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岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

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『図書』1月号 【試し読み】杉村新/武田雅哉/山室信一

◇目次◇

上田氏が機関車で私は客車……杉村新
畸人鵬齋……沓掛良彦
『伊丹十三選集』刊行に寄せて……磯田道史
潜伏キリシタンと世界遺産……西出勇志
熊さん八つぁん……武田雅哉
若狭にて……小林敏明
〈さだの辞書13〉極光・時差呆け・二刀流……さだまさし
〈モダン語の地平から1〉モダン語の時代……山室信一

 *別表・「モダン語」関係辞典(PDF)
〈二度読んだ本を、三度読む16〉泣かない読書……柳 広司
〈大きな字で書くこと〉秋野不矩さん……加藤典洋
〈惜櫟荘の四季26〉カセンとお練り……佐伯泰英
〈お肴歳時記4〉いや重け吉事……辰巳芳子
〈漢字の植物園in広辞苑5〉一月、お正月の伝統風俗……円満字二郎
〈風土記博物誌12〉野見宿禰の墓……三浦佑之
〈ミンネのかけら15〉ヘルシンキのホテルのロビーに、綿入れを着たヤンソンが現われた。……冨原眞弓
 こぼればなし
 一月の新刊案内
 (表紙=司修) (カット=高橋好文) 

 

◇読む人・書く人・作る人◇

上田氏が機関車で私は客車

杉村 新

 榎本武揚らが一八七九(明治一二)年に創立した東京地学協会は、ロンドンの王立地学協会に倣ったと言われます。その東京地学協会から上田誠也氏と私が、二〇一八年にメダルを贈呈されました。そのちょうど五〇年前に二人で雑誌「科学」に「弧状列島」を七回連載。メダルの受賞理由は「学際的な視点からプレート沈み込み帯地球科学の構築に貢献した」こと。

 二人の共同作業が始まると上田氏が精力的に進めて私はそれについて行くのがやっとでした。機関車と客車の関係です。客車には大事な客が乗っていました。弧状列島の「帯状配列」です。これに上田氏が私の知らなかった海底拡大説をとりこみ、降りた客はマントル対流による「沈み込み帯」に変身していました。つまり上田氏のおかげで、私の考えが開花したのです。

 私はこれまで研究業績で受賞したことはありません。地学協会のメダルは、著書により「新しい地学」を世に知らしめたことと思われます。代表は、二人の共著『弧状列島』、上田著『新しい地球観』、杉村著『大地の動きをさぐる』(いずれも岩波書店)。これらにより例えば、東日本島弧・西日本島弧、火山前線、横ずれ断層など、教科書に新しい見方が導入されました。

 私が受賞者であり得たのは、二人の恩師、望月勝海と大塚弥之助の考えに、ちょっと付け加えただけのこと。お二人とも、帯状配列やマントル対流を論じています。自然科学は前の人が考えたことに、何かを付け足すことで進歩します。私の付け足しはわずかでしたが、貢献が認められ、ありがたいと思っています。

(すぎむら あらた・地球科学) 

 

◇試し読み◇①

熊さん八つぁん

武田雅哉

 中国語に「おっぱいを吸う力で(喫奶的気力)」という慣用句がある。「ありったけの力で」という意味だ。いまでも使うが、古くはあの猪八戒が使っている。八戒と悟空が、まだ三蔵法師に弟子入りしていない沙悟浄と戦ったときに、「無理だ、無理だ! あいつを打ちまかせられねえ。おっぱいを吸うほどの力を使いきっても、五分五分ってところだな」と言っているのがそれだ。
 私たちの研究会の成果をまとめ、昨年の春に出していただいた『ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい 乳房の図像と記憶』(岩波書店、二〇一八年)では、私は中国の乳房通史の記述を担当し、ごく初歩的なエッセイを書かせていただいた。ふだん大学でしゃべる内容をまとめたものにすぎないのだが、パワーポイントでひたすら図像を見せて、なにかコメントをするというスタイルの講義では、まず最初に学生に見せるのが、まんまるい肌色のふたつの乳房を描いたものである。これを見せて、学生たちにおたずねする。
 「さて、だれの乳房でしょう?」
 まあ、答えられるわけもないだろうから、すぐに正解を言ってしまう。
 「猪八戒のです」
 一九八〇年代に、中国の本屋で集めた絵本のものである。


