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『思想』2020年7月号 【特集】グローバル・ジャスティス

◇目次◇
 思想の言葉………齋藤純一
気候正義――グローバルな正義と歴史的責任の交差………宇佐美 誠
グローバル正義論と「公正な」貿易………上原賢司
非対称戦争における戦争倫理――必要性条件の分析と適用………松元雅和
外国人労働者の一時的な受け入れはどのようなときに不正になるのか………岸見太一
戦争での殺害と集団責任――兵士はなぜ国家のために死ぬのか………福原正人
実践から理論へ………チャールズ・R・ベイツ
グローバルな正義の主体の語り方………山田祥子
植民地支配と政治的集合体の自己決定………辻 悠佑
もうひとつのグローバルな「批判的=政治的」正義論の可能性――分配的正義論と政治的リアリズムを超えて………内田 智
 
 
◇思想の言葉◇
 
気候変動とパンデミックーー内部最適化を超える協働にむけて
齋藤純一

 私たちは社会を根本から変える二つの問題に直面している。一つは気候変動、もう一つはパンデミックである。この二つは、人類がこの先共有する深刻なリスクであるという点で、また、そのリスクに対処していくためには息の長い協働が必要であるという点で共通する。いずれも人間と自然の関係が大きく変わるなかで引き起こされたリスクであり、その関係をどう修正することができるのかも同時に問われている。

 気候変動や感染症が地球大の公共的問題であるのは、まず、その影響を免れうる者は誰ひとりいないからである。たしかに、人々の脆弱性には大きな違いがある。気候危機はすでに海面上昇、集中豪雨、洪水、旱魃となって現れているが、飢餓人口の増加などその影響は貧困な地域ほど深刻である。パンデミックもまた、不利な立場にある人々の生活をいっそうの苦境へと追い込んでいる。とはいえ、その脆弱性は普遍的なものであり、とりわけ感染症がいま引き起こしている経済危機は先進国に住む有利な立場にある人々の生の展望にも暗い影を落としている。

 加えて、気候変動も感染症も一過性の問題ではない。累積した温室効果ガスの影響が超長期に及ぶことは言うまでもなく、温暖化のスピードを抑えるだけでも腰を据えた取り組みが必要になる。他方、今回のコロナ・パンデミックはいずれ収まるとしても、人間の制御能力は自然の偶然性には及びようがなく、新しく発生する/変異するウイルスの脅威に人類がこの先曝されつづけるのは疑いない。いずれも、問題の深刻化に対して繰り返し警告が発せられてきたにもかかわらず、内部(自国や自世代)の最適化をはかる短期的利害が優先されるなかで対応が先延ばしにされてきた。これらの問題は、漸進的な対応ではなく、現時点での思い切った優先順位の変更を求めているという点でも共通する。温室効果ガスの累積濃度はすでに限界に達しており、新種のウイルスがいつどこで感染源になるかを予見することもできない。

 さらに、これらの問題については、内部を囲い込んで対応しようとしても功を奏さない。温室効果ガスには国境はなく、ウイルスもやすやすとそれを越える。自らを例外化したり、自らを協働から排除するような対応はいずれにしても持続可能ではなく、他での破綻は早晩自らに跳ね返ってくる。問題は公共的であり、外部にひらかれている。パーソナルな健康をいくら気づかっても、パブリックな健康(public health=公衆衛生)をおろそかにするなら、恐怖や不安から逃れることはできない。

 最後に、これら二つの問題については、問題解決をはかっていくうえで「正しい」(correct)とみなしうる解があり、少なくとも何が「誤り」(incorrect)であるかはさして論争的ではない。温暖化について言えば、気候変動抑制の指針を取り決めた「パリ協定」の目標は産業革命前に比べて世界の平均気温の上昇を一・五度以内に抑えることである。この目標に照らすなら、再生可能エネルギーによって代替できる(成長とも両立しうる)見通しがあるにもかかわらず石炭火力発電に依存しつづけるのは「誤り」である。感染症についても、できるだけ早い段階で拡大を阻止するという目標に照らすなら、情報の開示と認識の共有をはかり、医療資源を迅速に投入できる態勢を整えておくべきであり、情報を操作したり、平時の規準だけで医療を最適化するのは「誤り」である。

 このように、二つのグローバル・イシューは、内部最適化に終始しない安定した協働によってしか対応できない問題である。では、何がその形成を阻んできたのだろうか。

 J・ロールズは、「非理想的」(non-ideal)な状況として、「非遵守」(non-compliance)によるものと「不利な条件」(unfavorable conditions)によるものとの二つを挙げた。小論の文脈に引きよせるなら、前者は、問題への対応をはかる協働に背を向けることであり、後者は、問題に実効的に対処しうるだけの資源が得られないことである。アメリカ合衆国が「パリ協定」から間もなく離脱することは前者の例であり、日々七千人もの命を奪うHIV、結核、マラリアという感染症に対処しえない地域が取り残されてきたことは後者の例である。

