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『図書』3月号 【試し読み】小笠毅/澤西祐典

◇目次◇

喪失と至福……玄 順恵
歌仙 惜櫟荘の巻……岡野弘彦・三浦雅士・長谷川櫂
地図のないメニルモンタン……三品輝起
就学時健診からの「人間万事塞翁が馬」……小笠 毅
アンソロジスト・芥川龍之介……澤西祐典
夜間中学生たちの学びから……盛口 満
3・11から震災後文学へ……木村朗子
震災・松明・赤ランプ……さだまさし
21世紀の方丈庵をつくる……新井 満
春をいただく……辰巳芳子
三月、春の訪れを告げる花々……円満字二郎
猪を追って……三浦佑之
私のこと その2……加藤典洋
モダン語、あれも?これも?……山室信一

こぼればなし
三月の新刊案内

(表紙=司修) 
(カット=西沢貴子) 
 

◇読む人・書く人・作る人◇

喪失と至福
玄順恵

 『トラブゾンの猫ーー小田実との最後の旅』は、「文 学 者ア マン オブ レターズ」であった小田実の人と文学と思想のなりたちを、そのゆかりの場所から眺望し描いたものだ。小田が他界したのは二〇〇七年、トルコの古代ギリシャ遺跡を私と共に旅して帰ってから三カ月後のことだった。
 あまりにも突然だった死に対して、私はおののいた。まるでギリシャ神話「オルフェウスの竪琴」の冥府へとつながる、あの暗闇の洞窟をひとりさまよっている感じだった。
 常日頃から、世界の森羅万象や人間生活の些末な事項まで多くを論じ語りあったが、二人のうちの片方が欠けるということは、それまでに積み重ねられた互いの対話の水流がとぎれてしまうということだった。
 伝える相手を失った私の言葉は、自分の身体の奥深くに固く引きこもったまま、もう、かつてのような音声の響きを奏でることはしなかった。再び言葉を取り戻し始めたのは、長編『河』(集英社)と小田実全集(講談社)を編むために彼の全著作と創作ノートを読み返してからだ。
 それは実に長い旅路だった。やがて蘇ってきた彼の真実性を手に取り、私の喪失感は増していったが、同時に開けたのは至福という境地だった。『トラブゾンの猫』韓国版の翻訳者は「小田さんは幸せ者だ」と言ったが、私は、「幸せは、もらった人よりあげた人のほうが幸せなのよ」と答えた。至福は、喪失の裏に宿るのである。
(ヒョン スンヒェ・水墨画家)
 

