『思想』2022年3月号
◇目次◇
思想の言葉………川本隆史
「猶予」としての「正義」――ゲルショム・ショーレムとヴァルター・ベンヤミンの正義論………小林哲也
エジプト憲法における国家と宗教――2014年憲法の前文の検討を中心に………竹村和朗
等しきものの永劫回帰――ニーチェ『ツァラトゥストラ』第三部再読(上)………須藤訓任
アレントとマルクス(前)………牧野雅彦
悲劇・弁証法・トポロジー――ラカンによる「パスカルの賭」(上)………原 和之
情報社会の生成と構造――サイバネティックス運動の理路(下の四)………大黒岳彦
◇思想の言葉◇
ロールズ・ヒロシマ・キルケゴール――偏愛的一読者の覚え書き
川本隆史
過ぐる二〇二一年は倫理学者ジョン・ロールズの生誕一〇〇年、主著『正義論』刊行五〇年という節目にあたっており、本年一一月二四日には彼の逝去から丸二〇年を閲することになる。海の向こうでは、記念の催し物が相次いで挙行され、多種多様なメディアを介した大量の書き物が流布していると聞き及ぶ。極東のこの島国にあっても、日本法哲学会が『学会報』第四四号(二〇二一年九月一五日発行)に小特集を組んで、「ロールズの遺産」の査定を企てたのをはじめ、年末には彼の歩みの全貌を活写した快著『ジョン・ロールズ―社会正義の探究者』(齋藤純一・田中将人の共著、中公新書、中央公論新社)が上梓されている。続いて年明けには、『正義論〔改訂版〕』(紀伊國屋書店、二〇一〇年)の共訳に携わった神島裕子と福間聡が、第二の主著『政治的リベラリズム 増補版』も訳出してくれたのである(筑摩書房、二〇二二年)。
神島・福間の訳業の労苦に報いるべく、この本の「解説」を引き受けた私は、拙い手引きを読者に供している。原書の書誌・解題から書き起こし、同書の第九講義「ハーバーマスへの返答」(初出は一九九五年)に限定した論評を試みた。そこでまずクローズアップしたのは、ロールズ、ハーバーマス両者がデモクラシーの根基をなすものに(それぞれの流儀をもって)肩入れ・加担する姿勢の共通性である。次いで、ロールズが―ハンナ・アーレントの『革命について』および『エルサレムのアイヒマン』を引き合いに出しながら―革命の精神と憲法の体制との両立および政治や道徳上の判断力の役割に関わる意味深長な注釈を施したところにも、読み手の注意を喚起しておいた。
ハーバーマスとの「歴史的な意見交換」が学術専門誌『ジャーナル・オブ・フィロソフィー』三月号に一挙掲載された同じ年、ロールズはデモクラティックな社会主義を標榜するオピニオン雑誌『ディセント(異論)』一九九五年夏号の誌上シンポジウム《ヒロシマから五〇年》にも登場している。スミソニアン博物館の戦後五〇年特別展示プランが広島・長崎の被爆遺品と爆撃機エノラ・ゲイ号とを並べようとしているのに憤った、退役軍人や保守派の政治家・メディアが「原爆展反対キャンペーン」を仕かけた。そうした策動に抗い、原爆使用の正当性を問い質そうとした果敢な企画である。「広島への原爆攻撃は重大な不正行為にほかならない」との断定を論証するロールズの発題に深く心を動かされた私は、「原爆投下はなぜ不正なのか?」という邦題を付して雑誌に訳載した(『世界』一九九六年二月号/名古屋大学出版会より刊行される『ロールズ論文集成』に再録の予定)。
一九四三年にアメリカ陸軍へ入隊したロールズは、ニューギニア、フィリピンと転戦したのち、占領軍の一員として日本の土を踏んでいる―この軍歴はつとに周知のことがらだった。ところが、ロールズの評伝を準備していた当時の私のもとに、思いも寄らなかった事実が届けられる―任務を終えて日本を離れる途上にあった当人が、軍用列車の窓から広島の焦土を目撃していたというのである(彼の部隊は九州に上陸して山口県南部へ進駐していたこと、広島を通過したのが一九四五年一一月であることは、最近になって分かった)。それなのに『ディセント』誌上の「ヒロシマ発言」はもとより、これを最晩年の著作『万民の法』(中山竜一訳、岩波書店、二〇〇六年)第Ⅲ部に組み入れた当該箇所(訳書一三八頁以下)においても、ヒロシマを目にした体験をうかがわせる記述はどこにも残されていない。生前の著者にそうした沈黙の意図を質す機会を逸した私だったのだが、ハーバード大学の「ロールズ・アーカイブ」に私の疑惑を解く手がかりとなる手紙(一九九八年六月五日付け)が保管されているのを知らされた。