 「非遵守」は、脱炭素化に向けた方向転換、グローバル社会の全域にわたるパブリック・ヘルスの確立という目標の実現を阻むだけではなく、人々の動機づけにも作用し、協調した行為それ自体を妨げる。互いに受容しうるルールを遵守しようとする動機づけは、「他のアクターもまた同じように遵守するなら」という相互性の保証に依るところが大きい。一人当たり世界最大量の二酸化炭素を排出しつづける国が協働から離脱するなら、この動機づけは大きく損われる。

 他方、「不利な条件」は、自らの資源―物的・技術的・人的その他の資源―だけでは、つまり協働のもとでの援助や再分配なしには、問題に対応できない状況を指す。再生可能なエネルギー源を得る現実的な見込みが立たなければ化石燃料に頼らざるをえないし、医師や看護師らが従来と変わりなく先進国に吸い上げられるなら、感染症に対処する医療はたちまち崩壊せざるをえない。医療資源の収奪をやめるのはもとよりとして、同時に清潔な水をはじめ、そもそも公衆衛生を成り立たせる資源がなければ不利な条件ゆえの脆弱性を克服することはできない。T・ポッゲが早くに指摘したように、現行のグローバルな制度や慣行の歪み―たとえば交渉力の圧倒的な非対称性―を問い直すことなしには、そうした不利がなぜ再生産され、恒常的なものとなっているかを理解し、それを解消していく展望はひらかれないだろう。

 「非遵守」と「不利な条件」からなるこうした非理想的な状況をいかに脱していくかを考えるとき、国家主権の回復か「世界政府」の設立かといった問いの立て方は説得力を欠く。住民(市民のみならず)の生命・健康を保障することは国家の責務であり、失業等のリスクに抗して将来への希望を棄てずにすむ生活保障を行うこともまた国家が果たすべき役割である。他方、気候危機やパンデミックの経験が教えるのは、各国が「自国のことにのみ専念」するなら、その内部最適化ですら実効性をもたず、持続的なものとはならないということである。グローバルな社会にあって強制力をそなえる国家は重要な役割を担いつづけるとしても、その役割も他のさまざまなアクターとの安定した協働なしには果たされない。

 今回の感染拡大は、部分的には政府による事実のもみ消しに端を発している。権威主義ないしそれに近い体制のもとで、為政者への忠誠(忖度)や組織防衛が人々の生命や生活への責任にまさる関心事になれば、情報の隠蔽や改竄はたやすく起こる。人々に向けて信頼できる情報をコンスタントに開示し、理由と根拠をもって自らの政策や判断を正当化する政府を各国がもたなければ、他国に生きる人々の生活もまた脅かされる。過去にどのような状況のもとで「誤った」判断が正当化され、「誤った」政策への固執がなぜ解かれなかったのかを今回の出来事と照らし合わせる必要があるだろう。

 有権者の相対多数によって支持されているという内向きの「正統性」は、情報や正当化理由の公開を求める外部からの要求を遮る切り札とはならない。各国の政府はもとより、WTOなどの国際機関、さらにはGAFAなどの多国籍企業や国際NGOなどもまた、人々の生命・生活に重大な影響を及ぼす決定を行うかぎり、影響を被る者が提起するアカウンタビリティの要求を遮ることはできない。グローバルな社会にあって統治は多元的・複合的であり、投票によって正統性を問いうるのはそのごく一部にとどまる。あらゆる統治について、被影響者が知るべきことを伝えられ、決定や政策を正当化する理由や根拠を検討しうる回路が塞がれないことがその正統性にとっての条件である。そうした回路が実際には多分に塞がれ、正統性が欠損していること―これがグローバルな社会を非理想的な状況にとどめているもう一つの要因である(ロールズの言葉を用いるなら「部分的遵守」の問題である)。

 何が問題を解決に導いていくかは統治に携わる者だけで恣意的に判断しうる事柄ではない。判断や政策が影響を被る者にとって受容可能かどうかを問う回路が十分にひらかれてはじめて、明らかな「誤り」は批判にさらされ、退けられていく。逆に、統治の正統性が損われるなら、「誤った」判断や政策を正していく機会もまた失われる。

 人々の間にはいま、危機の連鎖を自身の問題として受けとめる動機づけを伴った公共的な関心が成立している。この機を逸することなく、グローバルな社会にどのような協働を成り立たせることができるのかをしっかりと考えたい。

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