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匿名のバトンをつないで――ハンセン病文学と出会う(前編)|『詩集 いのちの芽』刊行記念イベント

岩波文庫『詩集 いのちの芽』(大江満雄編)の刊行を記念し、ハンセン病文学に深く学びながら仕事をしてきたメンバーたちによるトークイベントが開催されました。先人たちにも思いを馳せながら、いま、私たちがハンセン病文学とどう出会い、読み継ぐか―― 岩波文庫『詩集 いのちの芽』を手に、学芸員・出版者・書店主・編集者それぞれの立場から、その可能性を語り合います。前編では本書の刊行までの経緯をご紹介します。

[登壇者]
木村哲也さん(国立ハンセン病資料館)
西浩孝さん(編集室 水平線)
伊藤幸太さん(忘日舎)
藤井一乃さん(思潮社)

※2024年10月25日にSpace&Cafe ポレポレ坐にて開催されたトークイベントを再構成したものです。

『いのちの芽』が岩波文庫になるまで

匿名のバトンをつないで――ハンセン病文学と出会う|『詩集 いのちの芽』刊行記念イベント 04
(写真左から)伊藤幸太さん、西浩孝さん、木村哲也さん、藤井一乃さん

藤井 今回、この会をやることになった経緯について、私の方から簡単にお話しします。
 2023年、国立ハンセン病資料館で行われた企画展「ハンセン病文学の新生面――『いのちの芽』の詩人たち」に合わせて、1953年に三一書房から出版された大江満雄編『日本ライ・ニューエイジ詩集 いのちの芽』が復刊され、『現代詩手帖』2023年4月号でも特集「ハンセン病の詩」を組みました。
 その刊行記念として、西荻窪の古書店・忘日舎で、今日ご登壇の木村哲也さんと、原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣さんによるトークイベント「来者のことばを聴く」を開催しました。
 その時から、いずれ、自身の出版社、編集室水平線の立ち上げの第一冊目として、木村さんの『来者の群像――大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』(2017年)を刊行された西浩孝さんを長崎からお招きしてトークイベントを実現できれば、という話が出ていました。
 70年ぶりに復活されたハンセン病資料館版『詩集 いのちの芽』は非売品でしたが、このたび、岩波文庫に収録されたことを記念して、あたためていたこの企画を実現することができました。
 私がこのテーマに関心を持ったきっかけ、自分の問題として取り組みはじめたのは、姜信子さんの編集された谺雄二さんの『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』(みすず書房、2014年)が大きかったと思います。この本は熊本の橙書店で手に取りました。
 沢知恵さんの音楽も、それ以前から入り口にありました。沢さんは『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史――園歌はうたう』(岩波ブックレット、2022年)を刊行されています。そういったことが細い糸のようにしてありながら、忘日舎店主で今日ご登壇の伊藤幸太さんと対話を重ねる中で、中村寛さんによる『来者の群像』の書評を『現代詩手帖』(2018年7月号)に掲載する機会に恵まれました。
 2020年の秋頃、木村さんから「今度『いのちの芽』を復刊することになった。詩に光を当てた展覧会は初めてだと思う。ついては、詩の雑誌である『現代詩手帖』で何か企画が実現できないか」という提案をいただきました。
 伊藤さんがつないでくださった一本の書評によって企画が実現し、西さんや木村さんと今こうしてここにいるというところまでを最初の挨拶として、木村さんにバトンタッチしたいと思います。

