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『図書』10月号 【試し読み】志村ふくみ/辰巳芳子

◇目次◇
スマートホンで撮る科学写真……伊知地国夫
自然の「豊かさ」を描き出す……永幡嘉之
なぜこの人たちが……西平 直
市川房枝の恋……進藤久美子
庇護者の誤認……若松英輔
キャンペーン・連れ込み旅館・バード会……さだまさし
シチリア追憶、感傷旅行……佐伯泰英
ニセモノの輝き……柳 広司
カズイスチカ……加藤典洋
要、不要……齋藤亜矢
舟を編む……三浦佑之
ベルイマンの島で、夏至ダンスを踊ってみた。……冨原眞弓
十月の新刊案内
 (表紙=司修) 
(カット=西沢貴子)
 
 
◇読む人・書く人・作る人◇
 石牟礼道子の能「沖宮」に寄せて 志村ふくみ
 
 十月、熊本・水前寺での公演を皮切りに、石牟礼道子作の新作能「沖宮」が京都、東京で舞われる。天草を舞台に、戦に散った天草四郎、生き残った乳兄妹・あや、そして人々の死と再生とを、石牟礼さんは命を削って書き切った。しかし今年の二月、能の完成を見ることなく、石牟礼さんは逝ってしまった。
 
 能装束の制作を依頼されたのは約七年前のこと。相応しいと思われる色を幾つかお目にかけると石牟礼さんは直ちに二つの色を選ばれた。四郎に水縹みはなだ色、あやには紅花の緋色であった。
 
 四郎の水縹色は、臭木という植物の実から頂いたものである。臭木の名は、この木のビタミンのような独特の匂いからきているが、私はこれを天青と呼ぶことにした。僅かに黄味がかって蝋質を帯びた青が天からの授かりものという他ない、まことに美しい色故である。一方あやの赤は、紅花の緋色。同じ赤でも根から染液を抽出する茜は大地の赤、母の赤。対する紅花の赤は無垢な乙女の色である。数ある色見本の中から迷いなく石牟礼さんは選び取った。色の本性を一瞥のもとに見抜く、恐るべき感性であった。
 
 異常としか思われぬ自然災害が昨今多発している。思うままな近代人の振る舞いも、限界を超えたと見るべきであろう。能「沖宮」には、そうした事態を生んだ近代に対してこれだけは言い置きたい、という石牟礼さんの想いが溢れている。できることならば、生きて、「沖宮」を見てほしかった。
 
 今はただ、この能を石牟礼さんの遺言として噛みしめたい。
 
(しむら ふくみ談・染織家)
 
◇試し読み◇
菊の盃〈お肴歳時記 第一回〉 辰巳芳子
 
  「世界の歴史をみても、古い文明は必ずうるわしい酒を持つ」という書き出しで知られる、酒博士・坂口謹一郎先生の『日本の酒』(岩波文庫、二〇〇七年刊)をお読みになったことがありますか。自然に恵まれた日本に美酒のあることは当然として、酒の肴のさまざま多いことにも驚かされます。
 私はこれまで、いわゆる「婦人雑誌」にレセピを寄せたり、随筆を書いてきましたが、さて『図書』の読者といったらどんな方だろうか――とつおいつ考え、ご年配の男の方が多いのではないかしら、それならば、普段庖丁を持ちつけない方でも取りつきやすいものを中心に、ご紹介するのがよい、との結論に至りました。
 四季折々、疲れを癒す一献にぜひ心を配り、お酒が明日の英気を養うものとなりますように。そういう思いを込めて、今号から折々の酒の肴をご紹介していきたいと思います。題して「お肴歳時記」。食における愉しみについてのお話、とでも申せましょうか。
 ですからふだん料理は他人任せという方も、買い物に出て、手を動かし、ご自分の味を見つけてください。