 そういえば、乳房をめぐる研究会でも、しばしば話題になったのは「男のおっぱい」であった。あくまでも個人的な語彙では、自分には「おっぱい」はあるが、「乳房」はないといえる。現代のマンガやテレビドラマに描かれる猪八戒のそれは、隆起が大きいゆえに「乳房」と言えるのかもしれない。だが、八戒が豊満な乳房をもつようになったのは、そう古いことではない。かれの豊満な乳房は、ありていに言えば、ふとっていることの付随品である。八戒が図像表現のうえでふとったのは、おそらく二十世紀になってからのことであろう。じっさい『西遊記』の本文には、八戒が豊満な体をしているとか、ふとっているとかは、それほど強調して書かれてはいないのだ。ふとっていると描写されるのは、むしろ三蔵法師のほうである。マンガに描かれるようなメタボな八戒は、近代とともに出現したといえるだろう。ついでにいうならば、「腹へった! 腹へった!」と食欲旺盛に騒ぎ立てるのも、じつは三蔵法師なのである。だがこれは、いたしかたない。三蔵は、われわれと同じ凡胎なのであるから、空腹、つまり「食」の問題は、命にかかわる深刻な問題なのである。
 どうして三蔵法師はふとって、ふっくらしていなければならないのだろう? おそらくかれが、妖怪たちにとって上質の「食材」であることによるのだろう。見るからにおいしい、食欲をそそる存在でなければいけないのである。妖怪たちの三蔵への対応には、大きく二種類ある。喰おうとするか、あるいは結婚しようとするか。いずれも目的は不老長寿だ。前者は肉を摂取することで。後者は精液を摂取することで。いずれにしても、三蔵の体はアンチエイジングの特効薬といったところだ。
 ところで猪八戒は、もともと朱八戒であったらしい。『西遊記』の人物名には名詮自性(みょうせんじしょう)の原理がはたらいている。つまり、名前のなかに正体や特性が隠されている。孫悟空は「猻(スン)」(サル)であることから「孫(スン)」と命名された。沙悟浄は「砂(シャ)」砂漠の妖怪)との関連から「沙(シャ)」となった。「猻」や「砂」という姓はほぼありえないので、それら本質を現わす漢字と同音の、かつ中国人に珍しくない姓になったわけである。したがって、「猪(チュ)」(ブタ・イノシシ)の妖怪の八戒が、そのまま「猪(チュ)」という姓を名乗るのは、むしろ異例なのだ。同音で一般的な姓をさがすならば、「朱(チュ)」が最適となる。
 小説『西遊記』の現存する最古の刊本は、明代の中後期、十六世紀末のものだが、それ以前に存在したらしい古層の『西遊記』物語の痕跡が、いくつかの資料に残っている。それらに出てくるブタの妖怪の名前は「朱八戒」となっている。それがどうして改姓したかというと、明の国姓が朱であることに遠慮したというのが定説である。国民的なお馬鹿なブタのキャラクターが皇帝と同じ姓とあっては、まずいんじゃないの? という出版商の忖度があったことによると思われる。いっそブタを意味する猪にしてしまおうと。じっさい猪という姓は、かなり不自然だが、人は慣れてしまうもので、それが二十一世紀のこんにちまでつづいてしまった。これから朱にもどすのも、むずかしいだろう。


