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『思想』2021年9月号【特集】レイシズム

◇目次◇

思想の言葉………鵜飼 哲

特集にあたって………梁英聖・堀田義太郎
抑 圧――人種的抑圧およびその他の集団抑圧について………サリー・ハスランガー
差別と社会集団………堀田義太郎
「人種化する知覚」の何が問題なのか?――知覚予期モデルによる現象学的分析………池田 喬・小手川正二郎
AIはレイシズムと戦えるのか――自然言語処理分野におけるヘイトスピーチ自動検出研究の現状と課題………和泉 悠・仲宗根勝仁・朱喜哲・谷中 瞳・荒井ひろみ
#BlackLivesMatterから黒人解放へ………キアンガ=ヤマッタ・テイラー
レイシズムの批判理論にむけて………ウルリケ・マルツ
マルクス主義とレイシズム批判――イデオロギー批判、批判理論、言説………隅田聡一郎
シティズンシップに潜むレイシズム………梁英聖

 

◇思想の言葉◇

レイシズムの地政学

鵜飼 哲

 二〇〇一年六月、フランスのストラスブールで、第一回死刑廃止世界会議が開かれた。新世紀の幕開けに、国連の新たな人権の政治が、普遍的な死刑の廃止を目標に掲げた、意欲的な取り組みだった。開催地に選ばれたのは欧州議会の所在地で、フランスとドイツの歴史的和解を象徴する都市。ヨーロッパ連合(EU)はこの時期すでに、加盟国に死刑の廃止を義務づけていた。

 この会議で、一九八一年にフランスで死刑の廃止が実現した時の法務大臣ロベール・バダンテールは、「死刑の地政学」という基調講演を行なった。近年死刑が廃止された国々の廃止に至る具体的な過程。死刑存置を続ける国々の正当化の理由づけ。執行を停止することで事実上の廃止国となった国々。こうした報告を通して彼が強調したのは、死刑廃止は奴隷制廃止と同じく普遍的原則の完徹であるとともに、多様な戦略を必要とする政治的な取り組みでもあるということだった。これらの戦略を練り上げるためには、世紀転換期の複雑な世界情勢を正確に把握する必要がある。バダンテールが分析の焦点に据えたのは、テキサス州知事時代に大量の執行命令書に署名した人物、ジョージ・W・ブッシュJrが大統領に就任して間もないアメリカ合衆国だった。

 この時代の国連の人権政治が順調に発展していたら、もしかすると「レイシズムの地政学」という問題意識が、今頃は世界的に広く共有されていたかも知れない。事実、その三ヶ月後、南アフリカ共和国のダーバンで、これも国連主催で、「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に反対する世界会議」が開催された。一九九〇年代半ばに白人少数支配のアパルトヘイト体制が解体され、人種間の政治的平等を実現したこの国が、この画期的な会議の開催地に選ばれたことには深い歴史的必然があった。
 国連総会で「死刑廃止を目指す市民的及び政治的権利に関する国際的規約第二選択議定書」、いわゆる死刑廃止条約が採択されたのは一九八九年。「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」、いわゆる人種差別撤廃条約はそれより二〇年以上前の一九六五年に採択されている。この世界から人種差別と死刑をなくすことは、二〇世紀後半以降の国際人権運動の最重要課題として、並行的に取り組まれてきた。南アフリカで人種隔離政策と死刑が同時に廃止されたことは、二つの課題のあいだの確かなつながりを示している。

 しかし、ダーバン会議が終了した三日後、歴史は暗転する。米国で起きた九月一一日の事件が世界を震撼させ、時代は一気に反テロリズム戦争へと傾斜する。この戦争は、あらゆる近代戦争と同じく、強烈なレイシズムを条件として発動された。そして、世界各地に巨大なレイシズムを惹起した。帝国的な過去および現在を持つ大国は、それぞれの「テロリスト」「ならず者国家」を名指し、国内のレイシズムをさまざまな回路で刺激しつつ、競い合うように自国の過去の正当化に向かった。日本では朝鮮民主主義人民共和国が拉致事件への関与を認め、大韓民国と日本がサッカーW杯を共同開催した二〇〇二年以降、反朝鮮のレイシズムが堰を切ったように公然化した。