 ◇試し読み①◇

就学時健診からの「人間万事塞翁が馬」
小笠 毅
 
 「どんな子どもも、算数や数学を楽しく学ぶ権利がある」と遠山啓先生は考えて〈水道方式〉の教授法を知的な遺産として私たちにのこされました。私たちの遠山真学塾では、学ぶことに何らかの困難をかかえる子どもたちに算数を中心に教え、ともに学んでいます。
 遠山先生との出会いは、いまから四〇年も前、私が算数・数学嫌いを公言していた出版社勤務時代にさかのぼります。
 「こんど、どんな子どもでも算数がわかるようになる絵本と教具のセットを、遠山啓先生に作ってもらおうと思っている。小笠君に先生のカバン持ちをやってもらおうか」という社長のひとことが、きっかけでした。「算数嫌いだからできる仕事だよ」と私を励ましてくれた中森蒔人社長は、幸か不幸か高校時代の担任だったのです。
 あの日から幾年月、その算数嫌いが遠山先生の「真学塾」を引き継いでいるのですから人生はおもしろいものですね。武蔵野市の片隅にある塾で、毎日のように子どもたちと教え学びあっていると、これもまた中森先生や遠山先生のおかげだなあ、と感慨深いものがあります。人と人との出会いは、あたらしい何かを生み出す力があるのだと、お二人に教えていただきました。
 さて、その遠山真学塾の個性豊かな子どもたちから日々投げかけられる質問は、ハッとさせられること、教えられることばかりです。たとえば、よっちゃんという生徒さんがたし算の記号「+」がどうして十字架なのか、と聞いてきたことがありました。そんなこと考えもしなかった自分に即答できるはずもなく、あわててあちこち駆け回って、国会図書館でカジョリという数学者の『初等数学史』を見つけました。一頁ごとにびっくりするような知識の発見、子どもたちにあおられての毎日は四五歳の手習いだけに、身体はきつかったのですが、こころは希望に燃えていました。かつて平凡社の創立者下中弥三郎さんの『万人労働の教育』という大著を読みながら、「働きながら教え、教えながら働く。学びながら働き、働きながら学ぶ」という言葉に感動したことを思い出します。なお、「+」は、もともとラテン語で「および」をあらわす「et」が変化したものだとか。カジョリさんのおかげで新しい知識が学べて、教え子への面目も保てました。ホッ……。
 また、ユウくんは、できること、わかることの喜びや偉大さを私に教えてくれた一人です。ダウン症の彼は小学生のときは初歩的な算数しか勉強させてもらえず、塾でかけ算を学びはじめたのも中学生になってからでした。一年以上もかかったでしょうか、お皿にのせたタイルをみながら、ついに2×3が立式できたときの「やったぞ」とばかりに突き上げた拳と彼の笑顔を、いまでもよく憶えています。成功体験は自己肯定感を高め、それはやればできるという人生観につながります。2×3なんて、私たち大人からすれば、取るに足らないかけ算です。でもそんなちっぽけな式にも、人を勇気づける力があるのだなあって気づかされる体験でしたね。
 勇気といえば、かけ算の「×」はどうして読んでもらえないのか、と泣きべそ顔で質問してきたみおちゃんも印象に残っています。お母様のお話では、前の日に塾で「2×3=6」がわかるようになって自信を持てたのに、「みおちゃんは、今日はいいからね」と先生にあててもらえなかったとか。みんなの前で恥をかかないようにという先生の配慮だったようですが、彼女はこれを無視されたと感じたのでしょう。ご存じのとおり、かけ算九九では2×3は「ニ・サンがロク」と「×」を読みません。これは、奈良時代には渡来していた九九と、明治期に輸入された記号を使う式という別々のかけ算の読みを、二本立てで教えていることから起こる東西文化のせめぎあいのようなものです。でも、それを知る由もないみおちゃんはきっと、自分もまた読んでもらえないかけ算記号と同じだと、傷ついてしまったのでしょう。もし、あのとき先生に「ニ・サンがロク」と言わせてもらえていたら、みおちゃんのその後はどうなったのかなあ、それこそ彼女にがんばる勇気を与えるチャンスだったかもって、いまでも残念な気持ちです。
 
 そんな私たちの塾に集う子どもたちやお母さんからは、希望した小学校の通常学級に入れなかったり、就学相談や就学時健診で心ない言葉をかけられ、辛い思いをした経験を聞くことがあります。皆さんは、「教育のインクルージョン」という言葉をご存じですか? 障害の有無にかかわらず同じ場所で最適な学びを追求する、という世界の大きな動きを象徴する言葉です。たとえばスウェーデンでは、一九八〇年代からバリアフリーが定着し、平屋建ての学校が建てられています。日本政府は障害者権利条約においてインクルージョンを「包容」と訳していますが、これだと多様性というこの言葉の大切な視点がぼやけてしまうように感じます。だから私は「混在」とか「ごちゃまぜ」とするほうが良いのではと思います。
 このように訳語から考えなくてはならない日本のインクルージョンは、その中身も世界標準には及びません。たとえば子どもたちの状態に応じて、通常級と特別支援学校・学級が別々に用意されている現状は、「混在」からも「包容」からもかけ離れています。そこで私は、就学時健康診断(以下就学時健診)をテーマに、日本の特別支援教育をもういちど考えてみようと『新版 就学時健診を考えるーー特別支援教育のいま』をこの一月に上梓いたしました。旧版の刊行からすでに二〇年がたちましたが、当時は活発に議論された就学時健診も、最近は話題にあがることが少なくなってきました。
 その理由のひとつに、たとえば乳幼児健診のような、子どもたちのあらゆる発達段階での診断や健診が用意されるようになったことがあります。早期発見・早期対策というかけ声のもと、「異常」を発見し適切な処置を受けさせる、大きな流れの中の一つに就学時健診は位置づけられ、埋もれて目立たなくなっていったように感じるのです。また最近は、障害のある子が就学時健診に先行して行われる就学相談で、すでに支援を受けてしまっていることも見逃せません。
 この一連の相談・健診システムが、我が子が心配な親御さんに安心感をもたらすことも確かです。蓄積されたノウハウを持つ行政や学校の支援を受けた子どもたちに何かしらの変化が現れれば、それを喜ばない親御さんはいないでしょう。
 行政にとってもメリットがあります。いまの学校の先生方はとても多忙で、一日あたりの勤務時間が一二時間という調査結果もあるとか。そのため、ひとつの教室でさまざまな子どもたちを同時に指導する余裕がありません。相談や健診で子どもたちの状態をきめ細かく把握し、通常級や支援級といった別々の学びの場を用意することは、教育の効率を上げることにつながるのです。
 こうして親御さんと行政、それぞれの願いと目的が絡み合った結果、日本のインクルージョン教育は仏作って魂入れず、となってしまいました。そして、就学時健診もまた、さまざまな問題や矛盾を抱え続けることになったのです。詳しくお知りになりたい方は、ブックレットをご覧ください。
 
