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おっぱい随想(田村容子)

武田雅哉編『ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい』
おっぱい随想
田村容子
 
 
 
 「姚瓊〔ヤオチオン〕はわたしの目の前で上着をぬぎ、ブラジャー姿になった。彼女の形のよいずっしりとした乳房が目の隅に入ると、わたしの心の中は期待にあふれた。この期待は二重になっていた。ひとつは一輪の花か一粒の真珠を前にした時のように、このたぐいまれな美しさをもつ体に触ってみたいというもので、もうひとつは自分も大きくなったらこのようになりたいというものだった」。
 
 これは、中国の作家・林白(1958~)が1994年に発表した小説の一節である。小説のタイトルは『一個人的戦争』といい、上記はその邦訳『たったひとりの戦争』(池上貞子・神谷まり子訳、勉誠出版、2012)からの引用だ。ここでは、中国の文化大革命期に南方の地方都市で育った女性が、革命現代バレエ『白毛女』を踊る女優の身体にまつわる記憶を語っている。
 革命現代バレエとは、1966年より始まる文化大革命の最中に作られた中国のプロパガンダ芸術である。文化大革命という政治的に抑圧された時代を幼年期に経験した作者が、冒頭に掲げたような女性による女性の身体へのまなざしを描くことには、どのような意味があるのだろう。ここで語られるふたつの欲望――「形のよいずっしりとした乳房」に触れてみたいと思うことと、自分もそれを所有したいと思うこととは、乳房に対する人間の根源的な欲求をあらわしているのかもしれない。
 
 こんな風に、乳房についてだれかと語り合いたい、という思いが実現したのが、2018年に出版した共著『ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい――乳房の図像と記憶』(武田雅哉編、岩波書店)である。この書籍は、2013年4月から2016年3月にかけて行なった共同研究「「乳房」の図像と記憶――中国・ロシア・日本の表象比較研究」、通称「乳研(ちちけん)」の研究成果をまとめたものである。筆者はこの共同研究の構成員として、書籍の企画や編集のお手伝いをする機会を得た。以下、この研究会のあらましと、本を作りながら考えたことをつづってみたい。
 
 「乳研」の胚胎期は、2008年にさかのぼる。のちに研究会の代表者となる北海道大学教授の武田雅哉氏が、10月18日、株式会社ワコールの主催する「乳房文化研究会」の定例研究会において、「男の乳房がふくらむとき――中国乳房文化ノート」と題する講演を行なったのが、ことの発端である。このときのオーガナイザーは、同研究会運営委員の実川元子氏であった。実川氏には、のちに書籍のゲスト執筆者として、日本女性の乳房観の変遷について報告をしていただくこととなる。
 三年後の2011年12月、北海道大学総合博物館において、「越境するイメージ――メディアにうつる中国」と題する展示が開催された。これに合わせ、武田氏が講師をつとめる土曜市民セミナー「中国プロパガンダ・ポスターの世界」が開講されたことが、「乳研」発足の直接のきっかけといえるだろう。セミナーでは、武田氏の中国乳房文化史研究の一端が紹介され、中華民国期の商業広告ポスターに描かれた女性の胸元、とりわけ薄絹の旗袍(チーパオ、チャイナドレス)に透ける乳首や、なんらかのアクシデントによって衣服の隙間からこぼれ出る乳房といった図像が、つぎつぎにスクリーンに投影されていった。たちまち満場の市民のまなざしはそれらに釘づけとなり、筆者もまた、描かれた想像の乳首に魅了され、乳房研究の無限の可能性に目を見開かされたのである。
 
 その後、武田氏を代表として共同研究を立ち上げ、科学研究費を申請する運びとなり、おっぱいについて一家言ありそうな研究者をひとりずつスカウトしていった。2013年4月、この研究課題は幸いにも科研費に採択され、「乳研」は本格的に活動を開始した。
 「乳研」では、年に二回、定例研究会を開催し、構成員がおのおのの研究テーマを報告するとともに、それぞれの調査成果や資料をもちよって共有した。扱う対象が乳房である以上、それはおのずと撮影された、あるいは描かれたさまざまな乳房を鑑賞する場となった。たとえば、研究会構成員の加部勇一郎氏による『水滸伝』の裸体描写にかんする報告では、中国で制作されたテレビドラマ版『水滸伝』に登場する豪傑たちの胸部が、いかに剥き出され、刺青や体毛によって彩られているかを真剣に議論しあったりもした。
 
 当初より、研究成果を書籍にして出版するという計画であったため、外部からさまざまな分野のゲストをお招きし、西洋美術や日本古典文学などにおける乳房表象についての報告もお願いした。議論が白熱すると、ときに意見交換は深夜にわたり、有志のメンバーで翌朝まで語りあかすこともしばしばあった。
 また、2014年3月には中国調査旅行に出かけ、大連・旅順を中心に、中国東北地方および北京の乳房イメージを採集した。2014年8月から9月にかけては、ロシア・中国の国境をまたぐ調査旅行を行ない、ウラジオストク・ブラゴヴェシチェンスク・黒河・ハルピンといった都市をめぐり、絵画や彫像の乳房などを鑑賞した。
 
