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『図書』7月号 【試し読み】吉村武彦/藤原辰史

◆目次◆

“ひと・もの・こと”から描く古代像      吉村武彦
戦争文学としての荷風文学          三谷太一郎
私の「二都物語」(上)            亀淵 迪
父の書斎                  高橋真名子
臨床医・德永進の言葉と実践         藤原辰史
ソグド学の衝撃               前田耕作
私のこと その6              加藤典洋
さくら違い                 佐伯泰英
落語・武道館・返歌             さだまさし
夏を迎え撃つ                辰巳芳子
七月、夏空、そして台風           円満字二郎
敗戦と吃音                 片山杜秀
川を遡上するワニ、サケ、アユ        三浦佑之
わたしの手もとには、彼女の色あせた「パートナー」が残った。  冨原眞弓
憧憬と侮蔑の間で              山室信一
こぼればなし
七月の新刊案内

(表紙=司修)(カット=高橋好文)
 

◆読む人・書く人・作る人◆

“ひと・もの・こと”から描く古代像
吉村武彦
 
 元号が、「令和」に変わった。最初は奇妙に思えても、半年もすれば慣れてくる。いや、慣らされるというべきか。役所関係の文書に、元号の記入が求められるからだ。

 今は元号というが、明治以前は年号といった。古代の法令である大宝令に「公文書には年号を用いよ」とあり、今日まで続く。最初の年号は、『日本書紀』には「大化」とある。大化改新で皇極女帝が譲位し、孝徳天皇が即位した。そして、大化元年に改めた。このほか『書紀』には、孝徳朝の「白雉はくち」、天武朝の「朱鳥」がみえる。ところが、木簡などの同時代史料には「乙未いつび」などの干支が使われ、年号は使用されていない。

 年号が継続的に用いられるのは、大宝元年(七〇一)からで、対馬から金きんが献上され、金に因んで「大宝」と改元された。後にこれは「詐欺」で、官人が騙されたことが判明するが、大宝は取り消されなかった。大宝年号にとっては、残念な船出であった。陸奥国から本当に金が産出された七四九年は、「天平感宝」と改元された。奈良人にとって、産金はたいへんめでたい出来事であったのだ。このように古代の改元をみると、古代人の情感に触れることができる興味深い事柄が多い。

 さらに近年考古学との共同作業が増え、古代史はますます面白くなってきた。そもそも古墳はなぜあんな形なのか。未解明の謎は多く、未知の遺物に驚くこともままある。いずれも人間が辿ってきた足跡の一部であり、何かしらその本質に迫るものがある。そんな面白さをシリーズ「古代史をひらく」を通して共有してみたい。
(よしむら たけひこ・日本古代史)
 

◆試し読み◆

臨床医・徳永進の言葉と実践
藤原辰史

 

 

 鳥取市にある野の花診療所。ホスピスケアの病院である。厳しい病気に冒された人たちがベッドで横になり、おだやかに、ゆるやかに、痛みをこなしつつ、次の世への旅への支度を始める場所である。ここはしかし、「診療所」というには何かを欠いていた。治療用の機械が少なく、目立たない。そのかわり本がやたらと多い。ここは古本屋かと見紛う図書室の本棚は、古本好きの私にはたまらないラインナップであった。
 優しい空気がゆったりとたゆたう、とかいう言葉では描写として甘すぎるだろう。もうなんだか、腰が砕けるのである。壁は外と内を仕切る、という本来の機能を忘れているかのようだ。壁はそのかわり、カンヴァスになって詩人たちの言葉を受け止め、患者や訪問者やスタッフのおしゃべりを吸収している。一階には食堂があって手作りのごはんが食べられる。いたるところに近所で摘まれた野の花が挿してある。柔らかい照明は大病院のように片隅まで照らす役割を放棄し、ところどころに暗室的スポットが人びとを誘っている。商店街で立ち話をしているかのように話す気さくなスタッフ。個性あふれる窓と漏れる光。あれ、ここは病院だったっけ、と森に迷う感じ。苦しみと痛みがこれほど近い場所もないのに。なぜだろうか。
 
