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思想の言葉:松尾隆佑【『思想』2025年9月号 特集|資本主義と民主主義】

◇目次◇

【特集】資本主義と民主主義

思想の言葉 松尾隆佑

──現在の諸相──

ヨーロッパにおける政党システムの変容とポピュリスト政党
──政党政治における資本主義をめぐる対立の周縁化?
中田瑞穂

社会的投資国家における「資本主義と民主主義」の両立
──マクロ政治分析の観点から
加藤雅俊

フランスの資本主義と民主主義
──ミッテランからマクロン期まで
吉田 徹

資本主義の変容と新しい「福祉国家の合意」の可能性
藤田菜々子

民主主義の危機とその再生への隘路
──金融資本主義とポピュリズムの席巻のなかで
千葉 眞

──過去からの手がかり──

資本主義、文化、民主主義
──J・ランシエールを手掛かりに
乙部延剛

政治、美学、資本主義
──現代美術の形式と関係性の解釈をめぐって
五野井郁夫

現代政治思想における資本主義批判の精神史的位置
──ロールズとアーレントを参照点として
森川輝一

──未来への展望──

資本主義/自由民主主義から、贈与社会X/イソノミアへ?
──柄谷行人の交換様式論の射程
山崎 望

新自由主義を「乗り越える」
──権威主義的ポピュリズムからpopular-democraticへの転換
武田宏子

熟議民主主義は資本主義にどのように対抗できるのか?
田村哲樹

相互性のある社会的協働の構想
──アンダーソン・ロールズ・宇沢弘文
齋藤純一

 
◇思想の言葉◇

いま政治理論になにが可能か

松尾隆佑

 明るい未来を語りにくい時代である。ロシアのウクライナ侵攻に端を発する戦争は出口のないまま続き、ガザ虐殺をはじめとしたイスラエルによる中東各地の蹂躙も止むことがない。さらにはアメリカがイランへの空爆に踏み切り、日本を含むG7諸国もこの軽挙を厳しく非難せずにいる。荒れ狂う無法な暴力を前にリベラルな国際秩序は激しく動揺しており、ロシアを糾弾しながらイスラエルに甘い姿勢を取りつづける国と知識人が、人権、法の支配、民主主義といった価値を語ることは、いかにも空虚に響くようになった。

 自由民主主義諸国のリーダーを自任してきたアメリカ自体が、ドナルド・トランプの復権により権威主義体制への急速な接近を見せている。ヨーロッパや日本においても、トランプに共鳴しながら移民・外国人の排斥やDEI(多様性・公平性・包摂性)の放棄を訴える勢力の伸長が著しい。主権国家の凶暴性を曲がりなりにも抑え込み、人間の尊厳や市民間の平等の実現に寄与してきたリベラルな諸制約は、いまや猛烈な疑念と攻撃にさらされている。

 自由民主主義の弱体化が生じた背景として、脱工業化とグローバル化に伴う経済格差の拡大がある。グローバル市場から統治能力への制約を受けやすくなった各国は、「この道しかない(There is no alternative)」とばかりに資本の要請に応える改革を競い、富の偏在が進むことを看過してきた。中間層の没落を問題にしながら「リベラル・エリート」の批判に終始してネオリベラル・エリートの責任を問わない人びとの奇妙さはともかく、ポピュリズム(ないし非自由主義的民主主義)が高揚したのは自由民主主義が腐っていたからである。

 ウラジーミル・レーニンは、資本主義の下では金持ちのための民主主義しか行われないとして、選挙に基づく代表制を批判した。この評価は多くの自由民主主義諸国に妥当していないだろうか。庶民が物価高に汲々とする一方、イーロン・マスクのような大富豪は日ごとに資産を増やしつづけ、資金力で政治を動かすこともできる。自民党の裏金問題が強い批判を受けた日本でも、企業・団体献金に対する厳格な制限は導入されていない。

 現状が示すのは、政治体制と経済体制を別個に捉えるのでなく、両者を不可分と見て政治経済体制を論じることの重要性である。アダム・プシェヴォスキも認めるように、選挙制は経済的不平等を是正する効果があまりない。だが深刻な経済的不平等が存在する社会では、少数の富裕層と企業が過大な影響力を行使可能なため、政治的平等は形骸化しやすいだろう。

 近年関心が高まっている抽選に基づく代表制を用いて多様な市民の熟議を促進すれば、不平等は是正しやすくなるかもしれない。ただし、富を蓄積した一部の人びとが政治意識や公共的言論に働きかける理念的・言説的な権力も手にしやすい状況では、抽選制の効用も限られうる。民主主義の健全な機能は、社会経済的条件に依存する面があるのだ。こうした点を重視したジョン・ロールズは、あらゆる市民に幅広く資本を分散させることで権力の集中を防ぐ、財産所有デモクラシーという政治経済体制を構想していた。