 京劇に「遊龍戯鳳(ゆうりゅうぎほう)」という演目がある。プレイボーイの皇帝が、その身分を隠し、おしのびで美龍鎮という町に遊ぶが、たまたま泊まった宿の娘、鳳姐(ほうそ)に一目ぼれ。口であれこれからかったすえに、ついにはみずからの正体を明かし、鳳姐を宮中に迎え入れるというストーリーである。この皇帝は、明の第十一代皇帝、武宗・正徳帝(朱厚照)である。武宗がおしのびで娘狩りをしたなどという事件も、歴史書には記載されている。清代になると、武宗のこのような素行にモチーフを得た演劇や小説がいくつも書かれ、通俗文学の世界では、一躍、人気者となった。
 正徳十四年(一五一九)というから、いまからちょうど五百年前のことである。その明の武宗皇帝は、いきなり、あるとんでもないお触れを発した。「民間ではブタを飼ってはならぬ。ブタを屠殺してはならぬ。また、ブタ肉を食べてはならぬ」と。
 そのころ、精神に不安定をきたしていたともいわれる帝は、亥歳(いどし)】の生まれであった。猪と同音の姓であり、干支も亥なので、全国民が自分の肉を喰らおうとしているとの妄想にかられたのかもしれない。
 干支といえば、新しい年は亥年だ。日本ではイノシシ年になっているが、中国はじめ、韓国やベトナムではブタ年である。食材としてのブタが、中国人の食生活にとって、とりわけ重要であることは周知のとおりだ。かくして全中国はパニックとあいなった。禁令をうけた全国の農民は、ならばいっそのことと、ブタをひそかに処分して埋めたり、肉を安値で売りさばいたりしたという。政府の重鎮も、寝耳に水の禁令にびっくり仰天。賢明なる中央政府の各部署は、宗教儀礼を正常にとりおこなうためには、ウシ、ヒツジ、ブタの三種の犠牲獣を捧げることが必須であり、ブタを欠くことで儀礼の秩序が崩壊してしまうこと、また「猪」と「朱」は音が似ているだけで、相互にまったく関係がないことなどをしたためた文書を上奏して皇帝を説得し、なんとか禁令は撤回させ、中国のブタ文化も危機を回避したようである。
 中国の養豚の歴史をひもといてみるならば、似たような事件は、しばしば起きていたようだ。元の至元三十年(一二九三)の十二月のこと。農村部において、「お役所からブタを飼ってはならぬとの禁令が発せられた!」との怪情報が走ったという。これを聞いてあわてた農民たちは、飼っていたブタをことごとく屠殺し、とんでもない安値でブタ肉を売りさばかざるをえなかったという。
 その元朝最後の皇帝、順帝は、ある夜、恐ろしい夢にうなされた。巨大なブタがやってきて、みやこ大都(北京)をつぶしたというのである。よほどこわかったとみえて、順帝は、さっそく養豚禁止令を発した。当時の歴史叙述においては、これは、明の太祖・朱元璋によって元朝が滅ぼされることの予兆であったというように、納得のいく解釈がほどこされるわけである。さらにさかのぼれば、十二世紀、宋の徽宗皇帝は、自分の干支が戌(いぬ)であることから、犬の屠殺と犬肉を食うことを禁じたという。わが犬公方・綱吉公の先達だ。
 朱八戒が猪八戒に改姓するのは、明朝が成立したことによる時世の流れではあったろうが、その背後では、朱皇帝の疑心暗鬼がまねいたブタの惨劇が拍車をかけていたのかもしれない。
 それからちょうど五百年。ただいま、かの国の頂点にいる国家主席の容貌をめぐって、おもしろい現象がおこっている。二〇一三年、オバマ大統領と並んだ、すがた・かたちが、ディズニーのアニメでだれもが知るところとなった「くまのプーさん」に似ていると評判になって以来、中国当局は、インターネット上においてこの図像を検閲したばかりか、プーさんの実写映画についても国内での上映を拒否したというのである。
 『西遊記』という傑作を生んだ、この大文明国の頂点に立つものたちに、イヌやらブタやらクマやら、動物との関連や類似をことさら気にかける傾向があるのだとすれば、それはなかなかほほえましくもあり、お茶目でもあろう。私を側近にしてくれたら、それをうまいぐあいに利用して、主席の高感度アップにつなげてあげましょう、などと思うのだが、余計な内政干渉と怒られるのがオチだろう。
 明王朝の皇帝が、みずからの命運をブタに重ね合わせた結果、かえってブタを抹殺しかけた事件から五百年を経て、国家のトップとの類似性を理由として、こんどは異国のくまさんが抹殺されようとしているのであろうか。政治の大国では、動物たちも、なかなかしんどいのである。
(たけだまさや・中国文学) 