 「教えるとはともに希望を語ること。学ぶとは心に誠実を刻むこと」。……塾の子どもたちのことを考えるとき、私はいつも、このルイ・アラゴンの詩を思い出します。人と人とが出会い、教え学びあうことで、よりよい未来を目指すことこそ教育の原点だと、子どもたちから教わりました。
 最近の私は「教える」という言葉そのものについての興味が尽きません。日本語の「おしえる」は、食事をともにするという意味の古代の言葉「ヲシアヘ」が語源という説があります。竪穴住居の中で火を囲みながらの団欒のときに、生きるための様々な技術、たとえばいま食べているイノシシの狩りの方法や、その肉がたっぷり盛られた土器の焼きかたについて、大人たちから子どもたちへと文字通り「かんで、ふくめる」ように教えていたのです(『日本子ども史』森山茂樹・中江和恵著、平凡社)。子どもたちもその日走り回った野山で、あちらには果実が実っていた、こちらには野草が生えていたと大人たちに自慢げに教えていたことでしょう。食事どきの和気あいあいとした教えあい学びあいによって、「ヲシアヘ」は教えるという意味の言葉へと変化していったのです。
 さらに「教える」を漢字で考えてみます。部首である攴は「ぼくにょう」といって、これは棍棒とか鞭を意味する文字だとか。おとなり中国では、子どもを鞭打つことが教えることの象徴だったのですね。それと比べて、日本の「ヲシエル」という言葉が持つ、人と人とが場を共にして育みあう、おおらかな学びの原風景は、私にとって遠山真学塾の実践であり、また目標でもあります。
 
 青森の三内丸山遺跡には、家族のための住居だけでなく大規模な集会所跡も見つかっています。ときにはそこで、障害の有無など関係なく子どもたちを集めて、長老のありがたいお説教を聞かせていたかもしれませんね。縄文人は障害をもつ仲間を蔑ろにせず、助け合いながら生活していたことが明らかになっています。障害をもった人々が丁重に埋葬されたことを物語る遺骨が各地の遺跡から出土しているのです。いまよりもずっと厳しい生活環境を、おおらかに共に生きようとした縄文人。かたやシステマティックに子どもたちを振り分けて管理する現代の教育。時代も状況も違うと言ってしまえばそれまでですが、私たちはもう少し、人と人との出会いが生み出す可能性を信じる、懐の深さを持っても良いのでは、と思います。
 
 私の好きなことわざに、「人間(ジンカン)万事塞翁が馬」があります。塞翁の飄々として、それでいて筋のとおった考え方は、私たちの人生の幸も不幸も、その一時の価値判断では測れないことを教えてくれます。子どもたちの未来を、就学時健診という一瞬の出来不出来だけで判断することの愚かさについて、考えてみませんか。
(おがさたけし・遠山真学塾) 
 

