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『図書』2021年4月号 [試し読み]河合俊雄/白石正明

目次

こころの癒しと時間………河合俊雄
「悪い政治家」と「正しい政治」………宮田光雄
一四〇年のカルテ………松下正明
面と向かわない力………白石正明
三つのどってんこ………みやこうせい
「おばさん」がいっぱい………三辺律子
盆踊りが故郷を作る………片岡義男
それでも 私は瞑想する………高橋三千綱
ニコレ街一四番地………青柳いづみこ
かざりの働き………橋本麻里
去勢派とバフチン………亀山郁夫
数と図形のまえづけ………時枝 正
虎杖丸の謎 (その二)………中川 裕
『露西亜文学史』1………四方田犬彦
自滅する民主主義………長谷川 櫂
こぼればなし
四月の新刊案内

(表紙=司修) 

 

読む人・書く人・作る人

こころの癒しと時間

河合俊雄

 昨年テレビ番組で解説したエンデ作『モモ』は、文明批判だけでなく、時間や心理療法の本質について示唆的である。モモは心理療法家のように徹底して受け身に人の話を聴いて、人びとが自分で解決策を見つけるのを助けていた。しかし時間の貯蓄を勧めながら、実は時間を盗んでいた「灰色の男たち」と戦うために能動的に立ち上がり、時間の根源まで行き、一度時間を止めて灰色の男たちを消滅させ、再び時間を動かして時間と世界の再生を成し遂げる。こころの問題は積極的な対処よりも、いわば自然の治癒力を引き出すのが大切だが、どこかで治療者もクライエントも主体的で能動的になる必要がある。癒しは根源から生じ、世界の再生があるからこそ個人の変化もある。

 多くの児童文学では、『モモ』での時間の根源の現れが、過去の出来事や人物との出会いとして描かれている。たとえば『トムは真夜中の庭で』では、真夜中に時計が十三時を告げてからトムが秘密の庭園で会っていた少女が、実は階下に住む老婦人の少女時代であったことがわかる。また『思い出のマーニー』では、喘息の転地療法に海辺の村にやってきたアンナは、マーニーという不思議な少女に出会い、交流を深める。マーニーと別れた後で、彼女が自分の祖母にあたり、娘を交通事故で失って、孫娘を引き取るが、間もなく亡くなったことがわかる。

 どちらの物語でも、過去の人物との出会いが主人公のこころの成長や癒しにつながると同時に、能と同じようにそれが過去の人物の救済でもあるのが興味深く、癒しは相互的なのである。
(かわい としお・臨床心理学者) 
 
 

試し読み

面と向かわない力

白石正明

  ご存じの方も多いかもしれないが、北海道浦河(うらかわ)町に「浦河べてるの家」という精神障害者の生活拠点がある。「精神病でまちおこし」とか「安心してサボれる会社づくり」とか、人を食ったキャッチフレーズで精神医療界に衝撃を与えてから、もう四半世紀は経つだろう。そのパンクな雰囲気に惹かれて、あるいは逆に「弱さを絆に」といった癒やし系キャッチフレーズに惹かれて、年間2000人近くの見学者が浦河を訪れる。
 私は、新しい精神看護の雑誌を創刊する取材の過程でここを知った。20年ほど前のことである。どちらかというとパンク系の開き直りに爽快感を感じていたのだが、「べてるの家ではSSTを積極的に取り入れている」と聞いて、ちょっと肩すかしをくらったような気分になった。
 SSTとはSocial Skills Trainingの略で、「生活技能訓練」と呼ばれている。一言でいえば、挨拶など他人とのやりとりを練習して、そこでの成果を実際の生活につなげようというものである。そのコンセプトの明解さも手伝って診療報酬が認められ、多くの病院で導入されていた。
 私はいくつかの病院でSSTを見学させていただいた。ある病院のデイケア施設では、2人の当事者が「おはようございます」「趣味は何ですか」と挨拶の練習をしていて、それに対してスタッフが「たいへんよいですが、「僕は将棋が趣味なんですが」とか付け加えるとさらによいと思います」的なアドバイスをすると、さっそくその人の趣味は将棋になって、妙に朗々としたスキットが続けられた。
 正直、ちょっといたたまれない気持ちになった。なんか居心地が悪い。べてるの家で、本当にこんな行儀のいいことをやっているのだろうか。
 