 

◇試し読み◇②

モダン語の時代

山室信一

 

 世相を映す鏡、蘇る言葉
 毎年、「新語・流行語大賞」や「今年の漢字」が発表されると、その年の出来事が走馬灯のように想い起こされる。
 しかし、「三年前あるいは四年前の流行語大賞は? 漢字は?」と尋ねられても答えに窮する。まことに、世相の動きは目まぐるしい。
 江戸時代の儒者・荻生徂徠は「世は言を載(の)せて以て遷(うつ)り、言は道を載せて以て遷る」(『学則』)と説いたが、言葉が世相を映し思想を載せて移っていくことは、時代や言語の境を越えて妥当するように思える。
 イギリスでは二〇〇四年から『オックスフォード英語辞典(OED)』編集部がWord of the Yearを発表している。二〇一六年には「客観的な事実が重視されず、扇情的な訴えが政治的・社会的な影響力をもつ状況」を意味する「ポスト・トゥルース(post-truth)」が選ばれた。イギリスのEU離脱やトランプ米大統領の言動などにみられたように、自らに「不都合な真実」を罵詈雑言によって掻き消すというネット社会のあり方を考えさせる言葉だった。
 続く二〇一七年には「若者の行動や影響によって起こる重要な文化的・政治的・社会的変化」を意味する「ユースクウェイク(youthquake)」が選ばれたが、日本には当てはまらない気がした。ただ、この言葉自体、二〇一七年に生まれた新語ではなく、アメリカ版『ヴォーグ(VOGUE)』編集長だったダイアナ・ヴリーランドの造語で、OEDには一九六五年に初めて載せられたという。これは日本の英和辞書でも「若者文化の激震(揺さぶり)」などと訳され、「一九六〇年代から七〇年代にかけて若者に広がった体制に対する反抗と過激主義をさす」といった説明がある。当時の時代的雰囲気を鮮やかに切り取った造語の傑作だ。
 他方、アメリカ英語辞典の刊行で知られるメリアム・ウェブスターは、二〇一七年「今年の言葉」として「フェミニズム(feminism)」を選んだ。これはハリウッドの著名プロデューサーによるセクハラに対する告発を契機に世界的に展開された「ミー・トゥー(MeToo)」運動などに着目したものである。
 もちろん、フェミニズムは新語ではない。日本では百年以上前から「女性尊重主義、女性解放論、女権拡張論、男女同権主義、女権主義、女人(じょじん)主義」などと訳されて注目された。そして、「女子は知力においても能力においても毫(ごう)も男子に劣らないという理由の下に社会において男子と同権を主張しようとする主義」(『英語から生れた 現代語の辞典』一九二四年/以下、引用に際しては読みやすいように漢字・かな遣いを改めた)、あるいは「女性礼讃主義と訳す。その内容は教育における男女の機械的平等、同一労働同一賃銀、婦人参政権などである」(『モダン辞典』モダン辞典編輯所編、一九三〇年)などと説明された。掲載されている辞典名から明らかなように、典型的な現代語・モダン語だった。だが、一九八六年に「男女雇用機会均等法」が施行されたものの、「同一労働同一賃金」などの実現はほど遠い。フェミニズムは単なる「今年の言葉」ではなく、将来に向けた世界的課題として再提示されたのだ。
 言葉には数年で消え去るものがあれば、時代を越えて蘇っては新たな社会的意義を訴えるものもある。それはこれから取り上げるモダン語についても、当てはまるはずである。

 