 酒飲みは道具に凝って

 と、ここで申すまでもないことですが、酒の楽しみはその味、香りだけをいうのではありません。徳利、盃はぜひとも良いものをお使いください。箸に箸置き、醤油注ぎにお手塩皿にいたるまで、ご自身の気に入ったものを使って傾ける酒の味はまた格別ですから。
 ずいぶん道具立てに凝るようですが、外での飲み代を考えれば安いもの。酔うためではなく翌日から元気に働くためのお酒ですから、つまらないと思われるようなことこそ大事に扱ってほしいと思います。
 例えば部屋の灯りもそうで、蛍光灯の青白い光は料理から色を奪い、どこか薄っぺらなものに見せてしまいます。日本の照明はとかく明るい。そこへいくとドイツという国は日照時間が短いことも関係するのでしょうか、光の感受性が日本人のそれとは違っているように私には感じられます。食卓でも電光色の灯りで手元を照らし(部屋全体ではなく)、加えて実にまめまめしくろうそくに火を灯し、その潤んだような灯りのなかで食事をするのです。
 『陰翳礼讃』の国からは遠く隔たったところまでお話がそれてしまいましたが、せっかくの酒ですから、魂を養うおつもりで、ろうそくに火を灯してみてください(火迺要慎!)。


 酒の効能――謡曲『猩々』と『菊慈童』

 今年の夏は異常に暑く、辛いものでしたが、それでもさすがにこの頃は、鎌倉の谷戸を吹く風もひんやり、ときには肌寒いこともあるほどです。我が家の庭でも、そろそろ野菊が香り高い花をつける頃。昔から菊は薬効高い植物として知られ、不老長寿の妙薬としても尊ばれてきました。旧暦の九月九日は重陽の節句、菊の節句ともいい、長寿を祈ったものですが、今では五節句のなかで一番縁遠く感じられるものになったと言えるかもしれません。
 酒好きの精霊・猩々(しょうじょう)がシテとなる能『猩々』の詞章には、「ことはりや白菊の。着せ綿を温めて酒をいざや酌まうよ」とありますが、着せ綿をご存知でしょうか。重陽の節句の前夜、菊の花の上に綿を置いて一晩置きますと、これが朝にはしっとり露を含んでおります。これで身拭いすると老いが去り、命を永らえるのだとか。ご家庭でも盃に一、二片の菊の花弁を浮かべて召し上がるのも一興でしょう。
 また謡曲『菊慈童』は、この菊の霊効を謳った、秋の名曲です。
 魏の文帝の治世、酈縣山(れっけんざん)の麓から薬水が湧いたとの報に、帝は勅使を差し向けます。すると山中に童子が一人、庵を結んで住んでいる。聞けば童子はかつて周の穆(ぼく)王に仕えていたが、誤って帝の枕を跨いでしまったため、この山中に流されたと語ります。これを証拠と、その時賜った枕を勅使に見せる童子。
 穆王の時代から数えること七百年、しかし童子は若々しい姿のまま。これは枕に書きつけられていた法華経を菊の葉に書写したところ、その葉に落ちた露がそのまま霊水に変じたため、それを飲んだ童子も不老長寿の身となったのです。微醺を帯びた童子は帝の長寿を寿ぎながら舞い戯れ、やがて仙家へと帰って行った、というお話です。
 酒の肴として、菊は非常に洒落たものですが、この頃は飲み屋で出すところも減ったようです。しかし花弁を食べるということは菊を措いて他にないというだけでなく、この花の歯ざわりは他に代わりのないものであります。食の伝統を繋いでいきたいと思えばこそ、今日は菊を使った料理を二、三、お教えいたしましょう。難しいことはありません。