木村 まず、『いのちの芽』文庫化までの経緯を最初に簡単にお話しします。ハンセン病療養所内では、小説、俳句、短歌など創作は積極的に奨励され、自発的活動としても活発に行われていました。これまでは北條民雄をはじめ小説のほうがよく知られていましたが、今回岩波文庫に収録されて、こうして詩における表現も知っていただく機会を得ました。
 私は、中学3年生のときに生前の大江満雄(1906~1991)に会っています。1986年、大江さんが80歳のときに、東京宿毛会という(今もあります)、東京近辺に住んでいる高知県の宿毛出身者たちの集まりでお会いしました。翌年にも、もう一回会っています。
 よくしゃべる人で、その後、いろんなところで大江さんを知るハンセン病療養所の詩人たちにも話を聞きましたが、とにかくおしゃべりな人だったそうです。いま思い返しても、あんな情熱、あれだけの熱量で話をする人には会ったことがない。中学生相手にまったく言葉を選ばずしゃべる人という、強烈な印象がありました。
 1991年に大江さんが85歳で亡くなる。各新聞社で写真入りの訃報記事が出ました。私は大学生になっていましたが、とても懐かしくて、千日谷会堂で行われたお別れの会に行きました。そのとき、鶴見俊輔さんが弔辞を述べられて、鶴見さんのことは知っていたので、挨拶だけしてそのときは終わりました。その後、大江さんのことを知りたいと思ったときに、大江さんの本がすべて絶版になっていたんですね。
 いまから思えば若気の至りというか、向こう見ずでしたが、鶴見さんに手紙を書いて、大江満雄の著作集を作れないだろうかと相談したところ、「思想の科学社でよければ協力しましょう」と返事をくださった。「思想の科学」は、鶴見さんが運営に携わった雑誌、出版社です。そのような経緯で『大江満雄集――詩と評論』(思想の科学社、1996年)が完成します。詩と評論が分冊になった2巻箱入りの本です。
 その編集過程で大江さんがハンセン病療養所の詩人たちと非常に密な関係にあったことを知りました。著作集には、ハンセン病関係の文章も少し入っていて、『いのちの芽』の解説も収録されています。このことがきっかけとなって、大江さんとハンセン病の人たちにどういう交流があったのかを知りたいと思い立ち、全国の療養所を訪ねて歩きはじめました。1990年代には、大江さんを知る『いのちの芽』に参加した人たちが存命だった。
 縁あって国立ハンセン病資料館の職に就いて、いつか『いのちの芽』の展示をと思っていましたが、それが2023年に実現しました。たまたま『いのちの芽』が刊行されてからちょうど70周年の節目の年でした。この詩集も、ずっと絶版でしたが、このタイミングで復刊することができました。
 企画展が5月に終わり、夏頃に文庫の話が持ち上がり、翌2024年8月に無事に刊行することができました。

匿名のバトンをつないで――ハンセン病文学と出会う|『詩集 いのちの芽』刊行記念イベント 05
大江満雄 編『詩集 いのちの芽』(岩波文庫)

西 西です。長崎を拠点に「編集室 水平線」という屋号で出版活動をしています。以前は東京の大月書店という出版社で12年半働いていました。その頃、昼休みや会社帰りによく三省堂書店神保町本店に通っていました。そこで木村さんの最初の著書『『忘れられた日本人』の舞台を旅する――宮本常一の軌跡』(河出書房新社、2006年)を見つけた。ちょうど出たばかりでした。
 『忘れられた日本人』(岩波文庫)は、民俗学者・宮本常一の代表作です。この本は、木村さんが『忘れられた日本人』に感銘を受けて、宮本常一の足跡をたどった本です。興味を持って読んでみたら、予想以上におもしろかった。すごい人がいる!と興奮しました。
 思いがけない縁が重なり、木村さんとはすぐにお会いする機会に恵まれて、その後、こちらから改めて訪ねていきました。そのときに木村さんから『大江満雄集』に入れられなかったハンセン病関係の文章がたくさんあって、それをまとめられないかと提案いただいた。それでできたのが『癩者の憲章――大江満雄ハンセン病論集』(大月書店、2008年)です。
 企画を通すのには苦労しました。大江満雄って誰だ、売れるのか。私もどうかしていると思うのですが(笑)、そこでさらにもう一冊、大江さんの企画を出した。それが渋谷直人さんの『大江満雄論――転形期・思想詩人の肖像』(大月書店、2008年)です。渋谷さんは『大江満雄集』の編集委員の一人で、私は、この原稿のことを木村さんから教えてもらっていました。