 ◇試し読み②◇

アンソロジスト・芥川龍之介
澤西祐典
 
 幻の名アンソロジー
 かの文豪、芥川龍之介が編纂した、名アンソロジーがある。“The Modern Series of English Literature”(以下『モダン・シリーズ』)である。
 この『モダン・シリーズ』は、芥川が旧制高等学校の学生に向けて編纂したアンソロジーで、英語学習の副読本として編まれたものだ。英語教材なので当然ながら本文はすべて英語。全八巻から構成されている。収録作家は、オスカー・ワイルドやエドガー・アラン・ポー、H・G・ウェルズといった有名どころから、ベンジャミン・ローゼンブラットやアクメット・アブダラーなどの、(現代では)忘れられた作家まで実に幅広い。英米の短篇から、芥川が学生に読ませたいと思ったものを選りすぐったのだから、どれも抜群に面白い。
 ところが、その充実ぶりとは裏腹に、『モダン・シリーズ』はなぜか評判を呼ばなかった。語注や読解の手引きなども付いておらず、〝習うより慣れろ〟式の叢書であったことに加え、誤植が多く教材としては不備が多かった。そんなこともあってか、続刊も企画されながら実現せず、その後、一般読者はおろか、芥川龍之介研究者にさえ(主に語学の壁に阻まれ)ほとんど読まれることなく、二一世紀を迎えてしまった。流通量もさして多くなかったようで、第三巻に至っては、国立国会図書館と都留文科大学の図書館にしかオリジナルが現存していない。
 そんな知る人ぞ知る、幻のアンソロジーについて、収録作品や芥川との関わりを簡単に紹介する。
 
 巻頭作に秘された想い
 『モダン・シリーズ』第一巻はオスカー・ワイルドの短篇からはじまる。巻頭にオスカー・ワイルドが選ばれているのは、もちろん偶然ではない。実は、芥川の在籍した第一高等学校の英文科では、古代英語や中世英語を読むことが推奨され、ワイルドのような〈新しい文芸〉を読むことは禁じられていたのだ(田端文士村記念館「芥川龍之介シンポジウム」での鈴木暁世先生のご指摘)。芥川の書簡には、ワイルドを机の引き出しに隠しながら、こっそり読む一高の学生の様子が綴られている。
 芥川がオスカー・ワイルドを巻頭に据えたのは、高等学校の古い慣習を破り、〈新しい文芸〉に触れてもらいたいという思いがあったからであろう。事実、芥川は『モダン・シリーズ』の序文で「新は旧より(興味を生じやすい)」、「新らしい英米の文芸」、「作品に多少の新を加へる」などと、学生のために〈新しい文芸〉に拘ったことを明かしている。
 さて、ワイルドの作品からは二作が選ばれている。「幸福な王子(The Happy Prince)」と「身勝手な巨人(The Selfish Giant)」である。このうち、巻頭を飾ったのは(ご存知「幸福な王子」でなく)「身勝手な巨人」だ。この選定にも芥川のひそかな想いが込められているように思う。
 作品のあらすじは次の通り。身勝手な巨人が、大変美しい庭を所有していた。子供たちはその庭で遊ぶことを楽しみとしていたのだが、巨人は庭を自分一人のものだと考え、子供たちを追い出し、庭を独占してしまう。子供のいなくなった庭には冬が訪れ、そのままいつまで経っても春が来なくなってしまった。巨人が自分の過ちに気づき、子供たちを庭に招き入れると、ようやく庭に春が戻ってくるのだ。
 つまり、庭(美)を独占していた巨人が、すべての者たちと所有物を分かちあったとき、この世が春を迎える。たいへんな読書家であった芥川が、学生たちと珠玉の短篇を分かちあうことを目指したアンソロジーの巻頭に、これ以上ふさわしい作品はないだろう。芥川は次世代を担う学生たちに、智の源泉たる自らの本の園を開闢(かいびゃく)することを、この作品で宣言しているのである。
 