 今年の二月に、『明日の友』(二〇一九年春号)の対談企画のため、編集者の小尾【章/ふみ】【子/こ】さん、チェコ出身の写真家シュヴァーブ・トムさんと一緒に野の花診療所を訪れた。この診療所を開設した医師、徳永進さんが、私たちを案内した。徳永さんは、まどかな方である。丸い、柔い、という形容詞ではとても足りない。まるで、何度切っても蘇るプラナリアのような柔軟性、角のない豆腐のような攻撃性のなさ。患者さんの部屋にも一緒に訪れた。柔和すぎていつか溶けてしまうのではないかという表情の徳永さんは、病室に入ってもいきなり患者に手を伸ばさない。手を後ろに組んで、顔と首と胸あたりで患者さんの気配を受け止め、言葉で患者さんを包み込み、患者さんと(事前に仕込んでおいた)即興コントを繰り広げる。私は、徳永さんだけでなく、患者さんにももてなされている、というゴージャスな気持ちになった。
 
 私は、あらかじめ徳永さんの著書を読み込んできていた。『死の中の笑み』(ゆみる出版、一九八二年)や『こんなときどうする?』(岩波書店、二〇一〇年)など、読み始めたらやめられない呪縛系の本は睡眠時間を食うので辛い。
 徳永さんが、臨床医として日々、死と、そしてそれに至る道筋に付随する苦しみ、怒り、笑いと対峙し、個性あふれる患者やその家族たちと話すなかで、医療マニュアルがほとんど無意味になっていく感じ、つまり、生々しい臨床の現場をユーモアたっぷりに書いた。と、ここまで書いてみたが、こんな紹介ではやはり甘すぎる。私が後生大事に抱えてきた「常識」と「知識」をこんなにも見事に目の前でガラガラと壊されていく感覚といったら、自分の精神がまな板で切り刻まれ、鍋に放り込まれる残酷な料理ショーを見ているようだ。それを快感と感じるか苦痛と感じるかは読者によるのだけれど。
 たとえば、こんな表現に私の「常識」はあっさり却下された。呼吸器はつけない、とか、緩和ケアは最低限に、とか、患者の意志の問題について、である。 
 〝本人の意志〟というと、水戸黄門の印籠のようで、「これが目に入らぬか~」だが、それがどれだけのもん、というスタンスも必要かもしれない。
 本人の意志は、本人のわがままであっていいのだけれど、家族の意志、共同体の意志、他の生命体の意志、地球の意志、宇宙の意志のことを超えて、本人の意志こそが大切、とは思いにくいところがあるからだ。
(『こんなときどうする?』)
 宇宙の意志! このオカルトまがいの言葉をまったく違和感なく、医学の厳粛な臨床に落とし込んで考えられる人が他にいるだろうか。自主独立の近代的主体というものに随分と苦しめられてきた私は、死に際の臨床でこそ、流れ、やりとり、繰り返し、はみ出し、といった動詞群がわらわらと集まってくることに、何か肩の荷が下りる思いがした。
 
 徳永さんの本には人文学者がもっと注目してよいと思う箇所が多数ある。修羅場に常にさらされている人間が発する言葉のあの冬の凍った池のような張り詰めた感覚をなんども感じるのである。たとえば、「殺せ!」と患者に言われたときのことである。
  「死なして」と患者さんに言われた時、どうするか。答えはない。言った人の年齢、病気、病状、言われた人の年齢、立場、声の大きさ、声のトーン、などによって、同じ言葉でも違う世界を抱えている。その言葉は、時にはユーモアさえ秘め、時には人の身動きさえ奪う。私たち臨床で働く者にできることは、聞き辛いその言葉の前で、頭を少し下げ、その言葉を否定せずただ聞き、聞きとめ、そのあとに続くその後の日々から逃げ出さないことを誓うことくらいだろうか。 (前掲書)
 「死なして」という言葉に響くユーモア! ホスピスケアに場違いな、穏やかではない言葉が、徳永さんの本のなかに収まると、まったく違和感がない。だが、それ以上に私を驚かせるのは、「聞きとめる」という言葉である。受け流すほど冷淡ではない。了解するほど重くはない。聞きとめる、という言葉はある恐ろしい事実を、さきほどは肩の荷が下りていたはずの私に示した。そう、私がこれから会いに行く人は、とんでもなく厳しい人だ。
 近代的主体という幻想を一方で揺さぶりながら、患者の前に立つ自分を、社会的規範や生命倫理とも違う何か不思議なものに対して誓わせることは、普通のお医者さんではできないし、そもそもしようとは思わない。イエスともノーとも言わないことは誰でもできる。優柔不断は私の得意な技だ。だが、徳永さんは優柔不断ではない。優柔決断だ。優しく柔かいまま、患者を絶対化しないまま、「逃げない」と決断するのである。
 