木村 『大江満雄論』の初出は、川崎市の市民が作っている『風嘯』という文芸サークル誌です。その渋谷さんの連載「大江満雄論ノート」を鶴見さんが読んでいて、とてもいいからと送ってくださった。

西 『癩者の憲章』には、鶴見俊輔さんからすばらしい推薦文をいただきました。『大江満雄論』は、帯文じたいは私が書いているのですが、吉本隆明さんから「推薦」の了解をいただきました。

木村 戦後、鮎川信夫が、第二次世界大戦中に戦争翼賛を目的として編まれた『辻詩集』(日本文学報国会編、八紘社杉山書店、1943年)と、1954年のビキニ環礁での水爆実験に抗議する『死の灰詩集』(現代詩人会編、宝文館、1954年)が同根のものだと批判したときに、名指しで批判されたのが大江満雄なんです(鮎川信夫「『死の灰詩集』をいかにうけとるか」『短歌』1955年7月号)。それに対して吉本が反論した(吉本隆明「戦争中の現代詩――ある典型たち」『国文学 解釈と鑑賞』第24巻第8号、1959年7月)。ほぼ唯一の大江擁護論でした。

西 『癩者の憲章』『大江満雄論』ともに、書評もいろいろ出て反応はよかったのですが、あまり売れませんでした。その後、木村さんから『いのちの芽』に参加した詩人たちを全国の療養所に訪ねて聞き書きした未発表の原稿がある、と話をいただいた。今度はこれをやりたい。とはいえ、もう企画を通すのは難しい。じゃあウェブだ、ということで全9回の連載を立ち上げました。
 その後、事情があって会社を辞めて2016年9月に長崎に移住することになりました。そのときにまだ形になっていないその連載を少部数でも、私家版でもいいから形にしようと話をしたんです。独立しようという考えはなかったのですが、木村さんの本を出したい一心でISBNコードを取って「編集室 水平線」をスタートさせました。そして刊行したのが『来者の群像』です。発売から7年以上たちましたが、注文は今も途切れずあります。

* * *

伊藤 伊藤です。私は、東京・西荻窪で忘日舎という古書店を8年半やっていました。2024年3月に実店舗を閉店して、いまは通販のみです。今日は、書店という立場から、本と人との出会いについて少し話したいと思います。
 私にとっても『来者の群像』は大事な本です。この本との出会いが西さん、そして今日につながっています。西さんと水平線の本には、本屋をつづけていく上で大きな影響を受けました。
 店を始める前に、東日本大震災がありました。震災の経験は、自身の生き方というか、問いを突きつけられるような出来事でした。それまでは編集のアルバイトとかをしながらふらふらしていましたが、古本屋、しかも新刊も置くような〈本のある場所〉を作りたいとゆるやかに思いはじめた。一箱古本市への出店などからはじめて、人と本がつながることに魅力を感じると同時に、個人としてとにかく何かしないといけないという思いが強くなりました。
 ちょうどその頃、新宿のブックファーストで、韓国の金哲(キム・チョル)さんの『抵抗と絶望――植民地朝鮮の記憶を問う』(田島哲夫訳、大月書店、2015年)という本を見かけたんです。帯文が、柄谷行人さんと朴裕河(パク・ユハ)さんでした。著者の金さんは現代韓国文学の研究者で、この本では韓国の「国民国家」「民族主義」の問題など、日本の植民地支配期から現代に至る植民地主義の構造を描いています。たまたま手に取って、本当に感動してしまった。
 それで、この本を担当された西さんに手紙を書いたところ、すぐに返事をもらって、お会いすることになりました。そのときに「大江満雄って知っていますか?」と聞かれた。それが、私にとってハンセン病文学に触れることになった最初の出来事です。『抵抗と絶望』がきっかけで西さんに会ったわけですが、そこでハンセン病文学に出会いました。
 忘日舎をはじめて、どんな本を扱うのか、地域や人とどう関わっていくのかという問いが常にありました。場所を開いたら読書会をやってみたいと思っていて、落ち着いてきた頃にサウダージブックスの編集者のアサノタカオさんと共同で「やわらかくひろげる」という読書会を始めました。
 第一弾は、在日女性文学を読む会で、李良枝(イ・ヤンジ)さんとか、姜信子さん、温又柔さんの作品などをみんなで読みました。第二弾で、ハンセン病文学を読む会を開催しました。自分が興味を惹かれたと同時に、知らないといけないのではないか、という気持ちもありました。
 アサノさんは2015年に、ハンセン病回復者の詩人、塔和子さんの蔵書整理をされたりしていました。第二弾の読書会を始めようとしたタイミングで村松武司さんの『増補 遥かなる故郷 ライと朝鮮の文学』(皓星社、2019年)が出ています。そこで、まずアサノさんと私が話すトークイベントを企画して、読書会を4回やりました。村松武司さん(1924-1993)『増補 遥かなる故郷』、塔和子さん(1929-2013)『希望よあなたに』(編集工房ノア、2008年)、香山末子さん(1922-1996)の『エプロンのうた 香山末子詩集』(皓星社、2002年)、それから『ハンセン病文学全集』全10巻(皓星社、2002~10年)を作られた能登恵美子さん(1961-2011)の『射こまれた矢 能登恵美子遺稿集』(皓星社、2012年)です。

