永井玲衣 出会う[『図書』2025年4月号より]
出会う
ある場で取材をうけていたときに、居合わせたカメラマンが、ちょっといいですかと話しかけてきた。ちょうどわたしは取材のなかで、たった1行ですべてが変わってしまうような言葉に出会うことについて話していた。そんなわたしにカメラを向けていたひとが、自分にとっての言葉を伝えたくなってくれたのだ。
「こういうの、全然よく知らないんですけど」とそのひとは言った。「たまたま出会ってしまって、そこから頭を殴られたようになって、もう忘れられなくて」。手元のスマホを、人差し指でついついと突っついている。その言葉に出会ったとき、あまりの衝撃で写真を撮ったのだという。写真はすぐに見つかった。本当に最近のことなのだろう。これなんです、とそのひとは、事件現場を目撃してしまったような表情で、わたしにスマホを手渡した。そこには、わたしも出会ったことのある、うつくしい言葉が並んでいた。
かなしみ
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
言葉がわたしに届き終え、顔をあげると、そのひとは真剣な表情のままだった。「すごくないですか。もう、何がすごいのか、わからないんですけど」。これはすごいですねえ、とわたしも応答した。これまで読んできたよりも、ずっと心のとおいところまで言葉がきてしまったように感じた。そのひとは、何度も頷いて「谷川俊太郎さんっていうひとがこれを書いたみたいなんですけど」と言った。
わたしは、胸を突かれた。このひとは、谷川俊太郎に出会ったのだ。谷川俊太郎は、おそらく日本でもっとも有名な詩人だろう。知らないひとは少ない。そのひとも、名前は知っていただろう。だが、このひとは谷川俊太郎の言葉に「出会った」。そこにわたしは立ち会えたのである。なんて幸運なことだろう。
そして同時にこうも思った。谷川俊太郎とは、まだ発見されるのか、と。言葉はあまりにも多くのひとに踏みしめられると、崩れてくる。口の中で噛み締められつづけて、味がしなくなることもあるし、路上に吐き捨てられてしまうことだってある。それなのに、まだ、これほどまでに鋭くひとりの生に差し迫り、存在をおびやかすほどに輝くのだ。このとき、谷川俊太郎はもうこの世にいなかった。それなのに、言葉はどくどくと脈打って、わたしたちの目の前にあった。
わたしは本に育てられた。詩を食べ、本とともに眠った。小学生のときは、学校から帰るとふとんの中にもぐり、谷川俊太郎が詩を朗読するカセットテープを再生した。クレヨンハウスで、谷川俊太郎が自作を読むライブ録音だった。『みみをすます』『ことばあそびうた』『わらべうた』『これはのみのぴこ』などから、やわらかい声をした詩人が、のびのびと朗読するのだ。わたしはこれを、信じられない回数きいたと思う。気に入ったところは何度も巻き戻した。そのたびごとにげらげらと転げ回って笑った。谷川俊太郎の朗読にあわせて、おぼえてしまった言葉を一緒にとなえた。気に入った音楽を口ずさむように、かれの言葉を口ずさんだ。自然なことだった。そのおかげで、今もわたしは谷川俊太郎の詩をいくつかそらんじることができる。
やんま
やんまにがした
ぐんまのとんま
さんまをやいて
あんまとたべた
まんまとにげた
ぐんまのやんま
たんまもいわず
あさまのかなた
詩は、わたしの育て親であり、教師でもあった。わたしはここから「ヤンマ」や「群馬」「按摩」をおぼえた。まるで赤子だった。音や言葉がまず最初にわたしを出迎え、そこから意味がやってきた。だからか、いまでも群馬県の話題が出ると、谷川俊太郎のいたずら好きな声で「やんまにがした ぐんまのとんま」ときこえてくる。
わたしたちは、谷川俊太郎の言葉に、世界を教えられもするし、世界を変えられもする。そんな詩人がほかにいるだろうか。果てしなくふしぎで、それなのにすぐそこにある。まるで自然みたいだ。自然の中にわたしたちは生きていて、当たり前のように風が吹き、山があり、空がある。夜がきて、朝がくる。誰もが経験し、知らぬふりをすることはできない。だが「ふつう」のことなのに、ものすごく「ふしぎ」だ。
