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匿名のバトンをつないで――ハンセン病文学と出会う(後編)|『詩集 いのちの芽』刊行記念イベント

岩波文庫『詩集 いのちの芽』(大江満雄編)の刊行を記念し、ハンセン病文学に深く学びながら仕事をしてきたメンバーたちによるトークイベントが開催されました。先人たちにも思いを馳せながら、いま、私たちがハンセン病文学とどう出会い、読み継ぐか――岩波文庫『詩集 いのちの芽』を手に、学芸員・出版者・書店主・編集者それぞれの立場から、その可能性を語り合います。後編ではメンバーそれぞれが『詩集 いのちの芽』からお気に入りの一篇をもちより、紹介します。

[登壇者]
木村哲也さん(国立ハンセン病資料館)
西浩孝さん(編集室 水平線)
伊藤幸太さん(忘日舎)
藤井一乃さん(思潮社)

※2024年10月25日にSpace&Cafeポレポレ坐にて開催されたトークイベントを再構成したものです。

前編はこちら>>

『詩集 いのちの芽』を読む

匿名のバトンをつないで――ハンセン病文学と出会う|『詩集 いのちの芽』刊行記念イベント 01
(写真左から)伊藤幸太さん、西浩孝さん、木村哲也さん、藤井一乃さん

木村 『いのちの芽』には、全国の8つの療養所から73人の詩人が参加しています。それまで一つの園による合同詩集はありましたが、複数の療養所による合同詩集はこの一冊だけです。
 今日は、それぞれ2篇ずつ詩を選んできました。まずは伊藤さんから。

伊藤 選ぶのは難しかったのですが、島内眞砂美「生きる道」と戸田次郎「朝の思い」を選びました。
 まず「生きる道」は、かっこいい詩だと思いました。最後に「青く燃えろ」と出てきます。この詩集には、「燃える」とか「燃えろ」という言葉がたくさん出てきますね。

木村 いろんなものが燃えた後から芽が萌え出るっていうイメージでしょうか。「燃えろ」の前に「不屈の芽が空をみつめている」とありますよね。この「芽」というキーワードが大事だと思います。
 解説にも書きましたが、大江さんはもともと「来者」という詩集タイトルを考えていた。来る者とは、これから来たる人、出会うべき人という意味です。ハンセン病を意味する「癩者」の意味を反転させて、彼らは「来者」だという思いを込めた。
 ところが三一書房の編集者がそれだとわかりにくいと言って、代わりに出してきた案が「命ある限り」だった。大江さんは、これは松竹映画のタイトルみたいで嫌だと蹴ったそうです。最終的にこの「いのちの芽」という題に落ち着いた。というのも、大江さんが、この詩集の中で若い詩人たちが「芽」という言葉をよく使うことに気がついた。園を隔てた、お互いにつながりのない詩人たちが同じ「芽」という言葉を使って詩を書いている。帯に志樹逸馬の詩が載っていますが、「芽は天を指さす一つの瞳」って、これもまさにそうですね。他にもたくさん出てきます。
 おそらく燃えた後、つまり自分のこだわりや、宿命に対する絶望とか諦めとか、そういったいろんな気持ちが燃え尽きたあとに芽が萌え出るみたいな、そういうイメージでしょうか。この詩にかぎらず、他にもよく似たイメージの「燃えろ」はたくさん出てきます。

伊藤 ありがとうございます。また深く読み込んでみます。
 戸田次郎の「朝の思い」は、「私はそれをことさら掻き立てるでもなく/押えつけるでもなく/湧くがままに流してゆく」というところが好きです。全体にシンプルで優しい詩だと感じます。離れてしまった土地への思いがありますよね。またこの詩を家族が読んだら、どんな気持ちになるだろうと思ったんです。それこそ離れ離れに暮らさなくてはいけないことの、何とも言えない気持ちがまっすぐ伝わってきて、心を揺さぶられました。最初の「静かな朝の光を浴びて/じっとしていると」というところも好きです。穏やかな気持ちになる、いい詩です。

木村 詩を味わうときには背景や事情を知識として入れて読まないほうがいいかもしれないのですが、ハンセン病の人たちの作品は、どうしても国による隔離政策によって一生、故郷に帰れなかった事実を抜きには語れない。
 『いのちの芽』には、戸田さんの「朝の思い」にかぎらず、故郷とか望郷の思いは大きな主題で、いろんな人がいろんな形で詩にしています。