 収録作品の傾向
 このアンソロジー、全八巻のうち後ろの二巻にあたる第七巻・第八巻が先行発売され、いわゆる内容見本の役割を担った。この二冊の収録作家は、ヴィンセント・オサリヴァン、フランシス・ギルクリスト・ウッド、E・M・グッドマン、ハリソン・ローズなど、ざっと見ても、ピンとくる作家がほとんどいない。
 実はその作家群の多くが芥川と同時代、一九一〇―二〇年代に活躍した、新進気鋭の作家による作品だ。これは、評価の定まった大家の作だけでなく、同時代に第一線で活躍した作家の作品、つまり最新の文芸作品まで採録しようという編者の気概の表れだ。芥川がいかに〈新しい文芸〉に拘っていたかが、このことからもお分かりいただけよう(もちろん、ただ〈新しい〉だけでなく、芥川の眼鏡に適った作品とあって、どれも一読して唸らせられる面白さがある)。
 その他にも、全体的に面白い特徴がある。アンソロジーとは、編者の好みが反映されるものだ。たとえば全八巻のうち、第三巻と第七巻は “Modern Ghost Stories”“More Modern Ghost Stories”とタイトルが付けられていて、幽霊譚(ゴースト・ストーリー)が蒐集されている。幽霊や妖怪、怪談話を好んだ芥川らしい造りといえる。収録されているのは、アンブローズ・ビアス、アルジャーノン・ブラックウッド、M・R・ジェイムズ、F・マリオン・クロフォード、E・F・ベンソンなど、怪奇小説ファンにはお馴染みの作家(と新進の作家)の作品が並び、「英米の文学上に現はれた怪異」や「近頃の幽霊」と題した随筆を残した芥川の趣味が色濃く出ている。
 
 芥川の実作とのつながり
 芥川の弟子にあたる堀辰雄が、芥川を「遂に彼固有の傑作を持たなかった」と評した事実は有名だ。実際、芥川の小説の多くには材源がある。このアンソロジーにも芥川が自作の着想を得た短篇が収録されている。
 有名どころを挙げれば、芥川の「藪の中」と深い関わりのあるアンブローズ・ビアス「月明かりの道」が採録されている。黒澤明監督の映画でも知られる通り、「藪の中」は一つの事件に対する当事者の意見が食い違うさまを描いた短篇である。当事者の証言は盗賊「多襄丸(たじょうまる)の白状」から始まり、「清水寺に来れる女の懺悔」と続き、殺された被害者の「巫女の口を借りたる死霊の物語」となっている。ビアスの「月明かりの道」も同様で、とある悲劇的出来事に対する三者三様の告白劇となっていて、「ジョエル・ヘットマン・ジュニアの告白」、「キャスパー・グラッタンの遺言」、「霊媒師ベイロールズの口を借りたる死霊ジュリア・ヘットマンの物語」から構成される。芥川がビアスから影響を受けたのは一見して明らかで、霊媒師/巫女の口を借りて死霊に物語をさせている点などそっくりである。
 アンブローズ・ビアスは芥川が日本に初めて紹介した作家で、言い換えれば当時の日本では知られていない存在だった。「月明かりの道」から「藪の中」への通い路は、当時の読者に隠し通すこともできたはずなのに、芥川は手の内を惜しげもなく明かしている。同様に芥川がインスピレーションを受けた作品がいくつも収録されていて、芥川がこのアンソロジーにかけた想いが感じられる。
 他方、次のような例もある。芥川の作品に「秋山図」という話がある。元朝の画師・黄公望による画「秋山図」をめぐる逸話で、煙客(王時敏)はとある筋からの紹介で、その画に出逢い、一度見ただけでつよく心惹かれる。どうにかその画を持ち主から買い取ろうと腐心するが、譲ってもらえず、またその後一度も画を見ることができないまま、月日が流れてしまう。そして五〇年後、煙客はその神品と再会を果たすのだが、目の前にあるのはたしかに黄公望の「秋山図」であるはずなのに、どうも昔目にしたものと同じには思われず、まるで五〇年前の出来事が夢のように思えてくる、といった筋立てである。記憶というのはどうにも当てにならない、という話だ。
 さて、『モダン・シリーズ』のなかに次のような話がある。とある酒場で、その場に居合わせた人々が、昔ロンドンにあったウィチ・ストリートはどこにあったか、という話題で盛り上がる。ところが証言はてんでばらばらで、話は一向に収集がつかず、ついには喧嘩まで巻き起こってしまう。いや、喧嘩どころか死者七名、負傷者一五名を出す大抗争にまで発展し、さらには騒動は政界にまで飛び火する。ウィチ・ストリートがどこにあったのか、国を背負って立つと見込まれた前途有望な弁護士までが自説を固持し、それがために約束された輝かしい将来を棒に振る事態となる。作品のタイトルは「ウィチ・ストリートはどこにあった」。短篇の名手と呼ばれたステイシー・オーモニアの快作である。
 両者は記憶違いをめぐる話で、「秋山図」は「ウィチ・ストリートはどこにあった」にインスパイアされたのでは、と勘繰ってしまう。しかし、前者は一九二一年の発表、後者は一九二二年発表。芥川が「ウィチ・ストリートはどこにあった」を読んでから「秋山図」を書いたことはありえない(しかも「秋山図」に別の原話が指摘されている)。事の経緯は、どうやら芥川が自分とよく似た話を書く作家を、あとから見つけ、『モダン・シリーズ』で紹介したようだ。
 
