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『思想』2021年4月号

◇目次◇

思想の言葉………藤田正勝  

リベラリズムとは何か………ダンカン・ベル
パース哲学の再定位――許容可能な強制を探る文脈から………阿部晃大
二度と決して――人種を拒絶し人間を救済すること………ポール・ギルロイ
公民権運動の急進化と冷戦公民権――黒人自由闘争の歴史(2)………藤永康政
正義の女神アストライアの峻険な小径――ヴィーコの『普遍法』を読む(3)………上村忠男
実体の完成と概念の生成――ヘーゲルの主体性思想(2)………山口祐弘

 

◇思想の言葉◇

シェリングの『学問論』と現代の課題
藤田正勝

 日本学術会議会員候補者の任命拒否の問題に端的に見てとれるように、いま政治が学問からの批判的な提言に耳を閉ざし、その成果を政策に生かすことにきわめて消極的になっている。それだけでなく、学問が外から圧力を受けることなく自由に成果を生みだし、それを社会に向かって発言し、提言していくことに(制度の面でも、財政の面でも)制限をかけようという動きさえ見える。そうした動きはまちがいなく学問がもつ発展の可能性、創造性を奪い、ひいてはわれわれの未来を否定することにつながっていく。そのような状況をまのあたりにして、シェリングが一八〇三年に発表した『大学における学問研究の方法について(学問論)』のなかで展開した学問論・大学論を改めて思い起こした。この書のなかでシェリングが何より強調したのは、生きた創造的な学問は自由の上にのみ可能になるということであった。

 この書はわたしが研究に携わる上で大きな影響を受けた書物であるが、同時にわたしにとってそれは非常になつかしい本でもある。なつかしいというのは、一九九二年に日本シェリング協会が設立されてまもなく、故西川富雄会長を中心にシェリング・ゼミナールという研究会をスタートさせたが、そこで取り組んだのが、この書の輪読であり、訳稿の作成であったからである。この書を取りあげた理由の一つは、当時、いわゆる「大綱化」という名目のもとに、多くの大学で「改革」が―十分な理念なく―遂行されていくという現実のなかで、もう一度大学と大学教育の理念について考えてみたいと思ったからであった。シェリングがこの講義を行った時期も、大学のあり方、大学教育の理念をめぐってさまざまな議論が戦わされた時期であった。そのような状況のなかでシェリングがどのような大学像を描いたのか、学問の理念をどこに見いだしたのか、そこから手がかりを得たいという思いがあった。

 もう一つの大きな理由は、シェリングがここで哲学だけでなく、芸術学や神学、歴史学、さらには物理学や医学にまで説き及び、しかもそれらを、相互に関係しあい、一つの理念のもとに有機的に結びついた「諸学の普遍的なエンチュクロペディー」(ヘーゲルの『エンチュクロペディー』が出版されたのはこの講義の一五年後)として描きだそうとしたことに関わる。学問の細分化が著しい今日、改めてそれぞれの学問の意義を、学問全体のなかに位置づけ直して理解したいという意図がわれわれにはあった。かつてカール・ヤスパースが『大学の理念』(一九二三年)のなかで、やはり、大学は決して連関のない無数の商品が所狭しと並べられている「精神の百貨店」ではないこと、そこで研究される学問は相互に連関しあい、一つの全体を形作っていることを強調したこともわれわれの頭のなかにあった。

 *

 シェリングが『大学における学問研究の方法について』を著した際―これは彼が一八〇二年にイェーナ大学で行った講義がもとになっている―、その念頭には、まちがいなくカントが晩年に発表した『学部の争い』(一七九八年)があった。この書の「序論」においてカントはまず、慣習によって大学では三つの上級学部、すなわち神学部・法学部・医学部と、一つの下級学部、すなわち哲学部に区分されていることを述べている。哲学部ではいわゆる哲学だけでなく、中世以来の「自由七科」(artes liberales)の伝統を受け継ぎ、文系・理系にわたる基礎的学問が講じられていた。上級学部と下級学部の違いは、前者において、国家から権威が与えられるとともに、学説の発表においてさまざまな制約が設けられていたのに対し、後者にはそのような制約がなく、まったく自由に研究ができた点にある。

 哲学部が果たすべき役割は、「学識一般の本質的で第一の条件」である真理をつきとめ、それを公にするという点に、あるいはその点にのみある。そして哲学部はそれを国家から命令されて、あるいは強制されて行うのではなく、自らの意志で自由に行う。哲学部は、「理性の立法のもとにのみあり、政府の立法のもとにあるのではない」とカントは述べている。したがってまた哲学部は、人間の知に関して、したがってどのような分野―そのなかには上級学部も含まれる―の学説であれ、それを理性に基づいて―理性にのみ基づいて―批判的に吟味する自由をもつ。その意味で、最後のもの(下級のもの)が実際には最初のもの(上級のもの)であるという構造をカントはこの二つの学部のあいだに見ていた。