* * *

西 私が選んだ詩は、谺雄二さんの「鬼瓦よ」と、山科信夫さんの「山」です。
 谺さんは、藤井さんが最初に触れられた『死ぬふりだけでやめとけや』の前に、詩集『鬼の顔』(昭森社、1962年)、趙根在さんの写真との『ライは長い旅だから』(皓星社、1981年)などの著作があり、国賠訴訟で先頭に立ったことでも有名です。なので、そうでない人の作品を選びたいと思ったのですが、この詩はやはりいいので、一篇はこれにしました。
 「ときどき空をみる。/鬼瓦よ。//地上に僕という小さな呪詛者がいるのだ。/おまえの顔もすごいな。」自分の境遇に対して、暗い部分、負の感情をエンジンにして立ち向かっていく内容です。
「地上に僕という小さな呪詛者がいるのだ。/おまえの顔もすごいな。」この二行、すごくいいですね。二行目への展開の仕方。自己を対象化して書いていることがはっきりわかる一行だと思います。
 そのあとに、「鬼瓦よ。/おまえをみていると僕は勇気がでる。//呪詛する勇気。/その中にかす)かな純血性がある。」もともと自分を「呪詛者」だと規定しているところに、さらに「呪詛する勇気」がわいてくる。鬼瓦が、それを肯定してくれる。変な言い方になりますが、積極的な呪詛、なんですね。
 谺さんがこれを書いたのは、21歳か22歳のとき。多磨全生園で発行された詩誌『灯泥』の同人だった。谺さんは、10代から詩を書いて、詩作に入ったのがかなり早い。技術的にも高い一篇ではないでしょうか。
 山科信夫さんの「山」。山科さんは経歴がなくて、どういう人なのか、いつ病気になったのかなど知ることができないのですが、とにかくこうして詩を書いた。生きることのなかに、詩が入っていた。
 大江さんは山科さんについて「他者に自己を見ようとするものがある」と書いています。まさにそのとおりだと思います。ここでの他者は「山」。山のすがたに自分を重ねている。谺さんの「鬼瓦よ」も同じタイプかもしれません。谺さんの場合は、「鬼瓦」。あの鬼瓦はおれであるし、あの山はおれである、と。
 この詩は「友よ」という呼びかけから始まる。読むとわかるのですが、呼びかけて誘っているのではない。自分はこうだという、ひとつの宣言。あるいは、このような自分を見てくれ、という感じです。この出だしに惹きつけられます。
 内容は、シンプルです。目のまえに山がある。そこに強い吹雪が吹いている。吹雪のあいだ、山は見えない。しかしそれが静まると、また山があらわれる。吹き飛ばされたりしない。もとのまま変わらずそこに存在している。「かれは/右にも/左にも/動かないのだ」。
 山科さん、自分は吹雪のなかにいると感じている。そして自分は、右にも左にも動きませんよ、と。とくに闘うということではないが、屈しない。ここには、高いところで苦境を乗りこえていこうとする、ひとりの人間の態度が見えます。
 きょう来るときに読み返していて「いいな」と思ったのが、宗方サチさんの「最上川」。最上川で友だちとよく遊んだ、でも、いまはもう友だちとも会えないし、最上川にも行けない。「最上川で遊びたい/早く私はもとのようなからだになりたい//あの時のように/最上川であいたい。」
 この人も経歴は不明ですが、素直で、とてもいい詩。これを選べばよかったかなと思いながら読みました。

木村 谺さんの「お前の顔もすごいな」というのは見事ですよね。ハンセン病の人たちは、手指が曲がったり、欠損したり、顔貌が変わったり、目につくところに後遺症が出ます。それがハンセン病の差別を生んだ一番の理由です。「レプラ・コンプレックス」と言ったり、今の言葉では「セルフ・スティグマ」と言いますが、それを乗り越えることが、今でも他の病気においても臨床上の課題になります。まさにそういう顔貌の変化を、こういう形で笑い飛ばす。
 略歴をつけることも大江さんの判断でした。ハンセン病の人たちは経歴を隠して生きていましたので、そういう人たちに略歴を書けというのは、暴力にもなるし、その当時は書き手も躊躇したそうです。それを、文通を重ねて相談した。実際の手紙が残っていて、去年の展示では略歴についてやりとりしている手紙を展示しました。そのうえで応じた人は、自分は世間に向かって顔を向けることを選択した。書いてない人がいることにも大きな意味があります。