 激動する時代、要請される辞典
 さて、かつて社会現象として「モダン」の諸相を表す言葉として、モダン語・現代語・尖端語・新時代語・新意語・新聞語など(以下、これらの言葉を「モダン語」と総称する)に関心が集まり、辞典類が次々と刊行された時代があった。
 一九一〇年代から三〇年代にかけての時期、世界史的には第一次世界大戦を経て第二次世界大戦に至る期間である。文化史や風俗史などでは大正モダンや昭和モダンと呼ばれ、『モダン日本』『モダン東京』などの雑誌も創刊されて「日本モダニズム」と特徴づけられる時代である。
 この時期、日本は一九一〇年に韓国を併合し、第一次大戦の戦勝国として一九二〇年に南洋諸島を委任統治領とし、一九三二年には満洲国を建国するなど実質的な統治空間は拡張した。だが、それ以降、中国大陸での戦争状態は泥沼化していった。
 国内では、一九一〇年に大逆事件が起きて「冬の時代」を迎えたが、武者小路実篤・志賀直哉・柳宗悦・有島武郎らが『白樺』を創刊して、自我の尊重・人間賛歌の理想主義を基調とする文芸思潮をリードしていくことになった。翌一九一一年には平塚らいてうを中心に青鞜社が結成され、一九二〇年には平塚や市川房枝などによって新婦人協会が、一九二一年には伊藤野枝や山川菊栄などの婦人社会主義者によって赤瀾会(せきらんかい)が組織された。
 そして、婦人選挙権獲得要求や女子労働者待遇改善、女子教育推進を求める運動などが広がり、母性保護をめぐって論争も起きた。このように女性の社会的発言が活発化した背景には、女子中等教育の急速な普及があった。一八九九年に修業年限四年を原則とする高等女学校令が公布され、その学校数は一九一八年に二五七校、一九二八年には七三三校と増加し、一九二〇年代には男子中学校数を上回るまでになっていた。
 こうした中等・高等教育の普及とともに女性の読書人口も増加し、一九一一年から三一年にかけて創刊された女性雑誌は二一四種にものぼった。そして、一九二〇年代なかばには『主婦之友』『婦女界』『婦人世界』『婦人倶楽部』『婦人公論』などが、それぞれ一〇万部から二〇数万部代の発行部数に達した。
 かくして男女のリテラシー向上とサラリーマン・職業婦人の大量登場、そして第一次大戦前後の経済構造の変化・都市化を背景に、新聞講読者数の増大、週刊誌の創刊、円本全集はじめ大形企画の刊行などが相次ぎ、ここに未曽有の活字文化の隆盛が生まれた。さらに、一九二五年にはラジオ放送が開始されたことによって耳から情報を得るという事態も生まれ、「新たに見る、聞く」言葉を意味する「新聞語」も日々に増えていった。
 新刊の書籍や新聞雑誌を読むにも、ラジオ放送やレコードなどを聞くにも、そして何よりも日常会話での話題についていくためにも、日々に現れてくる新語・外来語としてのモダン語を理解する必要があった。視聴覚にかかわる身体感覚の変化――モダンという時代は、それを人々に迫っていた。モダンとは人々にとって思想の問題という以前に、生活世界における激変に対応し、尖端的な「文化生活」を営むということだった。
 一九一〇年代まで、文明化や欧化主義とは「舶来」に同化し、「ハイカラ」になることだった。しかし、一九二〇年代以降、モダン語では「舶来」化は「ハクラる」、「ハイカラ」になることは「ハイカる」と動詞化された。そのうえで、それらはもはや時代遅れであり、「当世風になる」「モダンになる」ことを動詞化した「モダる」でなければ時代の動きに取り残されると言われるようになった。
 陸続として刊行された辞典類もまたそうした欲求に応えるとともに、さらにモダン語を造っては流行させるという循環を生んだ。なぜ、モダン語辞典が必要か。なぜ、モダン語を知らなければならないか。辞典編纂者は、異口同音に次のように読者に訴える。
①「十年前の新語ももはや清新の威を失うに至った。まことに言葉の進化、辞典の進化の急速なるは、吾人をして余りにその【慌/あわただ】しさを嘆ぜしめずには【措/お】かない。しかも欧洲大戦のもたらした世界の改造は、同時に思想の改造であり、言葉の改造でなければならなかった。現代に処する人はもはや『昨日』の人であってはならない。須(すべか)らく『今日』の人でなければならない。否(いな)進んで『明日』の人でなければならぬ。かかる時においてその座右に備うべき辞典は『昨日』の辞典であってはならない。須らく『今日』の辞典であり、『明日』の辞典でなければならない」(『現代語解説』上巻、一九二四年)。
②「時代は言葉を生む、そして言葉は時代を創る。昨日の言葉は既に今日の言葉では有り得ない。また今日の言葉も明日は……。(中略)『モダン辞典』は時代が生んだ時代人のパイロットである」(『モダン辞典』モダン辞典編輯所編、一九三〇年)。
③「新聞雑誌を読んで、また人の話を聞いて、了解のできないことが随分あります、了解のできないだけならまだしも、うっかりすると飛んだ勘違いをして笑いものになる、経済上などでは取りかえしのつかぬ大打撃を蒙(こうむ)ることさえも少なくありません。世の中と共に進む者は時代の勝利者です、世の中に遅れるものは時代の没落者です」(『キング』付録「新語新知識」一九三四年)。
 これらを読むと、まことに絶え間なく後ろから背中を押され、何であれ新しいものを求めて、人より半歩でも先に進むように急かされる気がする。言葉と時代と人の営みが緊密に結びつき、目まぐるしく動いていくという時代が眼前に現れていた。だが、この昨日より今日、今日より明日に現れるはずの「新しい何ものか(サムシング・ニュー)」を追い求めて止むことのない生き方、そしてそれを促す言葉こそ、近代と現代つまりはモダンを生み出した駆動力そのものだったのではないか。そして、情報こそが経済的価値を生む源泉となり、「商品」となった。とりわけ、その現象は、第一次世界大戦やロシア革命後の世界的な新思潮の怒濤のような流入によって、より一層拍車がかかることになった。戦争によって一つとなった世界は、同時性と連動性をもって激しく動き始めた。世界史上初の社会主義国家の成立は「世界革命」への希望を生んだ。日本もまた世界の歯車の一部として、否応なくその動きに巻きこまれていく。

