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熊さん八つぁん(武田雅哉)

熊さん八つぁん

武田雅哉

  中国語に「おっぱいを吸う力で(喫奶的気力)」という慣用句がある。「ありったけの力で」という意味だ。いまでも使うが、古くはあの猪八戒が使っている。八戒と悟空が、まだ三蔵法師に弟子入りしていない沙悟浄と戦ったときに、「無理だ、無理だ! あいつを打ちまかせられねえ。おっぱいを吸うほどの力を使いきっても、五分五分ってところだな」と言っているのがそれだ。

 私たちの研究会の成果をまとめ、昨年の春に出していただいた『ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい 乳房の図像と記憶』(岩波書店、二〇一八年)では、私は中国の乳房通史の記述を担当し、ごく初歩的なエッセイを書かせていただいた。ふだん大学でしゃべる内容をまとめたものにすぎないのだが、パワーポイントでひたすら図像を見せて、なにかコメントをするというスタイルの講義では、まず最初に学生に見せるのが、まんまるい肌色のふたつの乳房を描いたものである。これを見せて、学生たちにおたずねする。

 「さて、だれの乳房でしょう?」

 まあ、答えられるわけもないだろうから、すぐに正解を言ってしまう。

 「猪八戒のです」

 一九八〇年代に、中国の本屋で集めた絵本のものである。

 *

 そういえば、乳房をめぐる研究会でも、しばしば話題になったのは「男のおっぱい」であった。あくまでも個人的な語彙では、自分には「おっぱい」はあるが、「乳房」はないといえる。現代のマンガやテレビドラマに描かれる猪八戒のそれは、隆起が大きいゆえに「乳房」と言えるのかもしれない。だが、八戒が豊満な乳房をもつようになったのは、そう古いことではない。かれの豊満な乳房は、ありていに言えば、ふとっていることの付随品である。八戒が図像表現のうえでふとったのは、おそらく二十世紀になってからのことであろう。じっさい『西遊記』の本文には、八戒が豊満な体をしているとか、ふとっているとかは、それほど強調して書かれてはいないのだ。ふとっていると描写されるのは、むしろ三蔵法師のほうである。マンガに描かれるようなメタボな八戒は、近代とともに出現したといえるだろう。ついでにいうならば、「腹へった! 腹へった!」と食欲旺盛に騒ぎ立てるのも、じつは三蔵法師なのである。だがこれは、いたしかたない。三蔵は、われわれと同じ凡胎なのであるから、空腹、つまり「食」の問題は、命にかかわる深刻な問題なのである。

 どうして三蔵法師はふとって、ふっくらしていなければならないのだろう? おそらくかれが、妖怪たちにとって上質の「食材」であることによるのだろう。見るからにおいしい、食欲をそそる存在でなければいけないのである。妖怪たちの三蔵への対応には、大きく二種類ある。喰おうとするか、あるいは結婚しようとするか。いずれも目的は不老長寿だ。前者は肉を摂取することで。後者は精液を摂取することで。いずれにしても、三蔵の体はアンチエイジングの特効薬といったところだ。

 ところで猪八戒は、もともと朱八戒であったらしい。『西遊記』の人物名には名詮自性(みょうせんじしょう)の原理がはたらいている。つまり、名前のなかに正体や特性が隠されている。孫悟空は「猻(スン)」(サル)であることから「孫(スン)」と命名された。沙悟浄は「砂(シャ)」砂漠の妖怪)との関連から「沙(シャ)」となった。「猻」や「砂」という姓はほぼありえないので、それら本質を現わす漢字と同音の、かつ中国人に珍しくない姓になったわけである。したがって、「猪(チュ)」(ブタ・イノシシ)の妖怪の八戒が、そのまま「猪(チュ)」という姓を名乗るのは、むしろ異例なのだ。同音で一般的な姓をさがすならば、「朱(チュ)」が最適となる。

 小説『西遊記』の現存する最古の刊本は、明代の中後期、十六世紀末のものだが、それ以前に存在したらしい古層の『西遊記』物語の痕跡が、いくつかの資料に残っている。それらに出てくるブタの妖怪の名前は「朱八戒」となっている。それがどうして改姓したかというと、明の国姓が朱であることに遠慮したというのが定説である。国民的なお馬鹿なブタのキャラクターが皇帝と同じ姓とあっては、まずいんじゃないの? という出版商の忖度があったことによると思われる。いっそブタを意味する猪にしてしまおうと。じっさい猪という姓は、かなり不自然だが、人は慣れてしまうもので、それが二十一世紀のこんにちまでつづいてしまった。これから朱にもどすのも、むずかしいだろう。