 エティエンヌ・バリバールは、第二次大戦後、世界人権宣言に準拠しつつ、国連やユネスコが主導して「構築」した国際法上の概念としての「レイシズム」は、三つの相対的に異質な歴史現象を克服対象としていたことを指摘する。第一にナチスによる民族絶滅政策の実行に至った反ユダヤ主義、第二に植民地の征服・支配・搾取のイデオロギーとしての自民族中心主義と他民族抑圧、第三に民族的その他の属性を持つ国内の従属的コミュニティに対する差別政策である。歴史的には相互に深く関連しつつ展開したこの三つの現象はしかし、イスラエル/パレスチナ紛争に顕著なように葛藤的な関係にも入りうる。冷戦期に「レイシズム」概念は、この危うい均衡の上に維持されていた。

 一九九一年の湾岸戦争からイラク戦争に至る中東を舞台とした一連の戦争は、「レイシズム」概念にもともと含まれていた緊張を極限まで高めた。戦後「レイシズム」概念は、反テロリズム戦争を経て、いわば「脱構築」的局面に入った。バリバールの二〇〇五年の論考の表題「レイシズムの構築」(佐藤嘉幸訳『レイシズム・スタディーズ序説』所収)はこの認識を踏まえている。日本の反差別運動の文脈に、片仮名表記の「レイシズム」が導入されたのはまさにこの局面だった。

 一九八〇、九〇年代の多民族共生社会への初歩的な模索に対し、一九九七年前後から激烈なバックラッシュが始まった。この圧力に抗して情勢を見極め、新たな行動指針を定めるためには、「民族差別」「排外主義」等の従来の概念では決定的に不十分だった。差別を非合法化する法的規定力を備えたカテゴリーとして、国際法上の克服課題であり日本も撤廃条約に加盟している「レイシズム」以外に選択肢はなかった。

 「脱構築」的局面にある「レイシズム」概念は、その実践的、具体的使用を通して改鋳されていかなければならない。日本の場合はとりわけ、バリバールの分類では第二と第三に当たる歴史現象の接点に、あらためて光を当てることがこの作業の出発点になるだろう。一九四五年の敗戦から一九五二年の独立まで、日本政府はどのような制度改変によって脱帝国の課題に応えようとしたのか。植民地支配期のレイシズムは、どのように組み替えられて戦後国家の基盤になったのか。

 ミシェル・フーコーはレイシズムの機能を、「生の権力」を基調とする現代の権力作用のメカニズムのなかで、「死の権力」の作動を可能にする点に見た(『社会は防衛しなければならない』)。この場合「死の権力」は殺傷に限られず、監禁や追放などの迫害措置を広く含む。日本の入管収容施設で非欧米系外国人が次々に命を奪われている残酷な現実は、この間ようやく知られつつある。これも戦後日本国家の制度設計の必然的な帰結であり、死刑と外国人政策(の不在)によって、「死の権力」はしっかり保持されてきたのである。この「制度的レイシズム」が今、憲法平和主義を内側から蝕んでいる。レイシズムがあるいたるところに、「戦争」は潜んでいるからだ。

 このような体制による統治を受け入れてきた「日本国民」にとって、レイシズムはほとんど文化の一部になっていると言うと言い過ぎだろうか。私には日本政府が国連人権理事会の度重なる勧告を無視し、日本にはレイシズムは存在しないという、信じがたい否認の立場を取り続けていられることに、他の説明が見つからない。

 最初に触れた講演「死刑の地政学」のなかでバダンテールは、日本は死刑を文化のなかに埋め込んでしまったために、廃止に至る道筋を描くのが非常に難しいと指摘していた。レイシズムについても、おそらく同様のことが言えるのではないか。関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺が、公式の認知も謝罪もなされないまま間もなく百周年を迎えようとしている今日、歴史的に構築された日本特有のレイシズム文化という仮説を、「レイシズムの地政学」はいずれにしても回避することはできないだろう。 

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