匿名のバトンをつないで――ハンセン病文学と出会う|『詩集 いのちの芽』刊行記念イベント 02

木村 私は、船城稔美としみ)さんの「堆積」という詩を選びました。ここには、いわゆる性の欲望がはっきり歌われている。この時代の新しい息吹というか、戦前の療養所では許されなかったことを大胆に表現されている。それがすごく新鮮です。
 船城さんは、戸籍上の性別は男性です。戦前は「沼尾みのる」という名前で詩を書いていた。これが本名か、ペンネームかはわかりません。戦後、詩を書き始めたときに「船城稔美」というペンネームを使って、死ぬまで詩を書きつづけた方です。今でいう性的マイノリティ、園内歌舞伎の女形として鳴らした人で、劇団がなくなってからは、カラオケ大会なんかでもずっと女装してお化粧もして歌っていました。
 そのことを去年の企画展のときに紹介していいか迷って、療養所の元患者さんたちで組織されている自治組織の方に相談しました。本人は亡くなっているし、本人が明示的な形で自分のセクシュアリティについて書いたテキストもない。結局、許可をいただいて展示したのですが、というのも園内ではそのことをみんな知っていて、70年前からオープンだった。園内にそういう人が3人ほどいて「男色三羽烏」と言われていたそうです。
 これまで可視化されてこなかったけど、存在しなかったわけではない。『多磨』という園内で毎月出ている雑誌に、亡くなる前年の2002年までずっと詩を発表しつづけていて、船城さんの詩はみんな読んでいるんだけど、そのことの重要性に気がついてこなかった。船城さんは、同性に対する恋情とか、そういうことも大胆に表現した詩を書きつづけました。
 もう一篇は、山崎玲子さんの「不思議な女」。『いのちの芽』には、73人のうち8人の女性の参加があります。一割強でしょうか。ハンセン病の男女比は、世界共通で、女性が少ない。ハンセン病の発症の機序と関わりがあるのではないかと思いますが、大体1対3とか1対4ぐらいの割合で男性が多い。だから園内でカップルができると、必ず男性が残る。もともと数が少ない中で詩を書く人はさらに少ない。『いのちの芽』に詩が載っているだけで、その後、詩を書いてない人もいます。
 山崎さんは1932年生まれで、『いのちの芽』が出たときは21歳です。書いた時期はもっと若いですね。分かるかぎり10代が7人いて、さっき紹介のあった宗方さんもそのひとりです。大江さんは、女性や子どもの詩にも目配りをして、積極的に採っている。この詩集では、女性が女であることを主題にした唯一の詩ではないでしょうか。
 この詩は、どういうことを言っているのかよくわからないところがあります。はじめは、女性としての抑圧として読んでいました。夜になると情動が突き上げる。だけど、それは療養所ではそれを抑えて生きざるを得ない。昼間はそのことを内に秘めて、他人から悟られないように生きているという詩かな、と。
 「黄泉の国からのびて来る」ともいう。これは死にたいという願望かもしれません。最後も「だが/女は死なないで生きている。」としめくくられている。この詩がそうであるかはわかりませんが、自殺は、ハンセン病文学を読み解く上で重要です。
 北條民雄の文学も、自殺願望から始まります。代表作「いのちの初夜」がまさにそうですね。ハンセン病文学は、生まれた瞬間から自殺が張りついて離れない文学でもあります。実際、療養所では自殺がとても多い。だから生きている人たちは、生きているというよりは自殺しなかった人たち、サバイバーであるという言い方ができると思います。
 この詩は、どうでしょうか。夜になると死にたい気持ちが込み上げるのかな。でもそれを乗り越えて昼間は生きているということでしょうか。私はもうちょっとセクシャルな詩かなと思って読んだのですが。「不思議な女」っていうタイトルですからね。答えがありませんが、そんなことを投げかけて終わろうと思います。