 だから、『隔離――故郷を追われたハンセン病者たち』(岩波現代文庫、二〇〇一年。増補、二〇一九年)を読んだとき、野の花診療所に行くために残っていた最後の勇気も、見事に砕け散った。この本は、徳永さんの故郷でもある鳥取を追われ、療養所に「終生強制隔離」されたハンセン病者たちの聞き取りである。
 もうこれはまるで、スベトラーナ・アレクシエービッチだ。『チェルノブイリの祈り』(松本妙子訳、岩波現代文庫、二〇一一年)にあったあの迫力。聞き手が、話し手の語る言葉の前に忽然と消えて、読者に伝えるあの迫力がそのままなのである。徳永さんは、「聞きとめる」ことを、歴史学者でも人類学者でも社会学者でもなく、一人の医師として果たした。ここには柔らかさも固さもない。誓いだけがある。徳永さんは全身を耳にする。元長島愛生園の園長、光田健輔の、近代日本史の基盤である次の重要な言葉と耳で対峙している。「この恥ずべき病者を多くもっていることは文明国の恥である」。
 「きれいごと」をとことん嫌う徳永さんは、ここで、光田を高みから倫理的に批判しない。隔離を決めて二十年でハンセン病を治癒させるプロミンが登場したにも関わらず、「終生隔離」を続けたこと、隔離がサーベルによって「強制」されたこと。この二点を、徳永さんは「間違い」として指摘しているだけである。批判は、患者の語った言葉と、患者と思われたが、実はハンセン病ではなく、かといってすでに烙印を押され故郷に帰れない「ノン」と療養所で呼ばれていた人の存在こそが、光田を批判するのだ、と指摘するにとどめている。でなければ、次のような言葉をどうして聞きとめられようか。
ひどい親と思うかしらんが、わし、「子どもが風邪がもとで死んだら、それでええ」ほんと、そう思っとったで。わしだって病気かかえて、食う物食わずで、それでも死んだら死んだでええ、そう思っとった。(『隔離』)
 この「ボロ買いの金さん」は、慶尚北道の貧農の出身。凶作が続き食えないので植民地期朝鮮から日本に渡り八幡製鉄所で働いた。残したお金を韓国に送った。子どもを赤貧から救いたかった。厳しい労働のため体調を崩し、韓国に戻るが、広島で廃品回収をやっている妻の兄を頼って、再び日本へ。そして山口、鳥取に移り、バタ屋を営む。村の人のデマで結核だと信じられた金さんは、家を家族共々追い出され、極貧の中生き抜くことになる。戦後は、闇商売、密造酒造り、とあらゆる商売に手を出しているうちに、「らい病」だと告げられる。子どももらい病が感染すると言っていじめられる。村で窃盗があると駐在が金さんのところに真っ先に来る。電気もない、ろうそく暮らし。バラックは吹きさらしで子どもはしょっちゅう風邪をひく。
 さきほどの「死んだら、それでええ」という話が出てくるのはこの文脈である。子どもにハンセン病がうつると妻にも言われ、みずから長島愛生園へ行くことになった。そこで暮らしてきた金さんを、徳永さんは訪れる。台所から冷酒を出してきた金さんは、「さあ、飲みましょう」。「他人からやさしくされたことのない金さんが、とてもやさしい気持ちで酒をついでくれる」。帰り際、金さんは徳永さんにスルメの袋をわたし、「これ酒のツマミにしなさい」と言ったそうだ。
 近代日本帝国史の恐ろしく暗い部分を描くこの文章が、梅雨明けの太陽のような一節で閉じられる。私は、ここまで近代社会の悲しみと温かさを描けてきたのか、と自分の不甲斐なさに落ち込むなか、いつの間にか診療所に着いたのだった。
 身構える私が、徳永さんと患者さんによって、あるいは、診療所の不思議な空気によって温かくもてなされたのはすでに述べたとおりである。拙著を多数読んだ上での対談中の質問はやはり厳しいものばかりで、私の机上の空論は次々に吹っ飛ばされたが、不思議と辛くない。痛みを感じない。この診療所なら、こんな気持ちで次の世に旅立つことができるかもしれない、と密かに思ったのだった。
(ふじはら たつし・農業史) 
 