 菊の甘酢和え

 菊花の甘酢和えから。まず甘酢を用意いたしましょう。分量は全て割合で示します。
 鍋に酢一、水一、砂糖と酒をそれぞれ二分の一、煮切った味醂四分の一、塩少々を入れ、約五〇度まで温めます。
 次いで食用菊の花を茹でましょう。食用菊を適宜ご用意ください。萼から花弁を外し、ざるに入れてから水に浸します。菊の花弁は軽いものですから、こうして洗わないと非常に扱いづらいのです。水につけるうち、汚れが浮いてきますから、二度ばかり水を入れ替えてください。塩と酢を少々加えた熱湯に、この菊の花をざるごと浸し、一分茹でます。その後、直ちに冷水にとって冷まし、水気を切ります。あとは先ほどの甘酢にしばらく浸せば出来上がり。熱湯消毒した瓶に詰めて冷蔵庫で保存すれば、一週間程度はもちます。紅菊、黄菊など、さまざまに作ってごらんになってください。
 甘酢和えはそのまま食べるのもよいでしょうが、酸味を添えるおつもりで焼き魚の脇に置いてもよいのです。あるいは大根おろしに混ぜ込んでも結構。黄菊、紅菊の酢漬けが、みぞれのように真っ白な大根おろしによく映り、すがれゆく秋の野の中の、目も綾な点景のようです。甘酢和えでなくとも、梅醤(うめびしお)、あるいは胡桃と和えることもできます。梅醤とは、水に浸して一晩置き、果肉を裏ごしした梅干しに味醂や酒、グラニュー糖を適量加えて火にかけたものです。おかゆに添えると大変具合の良いものです。


 秋の香薫る精進揚げ

 菊花の甘酢和えは非常にさっぱりとしたものですから、もう少しコクのある味をお求めの向きもありましょう。そういう方には精進揚げをお勧めします。「茹でる」という調理法などと比べると、「揚げる」という方法はぐんと上級編、一気に難しくなります。というのも、てんぷらには信頼出来るレセピだけでなく、温度調節の他にいわく言いがたい、一種の勘というべきものが要るからです。しかし菊の葉や生姜、百合根を使った精進揚げは、それはそれは品の高い肴になりますから、応用編として書いておきましょう。
 材料となる食用の菊の葉、生姜、百合根を適量ご用意ください。作り置きには全く向きませんから、食べきれぬような量を作っても無駄になってしまいます。念のため。
 まず生姜ですが、皮をむいて千切りにしたら、水に放って一晩置きます。これが一番大切な下ごしらえです。百合根は鱗片を一枚ずつ剥がし、やや塩っぱいと感じられる程度の塩水に放ちます。汚れが自然に浮いてきたら取り上げ、紙タオルで水気を取り除きます。菊の葉は水で洗えばそれで結構です。これで材料の下ごしらえはおしまい。
 次に衣です。てんぷらの衣は粘りが出ては美味しく揚がりません。どういう場合に粘りが出るかというと、水と小麦粉を混ぜ過ぎたとき、また温度が高くなりすぎたときなのです。ですから小麦粉は冷凍庫で冷やしておいてください。小麦粉三に対し、二の量の冷水、塩ひとつまみ。これをボールに入れ、さっくりと混ぜます。決してどろどろに溶いてはなりません。ところどころ、粉が混ぜきれていなくても結構です。
 千切りにして水に放っておいた生姜はよく水気を切り、指で軽く摘んで衣をつけます。てんぷらはぼてっとした衣を食べる料理ではありませんから、余分な衣はここで扱き落とします。このとき、油鍋の横に衣を入れたボウルを置いておくとどんどん温度が上がりますから、注意なさってください。
 揚げ油を約一六〇度に熱し、生姜をそっと鍋へ落とします。百合根の鱗片、菊の葉も同様に衣をまとわせて揚げます。薄い菊の葉は一瞬と言っても良いほどの間に揚がるのですから、鍋から注意をそらさず、揚がったら直ちに紙に取り上げ、余分の油を除きます。冷めないうちにそのまま召し上がれ。 菊の花の酢漬けとは違って、こちらは日本酒よりはむしろ軽いビールと好い相性です。精進揚げのさっくりした歯ざわり、さっぱりした味わいを損なわぬような、軽やかな飲み心地のものをお勧めします。 ビールの泡は油を嫌います。ですから、てんぷらでビールを召し上がるときはその点に注意してください。あまり時間をかけずに飲みきれるように小ぶりのビアマグを使うのも一法です。ビールはすっかり飲みきってから注ぎましょう。
 蛇足かとは思いましたが、書き添えておきます。


