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【文庫解説】バルガス=リョサ 作/旦敬介 訳『世界終末戦争』

 現代ラテンアメリカ文学の最後の巨人、バルガス=リョサが2025年4月に亡くなりました。岩波文庫では、『緑の家』(上・下)、『密林の語り部』、『ラ・カテドラルでの対話』(上・下)など、作家の代表作を収録してまいりましたが、このたび最高傑作の一つと評価される『世界終末戦争』(上・下)を追加収録することができました。下巻に収録されている旦敬介先生による解説の冒頭部分を、以下に抜粋いたします。

 


 

アメリカ大陸の国家

 南の大国、ブラジル。
 太陽、くだもの、音楽、そして、おいしいカクテル。人生に必要なものすべてがここにはそろっている。すてきな微笑みと鷹揚な心構え、おまけに暴力もふんだんにある。そして何よりも、あらゆる人種が。コパカバーナのビーチをひとわたり見まわしてみるといい。世界のすべての肌の色がそこには陳列されている。「人種」という十九世紀のキーワードがほとんど意味をなさないほどにたくさんの血が混じりあって豊かなグラデーションを作り出しているのがブラジルだ。
 黒人と白人の混血ムラートたち、白人とインディオの混血マメルーコたち、インディオと黒人の混血カフーゾたち。そして彼ら相互の混血。近代移民としてやってきたヨーロッパ人たち、アジア人たちもその混合の波のなかにいつしか巻きこまれてしまっている。そのため、ブラジルには人種ないし肌の色をさししめす単語がおよそ三百あるという。けれども、三百もの区分に分類してしまうと、そのそれぞれの間の差異は容易に識別しがたいほど小さくなり、もうほとんど分類しないのと同じことになってしまうだろう。国家としてのブラジルは人口統計に人種の項目を含めるのを放棄してしまっているほどだ(現在では自己認識のみ)。
 日本語では色や顔つきを描写することばが決定的に不足していて、ブラジル的な光景を正確に描き出そうとする試みは挫折するしかない。あまりにも複雑な肌の色。「肌色」ということばはここではまるで意味をなさない。すべての色が肌色なのだから。みんなが似たような顔の色、髪の色をしている国から来た無邪気な観察者も、人種という考えがここでは有効性を失っていることを認めざるをえない。それが十九世紀ヨーロッパの社会進化論や決定論的遺伝学が生んだ邪な産物だったことをどうしたってブラジルでは思い知ることになるのだ。
 このような並存・共存・混合というのはアメリカ大陸の本質だ。コロンブスと出会った時以来、あるいはアメリカと名づけられた時以来、この大陸がいくつもの異質なものを混ぜあわせることによって独自の地位を築いてきていることはあきらかだろう。まるで地球が絵の具を混ぜあわせる実験をしているかのようなごちゃまぜ性、それこそアメリカ大陸性というものにほかならない。
 しかし、アメリカ大陸の国々が、そのようなごちゃまぜ性を自分らと不可分な属性としてとらえるようになったのはいつごろのことだったのだろうか。ここではブラジルのことにだけ限ってみる。新大陸で唯一、植民地本国の君主が移り住むという大事件があったブラジルは、アメリカ大陸じゅうでもっともヨーロッパ的な国だったと言える。一八二二年にポルトガルから独立してブラジル帝国となったのも、ヨーロッパ生まれの王子を君主として頂いてのことだった。その後、一八八八年の奴隷解放をへてブラジル共和国となったこの国が、わけのわからない複数のものたちの並存・共存・混合しているアメリカ大陸的な社会として自分のことをほんとうに認識したのはいつのことだったのか。それはけっしてそんなに古いことではない。ラテンアメリカ各国が、アメリカ合衆国やヨーロッパの国々とは違った原理で進行しているものとして自国を主張しはじめたのと、それはかなりの程度まで時期的に重なっている。それはおそらく、早く見つもっても十九世紀なかごろ以後のことだ。
 十九世紀のアメリカ合衆国は、アメリカ大陸をヨーロッパからひき離すことを宣言し、それと同時にアングロアメリカとラテンアメリカとを一緒くたにして自分の勢力圏にまとめあげようとした。これがいわゆるモンロー主義だ(「ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への干渉は合衆国に対する敵意のあらわれと見なす」)。たしかに、ラテンアメリカ各国がヨーロッパから(政治体制として)独立する過程では、合衆国の独立革命が前例として大いに参考にされたものだった。しかし、だからと言って北アメリカと南アメリカはやっぱり違うし、親分子分でもない、という認識はモンロー主義に対する反発としてやがて姿を現してくる。南北峻別の認識が明確にうちだされた例として、たとえば、キューバの独立のために戦ったホセ・マルティが一八九棚年代に使うようになった「われわれの側のアメリカ」という言い方があげられる。英語をしゃべらない側のアメリカ諸国という意味だ。これはすぐに定着して、ラテンアメリカではかなり日常的な用語として使われるようになった。また、ウルグアイの思想家ホセ・エンリケ・ロドもマルティと同時代に、ふたつのアメリカの間を隔てる原理を功利性と精神性とに集約して表現した。ラテンアメリカはヨーロッパではないし、かといってアメリカ合衆国でもない、という今では当たり前のことはやっと十九世紀末にはっきりと表明されるようになったにすぎないのだ。
 そして、ブラジルもやはりちょうど同じころ、そのような認識をうながす悲劇的なできごとに遭遇していた。ヨーロッパ的なペースでものごとを進めても自分のところではどうもうまく行かないぞ、と、生まれたてのブラジル共和国が思い知らされた事件、それが『世界終末戦争』であつかわれているカヌードスの反乱だった

(全文は、本書『世界終末戦争』(上・下)をお読みください)

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