谷川俊太郎はしばしば、自分の詩で目指すものとして「道端の草花」を挙げていた。わたしたちは草花を見て、感動することがある。だが、草花はただそこに存在しているだけだ。なぜ感動するのかも、うまく言葉にできない。そこに意味を見出すことも、感動のメカニズムを体系的に説明することもできない。だからこそ、道端の草花は、谷川俊太郎の詩のようなのだ。
わたしは、かれの詩の目指すところが自然物であることに、立ち止まらざるを得ない。精巧につくられたガラス細工でも、パワーを備えたロボットでもなく、道端の草花なのだ。やはり草花もまた、すぐそばにあり、このうえなくふしぎな存在である。
もうひとつ、思い出すことがある。福島の小学校に呼んでもらった。人数が少ない学校だったので、小学1年生と2年生合同で、谷川俊太郎の詩「生きる」をもとに言葉で遊ぶことにした。
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
この有名な詩は、さらに、のそり、のそりとつづいていく。「泣けるということ」や「いまどこかで産声があがるということ」「いまいまが過ぎてゆくこと」など、たくさんの「生きる」に触れられ、そして「いのちということ」で締めくくられる。終わるわけがないので、ここで一度ひとくぎりをします、とでも言うように、すっと終わるのだ。
わたしは「生きる」の最初の2行だけが書かれた紙を配り、そのつづきを書くのはどうかと、子どもたちを誘った。子どもたちは「いいよ」と言った。せっかくだから、別の年齢に変身して書くのはどうか、とも提案した。同じ実践者の知人たちが考えた授業案で、わたしも気に入っていたのだ。子どもたちもそのアイデアをいたく気に入り、1歳になってみたり、1000歳になってみたり、はたまた38歳になってみたりした。
変身してみたうえで、子どもたちは「生きる」の続きを書きはじめた。椅子を机にして、えんぴつでごりごりとかれらは書いていた。福島のうつくしい陽射しが、教室に差してきて、永遠にこうしていたいような気がした。
子どもたちの声で、谷川俊太郎のように書いた詩を朗読してもらう。透き通った、ぴかぴかの声で、木の床によく反射した。ある子は、27歳になって、「生きる」について考えて書いてみたという。
生きているということ
いま生きているということ
まどからきれいなけしきをみること
こんな詩だった。本当に、道端の草花のようだった。
わたしは、かれらに谷川俊太郎のもとの詩を伝えてはいなかった。「生きる」は国語の教科書に載っているが、小学1年生と2年生ではまだ触れない。それでも、子どもたちの言葉は、とても近くて、そしてふしぎでいっぱいだった。
これはその子の、とりかえのきかない言葉だった。その言葉を通して、わたしはまた谷川俊太郎に出会うことになった。言葉はなんて面白く、豊かで、こんなにも近くの言葉を集めて遠くにいけるのだと、わたしは思い出すことになった。
言葉と一緒に生きている。言葉に裏切られ、言葉に傷つけられる。そして、言葉に気にかけられ、言葉にうつくしい場へ連れていかれる。それは、言葉が世界をひらくからだ。谷川俊太郎の言葉は、ぴょんぴょんと跳ね回って、世界をどんどんひらいてしまう。そこに真新しい言葉は必要ない。見たことのない言葉をたくさん積み上げて、堅牢な世界をつくりあげるのではない。すぐそばにある言葉を摘み取って、花束ほど人工的でなく、ぱぱぱっとまとめてしまうのが、かれの詩だった。わたしはそれを、自分がカセットテープを何度もききなおしていたときと同い年くらいの子どもに、思い出させてもらったのだった。
ほかにも、子どもたちの詩はすばらしかった。わたしは、紙に書かれた子どもたちの詩を大切に持ちかえり、机の上に並べて何度も見た。陽がたっぷりとあたって、うつくしかった。その次の日に、谷川俊太郎さんは亡くなっていた。
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
かなしみの中で、そのかなしみと向き合うために、わたしはまた谷川俊太郎の詩に出会う。あなたが出会ったおかげで、わたしもまた出会いなおし、あなたの死によって、また出会いなおす。谷川俊太郎が、わたしたちにかなしみを教える。
道端には、たくさんの草花が、そっと育っている。
(ながい れい・哲学)