 2015年10月24日には、乳房研究の先達である「乳房文化研究会」にお招きいただき、「乳研」の中間報告をさせていただいた。武田氏が「〈乳房〉の図像と記憶――中国・ロシア・日本の表象比較研究」 からの中間報告」と題する講演を行なったほか、筆者が「男旦(おんながた)が脱ぐとき――中国演劇における乳房の表現」について報告した。来場者との意見交換では、「乳房」をどう読むか、その部位を普段どう呼び分けているか、といった話題で活発な議論が交わされた。医学、生物学、健康科学の専門家を擁する「乳房文化研究会」では「にゅうぼう」と読むが、「乳研」のほうは「ちぶさ」である。読み方の違いによって生じるニュアンス(かたくるしい、あたたかい、いやらしいなど)も人によって千差万別ということがわかり、図像や文字を研究対象とする「乳研」にとって、「乳房文化研究会」との交流は、異なる視点からの乳房研究に刺激を与えられる貴重な機会となった。
 
 「乳研」を運営するにあたり、一貫して考えつづけたのは、乳房ははたして女性特有のものなのか、という問いである。そのため、男性やヒト以外の動物・怪物など、従来の乳房研究ではあまり扱われてこなかった視点からおっぱいを論じてくれそうな研究者、あるいはすでにある女性の乳房観を打ち破ってくれそうな研究者に、それぞれのおっぱい論をお願いした。
 書籍のタイトルは、ゲスト執筆者のひとりである乳房研究家の関村咲江氏による論文「ゆれる乳房――杜就田編集時期の『婦女雑誌』「医事衛生顧問」における身体論を中心に」(『饕餮』16、2008、松本咲江名義)よりヒントを得た。関村氏には、同論文にもとづき、1920年代の中国の雑誌に寄せられた、女たちの乳房の悩み相談をコラムにまとめていただいた。同時期、中華民国の女性たちの乳房は、転機を迎えていた。従来、布で胸部を縛りつける「束胸(そっきょう)」が婦女子のたしなみとされていたところ、西洋の身体観が流入し、女性の乳房解放が唱えられ、天然のまま束縛しない乳房を称揚する「天乳運動」が始まったのである。女たちは、自らの乳房をどのように取り扱うべきか悩み、文字通り胸を痛めたのだ。
 
 「天乳運動」はまた、中華民国の男たちの心もゆり動かした。研究会構成員の濱田麻矢氏による論考「民国文学むねくらべ」は、1920年代から40年代にかけての中国文学にあらわれた乳房の描写を、味わいながら比較するものである。そのうちの一編、茅盾による「動揺」という小説には、若く美しい女性革命家の肢体、とりわけ彼女のふくらんだ胸が弾む様子に、翻弄される男たちが描かれる。「ゆれるおっぱい、ふくらむおっぱい」とは、ゆれてふくらむ乳房そのものを指していることはもちろん、それが喚起する人びとの心のゆらぎやざわめき、そして欲望や想像といったものをも含んでいるのである。
 
 「乳研」の活動を通してわかったことのひとつは、乳房とは現実的な人体の一部であると同時に、ある時代や地域の歴史・文化と密接にかかわった、多分に観念的な代物であるということである。中華民国期の女たちや男たちが、「あるべき」乳房あるいは「あらまほしき」乳房をめぐり煩悶する姿は、現代の日本においても十分に共感を誘う可能性のあるものだろう。そして、この観念の乳房は、乳首を隠蔽すべくワイシャツの下に下着を着るか否かに悩む男性や、「雄っぱい」なる用語で語られるBL(ボーイズラブ)マンガにおける男の乳房とも、地つづきの問題なのである。
 
 こうした観念の乳房や男性の乳房への関心から、筆者自身は中国演劇において「男旦(ナンタン)」と呼ばれる女形の俳優について取り上げた。中華民国期という乳房の転換期に、かれらが男だてらに、いかに女の身体を表現しようとしたか、というのが研究テーマである。ゆれない・ふくらまない胸をもつ男旦もまた、同時期の中国に出現した舞台や映画におけるモダンガールの肉体を前に、動揺した男たちであった。「男旦」と「モダンガール」という、20世紀の中国を代表するふたつの虚構の女性像という着想を得たことによって、十数年来あたためすぎていた博士論文も、ようやく提出することができた。これも「乳研」の成果の一部といえよう。
 
 共同研究の成果論集というあまり読者受けしなさそうな書物を、手に取りやすい一般書にしたいという野望に真剣につき合ってくださったのが、岩波書店の編集者である渡部朝香氏である。「乳研」の定例研究会にも参加された渡部氏は、われわれの出版企画書に対し、厳しくも的確な助言をくださった。そうして、編者の武田氏の指揮のもと、現在のような形で研究成果を書籍化することができたのである。
 刊行後に寄せられた読者の感想からは、戸惑いや共感など、さまざまな声が伝わってくる。それらの反応からも、人びとの情動をゆり動かさずにはいられない、乳房なる觀念の奥深さを感じているところである。おっぱいはたった一冊の本で語り尽くせるようなものではない、との思いを新たにし、ひきつづき乳房表象の蒐集に励んでいるところである。
 
 最後に、最新のおっぱい情報をひとつ。2019年2月、韓国映画『金子文子と朴烈』が日本で封切られた。若き無政府主義者の、国家に対する抵抗を描くこの映画でもっとも印象的なのは、金子文子の乳房のふくらみがクローズアップされる、終盤のとある場面である。自分の人生を自らの手でつかみとった文子は、終始一貫してゆれない女性像として演じられる。その乳房のふくらみは、弾圧のもとで自由を希求してやまない、しなやかな彼女の精神をあらわしているようだった。いずれ語ってみたい乳房映画である。
 
[初出:神戸大学文学部海港都市研究センター編『海港都市研究』第14号、2019年3月]
 
 
☆金子文子特集はこちら☆

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