* * *

木村 今回、藤井さんは作品を選ばれませんでしたが、その理由も聞かせてください。

藤井 どの詩もよくて、一篇を選ぶのは難しかったです。全体に詩の傾向に少し似た印象もあって、この一冊を通して大江さんの目線や視点が感じられる。大江さんはどういう人だったのかということと、どういうふうに詩を指導したのかということをまず考えました。
 木村さんはよくご存じかもしれませんが、あまり政治的なメッセージを直接書くような指導をしていないように見えます。詩の中にとどまるような、今の私たちが読んでも詩としていいと思うような詩を書くように導き、そういう作品を選んでいる。大江さんがどんなふうに考えていたかがこの一冊を通して伝わってきます。クリスチャンだったこと、自身が第二次世界大戦をどのように通過したか、その経験や反省も影響しているのかもしれません。

木村 時代を超えるという点について、大江さんは詩人ですから、突拍子もないことをズバッと言って、それが本質的だったりする。ハンセン病の患者さんのある詩集を評して、この詩集には「対話の美」があるという。「歌っていうのは本質的には他者に対する呼びかけだ」と。これはやっぱりすごい言葉だと思いますね。
 詩とは何かという問いは難しくて、答えがないと思いますが、大江さんは「他者に対する呼びかけだ」と言い切る。どこまでそれが『いのちの芽』の書き手に伝わっていたかはわかりませんが、そういう大江さんの思いを共有した、あるいは共鳴した詩人たちが集まって詩を寄せている可能性があります。「他者への呼びかけ」というのは、時代や場所を越えて誰かに届く。
 2022年、「帆花ほのか)」というドキュメンタリーがこのポレポレ坐で上映されていました。出産のときに、へその緒が切れて脳死状態で生まれた帆花ちゃんをご両親が一生懸命育てる。帆花ちゃんの発する、あーあーという声に、いろんなニュアンスの「あー」があるんですよね。その言葉にならない声でお母さんお父さんとコミュニケーションをとっている。その声は、人類史的にも最初の他者への呼びかけですね。大事なことを教えてもらいました。
 このことが、大江さんが「詩の本質とは他者への呼びかけだ」といった、詩を受け取る意味に通じていると感じます。

匿名のバトンをつないで――ハンセン病文学と出会う|『詩集 いのちの芽』刊行記念イベント 03

藤井 木村さんは学生時代に鶴見さんに出会い、大江さんに出会い、網野善彦さんの指導も受けられていますね。『来者の群像』のあとがきで「歴史の表舞台から忘れられつつある人々の歴史を掘り起こし、光を当てることを自らの歴史学の課題と考え、旅を続けてきた」と書かれていて、かなり自覚的にスタートを切られていることがわかります。そこに西さんという編集者が同伴された。おふたりはまっすぐそれぞれのテーマや対象に向き合われてこられたと思いますが、それが大変意識的な仕事のように見受けられる。
 私は永瀬清子さんの仕事に長く取り組んできましたが、ずっとやってきたのに、永瀬さんがハンセン病に取り組まれていたことを見過ごしてきた気がするんです。見過ごすというのは、目の前にあるのにないように考えられてしまう、それがつまり「差別」ですよね。
 船城さんもそうですが、LGBTQといった、今だったらそのように言葉が与えられて、ようやくそこにあると認識できるようになるわけだけど、言葉も与えられず、そこにあるけれどもあると私たちが認識しないで過ごしてしまうことは、いろんなところにあって、それが差別の本質だと思う。目に見えないことこそが差別であり、そこに光と言葉を与えること。木村さんと西さんの仕事は、もしかしたら本人たちの自覚以上に、意識的、かつ継続的な活動でいらした。その熱意に胸を打たれます。