 
 私が初めてべてるの家にSSTの見学に行ったとき、ちょうど伊藤知之(のりゆき)さんが、自分の病気(統合失調症)を父親に伝える場面が始まるところだった。
 伊藤さんは、子どもの頃からいじめに遭ったり、からかわれたりしていたが、生来の努力家である彼はとにかく勉強をがんばって高校までを過ごし、ついには国立の小樽商科大学に合格した。しかしあるとき、大学の隣にある学校の前を通ったときに、自分を馬鹿にする「声」が聞こえてきたという。
 卒業後は北海道庁に入った。外側だけみれば大変なエリートである。配属された日高支庁では福祉係として、べてるの家のメンバーから生活保護の申請を受け付けたりしていたという。しかし幻覚妄想に耐えながら役人生活を送ることも限界を迎え、休職せざるをえなくなった。
 そのとき声を掛けたのが、べてるの家の創設者のひとり、ソーシャルワーカーの向谷地生良(むかいやちいくよし)さんだ。「伊藤さんに最初に会ったとき、仲間じゃないかな」と思ったそうである。こうしてスカウトされた伊藤さんは、晴れてべてるの一員となり、生活保護カウンターの内側から外側へと、華麗な転身を遂げたわけだ。
 さて、その伊藤さんのSSTである。これまで父親に自分の病気を伝えようと何度もトライしたが、うまくいかなかったという。そんな話をスタッフとしているときはにこやかだった伊藤さんだが、父親役のメンバーが目の前に立ち、スタッフから「じゃあやってみましょうか、ハイ!」と合図が出された瞬間、顔が固まった。 
 
  伊藤 あの~、ぼ、ぼく……
  父親 ん?
  伊藤 び、び、びょうきが……
  父親 病気?
  伊藤 ……今日は暑いですね。 
 
 全然うまくいかない。何度やっても「統合失調症」のところで引っかかる。架空の「劇」なのに、もちろんそれはやっている当人がいちばん分かっているのに、父親役の前に出ると声が出なくなる。
 私は吃音持ちなので、声の出せない苦しさや恥ずかしさは骨身にしみてよくわかる。伊藤さんにシンクロして同じように息が荒くなり、思わず身をよじってしまう……が、どうも様子が変だ。いたたまれない気持ちは湧いてこない。それどころか背後からこんな「声」が聞こえてきて、なんだか許されているような解放感さえやってきたのだ。
 ……あんなに怖い父親に、何年間も伝えられなかった病気のことなんか言えるわけないよ。でもよくみんなの前でそのことを言う気になったね。できない姿をみんなの前にさらす勇気があったね。キミはよくがんばってるよ、と。
 いや、声が実際に聞こえたわけではない。私の後ろでのんびりした笑い声を立てながら伊藤さんを眺めているメンバーたちから発せられる、波のような圧を背中に感じたのだ。
 おそらくそのうちの何人かは、かつて伊藤さんのようにみんなの前で「できない自分」をさらした人たちであり、別の何人かは、もだえ苦しむ伊藤さんの姿に勇気を得て、間もなく同じように挑戦する人たちなんだろうと思った。
 べてるの家のSSTは、他所で見たどのSSTとも違っていた。個人能力を向上させ、その成果をプレゼンする場ではない。むしろ逆に、できない自分を思い切ってさらけ出し、その勇気に感応したメンバーたちから送られる波のような力を受け取る。そんな「受動的な体」になる場だった。
 うまく挨拶ができるかどうかは自分では操作できない。もしかして挨拶できないかもしれない。でも、できなくてもいいや。きっと誰かが助けてくれるだろうから!
 こういう、楽観的な「身を捨てる覚悟」こそを「信」というのだと思う。べてるの家のSSTには、そんなお気楽でいい加減な「信」があふれていた。その渦に巻き込まれているうちに、私の体の中にもやがて波のような力が湧き上がってくるのだった。
 
 
 ここ数年、私は「オープンダイアローグ」関連の本を何冊か編集している(この三月に、精神科医・斎藤環さんの解説で『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』[医学書院]を出したばかり)。
 オープンダイアローグとは一言でいえば、統合失調症など重い精神疾患を持つ人であっても「対話さえすればなんとかなる」という思想であり技法だ。
 最新の薬もいらない、磨き上げられた精神療法もいらない、ただ彼をとりまく多くの人の中で対話をすればいい、という夢のような(?)お話である。
 「ただ対話をすればいい」というオープンダイアローグで唯一専門的な味わいがあるのが「リフレクティング」と呼ばれる技法だ。
 オープンダイアローグでは、家族などを含めた患者側グループと、治療スタッフ側グループが対話をする。セッション中のある時点で、治療スタッフは「ではここで私たちだけで話してみます」などと言ってスタッフ同士で向き合い(患者側はいっさい見ないのが約束)、これまでの対話を聞いてどう思ったかを話し合う。
 つまり患者の前でケースカンファレンスを行うようなものだ。その様子を患者側は「側聞」する。いわば自分についての噂話を聞く形になる。
 もし日常生活において、「自分についての噂話」がドアのすき間から聞こえてきたらどんな感じだろうか。自分をバカにする声だけが聞こえてきて、「あれやれ、これやれ」といちいち指図してくるような否定的な内容だったら、死にたくなってしまうだろう。幻聴の多くはそういうものだ。
 でもそれが逆に、肯定的な内容だったら? 舞い上がっちゃいますよね。舞い上がらずとも、そこでスタッフの専門家としての考え方や個人的な感想が述べられたら、正面から指導・助言されるより、はるかに説得力が増すのではないだろうか。「側聞」が潜在的に持つそんなアンプリファイア機能を、リフレクティングは十全に使っているような気がする。
 こうして考えてみると、オープンダイアローグとは、幻聴という「側聞」に、リフレクティングという「側聞」で対抗するシステムだということもできそうだ。
 