木村 私も何回か参加しました。ふだんイベントなどを企画すると、来場者数などで成果を判断しがちですが、この会はそうではなくて、毎回、少人数で、1冊の詩集の、さらに1篇だけを、全員で読んで、一字一句にこだわって読むというやり方でした。

伊藤 読書会以降、棚にハンセン病文学や関連書籍も並べるようになったのですが、自分よりずっと詳しい方が来店されたり、お客さんから多くのことを教えてもらいました。このことは、私が店をやっていてよかったと思うことのひとつです。
 あと、おもしろいと思ったのは、ハンセン病文学関連の古書も入ってくるようになったことです。本が集まってくる。そうこうするうちに2023年、『いのちの芽』の展示が開催され、同時期に原爆の図丸木美術館で、国内各地のハンセン病療養所を訪ねた写真家、趙根在(チョウ・グンジェ、1933-1997)さんの写真展が開催された。それに合わせてトークイベントが実現しました。

匿名のバトンをつないで――ハンセン病文学と出会う|『詩集 いのちの芽』刊行記念イベント 06

木村 今日は、「ハンセン病文学、もうひとつの出版史」という資料を用意しました。最初に三一書房版『いのちの芽』(1953年)、最後に岩波文庫版『いのちの芽』(2024年)を入れました。ハンセン病文学のスタンダードなブックガイドではありませんが、この間がどうつながっているかがおわかりいただけると思います。
 まず、大江満雄が『いのちの芽』に参加した療養所の詩人たちの詩集の出版援助をしています。あと、大江さんが、いろんな仲間の詩人に声をかけている。
 大江さんと同い年で岡山の詩人、永瀬清子(1906-1995)も、長島愛生園などの詩人たちとの交流と支援を続けています。村松武司は、草津の栗生楽泉園で長く詩の選評を担当していて、村松さんも、いろんな詩人の出版援助をしています。それが1950年代から80年代まで続く。
 大江さんが1991年、村松さんが1993年、永瀬さんも1995年に亡くなります。そうすると、急に動きが減ってしまいます。らい予防法という隔離法が廃止されるのが1996年ですが、それを見ないで、全員90年代に亡くなってしまう。
 そんな中で1996年の『大江満雄集』の刊行はとても重要です。鶴見さんは、生前に一冊だけ『「むすびの家」物語』(岩波書店、1997年)という、ハンセン病関係の本を出しています。この本は、鶴見さんが教え子の木村聖哉さんと作った、ハンセン病回復者の宿泊施設の建設運動の記録です。大江さんへの敬意に満ちた本で、『大江満雄集』の編集作業に関わったことが、この本の契機になったのではないかと思います。
 『ハンセン病文学全集』全10巻の刊行もとても大きい。2000年代以降、いろんな人に新しく読み継がれていきます。姜信子さんや若松英輔さんをはじめ、アリtoキリギリスというお笑いコンビの石井正則さんがハンセン病療養所を回って『13(サーティーン) ハンセン病療養所からの言葉』(トランスビュー、2020年)という写真集を出しています。このとき石井さんから依頼を受けて、私がなかに入れる詩を選びました。この写真集をきっかけにハンセン病文学の魅力に目覚めたという人もいて、読み手を広げた本です。
 そして『いのちの芽』の展示、『現代詩手帖』の特集、文庫化という流れです。これは、ハンセン病文学史のスタンダードからは逸脱していますが、そんなに間違っていなくて、こうしたハンセン病文学を読む灯し火をリレーしながら今日に至っています。
 桂川潤(1958-2021)さんのことも話しておきたい。桂川さんは、著名な装幀家で、2021年に亡くなりましたが、お忙しいなか『癩者の憲章』と渋谷さんの『大江満雄論』の装幀を引き受けてくださった。この2冊に使われている絵は、桂川さんの描き下ろしです。そのことに西さんの情熱はもちろん、桂川さんの並々ならぬ情熱を感じます。
 立教大学の歴史学のゼミの学生たちが多磨全生園に入り、在日朝鮮人・韓国人の入所者の人たちに聞き取りをした、『生きぬいた証に――ハンセン病療養所多磨全生園朝鮮人・韓国人の記録』(緑蔭書房、1989年)という本があります。ここに当時立教の学生だった桂川さんが参加されていた。
 じつは桂川さんのお父さん、桂川寛さんも有名な美術家ですが、寛さんは『思想の科学』にカットを描かれていた時期があるんです。『思想の科学』に関わる人たちの手で大江満雄の再評価が行われ、今に至る、そういう縁もあります。