 

 モダン語の奔流、媒体の諸相
 こうして間断なく動き続けなければ倒れてしまうような社会の動きを示す指標となったモダン語を収めた辞典類には、散逸してしまったものや雑誌の附録として刊行されたものもあって、すべて挙げることは難しいが別表(三四、三五頁)のようなものがあった。これほどの数の辞典類が短期間のうちに刊行され、改版・増補を重ねたことは日本史上、初めての事態だった。
 モダン語については雑誌でも頻繁に取り上げられた。『文藝春秋』では「モダン百語辞典」(一九三〇年一月号)が巻末附録として編まれた。他の雑誌でも「新時代字引選」(『新青年』一九二七年六月号)、「時勢に後れぬ新時代語」(『雄辯』一九三〇年一一月号)、「今年・流行った代表的尖端語百語の正しい解釈集」(『サラリーマン』一九三〇年一二月号)、「新語流行語」(『雄辯』一九三五年一〇月号~)、「知らぬと恥になるモダン語正解」(『経済マガジン』一九三七年六月号~)などが、また『実業之日本』では「モダン語雑記帳」(一九三〇年四月号~)、「モダン語オン・パレード」(一九三一年二月号~)、「モダン語ヴアラエテイ」(一九三二年四月号~)、「モダン語寸解」(一九三二年八月号~)、「モダン語教室」(一九三三年五月号)、「経済モダン語教室」(一九三三年九月号~)などが断続的に掲載されていった。
 女性雑誌もモダン語の解説と普及に力を注いでおり、「現代女学生流行語辞典」(『婦人倶楽部』一九二六年八月号~)、「〈絵入〉新時代語(モダンゴ)辞典」(『主婦之友』一九三一年六月号~)、「新語流行語」(『婦人倶楽部』一九三二年三月号~)などのほか、別冊附録も刊行された。このほか、「モダン流行」(『主婦之友』一九二九年八月号)、「モダン語風景」(『婦人公論』一九三一年一月号)や「モダン流行語写真解説」(『冨士』一九三一年六月号)などでは、写真によってモダン語が表す場面を目にみえる形で活写しているが、そこには批判的なコメントも付されている。
 さらに、思想・社会運動や風俗を取り締まる警察業務を遂行するためにモダン語を知らなくては支障があったためか、『警察新報』(一九三二年七月号~)では「モダン語辞典」が連載され、学生や社会運動家が使うモダン語の解説が加えられた。また、植民地支配にとってもモダン語や隠語の理解は不可欠であり、朝鮮総督府警務局からは「部外秘」として『高等警察用語辞典』(一九三三年)が刊行されたほか、各地の警察署から出された警察用語辞典には朝鮮・台湾・中国の人々が使うモダン語も載せられた。
 新聞でもモダン語の解説欄が随時設けられた。『読売新聞』では「モダン語消化欄」(一九三〇年七月一六日~)を設けて、「イット」「ウルトラ」「フラッパー」などの語義解釈をおこない、さらに「モダン語訪問」(一九三一年三月二一日~)では「サイレンラブ ―― 丸の内恋のラッシュアワー」「とっちゃんボォイ」「グロ ―― 怪奇にも近代味」「考現学 ――世相を採集する」などで、モダン語が生活のなかで実際にどのように使われたかをレポートしている。また、大阪朝日新聞は連載した新語解説を『新聞語』(一九三三年)として、大阪毎日新聞・東京日日新聞は『毎日年鑑』附録として『現代術語辞典』(一九三一年)を公刊した。
 このほか『一般的/共通的 誤字誤読モダン語の新研究』は、東京・大阪・京城・釜山などで発行されていた新聞六紙からモダン語を集め、「略解」「詳解」の項目で意義や誤りを指摘している。
 そして、日本で出されたモダン語を収集した中国人留学生・葛祖蘭は『日本現代語辞典』(商務印書館、一九三〇年)を上梓した。これは日本のモダン語を中国文で紹介しつつ批判的見解も付したもので、語彙文化交流の貴重な史料である。