 
 べてるの家のSSTでは、背後のメンバーから伝わってくる波のような力を感受することで、(他人任せでちょっといい加減な)「信」に開かれた思いがした。オープンダイアローグでは、「側聞」というシステムが活用されている。そんなことを書いてきた。
 両者に共通するのは、「面と向かったコミュニケーションではない」ということだ。正対した顔は、それが顔である限り、それだけで力を持っている。私はたしかに相手の顔に圧迫されているが、同じくらい相手も、私の顔に圧迫されているはずだ。そんな拮抗した関係から生まれるコミュニケーションが必要なときも確かにあるだろうが、それだけではないと思う。
 どこかから自分をさいなむ声がやってくる。でもそれを上回る圧倒的な量の自分を応援する声がまたどこからか聞こえてきて、思わず身を任せてしまう。そんな体ごと巻き込まれるような受動的な体験が、人を救うこともあるだろう。
 (しらいし まさあき・編集者) 
 
 
こぼればなし
 
 ◎ 新型コロナウイルス感染症拡大で多くの業界がダメージを受けるなか、「巣ごもり」需要もあってか、出版市場は2年連続の拡大となりました。出版科学研究所によると、2020年の紙と電子合計の出版市場は1兆6168億円で、前年比4.8%増、特に電子市場がコミックを中心に28%増と大幅プラスに。

◎ 紙市場はといえば、書籍が推定販売額で前年比0.9%減、雑誌が1.1%減と小幅な落ちにとどまりました。紙の書籍では、学校の休校などもあり、児童書や学習参考書が好調、文芸書、ビジネス書、コンピュータ書、ゲーム攻略本が年間を通して伸びたそうです(以上、「文化通信」2021年2月1日付参照)。

◎ 「巣ごもり」の日々、紙や電子の料理本、投稿サイトやSNS上の多種多様なレシピを参考に、自宅で食事や弁当を作る機会が増えた方も少なくないとか。

◎ 私事ながら、小欄筆者がこの冬に試したものの一つは、牛テールの煮込みです。近所の精肉店に比較的廉価で売っているのを1キロほど買いこみ、まず水から沸騰するまで茹で、茹で汁は捨てます。次に肉だけを、灰汁を丁寧に掬ってから葱の青い部分やセロリの葉、香草、大蒜、生姜と一緒に1、2時間煮込みます。そこにセロリと固形ブイヨンを浮かべ、玉葱、人参、椎茸いくつかを丸ごと投入。そのまま2、3時間煮たら、じゃがいもと、櫛形に切ったキャベツを加え1時間。塩、胡椒、醤油、砂糖、各少々で味付けして完成です。作り置きで3日間は夕飯の主菜となり、4日目はカレーなど味を変えて楽しむのもよし。

◎ 煮込む途中で火を止め、天気がよければ散歩するのもまたよし。その間に鍋の中身は味が染み、勝手に旨くなっているでしょう。そんな散歩の途中、筆者がたまに立ち寄る古書店でも、気づけば料理本の一角に佇んでいます。

◎ その古書店では、1970年代初頭に邦訳版が刊行されたタイムライフブックス「世界の料理」シリーズ(全27巻)から、『イタリア料理』『ロシア料理』など何冊か求めてきました。シリーズ全巻のレシピを全部合わせると約3300種類になるそうですが、その全ての料理を49年かけてコンプリートした米国人女性がいたというのですから驚きです(料理本サイト「ククブク」より、2017年5月21日付、早川純一さんの記事参照)。

◎ 細川周平さんの単著として実現した通史『近代日本の音楽百年』(全4巻)が第71回芸術選奨文部科学大臣賞と第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞を受賞。2020年度大川出版賞に森川博之さん『5G 次世代移動通信規格の可能性』(岩波新書)が選ばれました。

◎ 丹念な取材に基づく橋本麻里さんの連載「かざる日本」は本号で終了いたします。ご愛読ありがとうございました。単行本として今秋刊行の予定です。

◎ 斎藤真理子さんの連載「本の栞にぶら下がる」は、著者のお仕事の関係で本号から今年9月号まで休載いたします。秋からの再開を、読者の皆様とともに楽しみにお待ちしたいと思います。
 

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