 秋の夜長は

 『猩々』では「よも尽きじ。萬代までの竹の葉の酒。酌めども尽きず。飲めども変はらぬ、秋の夜の盃。影も傾く、入江に枯れ立つ、足元はよろよろと」と、少々飲み過ぎの猩々の舞姿が描かれますが、『菊慈童』では「元より薬の酒なれば。酔ひにも侵されずその身も変はらぬ」と謡われます。七百歳の美少年は、菊をかき分けて山中の仙家へ戻って行くのです。
 お酒はくれぐれも量をお過ごしになりませず、香り高い菊の香をお供に、しっとりした秋の夜長をお楽しみください。
(たつみ よしこ・料理研究家) 
 
◇こぼればなし◇
 
 十一月で岩波新書は創刊八〇年を迎えます。「日本には、新書がある。」――このキャッチコピーのもと、本誌も新書特集号を別冊として準備しました。

 日中戦争の最中の一九三八年、「現代人の現代的教養」を提供することを目的に、当時の状況に抗して岩波新書は創刊されました。それは、まったく新しい名称とかたちをもつ書籍がこの国に誕生した瞬間でもあったのです。

 岩波新書の誕生以降、「新書」という名称、同様の形態をもつ書籍がいくつも刊行され、いつしか一般的な名詞として浸透しました。広辞苑には、「出版物の形式の一つ。B6判よりもやや小型で、入門的教養書やノンフィクションなどを収めた叢書」とあります。

 岩波新書八〇年の歴史は、これまで「新書」と名づけられてきた書籍群の歴史そのものとも重なります。今回の特集号では、岩波新書に限定されることなく、他社の新書も含め、「新書」という書籍のもつ魅力をご紹介しています。

 さまざまな分野で活躍されている方々に、ご自身がはじめて読んだ新書や、はじめて読む人に薦めたい新書についてご寄稿いただいたほか、読書案内に加え、各社の新書編集長にはおススメの五冊を選んでいただきました。

 紹介されている数々の新書を眺めておりますと、書といっても、そこに挙がっているのは、いわゆる「新しさ」を追ったものだけでは必ずしもありません。岩波新書でいえば戦後の再出発を期して刊行した青版、たとえば池田潔『自由と規律――イギリスの学校生活』(一九四九年)や丸山真男『日本の思想』(一九六一年)、E・H・カー『歴史とは何か』(一九六二年)、阿波根昌鴻『米軍と農民――沖縄県伊江島』(一九七三年)などがならびます。

 一九六二年創刊の中公新書からは会田雄次『アーロン収容所――西欧ヒューマニズムの限界』(一九六二年)や石光真人『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』(一九七一年)、一九六四年創刊の講談社現代新書からは中根千枝『タテ社会の人間関係――単一社会の理論』(一九六七年)が。自然科学の分野では、吉田洋一『零の発見――数学の生い立ち』(一九三九年)、朝永振一郎『物理学とは何だろうか』(一九七九年)、木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書、一九八一年)、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、二〇〇七年)などが挙げられています。

 いずれも読み継がれることでその新書のイメージを決定づける、定番となったものです。八〇年という歳月に蓄積された、まさに「新書」という器がかたちづくったこの国の出版文化の多彩さ、豊饒さを実感していただけることでしょう。

 本号をもちまして若松英輔さんの連載が終了となります。ご愛読ありがとうございました。代わって「いのちのスープ」でおなじみの料理研究家、辰巳芳子さんの連載「お肴歳時記」がスタートします。お酒のおつまみをめぐる四季折々のエッセイ。どうぞご期待ください。
 

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