 

 モダン語の双面性、批判の眼差し
 それではモダン語とは、どんなものだったのか。
 一例を挙げると、夏目漱石や森鷗外の小説などで知られる「高等遊民=高等の教育を受けながら就職難その他の理由によって職業を得ず、無為徒食せる人々」に対して造られた「高等貧民」がある。これは「月給によって生活しているため、物価騰貴の影響で生活難を叫ぶ中産階級」「世間でいう貧民階級より一段だけ上にあるため高等貧民と呼ぶ」などと解説された。さらに、新風俗を示すために「高等遊牧民」が造語されたが、これは「遊牧民が牧草を追って漂泊するようにカフェーからカフェー、レストランからレストランを回り歩き、五色の酒・青い酒などを飲んで気焔を挙げる人々」を指す。現在なら退社後にファミレスなどをふらつく「フラリーマン」にあたるのだろうか。
 また、第一次世界大戦とともに俄に大金持ちとなった「成金」については歴史教科書などでも絵入りで説明されているが、モダン語として流通したのは「成貧」であり、「不景気などの影響で、一定の収入が有っても無くても貧困に陥った人」などと説かれた。経済格差の拡大は、モダン語を生む苗床になっていく。
 このようにモダン語には、事象の表裏を複眼的に穿(うが)ち見る眼差しがあり、社会への批判や揶揄そして時に毒気が含まれた。それは男女や階級に関するモダン語に特徴的に現れてくる。
 そこでは世界的動向を吸収するモダン語こそ日本語の国際化に繋がると説く推奨論と、雑駁で浮薄なモダン語こそ日本語の乱れをもたらす元凶だと主張する排斥論が対立する。モダン語への嫌悪・警戒心を恐怖症(phobia)とみなす「モダン語フォビア」さえモダン語として注目される――それがモダン語の時代だった。
 しかし、モダン語排斥の声は、軍靴の音と共に高まる。英米語などのカタカナ語は「敵性語」として駆逐され、モダン語は自粛を強いられていくのである。
 次回から多種多様なモダン語をみていくが、それらは万華鏡の中の画像のように、現れては消え、消えては現れながら様々な意匠を描いていった。果たして、モダン語が描いた世界や日本社会の実相とは、いかなるものだったのか。いや、そもそも「近代・現代の複層としてのモダン」を語る言葉とは何なのか。
 その答えを求めて、既に彼方に去ったモダン語の地平に歩み寄り、そこから改めて現在を見返す時空を往還する旅路へ、いま旅立つ。

(やまむろ しんいち・思想連鎖史)

 

    *別表・「モダン語」関係辞典(PDF) 

 

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