西 木村さんが何回もおっしゃるのは、支配的な言説をひっくり返したいということ。ハンセン病の人たちは、不条理な隔離政策によって、人生を奪われた。いろいろな可能性が封じられた。しかし、そういうなかで、詩を書いたり、絵を描いたり、あるいは表現活動をしなくても、自分が大切にしたいと思っているものを手放さずに生きてきた。ひどい目に遭ったというだけではなくて、そこにこそ人間の本質的な輝きが見えてくる、そういうことなのかなと思っています。
 『いのちの芽』の木村さんの「解説」の題は「来るべき者たちと出会う詩集」です。こんど伊藤明彦さんという、全国の被爆者を訪ね歩いて、その「声」を記録した『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記/シナリオ 被爆太郎伝説』(編集室 水平線、2024年12月10日刊)という本を出します。この本も、大江さんの「来者」と同じことを言っていると思います。
 ある大きな事件、戦争や震災について時間が経過していくなかで「風化」ということが言われますが、伊藤さんは、そうではないと言う。それは「もう何年」「もう遅すぎる」ではなくて、「まだ何年」「まだ早すぎる」のだと。この本に『琉球おとぎばなし』(沖縄風土記社、1970年)という本が紹介されていて、そのなかに、あるふしぎな少年の話が収められている。
 ふつう、遠くへゆけばゆくほど小さく見えるのに、この少年は、遠くへゆけばゆくほど大きく見える。ついには入道雲になる。伊藤さんは、この話を忘れられないという。何十年という時間的距離を隔てて、ようやく被爆者が抱えている問題の大きさがわかってくる。あまりに大きなものは、すぐ近くにいると本当の大きさがわからない。つまり、あとになって私たちは「出会う」、それが「来者」であり、「未来からの遺言」です。

藤井 若松英輔さんが、批評がちゃんと機能していなかったら、ある作家や表現者は50年でも100年でも平気で埋もれてしまうとおっしゃったことがあります。それは本当にそうだろうなと思います。『新編 志樹逸馬詩集』(亜紀書房、2019年)が若松さんのお仕事ですが、まだ他の人が気づいていない、目に見えない存在や声に光を当てる、耳を傾けることこそが批評の力で、私たちがこうして一人ひとり語り継いだり、気がついたりしていくことがとても大事だと考えています。

伊藤 いま皆さんが話してくださったこと、本当にその通りだなと思います。
 先ほど、木村さんと藤井さんから性的マイノリティについてお話がありましたが、この詩集で「性の多様性」についても考える機会となり、学びを得ました。そのことと関連するかは分かりませんが、この詩集に収められているハンセン病の男性詩人のことを思うとき、これからの「男性性」を考えるうえでのヒントがあるのではないか、と感じました。病などにより差別を余儀なくされ、社会的に弱い立場に置かれた男性が、詩を書くことで生きるために連帯していくイメージです。
 それはもちろん、現代にあるホモソーシャルな在り方、マチズモの在り方の対極にあるもので、むしろそれを批判しているようにも思ったのですね。いまだに続く「男性」優位の現代社会を考えていくうえで、そんなことが頭をよぎりました。ジェンダーの議論についてはまだまだ勉強不足ですけれども、性差を超えて、ハンセン病を生き抜く詩人たち、またその言葉の可能性に勇気づけられました。

藤井 伊藤さんと「やわらかくひろげる」の勉強会をされていたアサノタカオさんが、人は詩を早く読みすぎるのではないか、もっとゆっくり詩を読むといいと話されていました。一回読んで、さらにもう一回読む、指を差して読む、と。そうやって初めて詩の言葉が入ってくるとおっしゃって、なるほど確かにそうかもしれないな、と。詩は、そんなに簡単に読めるものではありません。私は一応、詩の仕事をしている人間ですが、これだけの分量をひと息に読んだりすることは難しい。一篇をゆっくり読む読み方は、とてもいいと思いました。
 最後に、岩波文庫からはこれまでに詩集も数多く刊行されていて、今日もいろいろ持ってきていただきました。『永瀬清子詩集』(2023年)は、谷川俊太郎さんが編集をされています。谷川さんは、お父さんの徹三さんから永瀬清子を読むようにと言われたということが解説に書いてありますが、それ以来、永瀬さんと親交がありました。短章集という断章を永瀬さんは長くライフワークのように書いていて、この短章集の新装版の装幀を谷川さんが手がけられたり、この短章を、吉本隆明さん主宰の『試行』に連載していたりという関係がありました。そのうちの『流れる髪』に3篇、ハンセン病についての文章が入っている。
 『ハンセン病文学全集』は、大岡信さんが編者を務められています。大きな仕事をたくさん残されているなかで、ひとりの詩人の仕事を評価するときに、ハンセン病との関わりを見過ごしがちですが、目立たないところで、しっかりバトンをつないで仕事をされてきたことを忘れないで見ていきたいと思います。

(2024.10.25)

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