◆こぼればなし◆

 ◎ 岩波ブックレットがこの五月に刊行一〇〇〇号を迎え,七月から全国の主要書店で記念フェアが展開されます.

◎ 岩波ブックレットが創刊されたのは一九八二年四月.「核戦争の危機を訴える文学者の声明」として『反核――私たちは読み訴える』がその第一冊目でした.

◎ 二冊目以降の書目をみてみますと,豊田利幸『核戦略の曲り角――危機はここまできている』,大江健三郎『広島からオイロシマへ』,関屋綾子『女たちは核兵器をゆるさない――〈資料〉平和のための婦人の歩み』と,深刻化する東西冷戦を背景にした核の脅威に対する当時の危機感が伝わってきます.

◎ そうした最初期の企画のひとつ,八二年七月に刊行された中沢啓治『はだしのゲンはピカドンを忘れない』は,現在まで読み継がれるベストセラー.累計二三万部を数える本書は,これまで刊行された岩波ブックレットのなかで,もっとも多くの読者に迎えられることになりました.

◎ これにつづく第二位は,一九万部のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー『荒れ野の40年』(一九八六年,新版二〇〇九年),第三位は一七万部の井筒和幸,井上ひさし,香山リカ,姜尚中ほか『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』(二〇〇五年)となっています.

◎ この数年に刊行されたもののなかでで,書店での売れ行き良好な書目の五冊を紹介しますと,高山佳奈子『共謀罪の何が問題か』(二〇一七年),佐藤学『学校を改革する――学びの共同体の構想と実践』(二〇一二年),想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(二〇一三年),本田由紀『社会を結びなおす――教育・仕事・家族の連携へ』(二〇一四年),斎藤貴男『安倍改憲政権の正体』(二〇一三年)です.

◎ これまで刊行された岩波ブックレットの目録をみてみますと,その多くが私たちの社会が抱える様々な課題に対するアクチュアルな問題意識に支えられた企画群によって構成されていることに,あらためて気づきます.安価でハンディな小冊子ですが,それゆえに,そのテーマの核心を突き,争点の背景,押さえるべき基礎,ポイントに読者を導いてくれる――市民による読書会や勉強会でテキストとして広く迎えられてきた理由は,そういうところにあるのでしょう.

◎ この記念フェアにあわせて,『スマホだけでは物足りない! ブックレットの底力』と題した小冊子をご用意しています.最相葉月さん,前川喜平さん,望月衣塑子さん,鈴木邦男さん,武田砂鉄さん,斎藤美奈子さんといった方々に,おススメのブックレットをご紹介いただきました.是非とも店頭でお手にとっていただければと思います.

◎ 映画『居眠り磐音』も好評の佐伯泰英さん.その「惜櫟荘の四季」が本号で終了となります.七年に渡る連載,
ご愛読ありがとうございました.岩波現代文庫の一冊として一一月に刊行の予定です.ご期待ください.
 
 

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