパイクをもたらすのだろうか。
これまでの研究から、在来品種の中には最近の品種にはない特徴をもつものが多くあることが知られている。糯米についてもそうで、今の品種で作る餅は柔らかく引っ張るととてもよく伸びるが、在来品種の糯米の中にはできた餅が硬く、強い力で引っ張るとぶつぶつと切れてしまうようなものもある。試しにこの品種でおこわを作ってみたところ強い歯ごたえをもつおこわになった。これならばひょっとして血糖値スパイクをもたらさないのではないか。そう考えて医学や動物生理学の専門家との共同研究を始めた。だが、臨床試験に持ち込むにはデータが足りない。現在、患者や健常者を対象にした臨床試験をするには大学などにおかれた倫理委員会による厳しい審査を通過する必要がある。糯米はスパイクをもたらすとの「定説」を覆すに足ると思われる根拠がなければ、仮に動物実験であるとしても倫理委員会の審査のハードルはあまりに高い。
この難題に果敢に挑んでくれたのが共同研究のメンバーである若き同僚岩崎有作さんだった。岩崎さんはマウスを使った動物実験のプロで、複数の在来の糯品種のなかに、粳品種と比べてもスパイクをもたらしにくいものがあることを、周到に用意された実験によって明らかにした。もしこの知見がヒトにも当てはまるならば、近い将来、糖尿病の患者やその予備軍の人たちでも心おきなく食べられる餅の開発につながるかもしれない。それと同時に、在来の品種の中に、私たちが忘れてしまった価値を持つものがあるかもしれないことに改めて気づかされたのだ。
アワのもち、オオムギのもち
ここまで糯米について書いてきたが、米以外にも糯性の胚乳を持つ穀類はたくさんある。米と同じアジアの夏穀類であるキビやアワ、ヒエにもあるし、新大陸生まれのトウモロコシや麦の仲間であるオオムギやコムギにも糯品種の存在が知られている。まだ大学院の学生だったころ、わたしは一時期、岡山・倉敷市にある旧大原奨農會の研究所(岡山大学農業生物研究所(現在、岡山大学資源植物科学研究所))に内地留学していたことがある。そのころ研究所の農場の技官をしていた守屋勇さんはとても博識な人で、私も仕事の合間に実にいろいろなことを教わった。オオムギにも糯の品種があること、それらはずいぶん昔から山中で細々作られているとのことだった。また、オオムギの餅の話もよく聞かせてもらった。米の餅よりもずっと長い間柔らかいままだということ、その代わりいったん硬くなれば、今度は何をしても柔らかくならなかったことも教わった。「煮ても焼いても食えない」という語はオオムギの餅からきているのだ、というのが守屋さんの持論だった。
アワにも糯の品種がある。アワの餅は黄色っぽい色をしているので、すぐにそれとわかる。ところが「むこだまし」という品種は胚乳が白く、それで餅を作ると米の餅と区別がつかない。穀類は社会的な序列がはっきりしていて、アワは米に比べて序列が下である。黄色い餅を客に出せば「あの家は米を食えない(または作れない)家」との烙印を押されることになる。ところが「むこだまし」を使えばその懸念はなくなる、というわけである。
もち食を守ろう
もち食への嗜好性は、日本では確実に弱まってきている。これまでは行事のたびにおこわを食べ、あるいは餅を搗いて食べてきたが、その行事がどんどん減ってきている。行事そのものはなくならないまでも簡略化は確実に進みつつある。餅など正月以外は食べないという人も増えた。いや、その正月に雑煮さえ食べないという若い人たちもある。かつては、日本人は年末から年始のわずか10日ほどの間にクリスマスを祝い墓参のために寺に参り元日には神社に詣でると揶揄されたが、今は11月のハロウインが終わればクリスマス、年末年始のカウントダウンとカタカナ行事ばかりが打ち続く。必要な摂取カロリーは牛乳で補われ、穀類は極端なまでに遠ざけられてゆく。
穀類を敬遠する風潮は一種のフードファディズムである。ある食物が健康によい、あるいは悪いという言説を無批判に信じ込み、しばしば極端な食行動を伴う。糖質制限ダイエットもその一つで、糖質に対する忌避感は尋常ではなかった。そうなったことにはマスメディアの責任も大きい。そしてこうした流れの中で、糯は真っ先に批判の的にされた。
もち食の文化が遠ざけられる傾向は日本だけのものではない。先に紹介したラオスも、メコン川を境にラオスの南と西に広がる北タイ、東北タイも、かつては糯米への志向が強い地域であったが、今や日本同様、もち食文化の衰退に直面している。このまま行けば人類は「糯」も、その字も、そしてもち食の文化も失う危険性もある。けれどいっぽうで最近では、「和食」が2013年に、また日本の「伝統的酒造り」が2024年に、それぞれ無形文化遺産に登録されるなど、地域に固有の食文化を遺産として守り継ごうという動きも次第に活発になりつつある。「和食」も「伝統的酒造り」も、どちらも消費の伸び悩みや技術の継承者不足という課題を抱えている。だからこそ「遺産登録」が求められるわけだが、その事情はもち食の文化にもあてはまる。ここはどうだろう。近い将来、関係国や地域が協力してもちの文化を無形文化遺産に登録してみるというのもおもしろいかもしれない。
(さとう よういちろう・遺伝学、食文化学)