西 『来者の群像』の装画は、池野清という洋画家の《鳩笛たち》(1959年)という作品を使わせてもらっています。長崎発の出版ということで、長崎に関係した何かを装丁に使いたかった。
 池野さんは長崎市出身で、1945年8月、原爆投下直後に救援活動で爆心地に入って被爆している。『いのちの芽』の解説で、木村さんは「隔離政策の不条理に直面しながらも、外部社会に向けて希望・連帯・再生を希求する新たな文学」と書かれています。私も「連帯」について考えました。池野さんは被爆者で、後遺症に苦しみながら制作をつづけた。そのことが、私のなかで『いのちの芽』の詩人たちに重なった。「戦後」という時代も意識しました。
 桂川さんの『本はモノ)である――装丁という仕事』(新曜社、2010年)のエピローグ「金夏日キム・ハイル) さんの舌読ぜつどく)」には、桂川さんと私で栗生楽泉園を訪ねたときのことが書かれています。そこに『癩者の憲章』と『大江満雄論』の書影が並べて載っている。ここにも、ハンセン病のことに早くから関わっていた桂川さんのつよい思いが感じられます。

藤井 これまでも、あまり一般的に知られてこなかったかもしれないけれども、ハンセン病に関係する書籍は数多く出ているんですよね。2024年2月には、木村さんの『内にある声と遠い声――鶴見俊輔ハンセン病論集』(青土社)が出ました。『癩者の憲章』が大江さんの論集で、この本が鶴見さんの論集です。
 1991年に大江さんが亡くなり、木村さんが鶴見さんに手紙を書いて、それに応じてくださる鶴見さんがいた、その行動力に驚かされます。『大江満雄集』刊行後、まだ学生だった木村さんが『いのちの芽』をめぐる全国の旅を始められる。『いのちの芽』に書かれた詩人さんたちの聞き取りを90年代に開始されたことで、ご存命の方に出会うことができた。
 私は2000年くらいから詩の仕事をしているのですが、いろいろ間に合っていないという感覚を持っている。戦後詩の重要人物、たとえば鮎川信夫や田村隆一といった詩人たちは亡くなっていました。手紙書いて、本を作って、歩き出す。歴史に間に合うというのか、その行動力が素晴らしいと思います。人がつないで、本がつないで、今に至っていることの重要さを感じます。

後編に続く

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