 『芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚』
 さて、以上のように、収録作の充実ぶりはもちろんのこと、芥川とのつながりを考えてみても魅力的な(まさに芥川ファン、垂涎の的!)幻のアンソロジー。その面白さをぜひ多くの方に味わっていただきたいという思いから生まれたのが、この度上梓した『芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚』である。芥川が選んだ五一篇のなかから、現代の読者が読んでも面白いと思ってもらえそうな二〇篇を精選した、いわば『モダン・シリーズ』のベスト版だ。
 刊行にあたっては、翻訳家の柴田元幸氏に共編訳者をお願いし、作品の選考から携わっていただいた。選定の基準は面白いことが絶対条件だが、できるかぎり未邦訳のものを選び、既訳のあるものもすべて新訳で揃えることにした。翻訳は柴田氏をはじめ、畔柳和代、岸本佐知子、藤井光、西崎憲、都甲幸治、大森望、若島正、谷崎由依、森慎一郎(敬称略、登場順)という夢のような豪華翻訳陣が手がけて下さった。文豪・芥川龍之介と現代の翻訳家オールスターによるコラボレーション。これだけでも、ちょっとした文学的事件と言っていいかもしれない。
 それぞれの短篇には、芥川との関わりについて簡単な紹介文も附している。その他、芥川の翻訳作品(イエーツ「春の心臓」とルイス・キャロル「アリス物語」)と創作一篇(「馬の脚」)、並びに『モダン・シリーズ』目次と序文全文を併録し、芥川と英米文学ならびに怪異・幻想譚とのつながりを強く感じていただける贅沢な一冊となった。
 誕生からあと少しで一〇〇年を迎えるアンソロジー。大正の世に編まれた本が、昭和を越え、平成に蘇り、次に読み継がれることを切に願う。
(さわにしゆうてん・作家・芥川龍之介研究者) 
 

◇こぼればなし◇

◎ 東日本大震災から八度目の三月を迎えます。マスコミの報道に接しておりますと、世の耳目の多くは、退位によって代替わりを迎える皇室と新元号、そして来年開催の東京オリンピックへとむけられているように感じられます。
 
◎ 今上天皇は昨年一二月の記者会見で一年をふりかえり、「例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています」と述べられました。
 
◎ また、平成時代に起こった数多くの災害にもふれ、「多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています」とも述べられています。
 
◎ 他方、二〇一三年九月七日の記者会見で安倍晋三首相は、「二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピックでは、東日本大震災からの復興を見事に成し遂げた日本の姿を、世界の中心で活躍する日本の姿を、世界中の人々に向けて力強く発信していく。それこそが今回の東京開催決定への感謝の気持ちを表す最善の道であるとそう考えます」と、内外のジャーナリストにむけて宣言しました。
 
◎ 福島県がことし一月四日に発表した統計によると、昨年一二月一一日現在、福島から県外に避難されている方々の数は三万二八八〇人。その内訳は、公営住宅や仮設住宅、民間賃貸などをお使いの方々が、一万八八一八人。親族や知人宅に身を寄せられている方々が、一万三八四四人。病院などに入られている方々が、二一八人となっています。
 
◎ 震災のあった一一年六月二日時点での県外への避難者数、三万八八九六人と比較すると、この七年で福島に戻ることができたのは六〇一六人。全体の一五パーセントほどの方々しか帰還を果すことができていないということになります。
 
◎ 復興庁がまとめた東日本大震災による全国の避難者数は、一一年一二月時点で三二万二六九一人。昨年一二月段階で五万三七〇九人ですから、その多くが避難状態から解放された一方、福島県ではそれがかなわないということでしょう。
 
◎ 避難者数は復興を考える多くの指標のうちのひとつではありますが、こうした現状をどのように捉えるべきでしょうか。はたして「東日本大震災からの復興を見事に成し遂げた日本の姿」として「世界中の人々に向けて力強く発信して」いけるものなのか、あらためて問われるべき時期にきています。

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