【文庫解説】川本皓嗣編『新編 イギリス名詩選』
ページを開けば、声に出して読みたくなる──16世紀のスペンサーから20世紀後半のヒーニーまで、詩人たちの〈歌う喜び〉を感じさせてやまない、イギリスの名詩の92篇。その充実した名作の数々に、改めて彼の国の詩の長い伝統を思わざるを得ません。
以下に示すのは、編者の川本皓嗣先生による「まえがき」の一節です。全文は本書『新編 イギリス名詩選』にてお楽しみください。
本書のねらいは、イギリスの詩を原語で楽しみたいという読者や、英詩を日本語訳で味わいつつ、折に触れて原文を参照したいという読者のために、手ごろなサイズで読みやすい対訳アンソロジーを提供することだ。16世紀から20世紀後半までに作られた英詩の中で、最も愛され親しまれている名品92篇を選りすぐり(スコットランドとアイルランドの作品を含む)、原詩テクストに日本語訳と詳細な注釈・解説を付した。
ひと昔前のように、もっぱら文字を通して英語を理解するのではなく、音声を通じてじかに英語でやり取りする人が圧倒的に増えた今こそ、英詩を英語で楽しむ絶好のチャンスではないか。なぜなら詩はとりわけ会話や談話など、生きた言葉の音やリズムのエッセンスを精妙に組み上げたものだからだ。
「君、ぼくらは同じ巣で歌う小鳥の群れなんだ」Sir, we are a nest of singing birds──すぐれた詩人を輩出したオックスフォード大学のペンブルック・カレッジについて、ジョンソン博士が残した有名な言葉(ジェイムズ・ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝』)は、イギリス全土にも当てはまる。ざっと世界の文学を見わたしても、イギリスの詩ほど伝統豊かでバラエティに富み、母語で歌う詩人たちの喜びを読む者にまざまざと実感させる作品群は、他においそれとは見当たらない。ことによれば、語彙の多彩さ、母音や子音の豊富さと響きの強さ、起伏の鮮明さなど、英語という言語そのもののめざましい特性が、とりわけ詩人たちの歌ごころを搔き立てやすいのかも知れない。
(中略)
日本の読者が西洋の詩に接して戸惑うことがあるとすれば、それはまずその長さと、そこに含まれる知的要素の多さのせいだろう。日本では和歌俳句に「理屈」がまじることを極度に嫌い、警戒する。それに対して西洋の詩では、説得的で才気に富む論の展開──意表を突く理屈や皮肉、話の面白さが重要な位置を占める。せいぜい17字や31字の詩句を、時間をかけてじっくり味わうという熟読玩味の姿勢では、1万行を超えるミルトンの『失楽園』を通読しようという勇気は、到底出ないだろう。
だから英詩の魅力になじむためには、詩句のこまやかな味わいはいったんさておき(それはあとあとの楽しみとして)、まず大まかな思考や話の筋道をたどり、その紆余曲折に身をゆだねるのが早道だろう。例えば、軽快なラヴ・ソング「行け、きれいなばらよ」(本書[21])を例に取ってみても、わずか20行の狭い枠内で、三段論法に近いひねった理屈が次から次へと繰り出されているのに気が付かれるだろう。その水際立った機知のひらめきが、今も多くの読者をひきつけるのだ。
(全文は、本書『新編 イギリス名詩選』をお読みください)