 *

 以上のような『学部の争い』におけるカントの主張を踏まえて、改めてシェリングの『学問論』に目を向けると、二つの論点が浮かびあがってくる。一つは「実用主義」の問題であり、もう一つは国家との関係の問題である。

 「大学の果たすべき役割は何か」、あるいは「そこにおける学問研究の方法はどうあるべきか」といったことは、一八〇〇年前後のシェリングの主要な哲学的関心から少し離れたテーマであったが、それについて彼が論じた背景には、当時の人びとの関心が実利的なものに向けられ、教育や研究も実学的なものへと傾きつつあったということがあった。知識は行為のためにある、言いかえれば「有用なもの」こそがすべてのものを評価する最高の基準であるという考え方、つまり「実用的精神」が広く浸透し、実生活にすぐに役立たないという理由で、多くの学問が、とくに哲学の諸理念が斥けられるような事態が生まれていた。それに対してシェリングは、学問は他の目的のためにではなく、真理のために、換言すれば「ただそれ自身のために」あることを強調した。そのような立場からなされる研究こそが、学問の、そして社会の発展を可能にするというのが彼の考えであった。実用主義の浸透は「国民のなかにあるあらゆる偉大なものやあらゆる活力を窒息させる」とシェリングは述べている。

 実用的精神に染まっているのは個人だけではない。国家もまた利益の追求に走るような状況が生まれている。それのみが国家を一つにまとめ、個人を国家に結びつける唯一の紐帯となっている。国家は国民に対してだけでなく、学問に対しても、有用なものを追究するように迫ろうとしている。それに対してシェリングは、学問の「生命」は真理の追究という普遍的な「理念」の具体化であるという点に、そしてその点にのみあることを強調する。もし学問が国家の道具になり、有用なものだけを追求し、真理から目を背けるとすれば、それはこの「生命」の死滅を意味する。そのような観点からシェリングは、国家に対して、学問が真理のための活動であることを認めることを、そしてそのために「最高度に自由な学問活動」を保証することを求めている。

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 先に述べたように、シェリングはその学問論を展開するにあたってカントから大きな影響を受けたが、両者のあいだには違いもある。とくに「哲学部」の位置づけにおいて両者の理解は異なっていた。カントは哲学部をあくまで上級学部と下級学部という枠組みのなかで問題にしたが、シェリングの理解では、哲学部は下級学部として位置づけられるものではなかったし、また、そもそも固定した学部という性格をもつものではなかった。その理由をシェリングは、「一切であるところのものは、まさに一切であるがゆえに特殊な何かではありえない」と説明している。もちろん、それは実際には大学のなかの哲学部という機構として存在しているが、それは「一切であるところのもの」そのものではなく、それが現実の制約のもとで一つの具体的な形をとったものにすぎない。哲学部は、本来は、「諸学芸の学部」(Fakultät der Künste)と呼ばれるべきものである(この「学芸」は、いわゆる artes liberales のartes にあたる)。それは外部の力からはまったく自由な諸々の学芸の「自由な結合体」―かつての呼び方で言えば Collegium Artium―としてのみ成立するものであった。

 現代においてそのようなシェリングの理解を受け継いだのはジャック・デリダである。デリダはかつて来日した際に東北大学で行った講演「哲学を教えること―教師、芸術家、国家―カントとシェリングから」のなかで次のように語っている。「シェリングはカントをより大きな自由主義へ、すなわち諸学芸の学校(collège des arts)の自由主義へ呼び戻している」(『他者の言語―デリダの日本講演』高橋允昭編訳、法政大学出版局、一九八九年、二〇一頁参照)。デリダは実際の活動においても、哲学史家のフランソワ・シャトレらとともに、「国際哲学コレージュ」という、大学という既存の制度から自由な哲学の教育機関を作った。その際ヒントになったのは、おそらく、この「より大きな自由主義」を可能にする「諸学芸の学部」というシェリングの考えであったと言ってよいであろう。

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 以上で見た問題は、現在われわれが置かれている状況とも深く関わっている。真理の探究という学問が本来目ざすものとは関わりなく、ただ有用性という尺度だけで大学のあり方が議論され、文系・社会系学部の存在意義が云々されるような事態が深く進行している。そしてその圧力に屈して、多くの大学において「有用」な学部への転換が行われている。また政治が学問からの批判に耳を閉ざし、その自由な発展や社会への提言という役割に有形・無形の圧力をかけようとしている。このような時代のなかにおいて、カントやシェリングの大学論に目を向ける意味は、決して少なくないとわたしは考えている。

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