 *

 京劇に「遊龍戯鳳(ゆうりゅうぎほう)」という演目がある。プレイボーイの皇帝が、その身分を隠し、おしのびで美龍鎮という町に遊ぶが、たまたま泊まった宿の娘、鳳姐(ほうそ)に一目ぼれ。口であれこれからかったすえに、ついにはみずからの正体を明かし、鳳姐を宮中に迎え入れるというストーリーである。この皇帝は、明の第十一代皇帝、武宗・正徳帝(朱厚照)である。武宗がおしのびで娘狩りをしたなどという事件も、歴史書には記載されている。清代になると、武宗のこのような素行にモチーフを得た演劇や小説がいくつも書かれ、通俗文学の世界では、一躍、人気者となった。

 正徳十四年(一五一九)というから、いまからちょうど五百年前のことである。その明の武宗皇帝は、いきなり、あるとんでもないお触れを発した。「民間ではブタを飼ってはならぬ。ブタを屠殺してはならぬ。また、ブタ肉を食べてはならぬ」と。

 そのころ、精神に不安定をきたしていたともいわれる帝は、亥歳(いどし)の生まれであった。猪と同音の姓であり、干支も亥なので、全国民が自分の肉を喰らおうとしているとの妄想にかられたのかもしれない。

 干支といえば、新しい年は亥年だ。日本ではイノシシ年になっているが、中国はじめ、韓国やベトナムではブタ年である。食材としてのブタが、中国人の食生活にとって、とりわけ重要であることは周知のとおりだ。かくして全中国はパニックとあいなった。禁令をうけた全国の農民は、ならばいっそのことと、ブタをひそかに処分して埋めたり、肉を安値で売りさばいたりしたという。政府の重鎮も、寝耳に水の禁令にびっくり仰天。賢明なる中央政府の各部署は、宗教儀礼を正常にとりおこなうためには、ウシ、ヒツジ、ブタの三種の犠牲獣を捧げることが必須であり、ブタを欠くことで儀礼の秩序が崩壊してしまうこと、また「猪」と「朱」は音が似ているだけで、相互にまったく関係がないことなどをしたためた文書を上奏して皇帝を説得し、なんとか禁令は撤回させ、中国のブタ文化も危機を回避したようである。

 中国の養豚の歴史をひもといてみるならば、似たような事件は、しばしば起きていたようだ。元の至元三十年(一二九三)の十二月のこと。農村部において、「お役所からブタを飼ってはならぬとの禁令が発せられた!」との怪情報が走ったという。これを聞いてあわてた農民たちは、飼っていたブタをことごとく屠殺し、とんでもない安値でブタ肉を売りさばかざるをえなかったという。

 その元朝最後の皇帝、順帝は、ある夜、恐ろしい夢にうなされた。巨大なブタがやってきて、みやこ大都(北京)をつぶしたというのである。よほどこわかったとみえて、順帝は、さっそく養豚禁止令を発した。当時の歴史叙述においては、これは、明の太祖・朱元璋によって元朝が滅ぼされることの予兆であったというように、納得のいく解釈がほどこされるわけである。さらにさかのぼれば、十二世紀、宋の徽宗皇帝は、自分の干支が戌(いぬ)であることから、犬の屠殺と犬肉を食うことを禁じたという。わが犬公方・綱吉公の先達だ。

 朱八戒が猪八戒に改姓するのは、明朝が成立したことによる時世の流れではあったろうが、その背後では、朱皇帝の疑心暗鬼がまねいたブタの惨劇が拍車をかけていたのかもしれない。

 それからちょうど五百年。ただいま、かの国の頂点にいる国家主席の容貌をめぐって、おもしろい現象がおこっている。二〇一三年、オバマ大統領と並んだ、すがた・かたちが、ディズニーのアニメでだれもが知るところとなった「くまのプーさん」に似ていると評判になって以来、中国当局は、インターネット上においてこの図像を検閲したばかりか、プーさんの実写映画についても国内での上映を拒否したというのである。

 『西遊記』という傑作を生んだ、この大文明国の頂点に立つものたちに、イヌやらブタやらクマやら、動物との関連や類似をことさら気にかける傾向があるのだとすれば、それはなかなかほほえましくもあり、お茶目でもあろう。私を側近にしてくれたら、それをうまいぐあいに利用して、主席の高感度アップにつなげてあげましょう、などと思うのだが、余計な内政干渉と怒られるのがオチだろう。

 明王朝の皇帝が、みずからの命運をブタに重ね合わせた結果、かえってブタを抹殺しかけた事件から五百年を経て、国家のトップとの類似性を理由として、こんどは異国のくまさんが抹殺されようとしているのであろうか。政治の大国では、動物たちも、なかなかしんどいのである。

(たけだまさや・中国文学) 

*『図書』2019年1月号掲載

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