 他方で市場の機能もまた、自然環境や法制度など、社会的共通資本と呼ばれる種々の基盤の上で成り立つ。これは、資本主義の様態が法政治的条件に左右されるということでもある。歴史的に見れば、資本主義は体系的・重層的な差別を埋め込みながら発展してきた。主要なものは、セクシズム、レイシズム、スピーシーシズム(種差別)である。資本主義は私的所有権を持つ自由な契約主体を前提とするため、そのような主体たりうる「人間」に誰が含まれるのか、という法政治的な境界画定と無縁ではありえない。

 キャロル・ペイトマンが性契約を、チャールズ・W・ミルズが人種契約を論じたように、いまある先進資本主義諸国の繁栄が築かれる過程では、特定の対象からの収奪や搾取を正当化する法秩序と、その保護を図る政治勢力の暴力的支配が一貫して現われた。男性が女性に無償のケア労働を強いること、「中心」の国・地域が「周辺」の国・地域から労働力や天然資源を買い叩くこと(さらには植民地主義を擁護して敵対勢力からの「自衛」を助けること)、人間が非ヒト動物や自然環境を無際限に利用すること、いずれも市場を強力にかたちづくってきた条件である。

 市場のデザインには社会の権力構造が反映される。奴隷貿易や奴隷制そのものの廃止は、奴隷を売り買いする契約の権利や主人の財産権に対する制限であり、市場規制の強化を意味した。奴隷の使役に生産能力を大きく依拠していたそれまでの資本主義は、特定のヒトを家畜やモノのように扱うことを許す法権利の体系に支えられていたわけである。現代でも、非ヒト動物をモノのように扱うことを基本的に許容する法権利体系が残存しており、これに基づいた市場デザインが畜産を通じて地球温暖化の一因になっているとの主張もある。

 ノン・ヒューマンの地位をめぐる論争はさておき、ここでは次の点を強調したい。すなわち、誰がなにを所有し、どのようなディールを行ってよいかを法権利によって決する政治的な諸力の対抗が、常に市場の機能を支え、資本主義の姿を変容させてきた。そうであれば、奴隷制が認められなくなったように、一部の人びとに過大な富が渡らない市場を生み出し、ジェンダー不平等やグローバルな不正義、環境危機などを抑止しやすい資本主義を実現することも、決して不可能とは言えない。政治経済体制を動かすのは運命ではなく、意志と行動である。

 もっとも、資本主義が政治的可塑性を有するという理解を、国家による規制の(再)強化を求める訴えだけに矮小化してはならない。GAFAMと呼ばれる巨大テック企業が世界中のユーザーを囲い込み、人工知能など政府の十分な監督が及びにくい先端的技術を用いて、私たちの生活全般を事実上統治できるデジタル封建制(テクノ封建制)が出現した今日では、公共的事柄を国家が一元的に決定・統制することは成り立ちがたい。グローバル化の昂進と、国際機関やNGOなどの非国家主体を交えた国境横断的なガバナンスの定着も踏まえれば、権威の多元化・流動化は明らかであり、主権の相対化が進んでいるとわかる。

 したがって国家に匹敵する多国籍企業の権力を実効的に縛るには、各国政府の法規制に加えて、非国家主体によるさまざまな活動を連携させた、複合的な規制の構築が求められる。規制の体系には、国際機関による規範形成や、企業・業界団体による自主規制・民間規制、NGOや専門家による持続的監視、そして投資家や消費者による市場アクティヴィズム(責任ある投資や倫理的・政治的消費)などが含まれるだろう。市場がつながっているからこそ、グローバル市民社会が企業のレピュテーションを介して規範遵守の圧力を生むことも、規制手段の一種となる。

 また、企業権力を内部から民主化するため、労働者の発言権を保障する職場民主主義の推進は不可欠である。特にGAFAMなど社会に与える影響が大きい企業の場合、労働者以外の幅広いステークホルダーも意思決定過程に包摂することが望まれるし、各社内にミニ・パブリックスを設けて一般市民から正統性を調達させることも検討に値する。現代の資本主義を制御して民主的な統治能力を回復するには、民主主義の舞台を私企業の内側まで拡張して考えなければならない。

 政治を閉じた共同社会である国家とのみ結びつける立場もあるが、過去の特殊な条件にとらわれてはいないだろうか。女性を私的領域にとどめることや、環境負荷を気にしないことは、ただ一時期の常識や慣行にすぎず、もはや通用しない。同様に、国民国家の境界内やフォーマルな統治機構とかかわる公的領域に舞台を限定することも、政治という営みの普遍的な前提とは言えない。国家だけを見れば済む時代は終わったのだ。

 ある時代に奴隷なき資本主義を想像もできなかったように、いまはグローバルな民主的資本主義など非現実的に思えるかもしれない。だが、現実になっていない構想を詳しく検討してみなければ、これまでと別の道は見つけられず、未来をはじめられない。現実を批判し、すぐに実現可能とは思われない秩序を思い描いて市民に指し示すことは、政治理論の大事な役割である。自由民主主義の腐敗や弱体化を乗り越え、あるべき未来の政治経済体制へと歩み出すためには、既成の枠組みにとらわれない想像力が必要とされる。

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