『科学』2025年2月号 特集「シチズンサイエンス」|巻頭エッセイ「市民科学の時代の到来」小堀洋美
◇目次◇
【特集】シチズンサイエンス──協働から生まれる知のかたち
みんなでつくる科学──シチズンサイエンスによる新しい研究のかたち……一方井祐子
雷雲プロジェクト──tangible scienceの試み……榎戸輝揚
動画天文学が解き明かす未開の太陽系──はやぶさ2次期フライバイターゲット 「トリフネ」形状決定を例に……有松亘
シビックテックとシチズンサイエンス……武貞真未
GIMPSによる巨大素数探索と分散計算……青木和麻呂
地味な生き物と市民科学──「ナメクジ捜査網」……宇高寛子
市民科学と学術研究の間の壁を越える──写真を用いた市民参加型調査 「花まるマルハナバチ国勢調査」……大野ゆかり
[巻頭エッセイ]
市民科学の時代の到来──市民科学を自分事,みんな事に……小堀洋美
細胞老化の新たな原因:細胞膜の傷……河野恵子
ゴカイの分類学──圧倒的な多様性が生み出す変なやつら……自見直人
氷Xとは何か──超高圧中性子回折実験でとらえた水素結合の極限の姿……小松一生
アリはコロニーの大きさをいかに知るのか?──自己組織化による群れサイズ知覚……辻和希
アニマシー知覚:外見からの認知と動きからの認知のミスマッチ……植田一博
ネムリユスリカはどうやってほぼ完全な乾燥を生き抜くのか?……吉田祐貴・黄川田隆洋
[連載]
言語研究者,ユーラシアを彷徨う7 空と大地が触れ合う大草原──ソロン語……風間伸次郎
日常身辺の確率的諸問題12 客観的な確率は存在するのか?……原啓介
3.11以後の科学リテラシー145……牧野淳一郎
[科学通信]
奄美大島から特定外来生物のフイリマングースを根絶──世界最大規模の根絶劇はどのように成し遂げられたのか?……橋本琢磨
水中の小さな群体生物コケムシの魅力に迫る……広瀬雅人
次号予告
表紙デザイン=佐藤篤司
市民科学は市民が参加する科学研究のことで,多くの場合,科学者や多様な組織との協働で行われる。その市民科学が,この20年間で急速な進展を遂げた。進展の背景には,多様なキャリアや専門知識をもつ市民の参画,ICT(情報通信技術)やAIの活用,データ収集のためのスマホ,モバイルアプリ,安価なセンサーの普及などが挙げられる。その結果,対象分野,規模,手法,量は飛躍的に拡大し,新たな市民科学の扉が開かれた。
新たな手法の一例として,2021年からNHKが放映している市民参加型の番組「シチズンラボ」を挙げる。番組は,研究者と視聴者である市民をつなぎ,集合知による新たな発見を目的としている。研究者だけでは解明できない自然,人間,社会に関する幅広い分野の調査に多くの市民が参加し,得られた成果は,科学研究に役立て,社会にも還元されている。番組は,その社会的意義が認められ,2023年にはグッドデザイン金賞にも選ばれた。
スマホとAIを活用した事例として,全ての生物分類群を対象とする世界規模の生物調査のプラットフォームである「iNaturalist」を挙げる。2008年にカリフォルニア自然史博物館が開発し,現在では日本語をはじめ40の言語での利用が可能である。登録者はiNaturalistに観察した野生生物の写真をアップロードするとAIから種の提案がされる。その後,世界中の830万人にのぼる登録者の協働により種名が確定されると,世界最大の生物多様性のデータベースである地球規模生物多様性情報機構(GBIF)に登録され,だれでも活用できるようになる。
iNaturalistをプラットフォームとして,自分の地域や組織で独自のプロジェクトを立ち上げることもできる。その一例である「City Nature Challenge」は,世界の都市の生物多様性を知ることを目的としている。2024年には,51カ国から690の都市が参加し,プロジェクトの実施期間の4日間で,参加者数は8万人,生物の観察数は240万,種数は6万にのぼった。なお,ウクライナからの参加者数と観察数は参加国の上位であった。戦火や大災害による被災地で生きる人々は,バイオフィリア(生命に対する愛)を深く感じ,生きる力をもらうと言われており,プロジェクトはその機会にもなっていると言えよう。
現在は6度目の大量絶滅の時代である。地球上の種の多様性は減少し続けており,その保全策や生態系管理手法を考える上で,種の基礎情報を得ることは重要である。しかし,地球上にどのくらいの種が存在するかは明らかでないが,1000万〜3000万種が存在するとの推測に従うと,世界の生物の83〜94%はまだ種名が付けられていない。GBIFのデータの半数は市民科学から得られており,市民科学への期待は大きい。
市民科学は,科学,教育,社会に変革をもたらしている。科学の分野では,多くの市民が研究に参画することで,従来の在り方を変え,「科学の社会化」をもたらしている。教育の分野では,学校教育の探究活動や生涯教育の一環として,市民科学プロジェクトに関わることで,主体的な学びを通じた自然や社会に対する価値観の変化や行動変容を促進している。得られた成果は,課題解決,政策提言,持続可能な社会の形成などを通じて,社会の革新にも活かされている。市民科学は,これらの変革を同時に行えるという点でも強みをもつ。
市民主体の市民科学の事例が増えており,さらに多くの市民が,科学者や多様な組織と協働・共創し,社会の変革に加わることを期待したい。