広島への原爆攻撃を伝え聞いた兵士ロールズの心中に、戦争の終結を歓迎する気持ちとともに、その攻撃の正しさに対する疑念と苦悩の思いが湧きあがり、これが今も続いている、と打ち明けた書面である。そしてマイケル・ウォルツァーの依頼に応じて、《ヒロシマから五〇年》への寄稿を受諾した際、一九四五年八月六日の前後に書き手がどこにいたかを編集サイドで付記してかまわないかと尋ねられたという。ロールズはこの申し出を固辞したのだが、その理由をこう事後説明する―「〔原爆使用の是非を考量するような〕道徳的な判断は、妥当な根拠に基づかねばならないのであって、その時どこにいたかといった〔偶発的な〕事情を拠りどころにしてはならないからです。道徳判断の根拠に関するこの見解が少なくとも間違ってはいないことを、私は信じて疑いません!けれども、こんな理由をもって断ることは、もったいぶった横柄さの表れだと受けとめられましょうか?」と。
この私信は、三〇年近く私が抱いてきた不審の念を氷解させるものだった。つまり、ヒロシマの原体験を表沙汰にしなかったのは、〈いつ、どこで、どのような情況のもとにあるのか〉といった個別・特殊な情報を遮断して、一般的・不偏的な視座を採らせる「無知のヴェール」を公論の場でも適用しようとする、ロールズならではの態度表明ではなかったのか。こう推定したとしても、贔屓の引き倒しにはなるまい。
ロールズにまつわるもうひとつの年来の難問が解消(?)したことを、最後に付言しておこう。『正義論』初読以来、最終節・最終段落の行論―「この視座〔=「原初状態」のこと〕から社会における私たちの境遇を眺めることは、それを永遠の相の下に(sub specie aeternitatis)見て取る業に等しい。[……]永遠性の視座は現世を超えた場所からの眺望でもなければ、ある超越的な存在者の観点でもない。むしろ、理性的な人びとがこの世界の内部にあって採用しうる特定の思考と感情の一形態なのである」(訳書七七三―七七四頁)―に続く、掉尾の一文(Purity of heart, if one could attain it, would be to see clearly and to act with grace and self-command from this point of view.)の含意がずっと不明のままだった。
そんな私に、単著『ロールズの政治哲学―差異の神義論=正義論』(風行社、二〇一七年)の仕上げにあたっていた田中将人が、右記のPurity of heartの出どころは(若きロールズも繙いたと思しき!)キルケゴールの『建徳的講話』の英訳タイトル(Purity of Heart Is to Will One Thing, 1938)にあるようだとの示唆を与えてくれたのである。さらに調べを進めると、キルケゴールの「講話」のライトモチーフが『マタイによる福音書』第五章八節―「心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る」(新共同訳)―にまで遡れることが判明する。
以上を勘案することにより、『正義論』の謎めいた結びを次のように読み解くことが可能となった。すなわち、この文章は「心の清さとは、神を見る〔という「一事を意志する」〕ことである」と説いたキルケゴールおよびマタイ伝に由来する直接法現在の断言(is to see)を、「心の清さとは―もし人がそうした境地に到達しえたならば―こうした永遠性の観点からものごとをはっきりと見据え、恩寵に包まれ自制をもって振る舞うことと変わらなくなるだろう」とする仮定法過去の婉曲表現(would be to see)へと(あえて典拠を伏せたまま!)書き改めたものにほかならない、と。
過酷な戦争体験を重ねたことにより、キリスト教の信仰を丸ごと断念したというロールズが、『正義論』の終局部にいたって「愛の冒険」(八六節)や「永遠性の視座」(八七節)、さらには「心の清さ」(同節)を持ち出している。その真意のほどを残る力を振り絞って究明していきたい。そのためにも、彼の死後公刊された学部卒業論文『罪と信仰の意味についての考究』(一九四二年提出/遺稿「私の宗教について」を付載)の邦訳を―児島博紀および田中将人の協力のもと―早く世に出さねばなるまい。それが四五年におよぶ著者への私淑と偏愛の証しともなれば……と願っている。